第89話 時限の友誼
揺れる馬車の中──。
既に緊張した面持ちの董本に向かって。
「相手方は所詮、太子に過ぎません。董本様は国王。堂々としていればいいのです」
高勉はぶっきらぼうに言う。
「うむ。高勉は良いこと言いましたぞ。若くても王は王、年上でも太子は太子。そこは隔絶した差があります。董本様は自分が一番偉いのだという顔をしておけば宜しいかと」
百栽もそれに賛同する。
「二人とも、簡単に言わないで下さい・・」
董本はジトッとした目で返した。
董本たちは、将軍となった乍洪率いる百軍に守られる形で、梟国、辛国、汐径国、三国の国境が交わる地に向かっている。
実のところ、かなり曖昧な線引きで、緩衝地帯と言った方が適切な場所かも知れない。
斯様な所に梟王自らが出向くのは、本日ここで、梟、辛、汐径の不可侵協約が結ばれるからだ。あわせて交易協定も取り決める予定で、担当する役職議員も董本たちに随伴している。
どちらも、これまでの梟国の姿勢から大きく転換することになり、歴史的な一日となりそうであった。
「先生。二国の太子に対してはわかりましたが、立会人となる西漣国の方に対しては、どのようにすれば良いでしょう?」
董本が百栽に問う。
「基本的に変わりませぬ。此度の盟主は董本様です。西漣の者がどのような位に就いていようと、国王であり協約の中心である董本様を凌ぐ立場にはなり得ません」
「百栽殿。西漣という言い方は気を付けるべきでは?」
高勉が指摘する。
「おおっ──、これはしかり。西漣は東錬と同じく、他の国が勝手に言ってるだけです。彼らからしたら『レン』が本則ゆえ、西漣と言うのは失敬にあたりますかな」
「そうなのですね。わかりました」
董本は言って頷いた。
百栽もあわせて頷くと。
「──にしても高勉。今日は良きことを言うな。なんなら護衛ではなく、正式に何か役職に就いたらどうか」
「それを言うなら百栽殿こそ、いつまでも教育係と称して楽しないでもらいたい」
「私はもう、お爺ちゃんよ。ほっかむりでもしておくわ」
「立ってる者は親でも使えと言います。お爺ちゃんなら孫のために、率先して立ち上がってほしいものです」
「かぁー。誰じゃ、高勉に理屈を教えた奴は」
百栽は過去の高勉の言葉をなぞって煙に巻こうとした。しかし高勉の方も上手く言葉を続けて、百栽も音を上げざるを得なかった。
「フフフッ──」
このやり取りに董本は笑い出し、応じるように百栽、高勉も笑った。
馬車の中の笑いが、董本の緊張を溶かした。
「街道の方は漣にも劣らないけど、北に来ると田舎って感じね・・」
「林席様! 汐径の者に聞こえます」
「聞こえはしないわ」
「聞こえます。林席様のお声は、よく通って目立つので、意図せずして耳が拾ってしまいます。配慮していただかなくては困ります」
「声なのに目立つとはおかしな話ね」
「揚げ足を取らないでください」
「よしんば聞こえたとして──、それが何か問題かしら? 漣は世界に冠たる国家、皆がこぞって倣う目標よ。その基準からして、劣らないと褒めているのだから、感激したって罰は当たらないぐらいじゃない?」
自分は褒めてもいるのだから問題ない。というのが林席の主張だ。従者も、これ以上は却って衆目を集め、藪蛇になりかねないと判断し。
「もうまもなくかと思いますので、ご準備を──」
話の筋を変えた。
「幼君と太子、太子。ここはバランスが取れてると思うけど──。梟、辛が将軍の随行なのに、汐径だけ准将というのは、流石に侮ってはいないかしら? 協約を結ぶのなら対等の礼は尽くすべきでしょ」
しかるに、林席としては舌の動きに興が乗ったのか、尚も批判めいた音を吐いた。
「その辺りは微妙な力関係というものでしょう。聞くところによると、董公の乱を収め、梟と辛の手打ちも汐径の者がなしたとか・・」
従者は諦め、林席が毒突くことがないよう祈る思いで言葉を綴った。
「ふーん。貸しがあるってところかしら」
「はい──」
林席が思考を巡らすようにしたので、とりあえず従者は安堵した。
天幕の下。協約の調印がなされている。
それぞれの国の代表と、軍の代表たちによる署名捺印である。
──大変そうだ。
鮑謖は思った。
おそらく国璽と思われる物を押しているのが、汐径や辛は青年も後半といったところの太子たちに対して、梟は国王といっても子供の董本がやっている。そこそこデカい判子だ。代表の仕事だとしても、董本の負担は、他二人よりも大きく見えた。
──こっちは楽そう。
一方、立会人の西漣国の者は、特に何かを書いたり押したりすることもなく、ただ見るだけが仕事のようだ。
──まぁ、私らも同じか。
鮑謖を含め、各国は二名ずつの護衛役が付いている。一応、代表たちを守る仕事であるが、基本的には見てるだけである。
ちなみに、汐径の護衛のもう一人は准将の側近で、梟の一人は高勉だった。
──私。一応、隊長なんだけどな・・
徐厥准将から呼び出しを受けた鮑謖は、二十の部隊として東北の街、馗門にやって来た。そこで准将麾下の百軍と共に、太子と西漣の客を護衛しながら国境まで来ることになり。到着したら今度は、太子と准将の護衛にされてしまった。
たぶん、董本や乍洪と面識があるから選ばれたのだろうと推測されるが──。鮑謖としては、やや不本意な仕事だった。
尤も、鮑謖は徐厥をあまり良く思っていないので、端から不満で始まっているところがあり、それも影響しているかも知れない。
無事に調印は済んだ。
協約は十五年の期限付きであった。そのときには太子たちも王になっているはずで、董本を含めて、今度は三王により新たな約束が結ばれるのやも知れない。勿論、戦端が開かれる日になる可能性もあるだろう。
ともあれ──。あとは、少し離れた所で行われている交易についての取り決めが終われば、この三国での約定は完成する。
予定では、おのおのの幕舎に戻り待機することになっている。
──これで一服できる。
鮑謖が思ったとき。
「如何かしら皆さん。折角、三国──。いえ、わたくしも含めれば四ヵ国の王族が集まったのです。このまま別れたのでは、あまりに無味乾燥でしょう。ひとつ記憶に残る余興などしてみませんこと?」
立会人の女が言った。
「はて──。余興とは何をするのでしょう?」
辛国の太子が問うた。
「聞けば、そちらの方は当百の魔女という異名を持つとか──。わたくしも魔法には少々自信があります。どうでしょう、互いの力を見せ合うというのは? しばらくの間、皆様が戦うことはない訳ですから、これが見納めになるやも知れませんよ」
女は朗朗と言った。
とたん、皆の視線は鮑謖に集まった。
「鮑謖少佐。林席様は斯様に仰っていますが、貴方はどうですか?」
徐厥が聞く。
──いや、どうもこうも・・
鮑謖が断ったら余興はなしということになるだろう。なるが・・
──これ、選択肢ないよね?
鮑謖は多少ズレたところがあるが、朴念仁ではない。一同の期待の情念を感じ取るぐらいの分別はあるし、最早逃れられない空気を形成している事ぐらい理解できる。
──まぁ、『力』はあるし、いっか・・
鮑謖は諦観を以て。
「私の『力』で宜しければ──」
と、答えた。
一同は天幕から出た。
「ああ──。あそこに、はぐれたような木がありますね。あれを目標にするのはどうかしら?」
林席が鮑謖に聞く。
「構いません」
返答に頷くと、林席は従者から杖を受け取り、十歩ほど皆から離れた。そして。
「では、始めますね──」
言って力を溜めに入り、しばしの後──。
〈炎駒の法、焼尽柱〉
林席の杖の先に大きな炎の塊が生まれ、それが槍の如く飛び、バンッと命中したと同時に木は炎に包まれた。
「おおぉーっ」
一同は感嘆の音を発した。
「お粗末様かしら。上手く当たって良かったわ」
林席はそのように言った。
続いて鮑謖の番となったが、彼女はその場で。
「あー。行きます」
言って、とっとと歩き出したと思ったら、バッと走り出し距離を詰めると、ドンッと踏み込んで木の幹を振り打ち、ドガッと木片を飛ばすように破壊した。
それで木は自重を支えきれず、膝を折るように崩れ倒れた。
鮑謖は素早くその場から離れ、そのまま駆け戻ると。
「終わりました」
とだけ言った。
──これは魔法か?
幾人かの胸裏は必然の一致を見せたが、それを言葉にすることはなかった。
「鮑謖少佐は馗門にて離れたようです」
帰りの馬車の中、従者が言った。
「はぁ──。あの女、いったい何なのかしら?」
林席はつぶやく。
「ご不明な点でも」
「不明も何も、あれのどこが魔法使いなのかしら。ただ力任せに叩いてるだけじゃない」
「身体強化を使われたのでは?」
「ないわね。〈索冥の法〉なら発光現象が起きるはずだもの」
「では当百の魔女という二つ名は誤りということですか?」
「それがわからないの。だって、あの女が様々な戦果を挙げてるんでしょ。今回の協約だって、当百の魔女の活躍があったって事になってるじゃない」
林席は首を振るように言った。
「では、魔女という部分だけが何かの誤解によってついたとか」
「あり得なくないけど、それならそれで、別の疑問も起きるわ」
「どのような?」
「当百の魔女。魔女が間違いなら、その実績には誤りがないのかしら? その才は、果たして本当なのかしら?」
「ああ・・」
従者は仰ぐようにして声を発した。
「わたくしとしては、汐径側の演出があるのではと考えたいかしら」
「なるほど。確かに、軍神かくやの人物は脅威の象徴たりえますね。それは汐径の立場を優位にするわけですね」
「まぁ、わからないけれど──。漣としては、軍神などという存在に振り回されないよう、注意すればいいわ」
林席は手を横に広げるようにして、やれやれという感で言った。
この日、梟、辛、汐径の不可侵協約は成り、三国の敵対は、しばらくの休眠に入った。
これに至るには、軍神と呼ばれる魔女の存在があるとされたが、非当事国には、その存在を訝しむ向きが多く、幸か不幸かあまり認知はされなかった。
とまれ──。三国と世界にとって、新たな局面が訪れたのは確かだった。
(第五章 ~風馬牛の祈り、社稷を檄する~ 終)




