第十三話 約束とはじまり
「とまあ、こんなわけで尻尾巻いて逃げることにしたんですよ。」
大輝は表情を変えずに淡々と四半世紀の自分を語っていた。時折カンナをはじめとする帝国の人間にもわかるように説明を加えながら。すでにサラ特製のハーブティーは4杯目になっている。
「そのあとは、働いてもらっている人たちには通常より多めの退職金を用意して、再就職の斡旋をしました。こちらはそれほど大変ではなかったですね。繋がりのあった会社も多かったですし、喜んで受け入れてくれたので。問題は残った資金でした。資金の一部はまだ解決していない「未来視」があったので、それを担当してくれる協力者の方に引き継いでもらいましたが、それでも小国の国家予算1年分以上は余裕でありましたね。」
「た、大輝さん。ちなみにその額はいかほど・・」
ここまで黙って聞いていたカレンがおずおずと挙手する。どうやら昨夜のご乱心よりも大輝の話の方がインパクトがあったようである。
「そうですね。貨幣価値が帝国と日本で違うので比較が難しいのですけど、帝国の一般流通品価格から想像すると、およそ金貨2億枚というところでしょうか?」
金額を聞いて絶句するカンナ、ネイサン、カレン、サラ。それもそのはず、モノによって日本とは金額が大きく異なるがおおよそ、銅貨1枚が10円、銀貨1枚が1000円、金貨1枚が10万円程の換算だ。帝都では一般家庭は金貨2枚あれば十分一家4人が暮らせる。帝都以外なら金貨を使う機会すら少ない。武器や防具、魔道具専用通貨と言っていいほどなのが金貨なのだ。さらに言うなら、人口140万の帝国の国家予算は200万枚前後だ。言葉が出ないのも致し方ない。
「まあ、人口も100倍くらい日本とは違うようですし、金額の大きさは気にしないでください。」
大輝は軽く言っているが、カンナたちはそう簡単に立ち直れなかった。そこに追い打ちが掛かる。
「で、結局、全部国に丸投げしちゃうことにしたのですが、その手続きに時間がかかりまして、結局逃亡計画を立ててから2年も掛かったんですよね。」
帝国国家予算100年分を寄付したと抜かしたのだ、この男は。もう言葉どころか表情もなかった。
「無理を言って特別立法させましたね、結局。題して、20兆円の使い道は国民次第!ってね。」
いたずらが成功したかのような笑顔の大輝に対して無表情のカンナたち。
「こほん!テレビについては以前話したと思うのですが、その20兆円、あ、金貨2億枚の使い道をテレビの前で政治家に語らせて、一番良い案を国民に投票して選んでもらうことにしました。」
ちょっと刺激が強すぎたかと咳払いを挟んで口調を戻す。
「ただ、結果は私も知らないんです。その手続きが完了して、そろそろ自分のやりたいことをやろうと準備してた時にこちらに召喚されてしまったので。」
それを聞いて表情が戻るカンナたち。帝国国家予算100年分を寄付してまでやりたかったことを出来ずに無理やり召喚されたという事実。大輝の無念さを想像したのだ。だが、当の大輝は笑顔のままだった。
「あぁ、そんな顔しないでください。確かに日本で、というよりは地球でやりたかったことを始める前にこっちに来ちゃいましたが、それでもやることは変わらないので。」
「そ、それはどのような事なのでしょうか?」
大輝の言っている意味が分からず、困惑してしまうカンナ。
「実は、私が召喚された時、大使館に行く途中だったんですよ。大使館というのは他国の使者が常駐している場所と考えてください。そこに行って、その国を訪問する許可書を発行してもらう予定だったんです。つまり、私は外国に旅に出るつもりだったんです。」
「た、旅でしゅか? 金貨2億枚をしゅてて?」
意外な大輝の言葉を受けてカレンが舌を噛みながら反応する。
「はい。私は自分の能力を使う道を誤ったと思っています。そして原因は色々考えましたが、一番の原因は、「未来視」に拘り過ぎて視野狭窄に陥っていたことだと思ったんです。そこで私には知識だけでなく実体験が必要だと思いました。なので、しばらくは何事にも、そして何者にも縛られない自由な生活をしてみようと思ったんです。思いのままに感情の赴くままに、ですね。」
なんでも知ってるつもりになってる頭でっかちだったんですよ、と頭を掻く大輝。
「そ、それはアメイジアでもそのように行動するということですか?」
カンナが何かを堪えるように大輝に問いかける。
「はい。そうするつもりです。」
大輝はそれ以外には考えられないと一片の曇りのない表情で答える。
「私の自分語りは以上ですが、これまでお話して来なかったために、カンナ様にはご不快な思いをさせてしまったかと思います。申し訳ありませんでした。」
そう言って頭を下げる大輝だが、カンナの頭の中には大輝への怒りはなかった。それよりも別の感情でいっぱいだった。
「いえ、大輝様が頭を下げる必要はありません。」
どう切り出していいか頭を悩ませながらも毅然たる態度で謝罪不要を告げるカンナ。
「最近の私は大輝様に嫉妬していただけです。それに、大輝様にはカガクについてや日本についてなど、大変ためになるお話を聞かせていただきました。さらに、今後私が係らなければならない政治に関しても良いヒントをいただけました。感謝こそすれ、謝っていただかなければならない事などありません。」
逆に頭を下げるカンナ。皇族が頭を下げていいのだろうか? と大輝が思いながらもカンナと同時に頭を上げる。なにはともあれ、カンナの件は無事に片付きそうだと安堵した瞬間をカンナが突く。
「とはいえ、大輝様には責任が発生しています。」
「は、はひ?」
謝罪不要と言ったはずのカンナの責任論に声が裏返る大輝。
「私は皇族とはいえ、まだ未成年の子供扱いです。」
「はぁ。」
「それに引き換え、大輝様は日本で帝国国家予算の100倍以上もの大金を稼ぐ大商人であり、政治にも口を出せる立派な成人です。」
「え、いや、まあ、そ」「最後まで黙って聞いてください。」
カンナは大輝に口を挟ませない。
「そんな大輝様が未熟な私にわざと難しい課題を出しました。それも、私が今後係らなければならない内容で、し・か・も、夢見るようなお話についての課題です。」
カンナが言っているのは最後に会ったときに話をした日本の政治体制についての話だろう。しかも、ネイサンたちと取引したことも知った上での言い回しだ。そう気付いた大輝はネイサンに視線を向ける。
(お嬢様には内緒の話だったんじゃないのかよ!)
という非難の視線を。それを受けてのネイサンは平然とした顔で答えた。
「お話の内容については大輝殿に一任すると。」
(うわ~裏切りやがった~~)
一瞬そう思った大輝だったが、思い出してみればネイサンは何一つ裏切っていない。確かに、カンナへのショック療法の依頼は受けたが、カンナに内緒とは言ってなかった。確かに、帝国の暗黙の了解として皇位継承権保有者は第1位継承権者は次期皇帝となり、それ以外の継承権者は軍もしくは政治の要職について皇帝を支える必要があり、カンナには政治の道が用意されていることを聞いたが、どんな話をしてその道で生きていけるように背中を押すかは一任されていた。ネイサンに誘導されたとも言えるが。
(ぅぐぐ・・反論できねぇ。)
「ネイサンたちに心配を掛け、大輝様が善意でお話して下さったのは理解しています。」
大輝が返答に困っているとカンナが慈愛の微笑にを浮かべて理解を示す。
「とはいえ、政・商ともに歴戦の強者がか弱い幼子を谷に突き落としただけで放置するというのはいかがなものでしょうか?」
(ぐわっ!皇女様こえ~ここまで威厳たっぷりなのに自分をか弱い幼子とか言ってるし。)
日本の大企業の役員や政治家相手にも互角以上に渡り合い正論で突破してきた大輝であったが、カンナを相手に自分の不利を悟った。黒い大人は断固排除するが、無垢な幼子には弱いのだ。アメイジアでは成人間近とは言え皇女様を未熟な未成年と認めた時点で大輝の勝ち目は薄かった。
「ここは貸し一つということでいかがでしょうか?」
「へ?」
最悪、しばらくはカンナの元で補佐をしなければならないかと思い始めていた大輝だったが思わぬカンナの言葉に今度は大輝が固まる。
「本当は責任を取ってもっと詳しく日本の統治体制について教授していただき、帝国にどのような形で改革を施せばよいのか一緒に考えていただきたいところです。しかし、今は無理だと思っています。大輝様がおっしゃったではありませんか。「診てもいない患者は治せない」と。私は勿論、大輝様もまだ知らない事だらけですから。それに、元々大輝様が旅をしようとしていたところを無理やり召喚したのはハルガダ帝国です。無理を言う権利なんて私にはありません。」
そう言って目を伏せるカンナ。それに同意の表情を浮かべるネイサンたち。対して大輝は感心していた。これまでも彼らには好感を持っていたが、今の彼らにはそれ以上の好意を感じていた。
「元々私たち帝国には大輝様をはじめとした異世界の客人の皆さまに大きな借りがあります。なので先ほどの貸し一つというのは冗談です。申し訳ありません。でも!帝国に何かをして欲しいとは言いません、いえ、言えませんが、もし大輝様がよろしければいつかまた私とお話をしてくださいませんか?」
まるで懇願するかのようなカンナ。好意を感じている大輝の返答は早かった。
「喜んで。私の名に懸けてお約束いたします。」
大輝の心は自身が認識しているよりも遥かに強くこの少女の力になってあげたいと感じていた。しかし今はその時ではない。でもいつか彼女の力になろうと。
異世界81日目以降、大輝は騎士団と帝都内を半々で見学して過ごした。騎士団の基礎訓練のみ参加するようになったが、毎回誰かが模擬戦を申し込んできては断っていた。最後まで手の内はさらさず、本来の双剣ではなく両手剣で訓練に参加する徹底ぶりだった。
夜になると、これまた毎回侑斗、拓海が騎士団への入団を勧めてくる。時折志帆までも参戦してきたが、のらりくらりと躱し、期限の90日目10時に予定されている皇帝との謁見の際に態度を表明するという姿勢を崩さなかった。
すでに大輝の準備は完了している。約束通りネイサンから必要な品は受け取り済であり、謁見が終わり次第その足で旧壁を出るつもりだ。その瞬間まで出来る限り穏便に過ごすつもりだった。
そして異世界90日目がやってくる。
「異世界のお客人のご到着!」
はじめて見た時と同じ巨大かつ豪奢で真っ赤な魔道具の扉が開いていく。そして完全に扉が開ききると、到着の声を張り上げた騎士が先頭に立つ侑斗と拓海に視線で合図する。今日は先導する者もいなければ、後方に控える騎士もいない。どうやら初日に比べ警戒レベルを下げたらしい。それは皇帝の座のある最奥まで続く赤い絨毯の両側に立つ者たちを見ても明らかだった。右側の政治を司る貴族の後ろにも、左側の騎士団の団長格の後ろにも騎士はいない。おそらく、侑斗をはじめ大輝を除いた全員が帝国に所属することが内定しているからだろう。さすがに皇帝の左右には護衛の騎士たちが帯剣して睨みを利かせているが。
皇帝まで10メートルあたりで先頭の侑斗と拓海が止まる。その後ろに志帆と七海、3列目が一郎二郎の兄弟と大輝で大輝が一番後ろの右側になる。さすがにまだ客人の立場のため、跪いたりはせずに全員が立ち止まった後に一礼する。
「異世界の客人方、迎賓館での生活は問題なかったかな?」
一同が顔を上げてすぐに皇帝バラクから声が掛かる。将来の最高戦力、現在でも上級戦力の集団だ。当然責任者のアンナから逐一報告を受けているのだが、ここは形式が必要だ。
「はい。非常に良くしていただいて感謝いたします。」
代表して侑斗が答える。アンナをはじめ、騎士団、貴族とこの謁見の間にいる者の多くと面識があるためか余裕を持って返答していた。初期に取り乱していた人物とは思えない堂々とした受け答えだった。
「それはよかった。早速であるが、本日が約定の日となっている故そなたたちをこの場に呼んだことは知っておろう。我が帝国は約定を成したからには守る。帝国の窮状を考えると、客人全員に助力を願いたいのは山々だが、無理を言って呼び立てた咎がある故そなたたちの意思を優先する。それぞれの意思を述べてもらいたい。」
相変わらずの皇帝の物言いに不快感が込み上げる大輝だったが、侑斗はそんなことを感じるまでもなく即答していた。
「この3か月、騎士団の方をはじめ皆さんは非常に親身になってくださいました。その恩に応えるためにも騎士団に入り、魔獣に苦しむ人々を救いたいと思います。」
「侑斗と同じ気持ちです。オレも騎士団に入ります。」
侑斗と拓海が左の拳を握り胸の中央に掲げる騎士団式の礼を取る。それを見た皇帝は満足そうに頷く。
「それは心強い。」
皇帝の言葉に合わせて左右から称賛の声が上がる。
「私たちは魔法隊に入り、侑斗たちと一緒に魔獣討伐に参加します。」
「まだまだ未熟ですがよろしくお願いします。」
侑斗と拓海に続いて志帆と七海が魔法隊入隊を宣言する。こちらにも称賛の嵐だ。
「うむ、二人の魔法も強力だと聞いている。期待しているぞ。」
一郎、二郎が続く。協調性が無さそうな二人だが空気は読めるようだった。
「オレたちは騎士団じゃないが軍に所属することに異論はない。」
「傭兵隊の荒れくれたちは任せな。」
言葉遣いは場所に似つかわしくないが、皇帝をはじめ、貴族たちも嫌な顔一つせずに満面の笑みを浮かべてその決断を称賛する。そして残りは問題の人物だけだった。当然大輝だがどこ吹く風で続く。
「6人も異世界人がいれば帝国も安泰ですね。これで私は心置きなく旅に出られます。」
まるで侑斗たち次第では帝国に残ったと言わんばかりの大輝だった。その気なんて無いのに。
予想されていたとはいえ、若干呆気にとられる帝国側だったが、唯一皇帝の右隣にいるカンナだけは微笑みを浮かべていた。まるで再会を確信しているかのようだった。
「そ、そうか。それは残念だが、大輝殿の意思を尊重しよう。どこに行くかは決めているのか?」
「いえ、特には。」
「そうか。では当面の路銀として金貨10枚を授けよう。皆の者よいな?」
なんとか体裁を取り繕い大輝の自由を認める皇帝バラク。対して大輝もあくまで当然の態度で返す。
「皇帝陛下の寛大なお心に感謝します。」
すぐに付き人が麻の袋に入った金貨を持ってきて大輝に渡す。一応準備はしていたらしい。大輝としては、この場での暴挙の可能性は低いとはいえ、多少ごねられた場合等も想定していたのだが、思いのほかすんなり行って安堵していた。
「では、続けて異世界の客人への任命式を行う。」
このまま謁見の間で行うらしい。大輝はもう用はないので謁見の間からの退散を決める。
「では私はこれで失礼いたします。」
これだけ告げてさっさと退室を図る。最後にカンナにだけ視線を送って。はたして誰一人声を掛けることなく謁見の間を退室しそのまま扉の外に待機していた騎士に旧壁の門までの案内を頼み宮殿をあとにした。
そして30分後、旧壁での守衛のチェックを終え帝都の新壁内へと下りた大輝。ここにようやく2年越しの旅が始まる。旅をする大地は変わってしまったが大輝の心はここ20年で一番晴れやかであった。