第498話「紺碧(こんぺき)の航路と、空から舞い降りた影」
日曜日のお昼休み、週末の穏やかなひとときにお届けするのは、第498話です。
前回の21時更新では、無事にサン・バルサ島の往診を終えた一行が、夜の帳の中で名穴「安眠」の養生を行い、深く穏やかな眠りにつきました。
今昼描かれるのは、翌朝、完全に疲れを癒やした往診チームが、次なる目的地へと向かって大海原を進む旅路の始まり。
どこまでも青い空と海が広がる中、魔導船に思わぬ「空からの異変」が接近します。新章の新たなる幕開けを、お昼のひとときにどうぞお楽しみください。
「うわぁ……! 見て見て、シオンちゃん! 海が、昨日よりもずっと深い青色になってるよ!」
ネネが魔導船の船首から身を乗り出し、真っ白な飛沫を上げて進む海面を指差して歓声をあげた。
サン・バルサ島を旅立った翌日、日曜日の昼。
往診チームを乗せた船は、雲一つない快晴のもと、穏やかな西海を順調に西へと進んでいた。頭上にはどこまでも高い青空が広がり、降り注ぐ初夏の太陽が、まるで一行の新たな旅路を祝福しているかのようだ。
「ええ、この海域は水深が急激に深くなっているため、気血で言えば、まさに『腎』の精気が満ち満ちているような色ですね」
シオンが風に長い髪をなびかせながら、手にした魔導書の頁を静かにめくる。
「ふん、ゆうべ教えてもらったツボのおかげで、実に素晴らしい目覚めだったよ。長旅の疲れが、まるで嘘のように指先まで軽い。これならどんな未開の島へ着こうと、いくらでも天球儀を回せそうだね」
ハクが片眼鏡をキラリと光らせ、水平線の向こうへ向けて視界を調整していた。
「おうよ! 俺も腹の底から力が湧いてくるぜ。おいお前ら、お昼の準備ができたぞ。今日はサン・バルサの職人たちが持たせてくれた、干し魚と地元のハーブを使った特製の船上飯だ!」
ガストンが大きな樽を抱え、デッキの中央にドスンと置いた。樽からは、魚介の旨味と爽やかな香草の匂いが湯気とともに立ち上り、ネネのお腹が可愛らしく「きゅ〜」と音を立てる。
「わぁ、おいしそう! 先生、早く食べよう!」
「ふふ、そうですね。大自然の恵みをいただくことは、五臓の『脾胃』に直接エネルギーを補給する、最も原初的で効果的な養生です。皆さん、しっかり食べてこれからの旅に備えましょう」
枢が往診鞄を傍らに置き、穏やかな笑みを浮かべてお椀を配り始めた。
島での激務を乗り越え、自分たちの身体も完璧に整えた往診チーム。
和やかな空気の中、全員が温かいスープを口に運ぼうとした――その時だった。
「……待て。上空から、妙な魔力の波動が接近している」
リナがスープの手を止め、鋭い目付きで愛用の魔導銃を肩に担ぎ直した。その視線の先、太陽の眩しい光の奥から、一つの「小さな影」が猛烈な勢いで船に向かって落下してくるのが見えた。
「鳥……? いや、違うよ! 何か大きな生き物が、羽をバタバタさせてる……っ!」
ネネが叫ぶ。
バササササッ! と、激しい羽音とともに船のメインマストの頂点に降り立ったのは、一羽の美しい『白銀の鷹』だった。
しかし、その鷹の様子は明らかに異常だった。鋭いはずの瞳はどこか虚ろで、呼吸はゼーゼーと激しく乱れ、白銀の羽毛の隙間からは、ドロリとした焦茶色の「不自然な体液」が滲み出している。
「あれは……ただの野生の魔獣ではありません。伝書用の魔導生物――それも、高度な術式で編まれたものです!」
シオンが魔導書を掲げ、鷹の周囲を取り巻く歪んだ魔力の糸を鋭く見抜いた。
キィィィー――!
鷹は悲痛な鳴き声をあげると、そのまま力尽きたようにマストから真っ逆さまにデッキへと落ちてきた。ガストンがその大きな両手で、間一髪、壊れ物を扱うようにその身体を受け止める。
「おいおい、ひでえ熱だ。まるで身体の奥で炭でも燃えてるみたいに、皮膚がジリジリしてやがるぞ」
ガストンが顔を顰める。
枢がすぐに駆け寄り、鷹の細い脚にそっと触れた。その脚には、小さな筒が括り付けられており、中には一枚の汚れた羊皮紙が丸められていた。
「……『救いを求む。我が島を襲うは、目に見えぬ呪いか、あるいは……』。文字が血と泥で汚れていて、ここから先が読めません」
書類を確認したシオンが、緊迫した声をあげる。
「枢先生、この子の状態は……!?」
ネネが心配そうに覗き込む。
枢は鷹の胸元にそっと指先をあて、その微弱な脈動と、体内を巡る異様な気の乱れを観察した。
「……極度の『熱毒』が、この子の経絡を内側から焼き尽くそうとしています。おそらく、このSOSを発信した目的地――私たちが向かっている次なる孤島では、通常の傷病ではない、何か恐ろしい『疫病』が広がり始めている可能性があります」
枢の目が、医療従事者としての冷徹で、かつ深い慈愛を宿した光へと変わる。
「ハクさん、船の速度を最大に。リナさん、周囲の警戒をお願いします。この子の一命を取り留めながら、私たちは一刻も早く、この叫びが聞こえた海域へと向かわねばなりません」
「ふん、望むところさ。私の天球儀が、退屈な旅はここまでだと告げているようだね」
ハクが不敵に笑い、船の操舵輪を大きく切った。
魔導船は白い波飛沫を激しくあげながら、未知の病巣が待つ、さらに深い青の海へと加速していくのだった――。
第498話「紺碧の航路と、空から舞い降りた影」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
日曜日の昼にふさわしい爽快な旅立ちから、一転して次なる事件の幕開けとなる「空からのSOS」を描かせていただきました。
往診チームが次に向かう島で待ち受ける、未知の「熱毒」を伴う病。これまでとは質の違う、より clinical で緊張感のある医療ドラマの展開を感じていただけていれば幸いです。
今回、枢先生が瀕死の魔導生物(鷹)の状態を診て指摘した、東洋医学における「熱毒」の概念について少し解説いたします。
東洋医学において「熱毒」とは、外から侵入した強力な病原体(外邪)や、体内の激しい炎症、あるいは強い精神的ストレスや環境の悪化が体内で化学反応を起こし、気血を激しく燃え上がらせて組織を損傷する「極めて急進的で破壊的な熱性病態」を指します。
これは、単なる「風邪による発熱」とは異なり、高熱とともに意識の混濁、激しい痛み、あるいは不自然な分泌物(鷹の焦茶色の体液など)を伴うのが特徴であり、一刻も早くその熱を冷まし、毒を体外へ排出する(清熱解毒:せいねつげどく)治療が最優先されます。
現代においても、夏の強い日差しによる熱中症や、急激なウイルス性の高熱などは、この「熱毒」の範疇として非常に厳重に管理される病態です。
瀕死の鷹を救い、SOSの主が待つ謎の孤島へと針路を急ぐ往診チーム。
次なる第499話は、本日日曜日の【21:00】に更新予定です。
一日の終わりに、この新たな危機のプロローグの続きをどうぞお楽しみに!




