第562話「地下迷宮への不時着と、陰鬱なる呼吸」
ホストシステム「マザー・ギガ」の強制オーバーライドにより、奈落へと連れ去られたCEOアルスラーン。往診チームを乗せた馬車は、崩壊する黒鉄の城塞と共に、新大陸の地下に隠された真の暗部――巨大地下重工業都市『ギガ・アンダーグラウンド』へと真っ逆さまに落下します。暗黒の地下世界への不時着、そしてそこに蠢く新たな勢力と、かつてない「地下特有の病理」を描写いたします。
吹き荒れる赤黒い熱風と、引き裂かれる金属の悲鳴。
落下する昇降機の瓦礫群と、黒鉄のタワーの残骸が激しく衝突し火花を散らす中、ガストンの操る馬車は宙を舞っていた。
「死ぬんじゃねえぞ、お前ら! 舌を噛まねえようにしっかり踏ん張りやがれッ!」
ガストンがちぎれんばかりに手綱を引き絞る。
「哭、影の展開を最大に! 衝撃を吸収するための『肉厚の闇』で馬車の底部を覆いなさい!」
「分かってるって、相棒! clinical に見て、この速度での激突は一発アウトだ! ――『影幕・泥濘』ッ!」
哭の全身から噴き出した漆黒の影が、馬車の車体と車輪、そして馬たちの脚を幾重にも包み込み、まるで柔軟なクッションのような巨大な闇の繭を形成した。
ズズウウウウウンッ!!!!
鼓膜を破らんばかりの凄まじい衝撃音と共に、馬車は地下の鉄の床へと不時着した。
哭の展開した影の繭が引き裂かれ、凄まじい摩擦熱を上げて霧散する。馬車は数回転しそうになりながらも、ガストンの超人的な手綱捌きと、影の減速効果によって、奇跡的に横転を免れて停止した。
「はぁ……はぁ……、みんな、無事ですか!?」
枢が真っ先に、馬車の奥で身を縮めていたハクとリナに駆け寄る。
「は、はい……! どこも骨折はしていません、リナちゃんも無事です!」
ハクが泥だらけの顔でリナを抱きしめながら答えた。リナも小さく深く頷き、無事を知らせる。
「へっ、clinical に見て……九死に一生、ってやつだな。だが、おっさんの馬車はもう車軸がイカれちまった。これ以上走らせるのは無理だぜ」
哭がふらつきながら馬車から降り立ち、周囲の暗闇を見渡した。
そこは、地上からは想像もつかないほど、広大で陰鬱な「地下の世界」だった。
天井は見えず、ただ無数の錆びついた鉄パイプや魔導配管が、まるで巨大な怪物の血管のようにのたうち回っている。そこから滴り落ちるドス黒い廃水が、鉄板の床に冷たい音を立てていた。空気は重く、そして不気味なほど「湿っている」にもかかわらず、その水分は生命を潤すものではなく、金属やカビの腐臭を帯びた、生温く澱んだ『湿邪(しつじゃ:重く滞る水毒)』に満ち満ちていた。
「……これは、地上とは真逆の病理ですね」
枢が周囲の淀んだ空気を胸に吸い込み、眉をひそめた。
「地上はすべてを干からびさせる『燥邪』の支配でしたが、この地下世界は、水分が排出されずに腐敗し、滞る『湿邪』の牢獄です。東洋医学において、湿邪は重濁で粘滞する性質を持ちます。人体の『脾(胃腸)』を傷つけ、気血の巡りをドロドロに停滞させ、身体を鉛のように重くさせる、極めて厄介な邪気です」
「お、おい……、先生。確かに、さっきから妙に足腰が重くて、力が入らねえぞ……。ただの落下の疲労じゃねえ」
ガストンが戦斧を杖代わりにしながら、億劫そうに息を吐いた。
彼のような強靭な剛力を誇る戦士でさえ、この地下の『湿邪』に包まれた瞬間から、経絡の流れが泥に足を取られるように鈍っているのだ。
「はい。この地下に長居すれば、いずれ全員の身体が内側から『カビ』と『泥水』に支配され、動けなくなってしまいます。一刻も早く、連れ去られたアルスラーンの行方を突き止め、このシステムを停止させねばなりません」
枢が周囲を警戒しながら歩き出した、その時。
錆びついた巨大なサイロの影から、音もなく、数人の「異形の集団」が往診チームを取り囲むように現れた。
彼らは地上のギガワークス職員とは全く異なる、奇妙な装飾の防護マスクを着用していた。
その防護服はツギハギだらけの耐酸性シートで作られており、手には工具を改造したと思わしき、不気味な槍やボウガンを握っている。何より異様なのは、彼らの露出した首や手首の皮膚に、魚の鱗のような「黒い湿疹」や、異常な浮腫がびっしりと発生していることだった。
「地上の、ギガワークスの手先か……? いや、衣服の認証コードが違う。お前ら、何者だ!」
哭が短剣の切っ先を突き出し、鋭く問いただす。
「……ギガの手先だと? 吐き気のする言葉を吐くな、地上の陽光を知る者どもが」
集団の先頭に立つ、仮面をつけた小柄な人影が、カサカサと掠れた低い声で応じた。
その声には、地上への深い憎悪と、この地下世界で数世代にわたり生き延びてきた者特有の、暗く冷酷な響きが宿っていた。
「我らはギガワークスの『廃棄物』。この暗黒の地下重工業都市に投棄され、泥水をすすりながら生きる、墓場の住民だ」
「廃棄物……? ギガワークスは、使えなくなった労働者や、規格外の人間をこの地下へ遺棄しているのですか……!?」
ハクが衝撃に目を見開く。
「そうだ。地上の能率に追いつけず、経絡が摩耗した者は、システムから『不良品』としてこの奈落へパージされる。そしてここでは、地脈から噴き出す毒水と湿気によって、肺も肉体もドロドロに溶け落ちるのを待つだけ……。だが、なぜギガの最高シンボルであるタワーが崩壊し、お前たちが落ちてきた?」
「私たちは、地上のギガワークスの支配を打破し、CEOアルスラーンを追ってここまで来ました。彼はシステムの暴走によって、この地下深部へと強制回収されたのです。私たちは彼を救い、この搾取の根源である『マザー・ギガ』を止めるために往診に来ました」
枢が防護集団に向かって、一歩前に出て静かに、しかし力強く語りかける。
「救う、だと……? アルスラーンを? 冗談を言うな!」
リーダーらしき人物が、マスクの奥で激しく嘲笑した。
「あの男こそ、我らをゴミのように地下へ叩き落とした元凶だ! その男を救うなど、絶対に許さん。お前たちがギガの敵であろうと関係ない。地上の余所者を、このまま生かして帰すわけにはいかないのだ!」
「待ってくれ! clinical に見て、あんたたちのその身体、もう限界のはずだ。そんな浮腫みきった手足で武器を振り回せば、経絡が弾けて二度と歩けなくなるぜ!」
哭の言葉が、地下住民たちの一瞬の動揺を誘った。
確かに彼らの呼吸はひどく浅く、構える武器を持つ手は、極度のむくみと関節の痛みで激しく震えていた。
「黙れ……! 我らの『湿りの病』は、この地下で生きるための対価だ! 殺せ!」
リーダーの号令と共に、地下住民たちが一斉に襲いかかってきた。
「やむを得ません……! 彼らを傷つけず、その重く澱んだ『水毒』を今すぐ発散させます!」
枢は往診鞄から、極太の、陽光のように黄金色に輝く『温鍼』を素早く抜き放った。
地下に渦巻く生温い『湿邪』を吹き飛ばし、彼らの強張った肺と胃腸に本来の「温燥の気」を取り戻すための、聖鍼師の新たなる戦いが、この暗黒の地下世界でいま幕を開けるのだった。
第562話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、崩落するタワーと共に暗黒の地下重工業都市『ギガ・アンダーグラウンド』へと不時着した往診チームの苦闘と、地上の乾燥(燥邪)とは真逆の病理である、すべてを重く淀ませる「湿邪」に苦しむ地下の遺棄労働者たちとの遭遇を描写いたしました。使えなくなった人間をゴミのように地下へ廃棄するギガワークスの真の狂気に対し、枢先生が「湿邪」を払う温かい鍼でどのように立ち向かうのか、これからの地下迷宮攻略編をどうぞご期待ください。
さて、今回は作中の地下住民たちのように「過度な湿気や梅雨の季節、または冷たい飲み物や生ものの摂りすぎ(湿邪)によって、体内に余分な水分が溜まり、身体や足腰が鉛のように重く怠くなったり、手足がパンパンに浮くみ、胃腸が冷えて下痢や食欲不振、吐き気などの消化不良に襲われた時」に、体内の余分な湿気(水毒)を劇的に発散させ、胃腸を温めて気血の巡りを軽やかに蘇らせてくれる足の最高特効穴をお届けします。
今回ご紹介するのは、足のすねにある、全身の湿気を追い払う名穴『豊隆』です。
場所は、**すねの真横側にあり、膝のお皿の下の外側のくぼみ(外膝眼)と、外くるぶしの頂点を結んだ線のちょうど真ん中(すねの骨の外側の筋肉が、最も盛り上がっているところ)**にあります。
東洋医学において、ここは「足の陽明胃経」に属し、体内の余分な水分や脂肪、老廃物である『痰湿』を強力に体外へ排出する、水毒治療の最重要拠点です。湿気によって身体が重く怠くなっている時は、この『豊隆』の周囲がむくんでプヨプヨしていたり、押すとズーンと強い痛みを感じます。ここを適切に刺激することで、作中の枢先生が温鍼を放ったように、停滞していた水分代謝(脾の運化作用)が劇的に高まり、おしっこや汗として余分な水分が抜け、足腰が羽が生えたように軽くなります。
ケアする場合は、親指の腹をツボに当て、すねの骨に向かって、強めのイタ気持ちいい圧で5秒間押し込むのを左右交互に10回ほど繰り返してみてください。また、親指で上から下に向かって、すねの外側の筋肉を強くこすり流すだけでも効果は絶大で、暗黒の地下世界の湿邪に立ち向かう枢先生たちのように、体内の澱みを一掃し、すっきりと軽やかな心身を取り戻すことができますよ。
次なる第563話は、明日**7月19日(日曜日)の【12:00】**に更新を予定しております。地下住民たちの激しい攻撃を、枢先生の「温燥の鍼」はどのように鎮めるのか!? どうぞお楽しみに!




