第342話:戦場の外科往診、五万の狂気を鎮める「共鳴の広域一鍼」を師弟の慈愛で外科解体せよ
王都に平和が戻ったのも束の間、地平線の彼方から軍靴の轟音が響き渡りました。バルム帝国の精鋭五万。彼らの目的は、疫病で弱体化した王都の略奪。しかし、彼らの行軍を偵察したカサンドラは、驚愕の事実を持ち帰ります。兵士たちの首筋には、意思を奪い闘争本能を極限まで高める「呪術の鍼」が埋め込まれていたのです。
五万の兵士が、自身の命を燃やし尽くすまで止まらない「生ける狂器」と化している。これは侵略ではなく、国家規模で行われている人体実験であり、壮大な虐殺でした。
「おやおや。……。剣を交える前に、……まずは彼らの狂った脈動を静めてあげなければなりませんね。……。カサンドラ、……あなたは盾となり、……彼らの突進を食い止めなさい。……。ガストン、……あなたは戦場全体に響き渡る『鎮静の魔導音』を構成しなさい。……。そしてミナ、……私たちは、……五万人の心を一度に貫く、……究極の一鍼を放ちますよ」
18時、夕方の往診。戦場の外科往診。
聖鍼師、ついに「戦争という病」を完治させるための、絶筆の執刀を開始します。
王都の西に広がる荒野は、沈みゆく夕陽によって血の海のように赤く染まっていた。
前方からは、理性を失い、獣のような咆哮を上げながら突進してくるバルム帝国の重装歩兵。彼らの首筋には、不気味に発光する紫色の「呪鍼」が突き刺さり、そこから強制的に吸い出された生命エネルギーが、彼らの肉体を限界以上に膨張させていた。
枢は、荒野の微かな高台に立ち、杖を両手で支えながらその地獄絵図を見つめた。
「(……。カサンドラ。……。準備はいいですか。……。彼らはあなたを殺そうと迫っていますが、……その心臓は、……無理やり動かされている痛みに、……悲鳴を上げています。……。あなたの盾で、……その悲鳴を受け止め、……彼らの足を一瞬だけ、……止めてあげなさい)」
カサンドラは大盾を地面に叩きつけ、不動の姿勢を取った。
「(……。承知いたしました、先生! ……。この命に代えても、……彼らの苦しみの一撃を、……すべて私が受け止めます!)」
――ドォォォォォォォォンッ!!
数千の歩兵がカサンドラの盾に激突する。
凄まじい衝撃。しかしカサンドラは、枢から伝授された「気の受け流し」を使い、その衝撃を大地の経絡へと逃がした。兵士たちの突進は一瞬だけ停滞し、そこに生じたわずかな「真空の隙間」を、ガストンが構築した魔導の音波が埋め尽くした。
「(……。魔導共鳴波、……展開! ……。兵士たちの神経系に、……偽の安らぎを送り込みます! ……。先生、……今です! ……。彼らの呪鍼の周波数が、……私の解析した数値と一致しました!)」
「(……。おやおや。……。完璧なタイミングですね、ガストン。……。さあ、ミナ。……。五万人の首筋にある、……その醜い腫瘍を、……一本の風で吹き飛ばしてしまいましょうか)」
枢はミナの肩に手を置き、自身の残り少ない命の気を、彼女の右腕へと流し込んだ。
ミナは、腰のポーチから、かつて老龍アステリオスから譲り受けた「白銀の鱗鍼」を取り出した。それは物質を貫くためではなく、空間そのものに「治療の波動」を書き込むための聖遺物。
ミナは、視力を失った瞳を戦場の中心へと向け、枢の意識を通じて五万人の脈動を、一つの巨大な「拍動の海」として捉えた。
「(……。皆さんの痛み、……私には聞こえています。……。もう、……誰かを傷つけなくていいんです。……。自分を壊さなくていいんです。……。……。行きます!)」
ミナが鱗鍼を虚空へと一閃させた。
――シュゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
一刺し。
空間を伝播したミナの慈愛の気が、ガストンの魔導音波に乗り、五万人の首筋にある「呪鍼」へと同時に接続された。
二刺し。
枢の膨大な医学的知識が、五万通りの異なる「呪いの解除コード」として分散され、それぞれの兵士の経絡に外科的な解毒を施した。
「(……。あ、……。……が、……。……。あ、……。……。)」
戦場に、静寂が訪れた。
あれほど狂暴だった五万の兵士たちが、一斉に力なく膝をつき、首筋から弾け飛んだ紫色の鍼が、夕陽の中で塵となって消えていく。彼らの瞳には、次第に人間としての理性が戻り、自分たちが犯そうとしていた過ちへの驚愕と、そして命が救われたことへの涙が溢れ出した。
「(……。バ、……。……。バカナッ!? 戦争トイウ最大ノ破壊ヲ、……外科手術トイウ名ノ救済デ、……無効化セシメタトイウノカ!! コレガ、……神ノ腕ナキ枢ガ、……仲間ト共ニ成シ遂ゲタ、……究極ノ『平和』ノ処方箋ダトイウノカ!!)」
バルム帝国の将軍までもが、剣を捨てて地面に平伏した。
戦場は今、巨大な「野外診療所」へと姿を変え、王都の民と帝国の兵士が、互いの傷を庇い合うという信じがたい光景が広がっていた。
枢は、ミナの肩に縋りながら、夕闇に溶けていく戦場を優しく診守った。
「(……。お疲れ様でした。……。皆さん。……。おやおや。……。鉄を打つ音よりも、……命が安堵する溜息の方が、……ずっと美しい音色ですね)」
第342話。
人間・枢。彼は、神の奇跡ではなく、人間の連携と、相手の「生きたい」という本能を信じる心で、世界から戦争という病を一つ、外科的に摘出してみせた。
荒野に降る夜露が、兵士たちの渇いた喉を潤す。
聖鍼師・枢。彼のチームは、この日、血を流さずに勝利するという、医術における最大の聖域へと足を踏み入れたのである。
本日、4月28日(火)18:00、戦場という名の往診を描いた一話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第342話。
枢先生が、五万の兵士を操る「呪術の鍼」を、チーム・枢の総力を結集した広域外科手術によって無効化するエピソードを執筆いたしました。
敵を倒すのではなく、敵を患者として救う。この枢先生の理念が、今や世界を変える真の力となったのです。
今回、五万の兵士の狂気を鎮め、呪縛を解体するために「チーム・枢」が意識した術式を解説します。
まず、戦場全体に広がる負の感情の共鳴を遮断し、兵士たちの意識を「個」へと引き戻すための起点とした**『神門』。手首にあるこの心の門に対し、ガストンの魔導波を通じて一斉にアプローチすることで、集団催眠のような狂気を外科的にリセットしました。
そして、呪鍼によって無理やり活性化されていた交感神経を鎮め、深い安らぎと自身の意志を再接続するためのアンカーとした『百会』。ミナさんが放った龍の鱗鍼の波動が、兵士一人一人の頭頂部にあるこの要衝を貫くことで、強制的な生命燃焼を外科的に停止させることに成功したのです。
最後に、往診を終えた戦場全体の殺伐とした空気を、和解と感謝のエネルギーへと再接続するための最終回路とした『膻中』。この往診を経て、二つの国は戦火を交える代わりに、共に医術を学び合うという新しい盟約を結ぶことになりました。
次回の第343話は、本日火曜日【21:00】に更新予定です。
戦争を未然に防いだ枢たち。しかし、その平和の影で、枢の肉体には「神の腕」を捨てた際の真の代償――【聖痕の崩壊】**が忍び寄っていました。
自身の体が石のように固まっていく奇病。枢は、自身に残された時間が、あと数時間しかないことを悟ります。
「(……。おやおや。……。最後に診る患者が、……やはり自分自身とは。……。さあ、ミナ。……最後の授業を始めましょうか)」
21時、本日最終。絶筆の外科往診。
聖鍼師、ついに「永遠の眠り」を自ら執刀します。どうぞお見逃しなく。




