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2-9

 バージルが長い話を終えると部屋は薄闇に包まれていた。

 ケントは呆然としていた。マリアは眦を吊り上げて頬を興奮で赤くし、震えている。

「お父様はお母様を裏切っていたのですか!!なんて酷い!!それだけじゃありませんわ、わたくし達も裏切っていたなんて!!」

「マ、マリア落ち着いて」

「お兄様っ、落ち着いてなんかいられません。あんまりですっ。お母様が可哀そうではありませんの!?あんなに、あんなにお父様を愛していらして、最後まで騙されて!挙句お母様が亡くなった途端に元恋人の元に行くなんて!!こんな酷い侮辱、許さない!!」

 今までの人生でここまで怒りを覚えた事はない。こんなにも大声を出して怒鳴りつけた事も。悔しくて悲しくて目尻に涙がたまる。肩で息をしてここには居ない父親の代わりにバージルを睨み付けた。

 二人は理想の夫婦だった。愛し愛されて、マリアの憧れだった。その憧れの内実かこんなに酷いなどと思うわけがない。捨てられたのだ、父に。母も自分達も、ゴミ屑のように。

 制御出来ない怒りがマグマのように込み上げてくる。目の前が赤く染まっていくようだ。思いを口に出さなければいられない。

「のうのうと愛してるなんて囁いて、まやかしではないですか!お母様を馬鹿にするのも大概にして!!何が世界で一番幸せな王妃よ!一番不幸な王妃よ!!!」

 バンッと大きな音がなった。マリアの肩が揺れる。

 バージルは拳を机の上に置いて、顔は冷静そのもので静かな口調で淡々と告げた。

「お前が何を思おうが構わない。ルーファスを軽蔑するのも憎むのも好きにしろ。お前の心だ。ルーファスを理解しなくていい。だがな、アリサの不幸をお前が決めつけるな。それはアリサにだけ許されるんだ」

 ただでさえ冷静ではないマリアの頭にさらに血が昇る。バージルも父親と同じくらい憎らしい。

「何をおっしゃっていますの!お母様の事はわたくしが一番わかっていますわ!同じ女ですもの!貴方は男だからお父様の味方をなさりたいのでしょう!?よくもこんな仕打ちが出来ましたわね、お母様を他の世界から攫ってこの国を守らせて、寿命まで縮めておいて!!その元聖女とお父様の二人でお母様の死を願っていたのでしょう!?なんて厭らしく浅ましい卑劣な人間なの!!最悪だわ!!こんなことならお母様じゃなく、お父様が死ねば良かったのよ!!」

「マリア!」

 黙って見守っていたケントがマリアを抱き締めた。

「お、お兄様………」

「これ以上は言うな。君が傷つく」

 呆然と見開いた目からぼろぼろと涙が白い頬を流れる。ケントには母とそっくりなマリアの涙が殊更辛かった。

「………みんな、嫌い。お父様も、お兄様も、バージルも、大っ嫌い!!」

 マリアはケントを突き飛ばして部屋を出ていった。


 ケントは力なく座り込む。正直、頭が混乱している。いや、理解を拒んでいるのか。

 そんなケントを眺めてバージルが口を開く。

「お前は、何か言うことはないのか?随分と冷静だ」

「マリアが怒鳴っていたから、逆に冷静になっただけですよ。………言いたい事はほぼマリアが言いましたね」

「そうか」

「………父の弁明をしないんですね」

「何もするな、と言われている。話すならありのままを伝えろと」

 ケントは自分の目を覆う。疲れたように項垂れた。急に父が遠い存在になった。同一人物に思えない程だ。

「私には、父がわかりません。本当に父は母を愛していなかったんでしょうか?あれが愛じゃないのなら、私には愛がわからない」

「アリサは愛されるのに値しない女だったか?」

「まさか!母は素敵な女性ですよ、それこそ愛さずにはいられない人でした」

「俺もそう思う。それに二人は聖女と守護者だった。運命だった」

「何かの謎かけのようですよ」

 しかめっ面をするケントにバージルが笑う。

「俺には至上の愛に見えたな」

「なら、何故父は今ここにいないのですか?」

 母を最も愛していたのなら、母だけを思い、今もここにいる筈だ。バージルが言ったように、母を思って死んでくれた方が遥かにましだった。

「ルーファスは単純な人間ではなかったからだ。至上の愛が一番ではない人間もいる」

「意味がわかりません」

「だろうな。俺もわからん」

「バージル!」

 からかわれているのだろうかと思ったが、バージルは至って真面目だった。両手を組みじっとケントを見据える。

「お前は、お前の感じた事を見た事を信じればいい。俺は文句でも怒りでも何でも受け止めてやる。いつでも言いに来い」

 ケントは大きなため息をついた。

「まだ、頭が混乱しています。時間が必要なんです。私にもマリアにも。………父は本当に戻らないのですか?」

「それだけは変えられない」

「それじゃ、私達は本当に捨てられたんですね………」

 苦し気に呟く。改めて言葉にすれば、ケントの世界を崩壊する酷く辛い現実だった。


 何かを言いかけてバージルは結局口を閉ざした。違うと反論しても意味がないからだ。バージルの言葉は信じられないだろう。ケントが言うように時間が必要なのだ。





 バージルが二人を呼び出したのは翌日の夕方だった。昨日の今日でマリアの機嫌は最高に悪い。呼び出しに応じる気はなかったのにバージルは許してくれなかった。憎い敵を見る目でバージルを睨んでいる。


「マリアの機嫌が麗しくて何よりだ」

「貴方は!傷ついているわたくしに向かって」

「元気そうで良かったと言ったんだ」

 席を立とうとしてマリアの肩を抑える人物がいる。ケントだ。ケントはバージルを睥睨した。

「バージル、マリアをからかうのも程々に」

「いや、本当に元気かどうか確かめていただけだ。今からする話が楽しい話ではないからな」

 バージルは二人の顔色を窺う。あまりいいとは言えない。恐らく昨日は寝付けなかったのだろう。マリアに至っては泣き腫らし赤くなった目が痛々しい。

 二人にとっては人生で一番最悪の時期だろうが、国は常に動いている。王族ならば私情は二の次だ。バージルは努めて冷静に切り出した。

「もう少し落ち着いてからにしてやりたかったが、お前達も無関係ではいられないから、早めに話しておくべきだろう」

 訝しむ二人に向かって淡々と告げる。

「聖女が誕生した。15歳の少女だ」

「15!?」

 驚きの数字だ。今までの聖女は精々が5歳までだった。これは幼少の頃の方が神に与えられる力を柔軟に受け止められるからではないかと考えられている。

「15歳での覚醒は異例だ。そして彼女の力は今までのどの聖女よりも不安定だ。本来なら少しずつ力に馴染んでいくのだろうが彼女には時間がない。そこで、一刻も早い王族との結婚が望ましい」

 一旦言葉を切り、二人の様子を窺う。

「結婚………」

 小さく呟いたケントが次第に顔色を無くして行く。一方事情を呑み込めていないのがマリアだ。

「お兄様?どうなさったの?お顔の色が………」

「ケントの考えている通りだ。今現在聖女と年齢的に釣り会う王族は三名だ」

 バージルが言えば、ケントが答える。

「私と、ローズベルト、リュウザル」

 マリアが驚きの声を上げ、二人を忙しなく見る。今挙げた三名の中に不適切な者が二人もいたからだ。

「お兄様は既婚者ではありませんか!お義姉様は妊娠が判明したばかりですよ、お子が生まれるんです!それにローズベルトはわたくしの婚約者です!リュウザルが聖女のお相手になるべきです!」

 そうでなければおかしい。既婚者や婚約者を持つ者を聖女に宛てがうなんて常識から外れている。マリアは自分の主張が真っ当だと思っている。だが、バージルは顔を振った。

「マリア、それ程単純ではない。相性があるんだ。聖女は力の相性がいい者と惹かれ合う、既婚者だとか恋人がいようが関係ない。そのように運命づけられている」

「そんな、そんな事………」

 聖女と守護者の関係はマリアとて知っている。それでも、こんな非常識が許されるとは思っていなかった。

「事実だ。俺はそれを知っている。歴代の聖女もその相手も必ずお互いに惹かれ合う。これは絶対だ。本来なら聖女と守護者は幼い頃から一緒に育つ。その方が聖女の力が安定するからだ。真に聖女を支える事が出来るのは守護者だけだ。ただの王族では不可能なんだ」

「選ばれてしまえば」

「既婚者であろうと、婚約者がいようと拒めない。お互いを愛さずにはいられない。運命とはそういうものだ。ケント、お前を含めた三名は聖女と面会してもらう。そのつもりで」

 ケントが返事をする前にマリアが遮った。

「返事をしないで!お願い、だってダメだわ、こんな………」

「何故だ?」

 片眉をあげ、口許を皮肉気に歪めてバージルはマリアを見た。マリアは咄嗟に言葉が出て来ない。

 バージルは悪魔のようだと思った。マリアにこんな意地悪ではなかった。怒っているのだろうか。マリアが昨日酷い事を言ったから。

 その先を恐れるマリアに対してバージルは容赦がなかった。

「ルーファスも同じだろう。そして守護者になった」

「!!」

 マリアもケントも息を呑んだ。

 マリアは目の前が崩れるような気がした。呆然としている。昨日自分が言った言葉が頭の中を駆け廻った。




「脅し過ぎたな………」

 真っ青な二人を見送って独り言を呟く。別に二人を諫めるつもりはなかったのだが、幸福に育った人間は時に狭い価値観で物事を判断する。多角的視野に欠けるのだ。それが悪いとは言わないが王族として宜しくない。少し考える角度を与えてやりたかっただけなのだ。


 実のところ、ケントとマリアの婚約者が選ばれる可能性は低いと考えている。根拠らしい根拠は二人がアリサの子供だからだ。

 神子だったアリサの祝福は強力だった。その祝福の塊である二人が不幸を背負うとは思えない。


「それにしても、この短期間で聖女が三人」

 最近は異例ずくめだ。まだまだこの異例が続く予感がする。

 例えば、守護者が存在しない初の聖女になる。そうなれば聖女と王族との関係が変わる。

 バージルは顎に手を当てて考え込む。


 運命は、果たして幸いか禍か。


 人は意志をもつ生き物だ。運命に意志を奪われるなら自分である事を止めるに等しいのではないか。ならば運命などなくていい。人はいつだって自分の意志で何かを選び取るのだ。









 夜半を過ぎた頃だった。肌寒さを感じて身震いをした。無意識に温かさを求めて寝返りを打てば、冷たいシーツの感触だけがあった。

「…ルー…ァ………?」

 夢うつつに名を呼んでも答えがない。それが途轍もなく恐ろしい気がして瞼を開けた。

 寝室の窓はカーテンが引かれていなかった。重い雲の隙間から月の光が地上を照らしている。

 寝室には彼女―――ミズリが一人だった。


 ミズリは起き上がってベッドから降り、窓辺に近寄った。

 ミズリの暖かい息が窓に当たって白く濁る。夜に降り出した雨はいつの間にか雪に変わり、白銀の世界が広がっている。急激に冷えた空気が耳を打つような静寂を作り出していた。

 夜着一枚の肌が寒さを感じて、両手で肩を抱き締めた。ちらりとベッドを一瞥するが、戻る気にはなれず、そのまま部屋を出た。


 小さな一軒家だった。寝室の他に部屋は一つしかない。不満はなかった。お互いの息遣いを感じられる、そんな家が良かったからだ。


 彼女は消えた暖炉の火をつけた。炎が薄暗い闇を払うと炊事場に行ってスープの入った鍋を持って来て暖炉に吊るした。

 そこまですると掛けられたブランケットにくるまって暖炉の傍に座り込んだ。


 ミズリの夫は時々夜中に姿を消す事がある。何をしているのか確かめた事はないが、ミズリは知っていた。


 ここは国の辺境の町でもともと結界が薄い。その上、新しい聖女は力が安定しておらず十分とは言えない状況なのだ。神殿はあるにはあるが、地方ではままある事に神官は長らく不在だ。だから、彼女の夫は誰にも知られない深夜に神殿を訪れる。


 どうやら、夫はそれをミズリに後ろめたく思っているようだ。そんな必要はないのだが、夫が黙っている以上ミズリは口にしないと決めている。ただ、一人置いて行かれる夜は酷く心細くなるから、こうやって帰りを待っていたくなるのだ。




 うつらうつらしていると扉の前に外套を払う音が聞こえた。ノブが回り扉が開く。

 ミズリは満面の笑みを浮かべた。

「おかえりなさい」

 そう言うと彼女の夫―――ルーファスは困った顔をした。

「………ただいま」

 ルーファスの手を引いて暖炉まで導く。外套を脱がして冷たい頬に触れた。

「やっぱり、すごく冷えてる。スープがあるからそれを飲んで」

 ミズリが着ていたブランケットでルーファスを包むとスープをコップに注ぎルーファスに手渡した。

 手渡された反対の手でミズリの手を引き寄せた。ミズリの体はルーファスの胡坐の上だ。

 ミズリを抱いたままスープを飲み干す。

「………美味しい」

 夕食にも出したものだが、そう言われると嬉しい。もう一杯入れようかと身じろぐと拘束された。ミズリの頭にルーファスが顎を乗せる。

「ルーファス?疲れちゃった?」

「いや」

 そう言いながらますます締め付ける。お腹に回された手を上から撫でる。

「もう休む?明日も早いよね」

 ミズリの肩の上でルーファスが頭を振る。髪が頬を擽る。体を捩ってルーファスの顔を覗き込んだ。


 炎を受けてゆらゆらと青紫の瞳の中の闇が揺れている。ルーファスは時折この狂おしい目をする。そんな時はミズリの存在を確かめたくて仕方がないのだ。

 ミズリはそっとルーファスの額に口付けるとルーファスの頭を胸に抱き込んだ。ルーファスがしがみ付いて来るので、体格で劣るミズリは押されるようにラグの上に横たわった。

「………痛くはない?」

 ミズリの胸から顔を上げてルーファスはミズリを伺う。ミズリはふわりと微笑む。

「うん、大丈夫。今日はここにいようか?」

 今日はきっと明るい方がいいだろう。その方がルーファスは安心してくれる。

 返事のかわりに抱き締める腕が強まった。


 こうやって何かに苦しむ夜がある。ルーファスが受けた心の傷はミズリには窺い知れない。ルーファスはミズリよりも深い心の葛藤があるのだろう。ミズリのために、過去の苦悩もアリサの事も、残して来た子供達の事もルーファスは呑み込んでしまった。


 そんな時はミズリの全てでルーファスを抱き締める。

 出会った時の事をミズリは朧げに覚えている。酷く心細くなった時に抱き締めてくれる温もりがあった。決して落とすまいと抱き締めてくれる腕の中は心地よく、ミズリを魅了した。

 一度は諦める事が出来た。二度は無理なのだ。どんなに苦しんでも誰に恨まれても、もう二度とこの温もりを手放せないから、今度はミズリがきつく抱き締めて決して離れない。


 こんなにも罪深い自分がいることをミズリは初めて知ったのだ。ルーファスが教えてくれた。

 幸せだけじゃ足りない。苦しみも悲しみも怒りも全てを二人で抱えて生きていきたい。

 神の元に戻れなくてもいい。地獄に落ちる事になっても。

 あの日、ルーファスが言ってくれたように。


 運命でなくていい。

 運命じゃないルーファスと二人で、生きたい。





最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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