第531話「新天地の港町!横暴なる検問と聖鍼の目覚め」
長きにわたる海域の五邪(寒・暑・湿・燥・風)との戦いを終え、ついに新大陸の巨大な港町へと辿り着いた往診チーム。しかし、気候の歪みが解決して平和になったはずのその街で彼らを待ち受けていたのは、人間の悪意と、過酷なストレスがもたらす理不尽な横暴でした。
新たな地で始まる往診譚、ランチタイムのお供にどうぞお楽しみください。
「――見えたわ! 陸地よ! 本物の、大きな街が見える!」
魔導船の船首から身を乗り出し、黄金色の髪を潮風になびかせながら、リナが歓喜の声を上げた。
彼女の指し示す先、水平線の向こうから霧を割って姿を現したのは、白壁の美しい建物が整然と並ぶ、新大陸最大級の港町『サンタ・ルチア』であった。
つい数日前まで、この海域は『五邪』と呼ばれる凶悪な異常気象の混沌に支配され、一歩足を踏み入れれば生きては戻れない死の海と化していた。しかし、往診チームの長きにわたる命懸けの臨床――特に枢が放った気血の神技によって、海の経絡は完璧に修復され、今や空にはどこまでも澄み渡る青空と、穏やかな波だけが広がっている。
「ふぅ……。やっと、やっとベッドで足を出して寝られるのね……。湿気でジメジメしたデッキともおさらばよ!」
「ハハ、リナさん、気が早いよ。でも、本当に無事に接岸できそうで良かった。魔導船のエネルギータンクも、あの五邪との最終決戦で完全に空っぽだからね。まずはこの街で補給とお休みだよ!」
操舵室から顔を出したハクが、計器の電源を落としながらホッとしたように笑う。オークの巨漢ガストンも、太い腕で舵輪をがっちりと固定し、「俺の自慢の筋肉も、さすがにあの泥の海を相手にして少々凝り固まっていやがった。美味い酒と肉で、まずは血流を良くしねえとな!」と豪快に笑った。
だが、魔導船がゆっくりと大理石で組まれた頑丈な埠頭へと接岸し、往診チームがタラップを降りたその瞬間、港の和やかな空気は一変した。
「おいおいおい! 待ちやがれ、見慣れねえドブネズミどもが!」
金属製の重々しい鎧をガチャつかせ、品性のない足音を響かせながら、十数人の武装した衛兵たちが往診チームを包囲するように立ち塞がった。その先頭に立つのは、口ヒゲを不自然に釣り上げ、三白眼の鋭い目でこちらを睨みつける大柄な男――衛兵隊長のバザルであった。
バザルは腰の長剣の柄にこれ見よがしに手をかけ、威圧的な態度で枢たちをねめつける。その顔色は酷く土気色で、目の下にはどす黒いクマが刻まれ、額には青筋が不気味に浮き上がっていた。明らかに尋常ではない苛立ちと、攻撃的なオーラがその全身から肉食獣のように溢れ出ている。
「このサンタ・ルチアの港は、偉大なる領主ルクレツィア様の領地だ。素性の知れねえ異国船が接岸するにゃあ、厳重な検問と……それ相応の『誠意』が必要なんだよ。ほら、まずは上陸税として、一人頭金貨5枚だ。それと、そこの怪しい魔導船は押収、あるいは特別査定料として金貨100枚をここに差し出してもらおうか!」
「はぁ!? 金貨5枚って、普通の町人が1ヶ月暮らせる額よ! それに船の押収だなんて、そんな無茶苦茶なルールがあるわけないじゃない!」
リナが真っ先に一歩前に出て猛抗議した。当然の主張である。だが、バザルはその言葉を聞くや否や、獣のような咆哮を上げて剣を半分引き抜いた。
「うるせえ! ルールは俺が、いや領主様が決めるんだよ! 払えないってなら、その小綺麗な面を叩き割って、奴隷市場に叩き売ってから船を分捕るだけだ! おい、この生意気な女を捕らえろ!」
背後の衛兵たちが一斉に槍を構える。周囲にいた街の市民や行商人たちは、その光景を見るなり「また始まった……」「逆らったら殺される、早く逃げろ」と、怯えた表情で一斉にクモの子を散らすように距離を取った。この港町では、こうした理不尽な搾取と暴力が日常茶飯事となっているようだった。
「……客観的に見て、きわめて脳の血管が詰まっているような愚行だな。己の浅薄な物欲のために他者を害する。そんな時間があるなら、そのひどい顔面の血流を心配したらどうだ、下俗が」
往診チームの背後から、漆黒の外套をまとった哭が冷ややかに言い放った。その深紅の瞳には、路傍の石ころを見るような冷徹な蔑みが宿っている。
「んだとコラぁ! 命が惜しくねえようだな、貴様ら!」
完全に頭に血が上ったバザルが、怒り狂って長剣を完全に引き抜き、リナの頭上めがけて容赦なく振り下ろした。ギャラリーの悲鳴が響き渡る。
だが――その刃がリナの髪一筋に触れるよりも早く、往診チームの中心にいた白い医療着の青年が、まるで最初からそこにいたかのように、バザルの懐へとスッと滑り込んでいた。
「――そこまでです」
枢の白銀の瞳が、静かな, しかし圧倒的な威厳をもってバザルの目を正面から射抜いた。
その細くしなやかな指先が、バザルの分厚い鉄製の胸当ての隙間を縫い、首筋のやや右側にある、ドクドクと激しく脈打つ一点へと正確無比に突き立てられた。鍼を取り出すまでもない。ただの指先による、電撃のような一突き。
「がっ……あ、あ、あああァァァッ!?」
バザルの口から、聞いたこともないような奇妙な絶叫が漏れた。
振り下ろされるはずだった長剣が、カランカランと虚しい音を立てて大理石の床に転がる。バザルは両手で己の首を押さえ、まるで全身の骨を抜かれたかのように、その場にズドォォォンと膝を突き、激しく身悶えを始めた。
「た、隊長!? 何をしてるんです、早くそのガキを……!」
周囲の衛兵たちが慌てて駆け寄ろうとするが、バザルはそれを手で制し、地面に這いつくばったまま、激しく肩を上下させて呼吸を繰り返していた。その顔は見る見るうちに真っ赤に染まり、目からは大粒の涙がボロボロと溢れ出している。
「あ……あ熱い……! なんだこれ、首の後ろから、頭のてっぺんに向けて、もの凄ぇ熱い塊がドクドクと暴れてやがる……! いや、違う、これは……めちゃくちゃ、気持ちがいい……!?」
バザルは己の頭を抱えながら、恍惚とした表情で涙を流し続けた。
「今、あなたの『人迎』というツボを突きました」
枢は冷徹に、しかしどこか慈悲深い声で、膝をつく巨漢を見下ろしながら静かに語りかけた。
「首の頸動脈の上にあるこのツボは、体内の血圧を劇的にコントロールし、頭部に上りすぎた過剰な『気血』を一気に引き下げる要所です。バザルさん、あなたは強欲だから暴力を振るっていたのではない。過酷なノルマ、上からの理不尽なプレッシャー、そして休むことの許されない極限のストレスのせいで、脳の血管がガチガチに収縮し、常に激しい頭痛とイライラに苛まれていた。だから、目の前の人間に当たり散らすことでしか、その苦痛を紛らわせられなかったのではないですか?」
その言葉は、バザルの心の最も深い部分を正確に射抜いた。
「な、なんでそれを……! そうだ、そうなんだよ! 領主のルクレツィア様が、最近急に『もっと金を隠せ、もっと民を働かせろ』って無理難題ばっかり言ってきて、失敗したら即処刑だって脅されて……! 俺は毎日、頭が割れそうに痛くて、夜も一分も眠れなくて、気が狂いそうだったんだ……!」
バザルは子供のようにワンワンと声を上げて泣きじゃくった。
ツボを突かれたことで、数ヶ月間彼を苦しめていた頑固な偏頭痛が一瞬で消え去り、脳に新鮮な血液と酸素が行き渡っていた。視界は驚くほどクリアになり、ガチガチだった首や肩の強張りが嘘のように解けていく。体が軽い。心が、温かい。血が巡るというのは、これほどまでに涙が出るほど心地よいことだったのか。
「お、俺は……なんて愚かで、酷いことを街の人々に……! 申し訳ねえ、申し訳ねえ……!」
頭を地面に何度も擦り付け、これまでの悪事を本気で悔い改めるバザルの姿に、槍を構えていた衛兵たちも「あの鬼の隊長が泣いて謝ってる……」「嘘だろ……」と、完全に戦意を喪失して武器を降ろした。
バザルは涙を拭うと、枢の前に跪いたまま、その衣服の裾にすがりつくようにして見上げた。その目には、先ほどまでの凶暴さは微塵もなく、救世主を仰ぎ見るような純粋な輝きが宿っていた。
「神医の旦那……いや、聖鍼の神様! お願いだ、俺を……俺たちを救ってくれ! 悪いのは俺だ、だが、今の領主様はもっと異常んだ! 半年前からまるで別人のように冷酷になっちまって、街から笑顔を奪い、民を過労死するまでコキ使ってやがる! 街の奥には、領主様を裏で操り、人々のストレスから『負の魔力』を吸い上げているという不気味な男――魔王軍の幹部が潜んでいるんだ!」
「魔王軍の幹部……!」
リナがハッと息を呑む。
枢は静かに目を閉じ、世界の経絡の響きを聴くように大気の流れを感じ取った。この美しい港町の奥底から、確かに、どす黒く凝り固まった「巨大な不調の気配」が街全体を侵食しているのが分かった。
「……分かりました。バザルさん、あなたの治療はこれで終わりです。もう、理不尽に他者を傷つける必要はありません」
枢が優しく微笑み、バザルの肩に手を置く。バザルはガタガタと震えながら、「旦那……! 俺、これからは心を入れ替えて、旦那たちの手足となって働きます! 領主の館への隠し通路も、衛兵の配置も全部案内する! だからどうか、この街を、領主様を救ってくれ!」と力強く叫んだ。
心強い協力者となったバザルを仲間に加えた往診チーム。
世界を過労とストレスの闇で支配しようとする魔王軍の本拠地へ向けて、枢たちの世直し往診旅の、真に熱き第一歩が今、ここから始まるのだった。
第531話をお読みいただき、ありがとうございました。
バザル隊長、ツボを突かれてすっかり毒気が抜け、心強い協力者になってくれましたね。
今回は、一日のすべての疲れをリセットするためのお役立ちツボ知識をお届けします。
作中で枢先生がバザル隊長のイライラと頭痛を一瞬で消し去ったツボ「人迎」。これは私たちの体にも当然存在します。
場所は、のどぼとけのすぐ両脇、指幅1.5本分外側の、ドクドクと脈を感じる頸動脈の上にあります。東洋医学において、ここは「気の通り道」の要所であり、ストレスや過労で頭に血が上りすぎている(高血圧状態やイライラ)の時に、その熱をスッと下に引き下げてくれる万能の血圧調整弁です。
※注意:ここは太い血管がある非常にデリケートな場所ですので、作中のように強く突くのは絶対にNGです!
ご自身でケアする場合は、人指し指と中指の腹を優しくツボに当て、皮膚を軽く下に押し下げるように、本当に「優しく、撫でるように」3秒間、左右交互に刺激してあげるだけで十分です。これだけでも、パソコン作業や人間関係のストレスでガチガチになった脳の緊張がほぐれ、頭が軽くなりますよ。
バザル隊長の案内のもと、往診チームはいよいよストレスの元凶である領主の館へと向かいます。そこに待ち受ける魔王軍の幹部の陰謀とは――?
次なる第532話は、本日夜の21:00に定期更新を予定しております。新章に突入し、ますます加速していく往診チームの旅を、どうぞお楽しみに。




