第82話 東錬報復戦(前半)
四千数百。侵攻した汐径軍二千に対して、東錬は倍以上を揃えてきた。
大軍同士であるから、すぐに決着がつくとも思えないが、それでも衆寡の差は厳しく、背後に回り込まれでもしたら全滅も必至だ。
──向こうは端から、そのつもりか。
鵡望は敵の布陣を見て思った。
東錬軍は横に広く薄く展開している。一般に受けの構えとされているが、十分な多数を以てなせば、包囲殲滅を狙える形でもある。
無論、その辺りは汐径軍としても想定している話だ。それでも思うのは。
「我ながら、無謀をしてるように感じるな」
鵡望は心境を声に出した。
「そうですね。兵たちが落ち着いているのが救いかと」
側近の言葉に、言われて確かにと思った鵡望は。
「皆、先行隊の存在を理解してるということか?」
疑問を口にした。
隊長格の者には作戦の概要が伝えられているが、一般兵の知るところではない。先行した軍がいるのは知っていても、それがどれくらいの規模で、どのように動くのか、わからぬはずである。
それは作戦情報の秘匿という観点からも当然で、既知である隊長たちにも、漏洩が起こらぬよう厳命していたものであった。
鵡望は、誰ぞが口を滑らし、作戦が兵たちに洩れ伝わったのではと考えた。
「いえ、そういう事ではないようです──」
細かく問わずとも、部下は補完して鵡望の疑念に応答した。
「どうも、この作戦に鮑謖少佐が参加していること。彼女が先行隊に所属していること。それらが知られており、そこから『魔女の仕掛けがある』という噂が広まっているようなのです」
部下の説明に。
「ハッ──。まさに名将かくやだな。存在だけで信頼を得るとは、私も指揮官として妬けてくる心持ちだ」
鵡望は冗談めいた楽しげな音で言った。
兵たちの噂は只の希望的観測に過ぎない。しかし果たしてどうして、それは真相に近い予測でもある。誤解のなせる不思議がそこにはあった。
「ならば、これを利用させてもらうか。隊長たちには、崩れそうになったら『魔女』の名前を出して士気を保てと伝えよ」
「はっ」
鵡望の下知に、部下は短く応えた。
敵軍が動いた。
「フ──ッ」
熊任は大きく息を吐いた。彼女も此度の作戦は心得ている。
要となるのは梟国を通って背後を取る形の先行隊。彼らの奇襲で敵に強烈な一撃を与えて、その後の混乱に乗じて汐径軍は撤収する。
本隊の方が囮のような役目となり、敵を引き付けたのち、じわじわと後退する予定となっている。
ただ今回は、侵攻しているのは汐径の方だ。それなりに勝算があるからこそ開戦に踏み切ったと、相手も考えているはずだ。守り一辺倒では、東錬軍を警戒させる虞がある。
だから最初は、相手の見立てが正しいと思わせる必要があった。
熊任は騎馬四小隊、七十人を率いる中隊長として参戦していた。
「伝令。熊任中尉は他二中隊と共に、右翼に当たれ」
「了解した」
早速、下知が来た。
熊任たち騎馬隊の責任は大きい。
今回は本隊全軍として、騎馬が多めに配置されている。これは緒戦も緒戦で、その機動力を生かし、敵と互角の戦いを演じるためだ。
そうやって汐径軍は寡兵でも十分にやれるんだと、東錬に思わせる。そして、その要因たる騎馬隊の力が、汐径軍の勝算、勝ち筋だと誤認させるのが狙いだ。
しかしながら、所詮は張り子の虎。騎馬は縦横無尽に駆け抜けるが、その分、馬に無理をさせることになる。
馬が潰れてしまうリスクは極めて高い。
最悪、先行隊が仕掛ける前に動けなくなる可能性もある。そうなると一気に包囲される展開が予想され、そういう意味でも騎馬隊の役割は重要だった。
「中尉。側面から来ます」
敵の騎馬が、熊任たちの中隊に狙いを付けた。
「構うな。味方が対処する」
騎馬隊全体でも、中隊長同士でも、この辺りの段取りは何度も話し合った。今回、騎馬に対する騎馬は、他の者が担当することになっている。
騎馬での戦いといっても、歩兵を相手にするのと騎馬同士での搗ち合いでは毛色が違う。熊任も後れを取るつもりはないが、より得意とする者に任せるのが最良であると考えた。
側面を狙う敵の側面を味方が突こうとして、敵騎馬は逃げを選択した。
熊任たちの隊を妨害するものはいなくなった。
「波状で仕掛ける!」
熊任は先に二小隊を嗾け、時間差で自身が率いる二小隊を動かした。
そのタイミング、場所、攻撃の角度、それらの見極めは騎馬隊としての力量が問われる。先の戦いで得るものがあった熊任は、ここ数ヶ月の訓練でも、それを意識して取り組んだ。
結果、今この瞬間、彼女は絶妙とも言える突撃を放つに至った。
熊任隊の一撃は大きく敵を切り崩した。すかさず味方の騎馬も追い打ちを掛ける。
──やはり、この感覚か。
熊任は隊を動かしながらも、独り反芻する。
以前経験した、肯綮に中るといわれた突撃は、たぶん偶然に寄るところが大きい。しかしその手応えを忘れず、温め続けたことが実を結び、熊任を騎馬の指揮者として一段上の階梯に押し上げた。
──運でも、たまたまでも上等!
切っ掛けは何であれ、モノにして、実力に置き換えてみせるという気概。熊任はそれに溢れていた。
──アタシだって、魔女になってやる!
魔法使いでもないのに魔女と呼ばれる級友の存在は、熊任にとって大いなる刺激だ。自分も、この騎馬戦に於いて、皆が魔法かと思うような戦いをしてみせる。そのような強い意志が、そこにはあった。
率いる者の気合いは配下に伝播する──。
熊任隊の騎兵たちは、彼女に触発されて、多勢を相手にしながらも圧倒する気迫を見せた。
尤も、魔女の解釈に誤謬がある。
熊任は鮑謖を魔法使いではないと知っているから、魔女を比喩として捉えていた。敵を先読みするなど、特殊な力と思えてくるからだ。
しかし、知らぬ者たちは、杖をつく鮑謖を見て魔女と判断しているだけである。熊任も気付いてはいたが、一部の誤解であろうと錯誤した。
勘違いしてるのを思い違いして誤解が生じ、鮑謖のことをよく知る者も、知らぬ者も、魔女という単語で共通認識が成立してしまっていた。
なんにせよ。この場にいない鮑謖が、汐径軍の士気を支えていた。
(後半へ続く──)




