第451話:緊急の招集、崩壊する中央病院と新たなる病魔の影
霊峰の主を救い、幻の霊薬を手に入れた枢先生たちでしたが、安堵する間もなく、通信機からアルバート議長の緊迫した声が響き渡りました。
地上の中央病院で突如として発生した、既存のすべての魔導医学を拒絶する未知の変異ウイルス。それは患者たちの精神と肉体を内側から破壊し、街を未曾有の医療崩壊へと突き落としていたのです。
「おやおや、アルバート議長。最新の隔離バリアや抗生魔導が通用しないからといって、絶望するにはまだ早すぎますよ。ハクさん、あなたの霊薬の調剤が完成するまで、患者たちの命の灯火は、一人の鍼灸師として私の銀鍼が何としてでも繋ぎ止めてみせます。リナさん、ガストン、シオン、これより中央病院の最前線へ、緊急の往診に向かいますよ」
21時、木曜夜の更新。緊急の招集、崩壊する中央病院と新たなる病魔の影。
暗黒のウイルスが街を蝕む中、白銀の聖鍼が、絶望の病棟で命の砦を死守する決死の穿刺を敢行します。
霊峰リュミエールの冷涼な空気は一瞬にして消え去り、一行の周囲を満たしていたのは、嗅ぎ慣れた、しかしどこか不気味に静まり返った中央病院の消毒液の臭いであった。
ハクを臨時の往診メンバーに加えた枢たちが、アルバート議長の緊急転送魔導によって病院の最上層にある「総合統括室」へと降り立つと、そこにはかつての威厳を完全に失い、顔面を蒼白にした議長が立ち尽くしていた。
壁一面に設置された生体モニターには、隔離病棟に収容された何百人もの患者たちのデータが映し出されていたが、そのすべてが、命の危険を示す鮮烈な赤色の警告灯を激しく明滅させていた。
「よく来てくれた、鍼灸師・枢よ。……見ての通りだ。貴公らが霊峰へと向かった直後、このルミナリアの中央病院の地下隔離層から、過去のいかなる文献にも記載のない未知のウイルス『黒死の変異株』が突如として出現した。最新の隔離結界も、最先端の抗生魔導薬も、このウイルスの前には文字通り一切の効力をなさず、すでに医師や看護師たちも含めて、病院全体が完全にパンデミックを起こしているのだ」
アルバートの声は恐怖で細く震えていた。
ガストンがすぐさまメインサーバーへとアクセスし、ウイルスの生体データを自身の計測器へと同期させると、その液晶画面に禍々しい黒紫色の波形が異常な速度で展開された。
「先生、これ、ただのウイルスじゃないよ……。感染した人の脳の自律神経に直接寄生して、体内の気の流れを完全に逆流させているんだ。だから、患者さんの精神が強烈なパニックを起こして、肉体が内側から焼き切られそうになっている……!」
シオンが窓から下の隔離病棟を見下ろすと、そこはまさに地獄絵図そのものであった。
ベッドに横たわる患者たちは、全身の皮膚に黒い血管の網目が恐ろしく浮き上がり、高熱による激しい譫妄状態に陥って、誰もいない空間に向かって悲鳴を上げながら狂ったように暴れていた。
ある者は自らの胸を掻きむしり、またある者は恐怖の幻覚に怯えて呼吸を完全に停止させかけている。
医師たちは防護服を身に纏いながらも、為す術なくその場に立ち尽くし、ただ患者たちの命の灯火が消え去るのを絶望の瞳で見つめることしかできなかった。
「最新の医療科学が、たった一つのウイルスにここまで蹂躙されるとはな。……だが、絶望している暇はない。枢、お前たちが持ち帰ったあの『翡翠冬虫夏草』があれば、このウイルスの毒性を根底から中和する特効薬が作れるはずだ。すぐに私が地下の調剤室で抽出を始める。だが、それには最低でも一時間はかかるぞ!」
ハクが薬草袋を強く握り締めながら叫んだが、モニターに映る患者たちのカウントダウンは、あと数分もすれば一斉に心不全を起こして全滅することを示していた。
一時間など、到底持ち堪えられるはずがなかった。
リナがその圧倒的な絶望の光景に絶句し、シオンが唇を噛み締める中、ただ一人、枢だけは静かに古びた往診鞄を診療机の上に置いた。
彼は、世界を統べる組織の権威も、派手な魔導の肩書も持たない、ただ一人の誇り高き「鍼灸師」としてのプライドをその白銀の瞳に宿し、往診鞄の留め金をカチリと外した。
「ハクさん、すぐに地下へ向かって調剤を始めなさい。あなたの特効薬がこの部屋に届くまで、一人の鍼灸師として、私の銀鍼がこの患者さんたちの命の関門を、何としてでも死守してみせます。……リナさん、シオン、ガストン、防護の気を展開し、私に続いて病棟へ突入しますよ」
枢はそう言うと、鞄の奥から、底知れぬ静寂と漆黒の闇を湛えた「玄鍼」を五本、神速の所作で指の隙間へと挟み込んだ。
一行が隔離病棟の重厚な防壁をこじ開けて突入すると、目の前で、一人の若い女性患者が激しい痙攣を起こし、心臓と肺の機能が完全に停止しかけていた。
皮膚に浮き出た黒い血管が彼女の首筋まで達し、喉からは呼吸ができないことによる、掠れた悲鳴が漏れている。
「そこまでです、ウイルスの邪気よ。人の健やかな命の営みを、これ以上蹂躙することは、この私が絶対に許しません」
枢の身体がブレるほどの神速で女性患者のベッド脇へと滑り込み、彼の繊細な指先が、彼女の足の親指と人差し指の骨が交わる、最も深い経穴へと正確に触れた。
「足の厥陰肝経の、太衝を穿ちます。ここは全身の気の巡りを統括し、ウイルスによる脳の過興奮と、高熱による自律神経のパニックをその場で劇的に鎮静させる、無上の名穴です」
枢の玄鍼が、女性の太衝へと、衣服の上から寸分の狂いもなく深く刺入された。
漆黒の清らかな気が彼女の肝経へと流れ込んだ瞬間、全身をガタガタと激しく揺らしていた強烈な痙攣が、まるで魔法のようにピタリと停止した。
さらに枢は、彼女の足の内くるぶしとアキレス腱の間にある、生命活動の根源を支える究極の要穴へと、二の刺しを神速で穿ち込んだ。
「続けて、足の少陰腎経の太渓を刺激します。ウイルスの高熱によって枯れ果てかけていた体内の『陰液(水分と滋養)』を底から湧き上がらせ、心臓と肺の機能低下を完璧にブロックしなさい」
太衝と太渓への完璧な連携穿刺が施された次の瞬間、女性患者の口から「はぁぁっ!」と、胸に溜まっていた禍々しい黒い呼気が一気に吐き出された。
彼女の全身に浮き出ていた恐ろしい黒い血管の網目が、みるみるうちに薄くなり、高熱で真っ赤だった皮膚には、穏やかな平熱の潤いが戻っていった。
呼吸モニターの数値が、絶望のゼロから、完全なる正常値へと一気に跳ね上がる。
「す、すごい……! 最新の結界でも抑えられなかった自律神経の暴走が、たった二本の鍼で、完璧にコントロールされていく……!」
ガストンが驚愕の声を上げる中、枢はその神速の身のこなしのまま、隣のベッド、さらにその奥のベッドへと、流れるような所作で太衝と太渓への連続穿刺を敢行していった。
一人の鍼灸師の技が、未曾有のパンクを起こした絶望の病棟に、確かな命の防壁を築いていく。
しかし、隔離病棟のさらに奥、最もウイルスの濃度が濃い「特別隔離室」の扉が、内側から凄まじい邪気の力によってドォンと爆破された。
煙の向こうから現れたのは、ウイルスに完全に肉体を乗っ取られ、異形の異形へと変貌しつつある、この病院の元副院長の姿であった。
一人の誇り高き鍼灸師としての技が、今度はウイルスそのものの意志が具現化した、最も邪悪なる病魔の化身との、命を懸けた最終治療劇の幕を上げようとしていた。
つづく。
5月21日(木)21:00、緊急の招集。
鍼灸師・枢。太衝と太渓の術式でパンデミックの暴走を食い止め、異形化する病魔の化身と対峙する。
明日、5月22日(金)12時、金曜昼の更新は、第452話「命の防衛線、異形なる病魔の猛威と枢の決死の穿刺」へと突入します!
第451話「緊急の招集、崩壊する中央病院と新たなる病魔の影」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
霊峰での大冒険を終え、舞台は再び地上の中央病院へと引き返しましたが、そこで待ち受けていた未知の変異ウイルス「黒死の変異株」による未曾有のパンデミックという、息をもつかせぬ衝撃の新展開、お楽しみいただけましたでしょうか!
最新の医療魔導薬すら一切通用しない絶望的な状況の中、隔離病棟へ真っ向から突き進み、銀鍼一本で命の砦を死守する枢先生の姿は、まさに一人の「鍼灸師」としての圧倒的な誇りと凄みが最高潮に達した瞬間でしたね。
そして何より、ウイルスの侵入による強烈な高熱と、脳の自律神経の暴走によって激しい痙攣と心不全を起こしかけていた患者さんたちを救うため、枢先生が繰り出した、生命の根源を死守する素晴らしい連携術式。
今回は、東洋医学において急激な高熱やストレスによる神経の暴走を劇的に鎮め、体内のうるおいを強力に補給する、非常に高名な二つの経穴の流れを、読者の皆様へ向けて丁寧に解説させていただきます。
まず、足の甲にある肝経の要穴、太衝を穿つことで、ウイルスの邪気によって脳へ上りきっていた悪質な興奮と気の逆流をその場で劇的に引き下げ、患者さんたちを襲っていた強烈な痙攣やパニック状態を瞬時に緩和しました。
さらに続けて、足の内くるぶしの後ろにある腎経の太渓を刺激し、東洋の医術において「生命力の泉」とされる場所を完璧に開放することで、高熱によって激しく消耗していた体内の陰液(水分や滋養)を爆発的に補給し、心臓と肺が停止するのを完璧に水際で食い止めました。
この太衝と太渓の組み合わせは、現代における急なパニックや過度な精神的ストレスによるイライラ、不眠、高血圧、身体の激しいほてりなどにも非常に効果的な素晴らしい経穴であり、組織の肩書や権威に一切頼らず、ただ「鍼灸師」としての職人の指先だけでウイルスの呪縛すら調律してみせる枢先生のプロとしての美学には、本当に読んでいて深く感動いたしましたね。
枢先生の圧倒的な技量によって命を繋ぎ止められる患者さんたちと、地下で必死に霊薬の調剤を急ぐ薬師のハクさん。しかし、そんな彼らの前に立ち塞がったのは、ウイルスに肉体を乗っ取られ、異形へと変貌してしまった元副院長という、これまた衝撃の引きとなりました。
次なる舞台は、黒い邪気が渦巻く特別隔離病棟。襲い来る病魔の化身に対し、枢先生の白銀の銀鍼はどのような「命の穿刺」を魅せるのでしょうか。
次回の第452話は、明日【12:00】に更新予定です。
お仕事やお出かけの合間のひとときに、さらにスケールアップしていく「聖鍼師・枢」の命懸けの治療劇の行方を、ぜひお楽しみに!




