色が付いた
「わかった。君にそこまで覚悟があるなら、乗ってみようか」
誠の言葉に、岳は軽くうなずいて前に出る。
「但し、何か危険があったらすぐにやめるよ。大人しいとはいえ、アトリエはサラブレッドだ。乗り味もパワーも、ポニーとは全然違うからね」
誠はそう念を押すと、穣から手綱を受け取った。
「……でも、鞍がないだろ。まさか裸馬に乗せる気じゃないよな。初心者には危なすぎるぞ」
渉が怪訝そうに口を挟むが、誠は眉ひとつ変えずに答える。
「俺の車のトランクに、修理に出す予定だった古い鞍があるはずです。ちょっとボロいけど、今日はあれで十分ですよ」
それから振り向き、穏やかに告げた。
「慎平。悪いけど、駐車場まで取ってきてくれないか」
柚木は無言で頷くと、穣の案内で馬房を後にした。
「栗林さん……本当に、息子をアトリエに乗せるおつもりですか?」
博が心配そうに誠に聞く。文も黙ってはいるが、表情は固かった。
「ええ、そのつもりです。岳くんは自分なりにアトリエの未来を考えてくれていますから、その意思を尊重させていただきます」
誠の声に迷いはなかった。
「それに、岳くんはどこかうちの柚木に似ていると思います。物静かですが、内には沢山の思いを秘めている」
黒木夫妻は、はっとして息子の方を見た。
「そういう子は、周りがどんどん気持ちを引き出してあげないと。息子さんと、本気で向き合わせてください」
誠の申し出に、岳は「宜しくお願いします」とだけ言ったが、耳はほんのり赤くなっていた。
コインパーキングまで戻った柚木は、トランクから誠の古い鞍を引っ張り出した。所々色褪せ、糸がほつれている。横から覗き込んでいた穣に気づき、柚木は小さく問いかけた。
「……触ってみる?」
「はい。ありがとうございます」
穣は慎重に鞍を受け取り、目を丸くする。
「わ……年季入ってますね。それに、思ったより軽いです」
「これは調教用の鞍だから、乗馬用のとは作りが違う。レース用の鞍になると、もっと薄くて軽いよ」
「へえ……でも、そんなに小さくて大丈夫なんですか?」
「競走中は、お尻着けて乗らないから……それに、負担重量が決まってるから極力軽くするんだ」
「へえ。鞍って言っても、結構違うんですね」
そう話しながら馬房へ戻る道を歩いていると、ふと穣が口を開く。
「さっき、岳が"僕が乗る"ってはっきり言ったじゃないですか。あれ、今までの岳だったらあんなこと言わなかったですよ」
「……今までの?」
柚木は首をかしげる。
「岳って、僕らの中で一番ポテンシャルはあると思うんです。でも、なまじセンスがあるから今まで何かに本気になったことがなくて。頑張らなくてもできちゃってたんですよね。
僕は小さい頃から剣道やってますし、律は部活で落研に入ってる。でも、岳はそういう打ち込んできたものがないんですよ」
「じゃ、岳くんは……変わったってこと?」
「はい」穣ははっきりそう言うと、柚木の方に向き直った。
「今までの岳は、何となく無色透明な感じでした。でも最近の岳は、明らかに色が付いてます。馬っていう夢中になれるものが見つかったんです。きっと」
柚木は、自分が三つ子と同い年だった頃を思い出していた。すると、自然に口が開いた。
「俺は、元々競馬関係者の一族じゃなくて、お茶の家元の出身なんだ。君たちぐらいの歳まで、競馬なんか知らなかった」
「え、そうなんですか?じゃあ、何で騎手になったんです」
「中学の時に、誠が騎手にならないかって誘ってくれて。家元は姉が継ぐって決まってたし、やってみようかなって気持ちで乗馬始めて……競馬学校入って、騎手になった」
「それって、勇気のいる決断じゃありません?だって、確かに夢のある世界だけど、危険ですし……親は止めなかったんですか」
「母親は止めてたな。やっぱり怪我が怖いって。
でも俺は、誠に出会って……馬の世界に入ってから、毎日がすごく意味のあるものになった。岳くんみたいに、"色が付いた"って感じかな。だから最後までやるって言ったよ。
岳くんも……そんな感じで頑張ってくれたら嬉しいな」
穣は真っ直ぐに前を向きながら言った。
「岳は……アトリエと何をするんでしょうね。騎手になるには、ちょっと大きすぎるし。いくら痩せてるからって」
「どうかな……競馬だけが、人馬一体でできることじゃないからね。乗馬だってそうだし、これから見つけるんじゃないかな。アトリエと2人で」
柚木はそう答えると、鞍についた埃を軽く払った。




