第357話:因縁の鍼灸往診、亡国の毒を「超回復の脈動」で外科浄化せよ
崩壊しかけた城の広間。マスター・リッチの身体から溢れ出す黒い霧は、触れるものすべてを腐らせる「絶望」そのものでした。しかし、その霧の奥で、枢先生の翡翠色の瞳は、冷徹にその「正体」を見抜いていました。
「(……。おやおや。……。マスター・リッチ。……。あなたがこれほどまでに暴走したのは、……自らの意志ではありませんね。……。……。この毒の正体……、見覚えがありますよ。……。……。かつて私と共に医道を志し、……そして袂を分かった、……あの男の仕業ですか)」
枢先生の脳裏に浮かぶのは、かつて自身の右腕と呼ばれ、今は闇に落ちた最強のライバル、「薬師のシオン」。
先生は、リッチを殺して国を救うのではなく、リッチを「超健康」にすることで、彼の内に潜むシオンの呪いを鍼灸的に弾き飛ばすことを決意します。
21時、本日最終。因縁の鍼灸往診。
聖鍼師・枢。悪党を「健康の絶頂」に叩き込み、強制的に正気に戻します。
月明かりさえ届かぬ城の奥。
マスター・リッチの肉体は、黒い毒気に蝕まれ、今にも内側から弾け飛ばんばかりに膨れ上がっていた。それは周囲を道連れにする自爆の予兆。だが、枢は、防護服も纏わず、ただ一本の銀鍼を指先で弄びながら、その死の嵐の中へと足を踏み入れた。
ガストンが必死に叫ぶ。
「(……。せ、……先生! ……。近寄っちゃダメだ! ……。その毒は、……吸い込んだだけで肺が溶ける! ……。……。もう、……彼を救う方法なんて……!)」
「(……。ガストン。……。……。あなたはまだ、……毒を『消すもの』だと思っている。……。……。おやおや。……。鍼灸師の視点に立ちなさい。……。……。毒とは、……過剰に偏ったエネルギーに過ぎません。……。……。ならば、……そのエネルギーを、……『生きる力』へと強引に転換してあげればいいだけのこと)」
枢が、一瞬でマスター・リッチの懐に飛び込んだ。
リッチが放つ黒い爪が枢の肩を掠めるが、先生は眉一つ動かさない。
「(……。リッチ。……。……。あなたは、……本当は死にたくなどないはずだ。……。……。ただ、……身体の中に飼い慣らせない『他人の気』を詰め込まれ、……苦しくて暴れているだけ……。……。おやおや。……。その苦しみ、……私が今、……一鍼で止めてあげましょう)」
枢の銀鍼が、リッチの胸の中央――『膻中』を正確に貫いた。
――ドクンッ!!
会場全体を揺らすような、巨大な鼓動。
枢が打ち込んだのは、浄化の鍼ではない。リッチの生命力を極限まで活性化させ、自身の免疫力で毒を「食い尽くさせる」という、超攻撃的な回復術式であった。
「(……。あ、……。……が、……。……身体が、……熱い……! ……。……。力が、……溢れすぎて、……壊れる……!)」
「(……。壊れさせはしませんよ。……。……。私は、……鍼灸師ですからね。……。……。行きますよ。……。一気に、……全経絡を、……『絶好調』の状態へ引き上げます)」
枢の指先が、残像を残しながらリッチの全身を叩く。
『足三里』、『合谷』、『百会』。
基本中の基本とされるツボが、枢の神速の一刺しによって、伝説級の治癒スポットへと変貌する。
一刺しごとに、リッチの身体から黒い霧が噴き出し、代わりに黄金色のオーラが立ち昇る。
それは、リッチがこれまでの人生で一度も経験したことがないほどの「圧倒的な健康」。
あまりの血行の良さに、リッチの邪悪な顔つきはみるみるうちに艶やかになり、澄んだ瞳を取り戻していく。
「(……。おやおや。……。どうですか。……。……。毒を吐き出して、……新鮮な気が全身を巡る気分は。……。……。世界を滅ぼそうなんていう、……そんな後ろ向きな考えは、……ただの『血行不良』が原因だったようですね)」
枢が最後の一鍼を引き抜くと、マスター・リッチは、清々しい表情でその場に膝をついた。
彼の目からは、これまでの罪を悔いるような、綺麗な涙が溢れていた。
「(……。枢……。……。私は、……。……。……。シオンという男に唆され、……力を求めてしまった。……。……。だが、……今、……この清々しい気分の前では、……あんな野望など、……どうでもよくなってしまった……。……。……。済まない、……。……本当に、……済まなかった)」
かつての悪党が、枢の鍼によって「強制的に善人(健康体)」へと作り変えられた瞬間であった。
「(……。バ、……。……。バカナッ!? 呪いさえも焼き切るほどの『超健康』を鍼一本で作り出し、……悪の根源を物理的に浄化してしまったというのか!! コレガ、……完全復活した枢の、……性格さえも矯正する『改心の往診』だというのか!!)」
ガストンは、リッチのあまりの変貌ぶりに、自身の魔導端末を地面に落とした。
枢は、タキシードの埃を払い、リッチの肩に手を置いた。
「(……。リッチ。……。……。改心したのなら、……これからはその健康な身体を使って、……この街の復興を手伝いなさい。……。……。それから……。……。シオンの居場所、……後でじっくりと、……問診させてもらいますよ)」
その時、城のバルコニーに、一人の男が姿を現した。
白髪をなびかせ、枢と同じような鍼ケースを腰に下げた男。枢の最大のライバルであり、かつて共に戦った戦友、薬師のシオン。
「(……。ふふ、……。……。相変わらずだな、枢。……。……。鍼一本で、……私の芸術(毒)を『健康』に変えてしまうとは。……。……。だが、……リッチはただの試作に過ぎない。……。……。本当の往診は、……これから始まるのだよ)」
シオンはそう言い残すと、夜の闇へと消えていった。
枢は、静かに銀鍼をポーチに収めた。
「(……。ミナ。……。……。追いかけますよ。……。……。あいつのその、……捻くれきった性格。……。……。私が一鍼で、……外科的に……いえ、……鍼灸師として、……完治させてあげなければなりませんから)」
第357話。
聖鍼師・枢。
彼は悪を滅ぼすのではなく、圧倒的な「健康」を与えることで、世界を救った。
そして、ついに宿命のライバル・シオンが表舞台に姿を現す。
物語は再び、人と人がぶつかり合い、技と技が火花を散らす、熱き「人間界編」へと回帰していく。
聖鍼師一行。
次なる目的地は、シオンが潜むとされる「霧の薬草庭園」。
かつての友であり、最大の強敵である男との、再会の往診が始まる。
本日、5月1日(金)21:00、本日の最終更新、そして物語の原点回帰となる「改心の往診」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回、リッチの毒を自身の生命力で押し流し、精神までをも浄化するために枢先生が意識した術式を解説します。
まず、全身の気の巡りを爆発的に高め、滞った毒気を強制的に排出させるための起点とした**『膻中』。胸の中央にあるこの「気の海」を刺激することで、枢先生はリッチの心臓に「超回復」のエンジンを外科的……いえ、鍼灸的に始動させました。
そして、リッチの歪んだ思考回路(邪気)を鎮め、清らかな精神状態を取り戻させるためのアンカーとした『神門』と『印堂』。心と知恵を司るこれらのツボを貫くことで、枢先生は「悪意」を「善意」へと外科的に変換……いえ、経絡的に再編することに成功したのです。
最後に、全身の血行を極限まで高め、若返りにも似た活力を与えるための最終回路とした『足三里』。この往診を経て、枢先生は一人の大悪党を、一人の「屈強な善人」へと完治させました。
本日の更新はこれにて終了です。
次回の第358話は、明日5月2日(土)【08:00】に更新予定です。
シオンを追って霧の庭園へ向かう枢たち。しかし、そこではシオンによって「健康すぎて狂暴化した」守護者たちが待ち構えていました。
「(……。おやおや。……。健康なのは良いことですが、……元気すぎて周りに迷惑をかけるのは、……立派な病気ですよ。……。……。少し、……クールダウンの鍼を打ってあげましょうか)」
朝の往診。霧の庭園の外科往診。
聖鍼師・枢。ライバル・シオンが仕掛ける「健康の暴走」にどう立ち向かうのか。どうぞお見逃しなく。




