僕は小鳥と話す
「なあ、アキ。今日はどこに行きたい?」
僕は、自分の部屋の窓を開け、側にいた小鳥に話しかける。
ある日を境にうちに来るようになった小さな小鳥、名前はアキ。
窓を開けると「チュン」と可愛げな声を上げながら部屋の中へと入ってくる。
僕はそれを両手で受け止めた。
「あれだけ空を飛びたいって言ってたのに、アキって空飛ぶの下手くそだよね」
すると、アキは言葉の意味を理解したのか、小さなクチバシで僕の両手を突いた。小さいけど鋭いため、ちょっぴり痛い。
でも、宙に浮くまでに10回以上羽を動かすんだもん、鳥は飛ぶ前に一度ジャンプするんだけど、アキは羽を動かしながらジャンプをする。
足と羽の動かすタイミングが逆なのだ。
だけど、そこがまた可愛らしくて、逆にアキの長所だと思ったりしてる。
「アキが運動音痴なのは昔からだしなぁ……」
僕は空を見上げ、懐かしげにそう語る。
あれは、まだ僕とアキが幼稚園にいた頃だろうか、僕は鉄棒で逆上がりが出来たのに対し、アキは前回りすら出来ていなかった。
でも、アキはすごく負けず嫌いだったから、日が暮れるまで練習してたんだっけ。
結局、前回りもできないまま幼稚園を卒業したわけだけど……、あの負けず嫌いには誰も敵わないと思う。
「負けず嫌いで悪かったわね」
僕の隣にふんわりと座った彼女はそう言った。
表情はすごく不機嫌そうで、自覚はあるけど認めたくはないらしい、ひどく僕を睨んでいる。
「でも、ヒロだって算数だけは苦手だったじゃない」
「アキは算数以外もだったろ」
そう言うと、アキは今にも泣きそうなくらい目に涙を溜め、むすーっと頰を膨らませた。
流石に言いすぎたかもしれないと思い、慌てて「ごめん、言いすぎた」と付け足す。
だが、それだけでは許してくれないらしい、彼女はぷいっと顔を逸らし、両腕で涙を拭った。
「今度アキの好きな食パンもってきてやるよ」
「なら許す」
さっきまでの涙はどこにいったのか、アキは笑顔でそう返すと、「約束ね」と小指を僕の方に向けてきた。
「ああ、約束。今度はちゃんと守るから」
釣られて僕も笑顔になる。
この時間が永遠と続けばいいのに、そうしたら幸せなのに、だけど、この時間はすぐに過ぎていく。
「あの時、間に合わなくてごめん。約束、守れなくてごめん」
「……」
アキは答えない。
そりゃそうだ、僕はアキの人生最期の約束を破ったんだ。許してくれるはずがない。
ただ、アキは一息ため息を吐くと、青空に顔を向けて目を閉じた。
「私もさ、ヒロと約束したよね。死んでもずっとヒロと一緒にいるって」
アキはそう言うと、閉じていた目をゆっくりと開き、僕の顔を横目で見つめる。
そして、悪戯じみた笑みを浮かべ、アキは僕の目元を右手で擦った。
「私も約束守れそうにないからさ、お互い様だよ」
アキはそう言うと、まっすぐと僕の瞳を見た。
肩まで流れるダークグレーの長髪が、窓から流れる風に流されている。
そのせいか、まっすぐと顔を見られている筈なのに、僕の方からその表情を伺うことができなかった。
ただ1つわかったことがある。
それは、アキと会えるのは今日が最後だってこと。
「いや、いやだ……」
「私ね、ヒロに会えたから、会って話したいことたくさん言えたから、聞けたから……、もう未練はないの」
アキはそう言うと、僕の側から少しずつ離れていく。身体は透けていき、足元が空気と一体化した。
でもだめだ、アキに未練がなくても、僕には未練がある。
アキを失いたくない、ずっと一緒にいたい。
「僕さ、アキのこと好きだった……! 幼馴染としてじゃなくてさ、本当の意味で……」
僕はここで言葉に詰まった。消えゆく彼女の表情を見て、口元を両手でおさえ、今にも膝から崩れ落ちそうな彼女を見て……。
とても最後まで言えそうになかった。
もう、彼女とは二度と会えない。
それがわかってて、この発言をするのは卑怯だ、残酷だと僕も思う。
僕だって辛い。
今の彼女が何を考えているのかはわからない。
後悔か、苛立ちか……それとも喜びか。だが、いずれであっても叶うことのない願いだ。
僕は、覚悟を決められず、最後の最後で言い淀んだ。
「言って!!!!」
突如、彼女の叫びが僕の部屋全体に響き渡る。あまりの振動に窓はガタガタと揺れ、山のように積んであったマンガ本はどさどさと崩れ落ちた。
……彼女の目は、本気だ。
最後まで言えと、目で訴えかけている。僕の本心が聞きたいと。たとえそれが叶わぬ願いだとしても、最後まで聞きたいという意思がそこにあった。
「大好きだ!!」
気づけば叫んでいた。
もう、目の前は潤んで何も見えない。彼女が今どんな表情をしているかも全く見えない。
だけど、すごく満足げな表情を浮かべているのは、見なくてもわかった。
そして、もうこの部屋に彼女はいないことも。
最後に聞こえた「私も」という声が、だんだんと頭の中で遠くなっていく。
彼女はもういない。
だけど、彼女のことだ、隠れて僕のことを見守ってるに決まってる。
手のひらに乗っかる小鳥を見つめ、僕はニッコリと微笑んだ。