エピソード1.5:internal affairs
統治と櫻子を見送ったユカと政宗は、とりあえず使ったカップを洗うため、キッチンに横並びになった。
政宗が洗ったものをふきんを持ったユカが受け取り、水滴を拭き取りながら……口を開く。
「政宗、今のうちに今の名杙の勢力図を知っておきたいっちゃけど」
統治の前では大声で聞きづらいことを――彼の身内の悪口になってしまうかもしれないから――口にすると、政宗は横目でチラリと彼女の横顔を見つつ、カップに付いた泡を洗い流す。
「分かった。ただ、俺の主観になるぞ?」
「それでよかよ。あたしは政宗と歩調を合わせたいけんね」
ユカの言葉に、政宗は「了解」と首肯した。そして、自分が知っている情報を、彼女と共有する。
「まず、現当主と対立している主な人物は、現当主の弟さんにあたる人だ。名前は名杙慶次。年齢は……確か、50代前半か中盤くらいだったはず。子どもは桂樹さん一人だと思ってたけど、交友関係が派手な人だし、華さんの例もあるから、何人いるのかまでは分からないな」
今年の4月、ユカは仙台で『遺痕』――肉体が滅んだ後も『関係縁』が残っているせいで、この世から消えることが出来ない厄介な存在――となった、名波華という女性と出会った。
彼女は名杙の分家に生まれた女性だと思っていたのだが、実は、名杙慶次の長女であったことが分かり、それを知らなかった統治と心愛はそれなりにショックを受けていたのだ。
ユカはまだ、慶次本人と顔を合わせたことがないけれど、ユカの周囲では慶次に逆上して襲いかかった少年がいるし、慶次と関わったことで人生が歪になった女性もいる。
福岡にもしも、彼のような人物がいたら……すべからく、福岡支局長が鉄拳制裁をしていただろう。暴力を肯定するわけではないが、名杙もよく、こんな問題人物を長期間放置しているものだ……と、思わなくもない。
ユカは拭いたカップを慎重に重ねつつ、名杙慶次の現在の人間関係を整理する。
「その人、今も奥さんはおるっちゃんね?」
「離婚はしていない……と、思うけど、確証はない。俺は会ったことないけど、奥さんも大分目立つ人らしい」
「なるほど。お互いに似た者同士なのかもしれんね」
会いたくないけど、と、ユカは心の中で付け加える。
「ケッカも知ってるかと思うけど、『東日本良縁教会』も、西と同じブロック制をとって各地域を管理している。慶次さんは東北ブロックのブロック長だ。当主の実弟ってこともあるとは思うけど、そんな野次を黙らせるだけの実力はある。現に、北海道のブロック長は慶次さん寄りの……保守的な考え方らしい」
「残っとるのは東京と首都圏、中部やったっけ。北からジワジワと詰まれていく感じなんやね」
「これも今はどうなってるのか分からない。透名さんの身上書が出回ったり、趣味の悪い内緒話がはびこっているくらいだから……現当主に批判的な人間は、東北でも少なくないと思ったほうがいいだろうな」
「政宗はやっぱり、慶次さんが手を回しとると思う?」
ユカの問いかけに、政宗は「ああ」と迷いなく頷いた。
「身上書は、普通に考えると……現当主の部屋、執務室を兼ねた書斎に置いてあると思う。ブロック長、ましてや実の弟であれば、仕事関係と言ってその部屋に入ることが出来ても不思議ではないんだ。ただ、書斎は統治の実家の一室なんだ。頻繁に家探しのようなことをすれば時間もかかるし、さすがの当主も黙っていないと思う。現当主にも統治にも……愛美さんや心愛ちゃん、他の人に気付かれずにピンポイントでそれにたどり着くのは、簡単なことじゃないと思うんだ。逆に言うと……」
「そのからくりが分かれば、突破口がある」
「俺はそう思ってる。内定者がいるのかどうかも含めて調べるつもりだ」
「どげんして……? 政宗、名杙に嫌われとるっちゃろ?」
先程から政宗が語るのは、全て、名杙の内部に関することだ。統治ならまだしも、政宗が大手を振って調べ物をしてしまうと、目立つ杭になって打たれてしまうのでは。
顔をしかめて首を傾げるユカに、政宗は、自身が持っている次の切り札を提示する。
「ケッカも会っただろ? セトさんに、慶次さんの交友関係を調べてもらう。今はそのためにどんな情報を渡すのか、吟味してるところだ」
「セトさん……あのピンク髪の人!!」
ユカは政宗のいう人物に心当たりがあったため、カップを食器棚に片付けながら感嘆の声を漏らす。
世渡直生、ユカが彼について知っているのは、名字と、情報と引き換えに情報を与えてくれる謎の男性、という事実のみ。
ユカ自身も今年の9月上旬、偶然とも必然とも思えるタイミングで遭遇し、ピンチを救ってもらった恩がある。
彼は頭髪がピンク色なので否応なしに目立つはずなのだが……ユカはあれ以降、仙台の街で彼と顔を合わせることはなかった。
名杙でも、『仙台支局』でもない、ある意味ではニュートラルな存在。
彼にしっかりと報酬を提示することができれば、心強い味方になってくれそうな気がする。
ユカが直生と初めて会った時のことを思い返していると、政宗はスポンジについた泡を水で洗い流しながら……その泡が排水口に向かって流れていく様子を見つめ、言葉を続ける。
「透名さんも、何の考えもなしに統治へ告白したわけじゃないと思うんだ。統治たちとも足並みを揃えつつ、次の動き方を考えるよ。自分が傷つかない場所から、悪意を持って人を傷つけるような人達は……やっぱり、許せないからな」
「政宗も……その、色々言われてきたと?」
「まぁな。あの家の大人は本当に容赦ないんだ。多分、里穂ちゃんや仁義君も、思うことがあると思う。けど……」
スポンジを片付けた政宗は、タオルで手を拭きながら、ユカを見つめて口角を上げた。
「統治や心愛ちゃんは、あんな人達とは違うって分かってるからさ。だから、2人の言うことは信じる」
「そっか。分かった」
政宗と向かう方向が同じであることを確認したユカは、あと一つ、確認しておきたいことを思い出して「そういえば」と言葉を続ける。
「なして双葉さんに連絡ば取らんといかんと? どげん言えばよか?」
「1つ、西の『絶縁体』が欲しいんだ。ちょっと試したいことがあってさ。双葉さんがホイホイ送ってくれるかどうか分からないけれど……聞くだけ聞いてみてくれ。俺から連絡したことが名杙に知られると、それも攻撃材料にされるから」
「分かった。明日にでも電話してみるけんね」
食器棚の扉を閉めたユカに、政宗が「頼んだ」と返答した瞬間、彼のスマートフォンが3回、振動した。メッセージの合図だ。
送り主を確認した政宗は、手短に返信をした後、スマートフォンをズボンのポケットにねじ込む。
「統治と透名さんが戻ってくる。今後の動き方について、飯でも食べながら話し合いたいそうだ」
「分かった。夕ご飯、何か買ってくる?」
この家には2人分の食料しかない。買い物へ出るのか問いかけるユカに、政宗は首を横に振った。
「いいや。引っ越し祝いも兼ねて2人で食材を買って戻るから、キッチンをあけておけ、だとさ」
「なんそれ……あの2人、さっさと結婚すればいいとにね」
「そうだな」
同じ結論に達した2人は、顔を見合わせて笑い合い、戻ってきた2人がすぐに作業へ取りかかることが出来るように、キッチン周りの整理を始める。
互いの今後については……あえて、口にしないままで。
政宗への連絡から30分後、スーパーのビニール袋を両手に持った統治が、櫻子と共に、この部屋へ戻ってきた。
袋の中身が気になるユカが、手際よく食材を仕分けしていく2人の方へ近づいて。
「統治、櫻子さん、今日はなんば作ってくれると?」
そんなユカの問いかけに、櫻子が袋の中から茶色い柱上の麩を取り出して、にっこり笑う。
「折角なので、今日は油麩丼とお味噌汁にしてみようかと思います」
「え? あぶら、ふ……それって、味噌汁とかに入れるやつ、ですか?」
櫻子が持っている、約10センチほどの油麩――タンパク質と小麦粉を練り、大豆油で揚げたもの――を指さしたユカが、訝しげな表情で問いかけた。てっきり味噌汁の具材かと思っていたが、どうやら違うらしい。
櫻子の言葉から察するに、彼女が持っている麩が、メインの具材なのだろう。内心、「肉じゃないのか……」という落胆がある。
そんな彼女に、櫻子は「はい」と頷いて。
「丼ものの具材がお肉ではないことを、最初はがっかりする人も多いんです。でも……百聞は一見にしかず、ということで、美味しいことを知ってほしくて」
「わ、分かりました。楽しみにしてます……!!」
櫻子に胸中を思いっきり見透かされたユカは、「これ以上邪魔しません」という意思表示をすべく、キッチンから、テレビがある反対側へと移動する。彼女がこれだけ言っているのだ。きっと美味しいに違いない。
ユカはそのまま、夕方のスポーツ番組を流し見していた政宗の隣に腰を下ろし、視線だけを向けた彼へ問いかけた。
「政宗、油麩丼って知っとる?」
「櫻子さんの地元の郷土料理だよな。最近はB級グルメとしても有名になってるやつ。お麩にタレの味が染み込むからめちゃくちゃ美味いぞ」
「そうなんや……」
やはり政宗も知っていた。しかも、彼の評価も高い。
これは期待出来るな……と、ユカが脳内でよだれを拭いていると、政宗はそんな彼女をニヤニヤした表情で見つめて。
「ケッカ、さては……メインの具材が肉じゃないから、がっかりしたんだろ?」
「そ、そげな、こと……少ししかなか!!」
「少しはあるのかよ。正直だな」
喉の奥で楽しそうに笑う彼に、ユカはきまりが悪くなって視線をそらす。
政宗はそんな彼女に目を細めると、肩をポンと叩き、視線を上げた彼女に向けて口角を上げる。
「とにかく俺たちは、あの2人の邪魔をしないように、それでいて、呼ばれたらすぐに手伝えるように……待機だ」
「了解」
ユカはしっかりと首肯した後、体育座りで控えることにした。
そんな二人の様子をカウンターキッチンから眺めていた櫻子は、長い油麩を1センチくらいの輪切りに切り分けながら……目を細める。
「お二人とも……仲が良さそうで何よりです」
櫻子の言葉に気付いた統治もまた、彼女と同じ方向を見つめ……言いかけた言葉を飲み込むと、タレを作るための調味料配合にとりかかるのだった。
2人が料理を始めて、約1時間後。
「お待たせしました。皆さんのお口に合えばいいんですけど……」
「おぉ……!!」
櫻子から具材を載せた丼と、味噌汁が入った椀を受け取ったユカは、それを見下ろして生唾を飲み込んだ。
櫻子と統治が用意してくれた油麩丼は、タレで煮た油麩を卵とじして、白米の上にのせたものだ。上からネギと紅生姜が散らされていて、とても彩りが良い。既に匂いがとても良い。
味噌汁はシンプルに、豆腐とワカメ。こちらからも出汁と味噌の香りが届くので、とにかく熱いうちに食べたくて仕方がない。
全員で手を合わせて挨拶をしたのち、ユカは箸で油麩を持ち上げた。半熟の卵が絡みつき、タレを吸っていることで程よい重量感がある。それを噛み締めた瞬間、口の中で味が一気に広がっていった。噛みごたえもあるため、物足りなさも感じない。
そして、トンカツのような肉の重たさがない分、あっさりと食べ進めることが出来る。深く考えると脳が混乱しそうになるので、ユカは深く考えずに箸を進めることにした。
「うわ、美味しい……!! お麩が主役になるげな、思っとらんかった……!!」
目を輝かせて咀嚼するユカに、櫻子が「良かったです」と笑顔を向ける。
一方、統治は味噌汁をすすって……軽く目を見開いた。
「櫻子さん、味噌汁の出汁は……何を? 昆布は見ていたけれど、それだけには思えないんだ」
しげしげと味噌汁を眺め、「いや、これは味噌にも理由が……?」と首を傾げる統治へ、櫻子はとても楽しそうに返答する。
「今は秘密です。でも、統治さんならいずれ気付くと思いますよ。お口に合っていて良かったです」
「そうか……うん、美味しい」
今はもう、あまり深く考えないことにして。
統治は素直な気持ちで味噌汁をもう一口すすった後、口の中でゆっくりと味わってから、主食へと手を伸ばした。
その後、全員で完食・片付けを済ませた後、改めてダイニングテーブルに4人揃い、今後の打ち合わせをすることにした。
全員を見渡した政宗が、「さて」と息を吐いて口火を切る。
「今からどう動くのか認識をすり合わせておきたい。とりあえず――」
「――佐藤、山本、1つ提案があるんだ」
政宗を遮るように口を開いた統治に、政宗はユカと共に目を丸くして統治を見つめる。
そして、彼の口から語られた内容を一通り聞いた政宗は……困惑した様子で櫻子を見た。
それはあまりにも突拍子がない提案で、櫻子が文字通り、身を挺したものになるからだ。
「透名さん……それ、いいんですか?」
「私は構いません。ただ、書類を用意するまでに1週間程度時間を頂きたいのですが……」
「も、勿論それは問題ないです。それまでに俺たちも……出来ることをやっておきますから」
こう言って頷く政宗に、櫻子は「お願いします」と頭を下げる。ここまでされて、断る理由はどこにもない。
顔を上げた櫻子の眼差しが、とても強く見えて……ユカは改めて、身を引き締める。
彼女のために、統治のために……『仙台支局』の今後のために、絶対に失敗出来ないミッションが始まった。
■internal affairs:内政。名杙内部の勢力に関するエピソード。
油麩とはなんぞや→https://sendaifu.jp/charm/
油麩丼とはなんぞや→https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/aburafu_don_miyagi.html
なっかなか本場で食べる機会がなく、歯ぎしりをしています。食べたい……!!
油麩は一時期ハマっていて、味噌汁に入れ続けていました。ほんのり油が汁に染み出した感じになって味噌汁が美味しくなったんだ……また買おう。
そして、小説内に出てきた世渡直生とユカの邂逅は、外伝で書いています。(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/97/)
本文中のイラストは、狛原ひのさんに描いてもらった世渡君です。このピンク髪にサングラス、そしてヘアピン。この、謎が溢れ出る感じがとても良いのです。ありがとうございます……!!
8幕はこの外伝での出会いを踏まえて物語が進みますので、よろしければ外伝もどうぞ!!




