第90話 ハルシネーション
汐径国の西に河晏国がある。大きな川が南北に複数流れ、古来水害との戦いを強いられたが、豊かな土壌と広い平野で、農工商いずれも発展した国だ。
その河晏国の西隣が八角国。その北が西漣で、八角、河晏そして汐径が物流でつながっている。
汐径は辛国、梟国とも交易を始めたので、この経路はより重要性を増した。
ちなみに、東錬国は汐径と敵対しているが、中央集権国家ではないので、実は領地単位という形での交易はある。その辺は梟国に対しても同じで、戦争しながらも経済は結びついているという複雑な事情があった。
話を西方に戻すと──。
八角国の南西には、海を南にして椀型になった塊状半島があり、一帯は酉国となる。
酉国は面積こそ大国であるが、ほとんどが山地で、人々は海辺の限られた平地で生活していた。山の斜面を利用した蜜柑栽培が盛んで、それらは特産品として酉国の経済を支えてもいた。
汐径との関係を言えば。陸路、海路ともに蜜柑が輸入され、特に船便の物は高級品として高値で取引がされていた。
十年前、この酉国で地震が起きた。それこそ山が崩れるほどで、甚大な被害が出た。
蜜柑栽培にも深刻な影響が出て、収穫量は激減。売られた先では価格が高騰。とても庶民が口に出来る果物ではなくなってしまった。
酉国のダメージは大きかったが、少しずつ回復を見せていた。そんな矢先・・
酉国に存在した竹林が枯れた──。
学者がいうには百年少し前にも起きており、その前もやはり百年前とかで、繰り返しの自然現象とのことだった。
しかしながら、皆が皆、理詰めに物事を見るわけではない。
先の地震で崩れた山も竹林であったことから、これらは何か深い因果に基づいているのではないか? また何か、良からぬことが起きるのでは? との見方をする人々がいるのも現実だった。
そして、不安を後押しするように。
「持てる者と、持たざる者。この歪みが大地に罅を入れた。竹は地面から天に向かって真っ直ぐ伸びるが、大地が乱れた故に天地陰陽の流れを見失い、伸びる方向がわからず枯れた。地の乱れは、いずれ天にも影響を及ぼし、最悪の場合、星が落ちてくることになるだろう」
などという風説が流れるようになった。
厄介だったのは、事実の抽象でもあった点だ。
地震以降の蜜柑の高騰で、巨万の富を得た者も確かに存在し、未だ傷跡に苦しむ人々との間に怨嗟が生まれつつあった。これは時系列が逆だが、そこに気付かない不思議も起きた。また竹という、ときに迷惑なほど生えてくる物が、忽然と枯れ果てるのは、宇宙の乱れを想像させた。
そして、更なる困難が降りかかる可能性の示唆は、良くも悪くも先行きに答えを求める者にとって、ある種の救いになってしまった。
これは多くの無垢なる者たちを狂痴へ走らせた。
酉国では、金持ちの屋敷への襲撃が公然と行われるようになったのだ。襲撃者たちは、世の乱れの原因を排除しているのだと、自らの行動を信じて疑わず、諫める言葉は届かなかった。襲われた者は財を奪われるだけでなく、中には殺された者もいて、社会は混沌とした。
政治も、この流れに逆らうことが出来ず、富の回収と分配という形で、人々の暴走する正義を収めようとした。
結果、なんとか酉国の秩序は安定したが、経済は大きく壊れた。
そして今度は──。
「八角が、この国より利益を奪っている。金持ちたちは、かの国に逃れ、我が国の富は彼らによって盗まれたのだ」
斯様な主張が言われ出した。
荒唐無稽な話だが、僅かな事実が人々を焚き付け、やがて国を挙げての軍事行動となった。
八角国も、それなりに豊かな国であり、四千の兵力を保有していたが、酉国の異様なほどの勢いに国土の半分近くを蹂躙された。
八角は自力での抵抗に限界を悟り、天下の大国である西漣こと『漣国』に助けを求めた。
議事堂の壇上に八角国からの使者が立ち、救援を求めて訴えた。
漣国に生きる多くの者にとって、酉国は。
──住みにくい土地で蜜柑を作って生活している者たち。
というような認識で、控え目な国として無意識に侮るところがあった。
だから、軍を興して侵攻するのは勿論、八角の領土を蹂躙するなど慮外であり。使者の話を聞いている議員たちは。
──大規模な反乱勢力が酉国の振りをしているのでは?
などと、現実のこととして受け入れられず、何かの間違いの可能性を模索した。
しかるに、使者の言葉が、議員たちの想像を打ち砕いた。
「敵軍の規模は、およそ八千。今尚、増え続けており、その内に一万になるものと見られております」
──!!
「馬鹿なっ」
誰かが言った。
それはそうであろう。何しろ一万といったら、この漣の総兵力に等しい数字だ。普通に考えて、それだけの兵を有し、維持するのには莫大な予算が必要になる。世界に冠たる経済大国である漣だからこそ成り立つ、大軍なのだ。
不可能だとの、議員たちの胸中は使者にも伝わり。
「敵兵の殆どは軍人ではありません。たぶん正規兵は五人か六人に一人で、あとは酉国の民たちだと見ております」
そのように蓋然性への道筋を出した。
それでも訝しむ者は。
「数の多さの説明はそれで付くが、糧食はどうしているのか? 八千から一万ともなれば、物資の量もさることながら、輸送もどれ程かという話になる」
やはり無理を感じて指摘した。
「それが──、敵は略奪をするのです。それも悉く。市井の者は、生きる手立てを全て失うありさまです。憚られる言い様ですが、害獣、害虫の類いが湧いたような感じなのです」
──!?
「馬鹿な・・」
最早、不審の音ではない。
畑を食い荒らし、また次の畑にへと移動する。斯様な振る舞いを人で為すは、匪賊、賊徒の所行である。酉国は、それを国という単位で行ったというのだ。
理解を超えた愚かさに対しての嫌悪の音だった。
ともあれ。
漣国の議事堂に会した者らも、八角国が陥っている状況と、酉国の脅威について認知した。そして、このままゆけば、八角のみならず漣にも影響が及ぶかも知れぬという予測を持った。
畢竟。八角の救援は言うまでもなく、自国の防衛のため、軍を動かすこともやむなしとの考えに至るのは必然であった。
さはさりながら。敵が一万であれば、千や二千の援軍では焼け石に水かも知れず、それ以上を送ろうとすれば、大国漣といえども相応の時間と準備が必要になる。
だが酉国の勢いを見るに、あまり悠長にしていては取り返しが付かなくなる虞もある。
このジレンマは如何ともし難く、多くの議員が頭を悩ませた。
そんな停滞の空気が場を支配しつつあったとき──。
「よろしいかしら?」
よく通る声で言葉が放たれた。
「はい──、林席様、何でしょう」
議長は少し驚くようにして返した。
議事堂には王族の席もあるが、彼らには大概の場合に於いて表決権がなく、発言も少なく受動的なことが殆どであった。若い王族は比較的喋る方ではあったが、このような行き詰まった場面では、殊更めずらしいことだった。
「皆は大軍が必要なのに、用意するのが難しく悩んでいるのでなくて?」
林席の問いに、めいめいが小さく頷いた。
「簡単なこと──、とまでは言わないけれど。少しは楽になる方法があるわ。今こうして八角国が助けを求めて来ているけれど、なにも漣だけで解決する必要はないという話よ」
言わんとする事を察したのか、多くの者が大きく頷いた。
「八角にもしもがあれば、困るのは東国も同じでないかしら。河晏は対岸の火事では済まされない、明日は我が身という位置だし。汐径は東西の物流で成り立つ国。どちらも、これを放置すれば良くない未来が訪れることは明白なはずよ。彼らも我が事として、兵を出さざるを得ないのではと思うのだけれど。どうかしら?」
この林席の言から、場の議論は一気に加速した。
断案。漣国を盟主とする八角国奪還の檄文が、河晏国、汐径国に出されることとなった。漣国自身も二千の出兵で調整に入り、八角国の残存三千と共に、ひとまずの防衛に当たることが決まった。
文字通りの大山鳴動の余波は、列国を巻き込む雪崩となった。




