1 異世界へ
「よう、どうだ?」
居間に戻ると、ポポが心配そうな口調で尋ねた。水蓮は軽く頭を振って、ポポの隣に腰を下ろした。
「まだ泣いてるわ。一人にして欲しい、て」
「そっか」
「それから……ごめんね、て言ってたわ」
「そっか」
ポポは囲炉裏に薪を蹴り入れた。ふるさとを滅ぼされ、たった一人生き残ることがどれだけ悲しいか。楓があのときポポに当たり散らさなければどうしようもなかった気持ちは、ポポにもよくわかった。
囲炉裏にくべた薪が、パチンとはねた。
水蓮たちは血の臭いに満ちた領主の館を出て、橘姫の屋敷に宿を取った。無惨な姿になった椿たちの遺体はきれいな布で包み、入口近くの応接間に安置した。日が昇ったら、千早の遺体ともども埋葬するつもりだった。
「それにしても寒いわね。もう春も終わりじゃなかったかしら?」
「鬼の仕業だろ。それより水蓮、これからどうする?」
「そうね、どうしましょ?」
橘一族の協力を得て、鬼を倒す。
ポポと水蓮は、そのためにこの町までやって来た。ところが肝心の橘一族が、一夜にして鬼に滅ぼされてしまった。小人族も滅び、今また橘一族が滅びた。しかも鬼は神の卵を手中にした。これ以上追い続けても、倒せる見込みなどないかもしれない。
「ポポは、どうするつもり?」
「鬼を倒す」
ポポはきっぱりと言い切った。
「できるの?」
「さあな。やってみるさ」
「そうね」
水蓮はポポの言葉に微笑むと、壁に背中を預けて目を閉じた。
「水蓮、疲れてるんじゃねえか?」
「そうね……少し疲れたわ」
「寝てていいぜ」
「それじゃお言葉に甘えて」
ポポの言葉に答える途中で、水蓮は耐え難い眠気に包まれた。意識は、あっというまに眠りの泉に沈んだ。
◇ ◇ ◇
水蓮は滝の上にいた。
振り返ると、一人の男が真剣な眼差しで水蓮を見つめていた。
「水蓮、聞いてくれ」
男は水蓮を抱きしめると、耳元で囁いた。
「あいつは天才だ。少しでも隙を見せると、あっという間にやられちまう。だから俺は、お前の記憶に術をかける」
「術?」
「お前の中にある、俺の記憶を封じる」
「あなたの?」
「そうだ。あいつは心を読む。お前がなぜ向こうの世界に行ったのか、お前の本当の力がどんなものなのか、その記憶は土壇場になるまで封じる」
「あなたのこと……忘れるの?」
「水蓮、わかってくれ」
男は、泣きそうになった水蓮を力一杯抱きしめた。
「俺はもう、向こうの世界に戻れない。お前を向こうの世界に送ったら、俺の命はもうない。これが最後の機会なんだ」
「でもそれじゃ……私は何をすればいいのかわからなくなっちゃう」
「少しだけ俺の記憶を残しておく。そうすればきっと、お前がやるべきことは忘れない」
「でも……」
水蓮は男の名を呼んだ。男は優しく微笑み、水蓮の唇を吸った。
「水蓮。俺のことは向こうの世界でも忘れられているはずだ。俺の親友が、俺の痕跡を消しているはずだから」
「どうして?」
「俺がこっちに来たことは、何があっても悟られるわけにはいかない。あいつは一を聞いて十も百も悟る。だから俺のことは、歴史から消すよう頼んだ。あいつが俺のことを思い出さないように」
「そんなにすごいの、そいつ?」
「そうだ。頭も切れるし、力もある。覚えておいてくれ、あいつは死者をよみがえらせるなんて朝飯前の、とんでもないやつだってことを」
男が水蓮に術をかけると、水蓮は、一番大切なものが急速に薄れていくのを感じた。
「頼む。頼むぞ、水蓮。お前だけが最後の希望だ」
「うん……あなたのこと、絶対に思い出すわ。そして……」
そして、鬼を倒す。
水蓮はその言葉と共に、滝に身を投げた。




