久々に古代日本史 ㊙大胆考察 その③
「アマ」とは?
アマテラス、に代表されるように一部の神の名前の必ず最初につく美称である。
また、人名についたり、はたまた高天原のように地名につくケースも。
すべてに共通するのは弥生や古墳まで遡るほどには古くない、ということだろう。
そして恐らくは「アマ」こそが苗字がないとされている「天皇家の本当の苗字」であると考えている。中国人にも記録されてるし。
日本書紀などの編纂にも携わった、歴史上もっとも重要で、優秀でもあった天皇、天武天皇の名は大海人皇子である。
彼が「アマ」テラスを崇拝しだしたのは偶然ではあるまい。
天と書いて「アマ」と読むが、これは天武天皇の名前ゆえのことだと考えている。
本来は海で「アマ」だったはずだ。「元伊勢」籠神社の宮司は海部氏だ。
ちなみに大阪や兵庫には「余部」または、あまるべなる地名がある。恐れ多くて「海」や「天」の文字を使うのを避けたのかも?
しかも面白いのが、日本語では元々海は「ワタ」だったはずなのだ。
「渡る」という言葉は海が語源という説があり、神武の先祖には海神がいる。
韓国語では海を「パダ」というらしく、これを「ワタ」と結びつける言語学者もいる。
有名な渡来人・秦氏もこの朝鮮語「パダ」と関係がある可能性がある。
いずれにせよ、海と書いてアマと読むのはなぜかほぼ人名か地名に限られてくる。それか漁をする海女さんか。
日常語として「天」や「海」に関して「あま」とつく単語が全然ない。
天皇家が崇敬する由緒正しい言葉なのにだ。
何より奇妙なのは、そのどちらでもなく、海を指すのは古い時代から今も「うみ」が支配的だという事実。
遠江や近江、湖という言葉があるように、非常に古くからある言葉だ。
このように、なぜか同じ意味で違う発音の言葉がダブっている現象はどこの言語にも見られ、その原因は外国語からの借用や方言の吸収が主だ。
たいていの場合は時間の流れの末に標準語に採用されているもの以外は消滅してしまう。
実際、現在では「うみ」以外はほぼ消滅している。
例えば犬は「イヌ」「カヒ」「ウソ」なる三種の発音があったらしいのだが、現在ではイヌ以外は消滅。
ウソは「カワウソ」という言葉などにわずかに残るのみだという。
大昔、九州や西日本全域では主に「ワタ」が使われていたのだが、ひょっとすると北陸東海では「アマ」だったのかも?
そして比較的に新しい時期。飛鳥時代ごろにようやく「うみ」が全国的にポピュラー化したのではないか。
なんであれ、現在の天皇家はもともと海を指すのに「アマ」を使用する文化。便宜上「アマ族」だ。
だからアマテラスを最高神としてあるはずだ。
万葉集や言語学に明るい人ならば、「アマ」「ワタ」「うみ」が、どこの方言なのか、使われた年代はどうか、といったことが特定できるかもしれない。
そうすれば、「アマテラス」を信仰する「アマ族」がどこ出身か。いつ彼らが覇権を築いたのかもわかる。
そして、なぜ――日本書紀などを信じるならだが――「アマ族」から支配的民族の交代が起こっていないはずなのに、「うみ」が支配的であるのかという謎も解明できるはずだ。
筆者はトンデモとはわかっているが、「アメノ」「アマノ」という名の神様はわりと実在した人物が多く含まれるのではないかと思っている。
つまり彼らはここで言う「アマ族」なのだと。
「アマ族」が支配的なはずのヤマト朝廷で、海を指す言葉が「アマ」ではなく「うみ」のほうがポピュラーなのは何故か、という疑問。
それが「"大多数のウミ族"をアマ系異民族が支配した」と考えれば説明はつく。
ではもう少しとりとめのない話を続けていこう。
古代日本の話はあまりに判然とせず動かぬ証拠もだぜないので、はっきりした結論を出せないままにせざるをえないからだ。
「アマ」を追ううちに浮かび上がった「タジヒ」
前述したとおり籠神社の宮司は「海部氏」である。その祭る神は彦火明命である。(以降、ホアカリ)
そして「余部」についてだが、大阪府堺市美原区に「余部」という地名が存在。南北「余部」というのがあるようだ。
探っていると余部と「黒山」なる場所を挟んで多治井があり、ここに「丹比」神社なるものがあった。
そこの祭神は「ホアカリ」と「反正天皇」。反正天皇はマイナーな天皇だが仁徳の息子だという。
まあマイナーな天皇の中ではメジャーな部類には入るか。彼は初めて兄弟間での継承をした天皇でもある。
(ちなみに父子間でない継承に範囲を広げれば14代仲哀天皇が初めて。)
彼は名前にも「タジヒ」と入っていてこの辺がゆかりの地であるようだ。
ちなみに「丹比」や「タジヒ」なる地名は鳥取や広島にもあり、「タジマ」や「タジミ」も含めればもっと多いが詳しいことは不明。
「タジ」という古代豪族がいたのは確からしい。言語に詳しい人、ひょっとしたら「タジ」を古代朝鮮語に比定できないだろうか?
まあないものねだりをしても仕方がないのであるもので工夫するしかない。
筆者は再三「アマ」と「アマテラス」が大事だと言っているが、この丹比が結構面白い。
何しろ籠神社のある京都北部、日本海側の丹後地方と同じく「アマ」の発音が残るのに「アマテラス」を祭っていないという不思議な場所だ。
軽くネットで調べた限り、丹比郡には「アマテラス」を祭る神社が存在しない。
そして「丹比神社」ではホアカリを祭っている。奇妙である。
この辺りは今でこそ内陸部だが昔は海であった。地名には「よさみ」が残っており、これは「寄せ網」が縮まって「よさみ」だというのが通説。
それほど歴史が古い土地なのに、なぜアマテラス信仰が一切ないのだろうか?
今も堺市美原区には「余部」の地名が残るのにだ。
そこから少し行くと、松原市の「天美」や大阪市東住吉区 矢田の阿麻美許曾神社がある。
ちなみに筆者は大神山の大神神社にいったことがあり、ここには「若宮社」なるものがあって大田田根子を祭っていた。
何故か阿麻美許曾神社の宮司は「若宮氏」のようだ。偶然だと思うが。
大阪府は例の"大田田根子"の出身地だという河内の陶村(?)や海人との関連が考えられる海系の神社、住吉大社もある。
あまみこそ神社の「こそ」は朝鮮語であると考えられており、瀬戸内から大阪湾を経て渡来人がやってきたであろう往時の光景が思い浮かぶ。
で、思い出してほしいのが古代朝鮮語では海は「パダ」だったと考えられており、朝鮮系渡来人の証拠がある以上、本来ここら辺には「和田」だったり「わたなべ」のような地名がついていてしかるべき。
だがなぜかここら辺には「アマ」の地名があるのである。非常に不可解である。
一応この話に落ちをつけて次に行こうと思うので、まとめを行ってから結論を述べていこう。
1.最高神アマテラスを信仰する天皇家。海のことを「アマ」と呼ぶ文化・地方こそが天皇家と最も深いかかわりを持つはずである。
2.「ワタ」は古代朝鮮語で海。「うみ」に関しては不明だが、どうも「ワタ」や「アマ」より使われだしたのが新しい…?(素人)
3.大阪府の松原市、そしてそこに隣接する東住吉区や堺市美原区などには「アマ」の地名が残る。
4.そしてその一帯は「タジ」「タジヒ」と呼ばれた。意味は不明である。ここら辺は昔は沿岸部だったようだ。「アマ」の地名が残るのはそのため?
5.ここには明らかに渡来人の影響があるが、なら「アマ」じゃなく朝鮮語の「ワタ」が地名に残らないとおかしい。
6.この一帯には18代反正天皇の宮があったとされ、彼はこの一帯の神社でまつられてるのでほぼ確実に4から5世紀ごろに都だったっぽい。
7.ひょっとしたらこの辺の時代に海を表す「アマ」が使用され始めたのではないか。だから「ワタ」が残らなかった?
8.少なくともこの辺の時代に王の名に「ワケ」「ワカ」が使われだしたようであるのは割と定説であり、「ワケ王朝」という呼び方さえある。
余談だが韓国人には"パク"さんが多い。パクは古代朝鮮語で明るいを意味する"パルク"が由来だという。
古代朝鮮では新羅の初代王・赫居世居西干を筆頭に"明るい"の名がついた王様がたくさんいたようだ。(この人物、詳しくはググって)
正直、日本語の"ワケ"はこの"パルク"が由来ってことはないのだろうか?
日本語の"ワタ"が朝鮮語の"パタ"であることと法則的に符合しているような気がするが、素人なので何とも言えない。
「アマ」が外来語ではないという主張と「ワケ」が外来語という説は自説同士で矛盾するが…。
9.結びとして、1から8までをもとに筆者はこう述べたい。
太平洋側を通れる現代と違い、大阪湾は瀬戸内勢力とのそれなりの平和的関係なくして誰も通れはしない。
実際前方後円墳の原型は四国の阿波が発祥ではないかという説が有力とされている。
で、それ以前に瀬戸内へは九州を無視しては通れない。渡来人は必ず対馬や関門海峡を通っていたはずだ。
つまり九州、瀬戸内、畿内、これらが一体となった政権が出来て、初めて大阪湾や大和へ大規模な渡来人集団を迎えることが出来たはずなのだ。
それが4世紀以降の日本、倭国であり、巨大前方後円墳が百舌鳥・古市などにバンバン作られだした。
その百舌鳥と古市間の古墳過疎地帯、それが前述の"タジヒ"地方だ。一応大きい古墳もあるにはあるが研究が進まず仲間はずれにされている。
タジヒはあまりに情報が少なすぎてこれ以上はわからないが、ただ大阪府の真ん中あたりに残る天美、余部に京都・丹後の籠神社の海部氏。
この辺はいかにも渡来人の影響の大きそうな海沿いなのに、なぜ古代朝鮮語のパダではなく「アマ」のほうが残ったのか?
これはもう「アマ」という名前の有力者がそこにいたからとした考えられないだろう。
つまり海とは直接的には関係なく、「あまべ」氏がここら辺にいたのだ。
ぶっちゃけ、天皇家は近畿・東海を中心に分布するあまべ氏 (とその同族の尾張氏と丹比氏)から出てきたのでは?
なら両地域でアマテラスがなぜか祭られてないのも説明つく。(籠神社は元伊勢といってアマテラス信仰は昔からあったらしいが、主祭神はホアカリ)
というより矛盾するのでそこは次のように説明するほかないというのが、適当だろうか。
何故タジヒ地方にアマテラス信仰がないのか。
ホアカリとは、アマテラスそのものではないのか。同一の存在ではないのか?
というか天照國照彦天火明命、略して「アマテラスオオミカミ」とも呼んでたのではないか?
籠神社の主祭神はホアカリである。籠神社は元伊勢なので天照大神も名を連ねるがむしろここが元祖・伊勢なのでは?
丹比神社の社伝によると、丹比連が祖神である「火明命」を祭るために創建したといわれている。
つまり丹比連は海部氏と同族である。筆者は何も、語呂合わせだけで話を進めてるわけではない。
数少ない「海部氏」の同族がいて、「アマ」が地名にも残る興味深い土地・タジヒ地方を見つけたから一人で盛り上がっているのだ。
もちろんそこから若干西へ行けば住吉大社があり、ここも海部氏と系統がかなり近い尾張氏系統の津守氏が守る神社らしい。
当然、古代史に詳しい人なら神功皇后という要注意人物が住吉大社と関係深いのもご存じかと思う。
住吉大社のことは次回述べるので、今回はホアカリとはアマテラスと本来同一だった、という落ちで話を終えたい。
「アマ」と「ワタ」と「ウミ」、同じ意味の言葉が三種類もあるのは意味不明。
筆者が一番わからないのは、何故ウミが一番後世でポピュラーなのか。




