あなたは私の愉快な旦那さん?
私は一人が寂しかった。両親を亡くした「自分」が求めたのは、全身でよりかかれる「家族」。一時だけでも忘れたくて、バイトに打ち込んだのだけれど、結局は消えてくれなくて、生きるのがしんどくなるだけだった。
でも「旦那さん」は「家族」でもあるけれど、私に寄り添って甘やかしてくれて、私を一番に想っていてくれる。彼氏なんかよりもずっと重い存在だから、そうそう私をおいてどこか行ってしまうことなんてない。裏切られるのは嫌だ、自分も一番に想うから、相手にとっても一番でありたい……そんな子どもじみた理想の存在なのだと思う。
高三の時、両親が亡くなって急に世間に放り出された。今までの家にも住めなくなった。おじさんの家に引き取られたと言っても、おじさんはおじさんでずっと一緒に住んでいたわけでもないから、私にとって他人だった。おじさん夫婦にも子どもがいたし、彼のことを考えれば、やっぱり私は家族じゃない。世知辛いけれど、他人の子は他人の子であって、自分の子のようには愛するのは難しい。自分の子がいるならなおさらに扱いに違いが出るものだ。本当に平等であったのなら、それこそ聖人や聖女認定されている。
私は、私のための「家族」が欲しい。そんなことを心のどこかでずっと考えていた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
だから菱川さんは私にとっての理想の人。恋に落ちるのは驚くほど早くて、ほとんど一目ぼれみたいなものだった。初対面で「優しそうなお兄さんだ」と思った時には、すでに好感を抱いていたと思う。
この人は私の望む通りに、「愉快な旦那さん」になってくれようとした。……でもそれって、私が押し付けたのかもしれない。いい人だから? ぼろぼろの私が可哀想だったから? 慈善事業のつもりだったから?
悪い想像は止まらなかった。昨夜、一人になった途端に、色々なことが頭をかすめていったのだ。
その中でのかすかな希望は……「菱川さんが本当に私のことを好きになってくれていること」。ただ、それだけだった。
気持ちはただでさえ伝わりにくい。言葉や態度に示してでさえ、相手に通じないことがある。当たり前のことだけれど、本当に忘れてしまうことだ。
両親が亡くなる前、私は父の日にも母の日にも贈り物をしたことがなかった。改まって贈り物をするなんて、照れくさくてできなかったし、今ほど両親の存在のありがたさを実感できていなかったと思う。気づいたときにはもう遅かったけれど。
「どうしてそんなことを聞くの?」
目の前の菱川さんは……微笑んでくれない。泣きそうになる。
「僕の気持ちを信じられない?」
「違います……そうじゃなくて!」
「うん」
言葉が続かなかった。気持ちだけはあるのに、思い通りに言葉にできなくてもどかしい。口が達者ならよかったのに。
だから私は、あの時——菱川さんに初めて会った時のように、ぽろりとまじりっけなしの本音を零すのだ。
「好きだから……好きになってほしいんです」
「そっか。……『誰が』、『誰を』好きで、『誰に』、『誰を』好きになってほしいのかな」
私は蚊の鳴くような声で答える。
「……『私が』、『菱川さんを』好きで、『菱川さんに』、『私を』好きになってほしいんです」
「うん。それで?」
「私には、菱川さんに初対面で好かれる要素は一つもありません……。でも以前、私に一目ぼれしたということを聞いて……だったら、知らないうちに会っていて、菱川さんに好かれたとしたら、やっぱり嬉しくて、少しは納得できるかな、とそう思ったんです」
沈黙がやけに長く感じる。目の端に見える赤福がやけに遠い。緑茶も冷めてしまっているかも。
そこまで考えた後に、唐突に頭にふわりと何かが乗った。
菱川さんの、大きな手だ。
顔を上げようとしたら、だめだよ、と優しく押さえつけられた。頭上では、やばい、すごく嬉しい、可愛い、やばい、と独り言のように呟くのが聞こえてくる。そして、溜息をつくように、
「僕は好きだよ、梢さん。梢さんが、好きだ」
頭に乗せられていた手がどけられて、ごくごく近くにあった菱川さんの表情を見ると、いつも通りの微笑みが浮かんでいる。
「驚くと目が丸くなるところ、すぐに照れて頬が赤くなるところ、楽しそうなときに口元が緩むところ、さっきだと椅子に座ってそわそわしていたところ。それこそ、顔から、足先の爪の形が丸いところまで、全部僕からすれば可愛くて。落ち込んでいたら励ましたくなるし、泣いていたら慰めてあげたい。ずっと一緒にいて、何でもお願いを聞いてあげたい。……僕はずっとそう思っているよ」
菱川さんの手が私の手に伸ばされる。戯れるように互いの手がつながれた。まるで恋人つなぎのよう。
「僕は、以前から梢さんを知っていたんだ。顔だけで、名前までは知らなかったけれど。……でも、梢さんは朝早くにここの前を通っていって、夜遅くにここの前を通って帰ってきていたのを、何度も見かけていたんだよ。一目見た時から、本当に好みで、可愛かったんだ。……声まではかけられなかったけれどね。若い女の子だし、不審がられてしまったら、元も子もないから。それでも、あの子がうちの店に来たら、まっすぐ声をかけようと思っていて……思っていたら、梢さんがやってきた」
それが、辞めてきたバイト先で塩をまかれた後、何気なく入ってみた、あの日だったのだ。
「恥ずかしい話、あの時の僕は相当舞い上がっていたんだ。だから梢さんの〈注文〉は、僕にとっては嬉しい誤算だった。正面切って口説けると思って、張り切っていたし、期待もした。僕のことを好きになって、僕の唯一の女性になってもらえるかもしれないってね。だから今、「好き」だと言ってもらえてとても嬉しかったんだよ。……これでこの話はおしまいにしようか」
ぱっと手を放した菱川さんは目元を少し赤らめながら話を締め、手元の赤福を一つ食べた。
私も一口食べる。……うん、やっぱり美味しい。
ダイエットのことも考えないでもなかったけれど……今はまだ、いいや。そんなことを思ってしまう。今日は互いに目と目で美味しいね、と気持ちを伝え合える日なんだもの。
今日は、人生で一番幸せな日だ。
話としては一区切りです(完結という意味ではありません)
しばらく充電した後、また再開する予定です
その時にはまた活動報告等でも報告させていただきたいと思います
次回以降の話のキーワードは「帰省」です
いつも読んでいただきありがとうございます




