恋人
パソコンに詳しいニートの男、三郎にピンチを救ってもらったさより。一緒に酒を飲んだ帰りに思い切って告白するが。
3「爆速」
さよりと三郎は、その後、バーで軽く飲んだ後、朝までやっている居酒屋に移動した。お腹も空いていたし、そんなにお金もなかったのでいつまでもホテルのラウンジにいる道理もない。
「え?ということはパソコンメーカーの技師だったなんてことではないの?」
「ええ、趣味でジャンクパーツを使ってPCを組んだりバラしたりしているうちに自然と詳しくなりまして」
「へーえ、でもノートパソコンなんて、そんな簡単には治せないでしょう?」
「そうですね、普通は…」
「普通じゃないのね?」
「ええ、少しばかり…」
さよりは自分のことも話し始めた、IT系の会社にいたこと、プロジェクトのこと、今はフリーライターであることなど。
「いやはや、素晴らしい経歴をお持ちで。私なんか無職ですから驚嘆するばかりです」
「そんなことないわ、ちょっと経験を積んだからっていい気になって会社を飛び出したのはいいものの、毎日お金にならない仕事に追われて…」
「お察しします、お察しすることしかできませんが、私なんか無職なものですから」
「やけに無職を強調するのね?」
「ええ、大事なことは繰り返し言うべきと、以前お付き合いさせていただいていた方に教わりまして」
「今はその人とは?」
「はて、たしかご結婚なさったとかいうことです」
パソコンのトラブルからの解放の安堵のせいか思いの外飲んでしまい、さよりはフラフラしていた。サブローはタクシーを呼ぶと、さよりの家まで付き添って送り届けることにした。実のところ財布もないため、もはやさよりを頼るしかなかったのである。
「さぶろーくーん、さぶろーくーん」
「もうすぐお家に着きますよ」
「ねーえ、あたしとっきあってよ」
「え?」
「あたしと付き合ってよ」
「無職ですけども?」
「それ、今大事なこと⁈」
「はい、最後はたいてい、それが問題になるのですよね」
数日後から、三郎はさよりの部屋に住むことになった。三郎が持ってきたのはスーツケースにパソコン3台。どれも米国製のものだという。なぜ同じものが3台も必要なのか、さよりには全くわからなかった。しかもどれもパソコンとして使っているわけではないのだという。意味がわからない。
一緒に暮らし始めた日の朝、さよりは寝ぼけながら、パソコンのスイッチを入れた。依頼元からのメールをチェックしなければならない。立ち上がるまで数分かかるので、冷蔵庫まで行って飲み物を取りに行こうと思ったその瞬間
「ジャーン」
という音がして、パソコンのデスクトップが立ち上がった。
「え?どういうこと」
電源を落とし忘れていたのだろうか?きっとそうだろう。とりあえずメーラーを起動しようと、アイコンをクリックすると、一瞬で立ち上がって受診したメッセージを表示した。
「なにこれ?!、なにこれ?!」
ブラウザーやワードプロセッサなど、アイコンをクリックするといずれも驚愕するほどのスピードで立ち上がり、思わず声が出そうになった。
「キャッ」
「朝から可愛い声なんだけど、何かあった?」
「なんだかあたしのパソコンが…」
「パソコンが?」
「は、速いの」
「爆速でしょ?」
「何で?サブロー君何かしたの?」
「うむ、さよりんのPCをメーカーのホームページで調べたら、補助記憶装置の規格がSATA3で転送速度6gbpsの高速タイプだったので、なかなか性能がいいなと思って。で、ハードディスクを手持ちの半導体ディスク(SSD)に複製を作って交換したんだ。OSも64ビットだったので、機械で扱える最大搭載量の8GBまで増やして、あ、ほら、先週ホテルのバーでDRAM抜いちゃったじゃない、アレ、ずっと気になってたんだよね…」
「に、日本語で頼むわ」
「つまり、爆速にしたんだよ」
「爆速ってどういう?」
「すんごい速いってこと」
「速いんだ?」
「そりゃあもう」
「すんごく速いんだ?」
「すんごくね」
「もう、黙ってこういうことしちゃうんだから」
「やめとけばよかったかな」
「どんどんやって」
その日のさよりはとても気分良く仕事ができた。なにせパソコンの起動やらなにやらに待たされることがない。ブラウザーやアプリケーションは文字通り爆速で立ち上がり、取材のメモからの原稿作成もあっという間にこなすことができた。元より回転の速いさよりの脳に近いスピードでコンピュータが動いている感覚。それがこんなに気持ちのいいものだとは思わなかった。
「こ、効率が…」
「いいわぁ…」
さよりの目にはいつの間にか涙が溜まっていた。なにやら、今までIT系ライターをやっていながら、コンピュータと真面目に対峙していなかったことに今更ながら気づいた。
「電脳って素晴らしいんだわ」
そう思うと、今まで面倒だと思っていた膨大なIT関連の調査も楽しくすることができたのであった。さよりはいきなり目の前がぱぁっと明るくなったような気がした。