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あの娘を探して  作者: 異世界転生名無しくん


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2/2

嘘です!

「エレノアは、まだ帰らないの?」

 公爵夫人イザベラは、夜の間も、朝を迎えても、何度も同じ問いを繰り返した。


 エレノア付きの侍女は帰らず、王家からの送迎もなければ、何の使いも来ない。

 まだ嫁入り前の娘だというのに、殿下はなんて困ったお方かしら。イザベラはそう自分に言い聞かせ、ここで大騒ぎしては、娘に恥をかかせ家名に傷をつけてしまう。ただひたすらに待ち続けた。


 しかし、翌朝になって公爵家に届いたのは、娘が婚約を破棄されたという、あまりにも冷酷で短い紙切れ一枚の知らせだけだった。


 ――それから三日後、エレノアは見つかった。

 水底に沈んでいた遺体はすっかり膨らみ、水生生物に穴だらけにされ、顔の骨は無残に砕け面影はなかった。身につけていた土色に変色したドレスだけが、それがエレノアであることを証明していた。


「奥様……」

 報告に上がった侍女が、いたたまれずに目を伏せる。


 そのただならぬ様子に、イザベラは椅子から立ち上がった。

「何か知っているのね?」


「それが……今朝、川の下流で……」

 侍女はそれ以上、言葉を続けられず言い淀んだ。


 イザベラは侍女の肩を強く掴んだ。

「川で、何があったの?」


「お嬢様が……お嬢様のお体が、上がったのです」



 やがて、エレノアの遺体が屋敷へと運ばれてきた。

 泥に汚れた金髪。ふやけて、見る影もなくめちゃくちゃになった顔。


 イザベラは、その凄惨な遺体をじっと見つめた。

 長い沈黙の後、彼女は表情をふっと和らげ、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。

「違うわ」


 周囲の侍女たちが息を呑んだ。

「奥様……?」


「違うと言っているでしょう?」

 イザベラは、遺体のぶよぶよとした歪な頬に触れた。指が、皮膚の奥の不気味な感触を捉える。


「この子はエレノアじゃないわ。だって、あの子は三日前、王城へ行ったのよ。帰ってきたら、新しい刺繍を見せてくれると約束したんだから」


 彼女の指は、その崩れた肉を突いた。

「ねえ、エレノアはどこに隠れているの? どうしてあなたは、エレノアの服を着ているの?」


 誰も答えなかった。ただ、部屋中に侍女のすすり泣く声だけが響く。


「隠れていないで、出ていらっしゃい。お母様は少し帰りが遅いくらいで怒ったりしないわ。ちっとも怒っていないのよ」


 イザベラは優しく微笑んだまま、愛娘であることを頑なに否定した遺体を、強く、愛おしそうに抱きしめた。

遺体は腐臭をまき散らしながらボロボロと崩れた。


 ◇


 それから一週間後。

 葬儀を終え、深い喪服に身を包んだ公爵夫人は、一人、王城へと向かった。

 まだ見ぬ娘を探すために。


「エレノアは、こちらに来ていませんか?」

 王城の正門で、イザベラは虚ろな目で衛兵に尋ねた。


「公爵夫人……?」


「娘を探しているのです。エレノア・ヴァレンシュタイン。こちらに来れば、殿下がお会いくださっているはずなの」


 衛兵たちは一斉に顔を見合わせた。公爵令嬢が悲惨な死を遂げたことは、すでに王城内にも知れ渡っていた。

だが、目の前で微笑む母親にどう告げればいいのか、誰も分からなかった。


「お嬢様は、その……すでに……」


「ええ、ええ、分かっていますわ。あの子は私に怒っているのでしょうね。 少し習い事を厳しくさせすぎたせいかしら?だから、私に隠れてここへ来ているはずなの。どこかのお部屋に匿われているのではなくて?」

 イザベラは嬉しそうに笑った。その笑顔があまりにも痛々しく、狂気に満ちていたため、若い衛兵は恐怖と哀れみで視線を落とした。


「……お通り、ください」


 結局、彼らは高貴な公爵夫人を力ずくで追い返すことができなかった。

 イザベラは王城に入り込んだ。


 長い廊下を宛てもなく歩き、部屋を覗き、すれ違う使用人に文官、貴族を見つけては何度も尋ねた。

「うちの娘を見ませんでしたか?」

「エレノアという子なの。輝く金色の髪で、澄んだ青い目をしていて……本当に綺麗な子なのよ」

「パーティの夜から帰ってこないの。困った子でしょう?」

「見かけたら教えてくださいな。あの子、きっと意地を張って帰るタイミングをなくしただけなの。本当はとても寂しがっている」


 誰も答えられなかった。


 彼女を見かけるたび、使用人たちは恐怖に顔を青ざめさせ、這うようにして逃げ出した。


 噂は瞬く間に城内を駆け巡った。

『公爵夫人が、亡くなった娘を探して王城を彷徨っている』

『娘の死を受け入れられず、完全に頭がおかしくなってしまったのだ』と。


 同情する者はいた。だが、王太子レオンハルトの機嫌を損ねることを恐れ、誰も公爵夫人と関わろうとはしない。


 そしてひと月後。

 水すら満足に喉を通さず、枯れ枝のようにやせ細ったイザベラは、とうとう王太子の執務室の前に現れた。


「殿下にお目通りを願います」


「お待ちください、公爵夫人! 殿下は今、公務でお忙しく――」


「大丈夫ですわ。少し、あの子のことについてお尋ねしたいだけなの」


 衛兵が制止するよりも早く、彼女は音もなく扉を開け放った。


「殿下!」


 書類に目を通していたレオンハルトが、不快そうに顔を上げた。

「何だ。……チッ、公爵夫人か」


「エレノアを見ませんでしたか?」


 その名前を耳にした途端、王太子の眉がピクリと不快げに跳ね上がった。

「まだそんな世迷言を言っているのか。いい加減にしろ」


「ええ、だってあの子、こちらにいるのでしょう? お願いですから、会わせてくださいませ。あの子はとても寂しがり屋ですから、きっと暗い部屋で一人で泣いているはずなんですの」


「衛兵!この狂人を連れ出せ!」


「殿下!」

 イザベラは一歩、鋭く前に踏み出した。その目は爛々と輝いている。

「わたくし、何か殿下に失礼なことをいたしましたか? 娘が何か、殿下のお気に障るような非礼を?」


「お前の娘の話など、二度と聞きたくもない!」

 レオンハルトは激昂し、机を激しく叩いた。

「婚約破棄は正式に受理された! あの女はもう王家とは何の関係もない! いつまで狂ったふりをして王城に押しかければ気が済むのだ!」


 イザベラの唇が、不自然な形に歪む。

「……あの子は、何も悪いことをしていないのです。ただの一度も」


「黙れと言っている!」


「お願いです。せめて一度だけ、元気な顔を見せていただければ、わたくしはすぐに帰りますから……」


「いい加減にしろと言っているんだ!!」

 レオンハルトが完全に理性を失い、立ち上がった。


 毎日、毎日、城内で繰り広げられる公爵夫人の奇行。誰もが自分を責めるような冷ややかな視線とヒソヒソ声。それらへの苛立ちと、心の奥底にあるほんのわずかな罪悪感が、彼の防衛本能を爆発させた。


「わざとやっているんだろう!?俺への嫌がらせか!? 娘がいないと城内で喚き立てれば、俺が罪悪感で押し潰されるとでも思ったか! 諦めろ、お前の娘は死んだんだよ!!」


 イザベラはカチリと目を見開いた。

「……娘が、死んだ?」


「そうだ! とっくに死んで腐ってたんだろうが!」


 その一言が、彼女の脳内に張り巡らされていた防衛線を乱暴に引きちぎった。だが、彼女は不気味なほど静かに首を振った。

「嘘ですわ」


「何だと?」


「嘘です。エレノアは生きていますもの。だってあの子は……」


「これ以上、俺をイライラさせるな!」

 レオンハルトは狂ったイザベラの態度に底知れぬ恐怖を覚え、それを掻き消すように最悪の事実を怒鳴り散らした。

「もううんざりだ! 教えてやる! お前の娘は、俺が雇ったゴロツキどもに乱暴され、勝手に絶望して自害したんだよ!」


 執務室の空気が、凍りついたように静まり返った。


 外で聞き耳を立てていた衛兵たちですら、息を呑む音が聞こえるほどに。


「……自害……?」


「そうだ!  川に飛び込んだんだ!  婚約を破棄され、純潔を失った程度で大袈裟に死にやがって! 尼寺にでも籠もって静かに余生を過ごせばいいものを、当てつけのように死にやがって」


 イザベラの顔から、完全に生気が消え失せた。

 レオンハルトはもう止まらなかった。口を滑らせた恐怖を、傲慢さで塗りつぶそうと叫び続ける。

「それとも何か、俺が悪いとでも言いたいのか!? 俺の人生を、王太子である俺自身が決めて何が悪い! 未来の障害になる女を、申し開きなど出来ないように、二度と人前に出られないように傷物にして排除してやったら、勝手に壊れて死んだ! ただそれだけの話だ!」


「嘘……」


「現実を見ろ!」


「嘘ですッ!!」

 イザベラの鼓膜を破らんばかりの悲鳴が、執務室の壁を震わせた。

「エレノアが、いないなんて……そんなこと、あり得ません!!」


「うるさい、連れ出せ!」


「嘘です、嘘です、嘘です、嘘です!!」

 公爵夫人は狂ったように自分の耳を両手で塞いだ。


 脳裏に、鮮明な娘の笑顔が溢れ出す。

 幼い頃、転んでシクシクと泣いた小さな娘。

 初めて仕立てたドレスを着て、照れくさそうに頬を染めた娘。

 あの夜、出かける前に、優しく振り返って手を振った娘。

『――お母様、帰ったらたくさんお話ししたいことがあるの』


「返してください……」

 イザベラは糸が切れたようにその場に崩れ落ち、膝をついた。

「お願いですから……私の、私のエレノアを返してください……」


 だが、王太子は冷酷にそれを見下ろすだけだった。その瞳には、一滴の哀れみすら浮かんでいない。


 イザベラは、ゆっくりと立ち上がった。

 その動きには、もう先ほどまでの取り乱した様子はなかった。魂が抜け落ちたような無表情のまま、ふらふらとテラスの窓へと歩いていく。


「おい、どこへ行く! 止めろ!」

 危険を察した衛兵が駆け寄る。


 イザベラはテラスの欄干に足をかけた。

「エレノア……そこにいたのね」

 歓喜に満ちた呟きと共に、彼女は真っ逆さまに身を投げた。


 凄惨な悲鳴が響き渡る。

 駆け寄った衛兵たちが慌てて下を覗き込んだ。レオンハルトは、窓辺から一歩も動けず、ただ激しく動悸する胸を押さえていた。


 やがて、一人の衛兵が震え上がる声で告げた。

「……公爵夫人が……、即死です……」


 レオンハルトは盛大に舌打ちをした。

「何ということだ。……最後まで、反吐が出るほど迷惑な親子め」


 その言葉を聞いた者は、誰も口を開こうとはしなかった。


 ◇


 その日の深夜。

 深い静寂に包まれた王城の廊下を、一人の女が静かに歩いていた。


 薄い喪服。

 乱れ髪。

 生きている人間とは思えないほど、青白い顔。

 ペタ、ペタ、と、足音が不気味に響く。


 女は、夜勤で行き交う侍女の一人を見つけると、にこりと微笑みかけた。

「こんばんは」


 侍女は怪訝に思いながら振り返った。

「……はい? どちら様でしょうか……」


「少し、お尋ねしたいことがあるのですけれど、うちの娘を見ませんでしたか?」


 侍女は一瞬言葉を失い、目を瞬かせた。

「娘……ですか?」


「ええ。エレノアというの。金色の髪で、青い目をしていて、とっても綺麗な、自慢の娘なのよ」


 侍女の顔からみるみる血の気が引いていく。

 その顔、その声を、彼女はよく知っていた。公爵夫人イザベラ。


 つい数時間前、王太子の執務室から身を投げ、頭を砕いて事切れたはずの亡霊。


「おく、さま……?」


「あら、わたくしをご存じなの?」

 女は嬉しそうに、口元を耳元まで裂くようにして笑った。

「よかったわ。では、エレノアの居場所もご存じでしょう? あの子、どこへ行ったのかしら。ずっと探しているのだけれど、どうしても見つからなくて」


 侍女は恐怖のあまり、悲鳴すら上げられなかった。


 女は困ったように、歪んだ眉を下げた。

「王太子殿下が、独り占めしたくてきっと王城に隠してるんですわ。もう少し我慢すれば毎日会えるのに。でもエレノアは可愛すぎますから、あまり殿下を責められませんわね」


 その瞬間、廊下に灯っていた燭台の炎が一斉に掻き消え、漆黒の闇の中で、ようやく侍女の凄惨な悲鳴が響き渡った。


 ◇


 翌朝、王城内は一気にパニックへと陥った。

 深夜、廊下に公爵夫人の幽霊が現れ、誰彼かまわず娘の行方を尋ね、遭遇した者は心を病んでしまうというのだ。


 王太子レオンハルトは執務室で荒れ狂った。

「くだらん!くだらん! あの女は死んだのだ! 亡霊などこの世にいるものか!」


 しかし、その夜。

 レオンハルトが幾重もの衛兵を私室の前に配備し、厳重に鍵をかけて寝室のベッドに入った時のことだ。

 ふと、部屋の中に冷たい風が吹き抜けた。

 重いカーテンが揺れる窓辺に、一人の女が、月の光を背に浴びて立っていた。


「こんばんは、殿下」


 彼は息を呑み、全身の毛が逆立つのを感じた。

 イザベラだった。


 二日前の昼間、確かに死体となって片付けられたはずの公爵夫人が、あの時と全く同じ、穏やかで狂気に満ちた笑顔を浮かべて彼を見つめている。


「……ッ、衛兵!! 衛兵を呼べ!!」

 レオンハルトが狂ったように叫び、廊下から無数の足音が近づいてくる。


 するとイザベラは、首を傾げ囁いた。

「お忙しいようですし、また明日、お伺いしますわね」


 彼女の姿は煙のようにふっと消え失せた。


 なだれ込んできた衛兵たちが目にしたのは、恐怖にガタガタと震えながらベッドを濡らしている、かつて傲慢だった王太子の姿だけだった。

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