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少し、真面目な話をしましょう?

 菱川さんに抱えられたまま店の奥まで来ると、レジには初めて見る人が立っている。店員のエプロンをつけた小柄で気の弱そうな男の人だ。白いメモ帳を手に持ちながら何かを書きつけている。そんな彼に菱川さんが声をかけた。


「ごめん、柏原。梢さんが来たから、しばらく休憩取るよ。あとよろしく」

「……わかりました、店長」


 彼は俯きがちにしながら、小声で返事をする。まるで私と菱川さんが見えていないみたいに手元のメモ帳に集中していたけれども、無視するのはどうかと思ったので、軽く会釈だけはする。すると相手もこちらをちらりと見て、慌ててそらしているのがわかった。……もう一人の店員、山田とは真逆のタイプらしい。山田と比べて肌の色も白ければ、体型だっていかにも線が細そう、性格はシャイと来れば、真逆としか言えない。足して二で割ればちょうどいいのに。


 バックルームに入ってから、ようやく一息つくことができた。菱川さんがようやく私を近くにあった椅子に座らせてくれたからだ。安っぽいパイプ椅子にこれほど安心する日がくるなんて思わなかったよ。……だって、菱川さんにくっつくととってもいい匂いがするんです。石のようにかちこちに固まって、なされるがままになるしかない。暴れて、取り落とされても大惨事。結局コバンザメのごとくしがみついたのは不可抗力……不可抗力なんだ……。


 でも冷静になると地味にショックだったのが、菱川さんに体重を知られたこと。絶対に重いって思われたに違いない。ほら、やっぱり理想としては「女の子は羽根のように軽い」となりたいじゃん。わかった、あれはファンタジーの所産物、現実じゃないんだ。


「私って重かったですよね……」


 言いながら自分でまたショックを受ける。なんというブーメラン。


 でもさらに追い打ちをかけたのが、菱川さんが棚の上にあった救急箱を取る前に、手首の筋を何度か伸ばしていたことだ。いや、普通に人一人を抱えるって体力必要なのはわかっているんだけれどね。


 菱川さんは優しい。つゆほども「重い」だなんて思わせない口調でこう言うのだ。


「ん? 梢さんは軽いほうだと思うよ? むしろ僕の方がしばらく筋トレしてなかったからか、体力が落ちている気がするよ。今日みたいなことがあると知っていたら、もっと熱心に鍛えていたんだけれどね」


 菱川さんは体型維持のために筋トレをしているらしい。それならばあの安定感も納得だ。

 救急箱から絆創膏を取り出しながら、菱川さんはくすりと笑う。


「これからは筋トレの目標は、梢さんを抱えて一キロダッシュすることにしようかな。それぐらいの体力があれば大概のことはできそうだよね」

「それは相当鍛えなくちゃいけないですよね……」

「災害時でも梢さん一人ぐらいなら助けにいけそうでしょ? そうだ、サンダル脱がすからね」

「え? あ、自分でそれぐらいはできます!」


 私の前に跪いた菱川さんがごくごく自然にサンダルを脱がそうとしたものだから、思わず声を上げながら、足をひっこめたら。


「いった!」


 そこで派手にパイプ椅子の足に足先がぶつかって、靴擦れを起こした部分に響いた。箪笥で小指ぶつけた時よりもダイレクトに痛い。椅子ごと身体をがたがた揺らしながら懸命に痛みの波がひくのを待つ。


 それを見た菱川さんは、あーあ、とちょっと呆れたような声を出すと、そのまま私の足を自分の膝に乗せて固定した。


「ゆっくり脱がすから。痛くなったら言って?」


 今度は私も抵抗できなかった。私の足を持ちながら、私を見上げてくる黒い目が吸い込まれそうなぐらい綺麗だったからだけど、なんだか私のちっぽけな羞恥心がどうでもよくなってきたからでもある。人間、痛覚には弱い。


 それにしても、こんなところで目の前の大人の男性を跪かせて、世話をされている私は一体なんなのだろうか。またまた『梢お嬢様再び~菱川執事との禁断の恋編~』ですか。私だとヒロインは役不足なんだよ、誰か気づいて!


 足がむずむずとどうにも落ち着かない中、するっとサンダルを両足とも脱がされた。その際にぴりっと、足の小指に痛みが走ったのを我慢する。水ぶくれがやぶれて、サンダルにひっついていたのかも。ああ、考えるだけで痛々しい……。


 患部を見た菱川さんの顔がかすかに歪む。


「あぁ、だいぶ赤くなっちゃってるね、両足とも。あ、虫刺されまで」


 足首の虫刺されまで発見されてしまった。ああ、指摘しないでー。そこに触れないでー。


「気にしない、気にしない。あ、少し掻いてしまっているよね? 女の子なんだから痕が残ったら大変だよ」


 虫刺されの部分の腫れに軽く触れた菱川さんはどう見てもからかい顔だった。ものすっごく、楽しそうだ。


「……今の菱川さんはちょっと危険な香りがします」

「そう? 僕は楽しいけれど。それにこれぐらいのことはまだまだ序の口……」


 菱川さんはそんなことを言いながらもちゃんと小指に絆創膏を貼り、ついでにと虫刺されのためのかゆみ止めを塗ってくれた。サンダルを脱がせたままの足を床に下ろして、はい、おしまい、とようやく解放してくれた。


「しばらくは履かない方がいいね、そのサンダル。ちょっとサイズは大きいけれど、今日は僕のサンダルを履いて帰って」


 一度店内に戻ったと思ったら、黒いサンダルを片手に戻ってきた菱川さんはまごうことなき紳士にして執事だった。こうしている時は優しいだけなのに、足に触っていたときの菱川さんはどう考えても危険な香りがしたのだ。主にその手つきから。いや、気のせいということにしよう。


「わざわざサンダルまで……ありがとうございます。しばらくお借りします」


 ありがたく履かせてもらった。柔らかい素材でできていたので、歩きやすい。帰り道もこれで苦労せずに済む。


「気にしないで。これぐらい当然のことだよ」


 微笑む菱川さんはまさしく私の聖母マリア様だった。慈悲深いなぁ……。

 救急箱が片付けられて一段落すると、菱川さんは上の休憩室に行こうかと私を誘った。確かに、バックルームはもので溢れかえっていて、あちこち埃っぽい。話すにしてもハウスダストが気になるところ。私は了承して立ち上がった。すると目の前には両手をスタンバイさせた菱川さんが。


「もう一度抱えてみてもいいかな。今ならもっとできる気がする」

「だ、ダメですよ?」


 私は慌てて、飛びずさって拒否の意を示した。理由は簡単、今度菱川さんが途中で息を切らしてでもしたら、しばらく立ち直れそうにないからだ。微妙な乙女ごころを察してください。菱川さんは残念そうにしながらも引き下がってくれた。


 菱川さんは休憩室までの階段を私のペースに合わせてゆっくりと昇ってくれた。おかげで特に焦ることも急ぐこともなく着く。着いたらついたですかさず私の分の椅子を引かれて、何も言わないうちから、赤福と温かい緑茶が出てきた。……赤福、美味しいよね。


 でも、その前に、聞かなくちゃいけないことがあったんだ。昨日昼に会ってから、ずっと心にひっかかっていた疑問だ。


——意外と僕と梢さんの生活圏は重なり合っていると思うよ? 


—―梢さんが知らないところできっと何度もすれ違っているんだ。


 田舎者と都会者がダンスをしている大きな絵画前での菱川さんの謎かけは、菱川さんがあっさり、冗談だよ、と流したことで終わってしまった。……でも、そのままにしていいことではなかったと思う。


 私には菱川さんが私を選んでくれた理由がわからなかった。こんなに人当たりのいい人なのだから、恋人の一人や二人いたっておかしくないし、女の人にもモテるに違いない。


 私は元々、鏡に映る自分の顔にもコンプレックスを持っている。写真もプリクラもとても苦手。性格だって、お世辞にもいいとは思わないのだ。


 だから欲しかった。……菱川さんが「私」でなければならなかった理由というものを。


 聞くのはもちろんとても恐かった。人の心に真正面からぶつかるんだから、怖くないはずがない。ひきだした言葉が自分の思っていたのとまるで違うのかもしれないのだから。


 それでも勇気を振り絞った。


 赤福をよそに、菱川さんを見据える。


「あの、菱川さん」

「うん」


 緊張した。喉の奥がからからに乾いていくのがわかる。


「どうして私に付き合ってくれたのですか。……もしかして、私は、菱川さんに以前どこかで会ったことがありますか」


 瞬間、菱川さんの笑みが音もなく消えた。




 





 



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