依頼
榊原の在籍する会社、アディオス・コンサルティングは東京にあった。アディオスなんてなんだか二度と会いたくないみたいな会社名だ。何度も見直したが、そういう名前だった。
翌朝、英子はサブローと待ち合わせると本社のある市ヶ谷に向かった。小さい会社で、支社などはないようであった。あのスケールの大きい仕事をしたがった榊原にしては意外な気がした。
事前連絡して、榊原に会いたい旨伝えたところ、快く承諾してくれていたため、少し気楽に電車に乗っていた。
「英子さん、なんかいいことあったんですか?」
サブローは久しぶりに深刻ぶっていない英子を見て、そんな風に声をかけた。
「いえ、なんだか少し動けるようになって、気が紛れているというか、そんな感じなの」
「榊原さんから仕事もらえるといいですね」
「そうね。何も考えていないのに仕事の依頼がくるわけがないけれど、何かきっかけでもつかめればって思うわ」
市ヶ谷から歩いて5分ほどのところにオフィスはあった。いいところ50人ぐらいの所帯の会社のようである。受付も簡素に電話のみに省略されていて、一見さんは来れないような会社である。
「P&Hリサーチの伊澤です。本日榊原さんとお打ち合わせの予定です」
「どうぞ」
「英子さん、社名ちゃんとつけていたんですね」
「昔テキトーに考えただけ。うっかり忘れそうになっていたわ。そのうちいい名前に変える」
ドアが開くと、やけに若い社員が会議室に案内をしてくれた。こんな小さな会社に新卒で入ったのだろうか。いったいどういう採用なんだろう。スカウトなのか?
会議室に入ると、懐かしい榊原が待っていた。
「やぁ!英子くん!久しぶりだなぁ!HAHAHAHA。君が退職してから音信不通になっていたので、随分心配していたんだよ」
「お久しぶりです。榊原さん」
「今は何をしているんだい?」
「小さな調査会社をやっています。こちらはパートナーの中野です」
「中野です。宜しくお願いします」
サブローが名刺を渡すと榊原は何かに気づいたようだった。
「中野三郎…サブロー、ああ君が!」
「お会いしたことありましたっけ?」
「何時ぞやか、英子くんがお世話になったと言っていた人だろう?あの件はよく覚えているよ。パートナーということは…、彼と夫婦にでもなったのかい?」
「え?ま、まさか、いえいえいえいえいえいえいえ」
英子は真っ赤になって否定した。
「英子さんとは私の妻の元ご同僚というツテで、一緒にやらせていただいております」
「そうなのか、となると英子くんは相変わらず…」
「ええ、私は独身です。それはいいんです」
「よくないだろう!君みたいな美人で才能のある人間がいまだに一人というのは、日本という国もどうなのかと心配になるな」
「いえいえ、そこまでおおげさな。私は周りが見えていない仕事バカでした。退職してからはいろいろ…苦労しました」
「そのようだね、たしかに…人間に…深みがあるような雰囲気があるよ、HAHAHAHAHA、ま、座って」
促されててソファーに腰掛けると榊原は聞いてきた。
「で、今日はどのような用事だったのかな?」
「ええ、3年前のSAE社の事件を覚えていますか?」
「ああ、あのオフィスにBombが仕掛けられた事件かな」
「それです。あの時に犯人として捕まった当時の私の部下、加藤が釈放になります」
「ほーう?」
「結局あの事件のせいで私も退職に…いえ、それはいまは良くて。私、加藤にあってきたのですが、それによると、彼には、犯人に心当たりはないと言っているのです」
「心当たりがないのであればなぜこの話を私に?」
「当初、かれは何者かに嵌められたと考えていました。そこで疑っていいたのは、私と、榊原さんなのです」
「私も、あの事件で、事情聴衆を受けたよ。彼が名指しで私を指名していたみたいでね」
「彼としては単に消去法で、私か、榊原さんだろうと思っていただけで、無作為だとは思っていなかったというだけのようなのです」
「そうだね、犯行の手口から行って、身内の者と考えるのが自然だからね」
「ただ、3年前といえば、もうSNSは一般的でしたし、そのハッキングも横行していた時代ですから、全くの第3者が我々のログを操作していた可能性もあるのです。なにせ、加藤にも、私にも、榊原さんにも誰にも動機がありません」
「うーむ。そうなると、誰が真犯人か、たどるのは難しそうだね」
「サブローくんも同意見なのかな」
「たまたま私もあの時、爆弾処理の支援をしました。あのPC自体はどこにでもあるもので、特段、SAE社のものだったわけではなさそうです。よくある形で、起爆装置も単純でした。パソコンの知識があればある程度組めますね」
「ただ、どうやって社内に侵入したのか?まぁこれも業者の顔をしていればわからなかったかもしれません」
「防犯カメラは?どうだね」
「残念ながら、加藤がほぼ現行犯逮捕されてしまったので、詳しい解析は行われていません」
「なるほど…。ますます難しそうだ。今後が気になる話だな。ところで、英子くん。私に用というのは、その事件の内容を共有が全てというわけではないのだろう?」
「え、ええ、実は…私どもが何か調査系のお仕事のお手伝いができないかと…」
「リサーチ会社をやっていると言っていたね」
「ええ、半年前に立ち上げたばかりですが、スタッフはいいメンバーが揃っています。初回は無料でも構いませんので、秘密保持契約を提携して、何かを依頼をいただけないかと」
「ほう、どのような調査を得意と?」
「IT、クリエイティヴ系、各種市場調査を得意としています、記事も承りますし、出版の管理も…」
「そうかわかった。ほかならぬ英子くんの頼みだ、私がいくつか見繕おう。いくつか案件があるし、過去未解決で放置されているようなものも多数ありそうだ。こちらとしても人手があるぶんにはおおいに歓迎だよ」
「ほんとですか!ありがとうございます!」
「おやおや、英子くん。なんだか今日ここにきて一番いい顔をしているね。先にこっちの話をしたほうがよかったかもしれないね、HAHAHAHAHA」
「ほんと…。うっ、うっ」
「英子さん…英子さん…」
「ご、ごめんなさい。それではこちらから契約書の下書きをお送りしますので、宜しくご確認お願いします」
「承知した。必ず連絡するよ。先ずはこちらからの調査依頼事項を一覧で送るので…」
「はい、リサーチプランをご提示します」
「英子くん、あいかわらず仕事ができるね」
英子とサブローはアディオスのオフィスを出た。英子はエレベータでハンカチを顔に当てていたが、オフィスを出ると、とうとう泣き出してしまった。
「英子さん…」
「うっうっ、もういいわ、私一人で帰る、うっうっ。落ち着いたら連絡する、うっうっ」
英子は市ヶ谷から川崎へ帰る間じゅう、ずっと電車で泣いていた。声に出なくても勝手に涙が流れてくるのだ。事務所に着くと、誰もいないのを確認してから大声で泣いた。




