峡谷渡り
辺りが明るくなり始めた頃、火の消えた薪の前でいつの間にか眠っていたソルが顔を上げる。
どれくらい眠っていたのかは定かではないがここまでの強行軍を想えば少しは休息がとれたのではないかと感じた。
しかし充分な休息とは言い難い。目元にはまだ隈がうっすら浮かんでいる。
日が昇り明るくなったことでようやく対岸へと渡れる。
対岸まで約十メートルは距離が離れており、こちらと対岸を繋ぐ蔦は大小合わせて十数本ほどが絡みあったりして繋がっている。
その中でも一番太い蔦を伝って対岸へと渡る。
蔦の感触はざらざらしており、どちらかというと木の幹に良く似ている。蔦と考えるより木と考えた方が心境的には安心できたため、この感触は有難かった。そう見なければまんま木なのだから。
下を見なければどってことない安定さでゆっくりだが少しずつ進んでゆく。
峡谷に吹く強風にも蔦はまったく揺れない。良く見ると細い蔦でも僅かに揺れる程度なので元々この蔦の種は頑丈なのだろう。
後々思い出したこの蔦の名前はソルが思った頑丈さ体現したような名前で『鉄蔦』と呼ばれるモノだった。
対岸に渡りきった頃には日もすっかり高くなり日差しが強くなった。
峡谷を経て此方とあちらの季節が変わっているようだ。バーレシア国側は初夏のような暑さがあり、春のような暖かさと冷たさがあったあちら側とは急激な温度差だ。
ローブを脱いで暑さを和らげるが日差しの強さで中々汗は引いてくれない。
腕に巻きつくルビは全く動じないようだ。それはラミュースネルの特徴で体内に膨大な水を蓄えていることから日差しの強い砂漠でも生きられる事がその要因だろう。
しかも体が小さくなったことにより省エネになったようだ。
少し羨ましくも思いながらソルは前を向く。
眼前に広がるわびしい森の先に狼煙のような薄く細い煙が上空に上げってゆくのが見えた。
方角はバーレシア王国の方ではなくペラエス国側の南寄りだ。
何か起こったのかと訝しげに見るがその事に構っていられるほどの余裕はソルにない。
一瞥しただけで反対方向であるバーレシア王国に向かって歩き出した。
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辺りは爆心地の如く焼け焦げ木々が吹き飛ばされている。
至るところには人だったものの黒焦げた姿が横たわっており個人の判別はつかない。
生きている者の居ない惨状の中で僅かに動く者の姿があった。
年の頃は二十代後半の若い青年だ。
煤汚れ身体のいたるところに裂傷が走るボロボロの姿ではあったが胸が上下に動き息をしている。
また汚れ、破れてはいるが衣服は上質なもので華美な装飾がついていることからその人物が高貴な出であることが分かる。
顔立ちも整っており灰銀の長髪は後ろで一つ結ばれ、白磁のような白い肌に僅かに開いた瞳は深い瑠璃色をしている。
浅い息を吐いていた青年は徐に片手を瞼の上に押し乗せ小さく言葉を吐き出した。
「…なぜだ…オーエン…!」
呟いた言葉は真っ青な空に吸い込まれ虚空に漂った。