第384話:零号研究室の鍼灸往診、疫病の王を「慈悲の労宮鍼」で静かな眠りへ
地下迷宮の最深部、零号研究室。そこは、生命の倫理を捨て、ただ「最強の毒」を追い求めた総帥・ヴァルガスの終着駅でした。
彼は自身の肉体に数千種類のウイルスを投与し、自らが「疫病の王」となることで、世界の頂点に立とうとしていたのです。
ドロドロと溶け出した皮膚。脈打つたびに紫色の毒血を周囲に撒き散らす、肉の塊。
「おやおや。シオン。このお方の身体は、もはや一つの生物としての形を保てていませんね。ガストン。目をそらしてはいけません。これが、自然の摂理を無視して『永遠』を求めた者の成れの果てです。総帥。そんなに激しく増殖して、一体何になりたいのですか。痛いでしょう。苦しいでしょう。私が今、その狂った細胞の行進、一鍼の慈悲で止めてあげましょう」
枢先生は、腐食の波動が渦巻く部屋の中心で、一本の瑠璃鍼を、崩壊し続ける王の「核」へと構えました。
12時、正午の往診。零号研究室、生命再編の鍼灸往診。
聖鍼師・枢。銀鍼一本で、狂った命を完治させます。
地上では太陽が最も高く昇る時刻。
しかし、零号研究室には、命を拒絶する「絶対的な死」の波動が満ちていた。
中央に鎮座するヴァルガス総帥だったものは、もはや人間の姿をしていない。
数千のウイルスが互いに食らい合い、増殖と崩壊を秒単位で繰り返す、巨大な肉の火山。
彼が吐き出す呼吸は、金属さえも瞬時にボロボロに腐食させる、高濃度の酸を含んでいた。
「先生、これ以上近づいたらダメです! ヴァルガスの経絡は完全に壊死しているのに、ウイルスが擬似的な神経ネットワークを構築して、無理やり肉体を動かしています! 彼に触れた瞬間に、先生の健全な細胞までが『崩壊の連鎖』に巻き込まれて、一秒でドロドロの液体になっちゃいます!」
ガストンが、崩壊し続ける計測器を投げ捨て、叫ぶ。
シオンが黄金のフラスコを十二個同時に砕き、空間の時間を極限まで遅延させる「時間凍結触媒」の多重障壁を枢の周囲に展開した。
「枢、これが最後だ! 彼の肉体は、すでに死んでいる。だが、その魂だけが、ウイルスという名の地獄に繋ぎ止められているんだ。君が彼の『魂の回路』を見つけ出し、ウイルスの束縛を解かなければ、彼は永遠にこの苦しみから逃れられない。……一瞬だぞ。触媒が溶ける一瞬の間に、その核を射抜くんだ!」
「もちろんです、シオン。おやおや。総帥。もう十分でしょう。あなたはもう、何者にもなる必要はないのです。ただ一人の人間として、静かな眠りにつく権利があるはずです。今、私がその狂った拍動、一刺しで凪に変えてあげましょう」
枢が、腐食の酸が肌を焼く中を、弾丸のような速さで突進する。
彼の指先に挟まれた一本の瑠璃鍼――『慈悲』が、ヴァルガスの放つ「死の波動」を逆に自身の「気」の共鳴板に取り込み、究極の鎮静波動へと変換しているのだ。
枢は、肉の塊の深部で、唯一「人間としての記憶」を宿して激しく震える心臓の、その一点を捉えた。
――スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
一刺し。
枢はヴァルガスの掌の中心、心に平穏をもたらす救済の穴――『労宮』に相当する、魂の接点へ瑠璃鍼を刺入した。
二刺し、三刺し。
続いて、生命の暴走を食い止める背中の『膈兪』、そして精神の乱れを鎮める足の**『神門』**へと、命を削るような集中力で鍼を打ち込む。
「おやおや。長い旅でしたね。さあ、その重い荷物を下ろして、お休みください」
枢の鍼から放たれた波動が、暴走していた数千のウイルスの遺伝子情報を、一瞬で「生命の休止符」へと書き換えていく。
シオンの遅延触媒が枢の気と共鳴し、沸騰していたヴァルガスの肉体は、瞬く間に穏やかな、一点の曇りもない純白の灰へと昇華されていった。
パサリ……。
研究室を支配していた地獄の腐食臭が、一瞬で消え去った。
後に残ったのは、枢が与えた「救済」の気が満たす、祈りのような静寂だけだった。
「はぁっ、はぁっ。止まった。……。崩壊が、……止まったんだ。先生の鍼が、……地獄そのものだったヴァルガスの『存在』を完治させちゃったんだ」
ガストンが、灰となった総帥の跡に一輪の白い花が咲いているのを見つけ、膝をついて祈りを捧げた。
「もう大丈夫ですよ。どんなに深い闇に落ちても、一筋の光があれば、人は人間として還れるのですから」
枢の処置は、呪われた生命の輪廻を断ち切り、魂をあるべき場所へと還す、鍼灸師としての「再編」の往診だった。
「バ、バカナッ。……。万物を腐食させるあの最強の疫病回路を、……。……ただ数本の鍼による精神穴の調整と、……魂の経絡再編だけで、一瞬にして天国への道標に変えてしまったというのか!! コレガ、完全復活した枢と、シオンによる、死の淵さえも救済の場に変える『慈愛の往診』だというのか!!」
ガストンは、地下迷宮の底に天からの光が差し込み、灰が光の粒となって舞い上がる光景を見て、枢の背中に、この世界のすべての痛みを背負う「真の医師」の姿を見た。
枢は、瑠璃鍼を静かに引き抜き、静寂を取り戻した零号研究室を後にした。
「シオン。ブラック・メディスンの往診、これですべて完了です。おやおや。……。ですが、地上の聖都では、まだ自分たちの居場所を求めて彷徨う兵士たちが、不安そうな顔でこちらを待っていますよ」
地上。ブラック・メディスンの支配から解放された聖都。
しかし、長年の支配によって「生きる目的」を失った民たちは、自由という名の荒野で立ち尽くしていた。
「ふん、……。……枢。いよいよ仕上げだな。……。……自分の足で歩くことを忘れた連中に、……。……。本物の『大地の踏みしめ方』を、教えてやろうじゃないか」
第384話。
聖鍼師・枢。
彼は疫病の王を倒したのではない。
狂った命を本来の形に整え、安らかな眠りという名の完治を授けたのだ。
ブラック・メディスンは崩壊し、一行はついに聖都の復興、民たちの「心の往診」へと向かう。
聖鍼師一行。
15時、午後の往診は、聖都中央広場、喪失した意志を取り戻す「希望の往診」へと突入する。
5月6日(水・祝)12:00、疫病の王に安らかな最期を授けた「慈悲の労宮鍼」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回、暴走した生命を再編するために枢先生が意識した術式を解説します。
まず、精神の興奮を鎮め、魂を肉体の拘束から解放するための起点とした、掌の中心にある**『労宮』への慈悲穿刺。枢先生は、ヴァルガスを「自己増殖の呪縛に囚われた重度の精神疾患患者」として診立て、その核心を突くことで、狂った細胞の増殖を一気に停止させました。
次に、横隔膜周辺の気を整え、全身の代謝の乱れを鎮めるためのアンカーとした、背中の『膈兪』。このポイントを気の安定路とすることで、枢先生とシオンは、崩壊し続ける肉体を完治させることに成功したのです。
最後に、解放された魂が安らかに天へ還るための最終回路とした、精神の門である『神門』。この往診を経て、枢先生は零号研究室に、二度と汚されることのない「静寂」を定着させました。
次回の第385話は、本日【15:00】**に更新予定です。
聖都中央広場。そこでは、支配者を失い、明日への希望を見失った数万の民たちが、虚脱感に襲われていました。枢は、彼らの足に「歩む力」を取り戻させ、自らの力で未来を築くための「希望の往診」に挑みます。
「おやおや。皆さんの足、地面を忘れて浮き足立っていますよ。シオン。この広場、少しばかり重力が足りないようです。私の鍼で、皆さんの心に『大地を踏みしめる喜び』を、思い出させてあげましょうか」
15時、午後の往診。聖都中央広場、希望の鍼灸往診。
聖鍼師・枢。銀鍼一本で、民たちの意志を完治させます。どうぞお見逃しなく。




