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秘められた紫  作者: みすみいく
3/14

香料苑

 アウルは着々と自分がいなくなった後の準備を進めて終っている。アレンを無傷のまま残して逝くために。

 アレンは彼に追い付くことが出来るのか?!。

 隠しても隠し仰せない事は、往々にして有るものなのだと、つくづく思う。

 今までごく慎重に、アレンに後を託す準備を進めてきた積もりだった。だが、あちこちから噂という形で私の企みが暴かれて、遂には彼に直接問い質されるに至った。


 急ぐ必要があった。


 アレンは、私の躰が悪くなっているのにも気づいて終って、当事者で有る自分が1番に問い質したかったのだろうに、ジャーナリストの質問をかわして、私を窮地から救ってくれた。


 心臓発作の様だった。

 ショックが重なるとずきりと痛む。

 じっとしていると間もなく治まるのだが、以前は1年に1回か2回、有るか無いかだったものが、ここの所頻繁に起こる。


 次の会議でも、リント側を挑発してせいぜい発破をかける必要が有るようだった。敵がリントであれば、アレンも私怨を果たす訳にはいかなくなる。

 

 その日、久々にアレンを連れて香料苑を訪れた。薔薇の香料を生産するために新たに設けた生産拠点なので、引継ぎの為の視察と、ここの所、緊張が続く彼を宥める為もあった。


 加えて、これが私の本音なのだが、一時なりとも眠りたかったのだった。


 ここの所ひどく疲れ、躰は眠りを求めていて、事実眠っているし、睡眠時間を削るような状態でも無い。

 政情は今に始まった事では無いし、家を継いだのは16の時だった。だが、父を亡くしたのは6歳の時なので、その時から公領の管理もしている。


 やはり、頭の芯に何時も思うことが有って、眠ることを許さないのだろう。


 寝床に就いている時よりも、車で移動する間、それもアレンに運転させた車のナビゲーターシートに座っていると、短い時間でも深く眠り込んで到着を告げられるまで気づか無い事が多い。


 もはや、彼の傍で無ければ眠ることさえ出来なくなって居るのだった。全く…情け無くて涙が出る。


 香料苑まで付き合えと言うと、苦笑しながら車を回してくれる。例によってナビゲーターシートに収まると、すうっと眠りに落ちて終った。


 到着を告げられて目覚めると、体の奥が軽くなったように思う。


 苑の視察をしていると、手柄を訴えに主任が事務報告を始めた。何かがアレンを不注意にさせていて、資料を手渡されてついうっかり。


 「去年よりは良いですね」


 自分達の努力を、軽くあしらった様なもの言いに、憮然とした顔をした。


 「今年の生産量は30パーセントが所上がってます。南が20、今まで悪かった北が…」


 抗議されて、アレンは何が悪いのか判らずに慌てて終っている。


 「30パーセントも?!」


 言ったきり二の句が継げない。


 「主任。申し訳ない事だが、君のように専門家では無いので、私達が、国の中で立って居られるのは、君達が必死に支えてくれて居るからだと、その位しか判らないのだ」


 そう言ってやると、満足そうに紅潮した顔を向け、一礼を残して去って行った。


 「アウル。済みません」


 また、自己嫌悪に陥っている。


 「気を付けろ。彼等からすれば我々は、何時でも憎悪の対象になリ得る。誰しも自分が可愛いからな」

 「何事にも固定観念を持ってしか見ることの出来ない者は、生涯己の世界だけを見て暮らすのだ」

 「そのものの価値観を推察するのは、今日のように多角化している状態では非常に困難だ。彼等に望めるものでは無い」


 じっと聞いていたアレンが、目を見開くと深い溜め息をつく。


 「ええ。迂闊でした。脳天気な俺なんて、土にも汗にも縁が無いように映るんだろうな。巻き込まれていては話になりませんからね」

 「そう言う事だ」


 何を考えたのか、ふっと自嘲するように笑うと。


 「…俺には彼等が羨ましいってのに。彼等なら恋人を連れて駆け落ちしても、国を揺るがす事は無い」


 体を衝撃が走った。

 たった今まで、アレンが私を信頼し、共に歩を進めて来たのは、一にも二にも彼自身の政治家としての信念がさせてきたと思ってきた。


 思い込もうとしてきたのか。

 希望してきたと言うべきか。

 私への思いが、信頼と尊敬に基づくものだと。


 下らない懸想が感化したというのか。


 何か言うと全てが瓦解しそうだった。

 今まで取り繕ってきた対面も、彼に対する配慮で、自分を立ててきたプライドも。


 何もかもがガラガラと音を立ててなだれ落ちて、私と言う人間が、根底から覆ってしまう。


 それが判っていながら、今この胸の内をぶちまけてしまえば、願いが叶うかも知れない等と、浅ましい考えが頭をよぎる。ともすれば誘惑に、口を開いてしまいそうになるのをきつく唇を噛んで閉じ込めた。

 馬鹿なことを考えるな。


 「済みません。つい…なんか…対象が違いますよね」


 照れ笑いを含んで言ったアレンが、私越しに、丘を挟んだ向かい側に広がる林の方へ、視線を向けたまま凍り付いた。


 見ると時折チカチカと反射光が煌めいている。

 狙撃だと思うのと、アレンが私を、体ごと押し倒して覆い被さるのとがほぼ同時だった。


 落ちていく間にも、弾丸が傍を掠め、その1つが彼の頬を傷付けた。


 「くそっ!!」


 反射的に飛び出そうとする腕を掴んで引き止めると、焦燥が怒鳴らせる。


 「バカ!射程は1キロを越える。逃げられるか、狙い撃ちだろうが!!」


 血相を変える私に、いささか鼻しらんだように戸惑う。

 「そうでした」


 昔から何故か、私の命令口調に妙に素直な男だった。

 もう少し反発してもと思いつつ、弾丸が命を掠めて行ったと言う事実を、認めたとたん、目の前で失いかけた事も同時に自覚していて、ついさっき押し込めた激情が理性の箍を跳ね飛ばす。


 頬を流れる赤い血の色が感傷に拍車をかける。


 「じっとしていろ」


 言い置いて、頬を引き寄せ傷に唇を付けて、消炎を吸い出し、傷口を拭う。


 自分で自分のしている事に、説明が付かずに、血の味に何時しか頭の芯が痺れてきた。不意に血の味が失せて、触れているのが傷では無いと関知するまでに、どれ位そうしていたのか、涙が零れかけて、慌ててアレンを留めた。


 「キスに見える」

 「貴方のも、とても手当とは思わない」


 離した唇の硝煙をハンカチで拭うと、瞳を覗き込むようにして囁く声が、甘く掠れていた。胸を押し、視線から逃れかけた体を捕らえた腕で阻むと、逸らせた耳元で囁く。


 「…俺を…操作したいんですか?!」


 まだ、余地がある。

 あくまでも一線を引いたままでこの場を切り抜け無ければならない。でなければ全てが潰えてしまう。

 やり直しは効かない。やり直しなどしたくない。

 マゾヒストでもあるまいし、苦しくて息をつくのがやっとのような現状をもう一度味わいたいと思うものか。


 第一、やれると思っていても、体が付いてこない事を思い知った身としては、意地を張るのもたかが知れていた。


 先のフランス大使公邸のレセプションの折などは、アレンがルィザに言った、私を特別に思う事が起きたのか?!と言う一言で、複雑な感情に囚われて涙が溢れるのを止められなかった。


 同じ事を言われても、通常なら、或いは彼以外の人物からなら、何の事無く看過できた。


 「お前は感情が走りすぎる。必要が有るだろう?!」


 言い捨てて、掴む力が緩んだ腕から抜けた。


 顔をまともに見られないのを、必要が無いと偽装して、背けたまま立ち上がった。目にしなくても、アレンの心情は手に取るように判る。

 明らかに特別な感情が介在しているのを知りながら、なんの価値も無いように切り捨てられれば、どの様な思いがその胸に拡がるかは想像してみてさえ耐えがたい。


 だが、必要があった。アレンを愛しているならば、これを貫徹させなければ。


 邪魔をするものは、何で有っても切り捨てる。


 「もう良いだろう。行くぞ」



 発作の発動するパターンが読めてきた。

 アレンへの衝動を抑えて切りにかかると、阻むように痛みが来て、ひどい時は意識を失う。

 止せ。お前が生きていくためには彼が必要だ。

 判らないのか?!


 私の本音が警告していると言う訳だった。


 生きていく積もりなら…な。


 行くぞと声を掛けて立ち上がった途端に、刺し込むような痛みが走ったまでは覚えているが、その後は、視界がフェードアウトして記憶が無くなってしまった。


 予想通り検査の結果は、器官の異常としては出て来なかった。


 「これと言って異常は認められません。精神的な事が原因だと思われます。ですが、劇症が出て居ることを甘く見ないでいただきたい。機能的に異常の無い器官でも、閣下の場合は心臓が止まることも有り得ます」


 医師の診断を聞いてつい、笑った。

 私にとって降って沸いたような好都合に、苦笑したのだったが、主治医には、病を軽んじた様に見えたようだ。血相を変えて警告を受けた。


 「甘く見ないで頂きたいと、申し上げました。お命を失う可能性を秘めた状態で有ると思って頂きたい。至急、精神、神経科のカウンセリングを受けられる事をお勧め致します。ご自分の状態を確実に把握されるためにも、ぜひ!」


 「先生の診断を軽んじた訳では無いのですよ。今の仕事が一区切り付いたら…ご指示に従います。それまでは先ず、無理だな」


 「しかし…」


 若い医師はなおも食い下がろうとしたが、突然割り込んだ声に阻まれた。


 「もっと叱ってやって下さい。私も同じ事を言うのですが、一向に聞き入れてくれない。困ったものです」

 「これは…伯爵」

 「なんだ…来たのか、現状は?!変わりは無いのか?!」


 気配が医師の方を向いて、溜め息を付いた。


 「これですからね。状況報告と貴方を叱りに来たんです」


 ふっと医師が笑った。


 「では、私はこれで。どうか治療をお薦めになって下さい」

 

 ドアが閉じられて、病室に二人きりになった。


 「見舞いに状況報告で、どうしてそんなにめかし込む必要が有るんだ?!誰かに会った帰りなのか」


 良く日が入る特別室の窓際。

 凝った造りのスーツに、私には思いも付かない小物の差し色。柔らかで素直なブロンド。蒼く深い瞳。


 5年前にはまだ想像も付かなかったスーツの似合う体躯。全てが陽に映えて光り輝く。

 眩しさに目を伏せて居なければまた…。


 「昨日の事は、貴方にとって特別な事では無かったのですね?!」


 決めてきた態度を確認するかの様に、深い溜め息を付くと、ベッドに腰掛けて覗き込んだ。


 「昨日が…」


 言いかけた唇を塞がれて、どうすれば良いか、心底迷った。アレンの態度には躊躇が無くて、取り敢えずのように抗う腕も封じられてしまっていた。


 色事に拘りの有る私と違って、場数を踏んでいる彼のような男に掛かると、偽装だの、演技だのという紛い物はたちどころに粉砕されてしまう。


 「貴方を失うかも知れないと思った瞬間に、俺は後悔で気が狂いそうだった。何も告げないままに失うのかと…貴方も男なら理由の無い衝動でも鎮めなければ先へ進めないのは理解できるでしょう?!」

 「貴方の意思を確かめられれば良いんだ」

 「…私の…意思?!」

 「そう。俺が人として生きていく為の縁…約束も契約も要らない。だって…貴方を愛しているんだ」


 かき口説く彼の声音に抱かれて居るようだった。

 耐えきれずに目を閉じた。


 「アウル…」


 アレンの腕が私を抱いて、唇が重ねられた。


 好きだと自覚すれば、相手を自分の中に取り込んで、所有したいというのが男の、或いは人の性だろうに。


 彼が仕掛けてきた口付けは、私を確かめるような、心地良さだけが染み入るような優しい…


 私の中から不安や恐れが消えてしまって、とろとろと眠くなってしまう。


 「アウル?!堪んないな。このシチュエーションで寝ないで下さい。貴方はどうしてそう…俺と居るときばっかり気持ち良さそうに…帰りますからね」


 思い切り肩の力が抜けてしまって、拗ねたように言うのを、腕を引き止めて言った。


 「ここに居ろ。眠るまでで良い」

 「それって、勝手ですよ」


 どうしてこう…切迫していて、きっかけ1つでとんでもない事態に至る可能性をはらんで居たというのに、本音で触れあうと、即座に問題が氷解してしまう。


 何故彼なのかと、疑問を抱えてこだわって悩んできた私が、滑稽に見えるほどだった。

 お読み頂きありがとうございました。

 薔薇の香料苑と言う美しい場所が、覇権争いの修羅場になる。まだ、事件は続きます。乞うご期待!

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