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『異世界で「ツボ」を突いたら神と呼ばれた件 〜指一本で魔王も聖女も救い出す、世界唯一の最強聖鍼術〜  作者: 鍼灸師いのぴー
【第四章:忘却の聖者と翡翠の巡礼】

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第332話:封印の外科往診、薬櫃に眠る「飢餓の絶望」を師弟の絆で外科解体せよ

少年の命を救い、一人の治療家としての第一歩を刻んだミナ。しかし、安息の時間は長くは続きませんでした。二人の元を訪れた里の長老が震える声で語ったのは、村の聖域に鎮座する「開かずの薬櫃やくき」に異変が生じているという不吉な知らせでした。


その薬櫃の中に封印されているのは、かつて若き日のくるるが、その未熟さゆえに救いきれず、箱の中に閉じ込めることしかできなかった、人の強欲を糧とする「飢餓の病」。数十年という月日を経て、かつての聖鍼師の枷を食い破り、再び現世を飲み込もうとしています。


「おやおや。忘れたい過去ほど、こうして最悪のタイミングで診察を求めてくるものですね。ですが、今の私には、私よりも鋭い指先を持つ弟子がいます。さあ、ミナ。私の過去の清算、あなたに手伝ってもらえますか」


12時、昼の往診。封印の外科往診。

神話の影を断ち切り、人間としての決着を。二人の往診は、更なる深淵へと突き進みます。

 正午の陽光が最も強く降り注ぐ時刻、くるるとミナは、里の最果てにある湿った洞窟の奥へと足を踏み入れていた。

 そこには、幾重にも及ぶ術式の鎖に縛られた、古びた黒漆塗りの薬櫃が鎮座していた。箱の隙間からは、粘り気のある漆黒の霧が漏れ出し、周囲の岩肌を腐食させている。それは物理的な劣化ではなく、存在そのものを欠損させる「飢餓」の波動。触れるものすべてのエネルギーを吸い尽くそうとする、かつての枢が残した負の遺産であった。


 枢はミナに肩を貸されながら、その禍々しい箱の前で静かに足を止めた。

 「ミナ。この箱の中にいるのは、かつての私が救えなかった患者です。救済の手立てが見つからず、ただ封印という名の放置を選んだ、私の傲慢さそのものです。この闇は今、神の力を失った私を嘲笑い、食い殺そうとしています」


 枢の声は洞窟の壁に反響し、黒い霧を激しく波立たせた。

 薬櫃がガタガタと震え、術式の鎖が悲鳴を上げる。箱の中から響くのは、数千人の飢えた亡者が叫ぶような、身の毛もよだつ咆哮であった。


 視力を失ったミナは、師匠の細い体を守るように一歩前に踏み出した。彼女の足元にまで黒い霧が忍び寄るが、彼女の表情に揺らぎはない。

 「師匠。あなたが救えなかった過去があるなら、それを完治させるのが弟子の務めです。あなたが封印という処置を選んだのなら、私はそれを解放し、本当の安らぎを与える治療を志します」


 ミナはそう言い切ると、腰のポーチから、枢がかつて愛用していた古い銀鍼の束を取り出した。彼女には目が見えない。しかし、薬櫃の中から溢れ出す負のエネルギーの奔流が、どこで最も激しく渦巻いているか、その「病根」の位置を心の眼で正確に捉えていた。


 「狙うのは、箱の蓋を繋ぎ止めている四隅の結び目ではありません。その中心、絶望が自己増殖を繰り返している特異点。経絡で言うところの、万の神が会する百会ひゃくえに相当する場所です。そこを一鍼で貫き、溜まりに溜まった『欲』を体外へ排出させなさい」


 枢の指示は、かつてないほど厳格であり、かつ慈愛に満ちていた。

 彼は動かぬ右手をミナの肩に置き、自身の魂の記憶をすべて彼女へと転写した。かつてこの病に挑み、敗北した時の苦い記憶。それを包み隠さず共有することで、ミナに同じ過ちを繰り返させないための、精神的な外科縫合であった。


 ミナは銀鍼を一本、指先に挟んだ。彼女の周囲で黒い霧が渦を巻き、彼女の生命力を吸い取ろうと牙を剥く。だが、ミナが発する気は、枢から受け継いだ静謐な慈愛によって、鉄壁の防護壁と化していた。


 「行きます、師匠。私たちの、共同往診です!」


 ミナの叫びと共に、銀鍼が薬櫃の正中へと突き刺さった。


 ――ズガァァァァァァァァンッ!!


 一刺し。

 薬櫃を縛っていた術式の鎖が、内側からの圧力によって粉々に砕け散った。

 二刺し。

 箱の中から溢れ出した黒い霧が、ミナの銀鍼を通じて浄化され、一点の濁りもない透明な光へと変換されていく。


 箱の中にいたのは、形を失い、ただ「欲しい」という感情の塊と化していたリリィのなり損ないのような幻影たち。彼女たちは枢とミナが放つ温かな体温に触れ、数十年の呪縛から解き放たれていく。


 「ああ、やっと、……お腹がいっぱいになった。……。先生、……温かいね」


 幻影たちはそう囁くと、白い光の粒子となって洞窟の天井へと昇っていった。

 枢は、その光景を涙を浮かべながら見つめた。神の腕を持っていた頃、彼はこの病を「消し去る」ことしか考えなかった。だが、ミナが行ったのは「満たす」という治療。自己の犠牲ではなく、ただ寄り添うことで飢えを癒す、本当の意味での救済であった。


 「バ、バカナッ!? 余ガ数十年カケテモ御セナカッタ『飢餓』ノ概念ヲ、タッタ二人ノ人間ガ、一鍼デ消滅セシメタトイウノカ!! コレガ、第四章ヲ越エタ先ニアル、第五章ノ医術ダトイウノカ!!」


 薬櫃が真っ二つに割れ、最後に残った怨念が消えゆく。

 枢は、膝から崩れ落ちたミナを、力の入らぬ両腕で精一杯抱きしめた。


 「お疲れ様でした、ミナ。私の誇り、私の光。……いえ、この世界の新しい聖鍼師よ。あなたは今日、私の過去という名の最大の難病を、完治させてくれました」


 ミナは枢の胸の中で、静かに涙を流しながら微笑んだ。


 「師匠。……。いえ、お師匠様。……。私、やっと分かった気がします。治療とは、戦いではなく、……ただ隣で手を握ることなのですね」


 第332話。

 人間・枢。彼は、弟子の成長を通じて、自らが長年抱えてきた心の刺を抜き去った。

 神の腕を失ったことで見えてきた、真の救済の形。

 二人の師弟は、過去という名の亡霊を葬り去り、まだ見ぬ第五章の地平へと、確かな足取りで進み始める。


 洞窟を出た二人の前には、雲一つない正午の青空が広がっていた。

 かつて世界を救った英雄の面影はそこにはない。

 ただ、不自由な体を持つ老いた医師と、彼を献身的に支える盲目の少女。

 その二人の背中は、どんな神話よりも雄弁に、命の尊さを語っていたのである。

本日、4月26日(日)12:00、過去との決別を描いた一話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。


第332話。

くるる先生が数十年間封印し続けてきた「飢餓の病」に対し、弟子であるミナさんが、神の力に頼らない「受容と充足」の医術で答えを出すという、継承の物語における核心的なエピソードを執筆いたしました。


今回、数十年越しの怨念を浄化し、薬櫃の封印を解体するために枢先生とミナさんが意識した術式を解説します。

まず、あらゆるエネルギーを吸い尽くす飢餓の渦を中心点へと集約させ、反撃の起点とした**『百会ひゃくえ』。頭頂部にあるこの万能のツボに対し、ミナさんは枢先生の記憶をアンカーとして銀鍼を打つことで、負の因果の逆流を外科的に阻止しました。


そして、絶望に支配された魂に「温もり」を直接注ぎ込み、枯渇した生命力を再充填するための要衝とした『湧泉ゆうせん』。足の裏にあるこのツボを通じて、ミナさんは大地から吸い上げた清らかな気を薬櫃の奥底へと送り込み、亡者たちの心の飢えを瞬時に満たすことに成功したのです。

最後に、往診を終えた二人の魂を現世へと繋ぎ止め、過去の呪縛を完全に断ち切るための最終回路とした『大椎だいつい』。この往診を経て、枢先生は自身の過去の過ちを赦し、ミナさんは師匠の影を追う存在から、対等な「相棒」へと進化を遂げました。


次回の第333話は、本日日曜日【15:00】**に更新予定です。


過去を清算した二人の前に、今度は王都からの急使が現れます。語られたのは、かつて枢が神聖視した王都の医療体制が、彼の不在によって腐敗し、新たな「権力の病」が蔓延しているという衝撃の事実。

神の座を降りた老人は、かつての教え子たちが汚した王都をどう診るのか。

「おやおや。私の教え方が、少しばかり優しすぎたようですね。さあ、ミナ。久しぶりに、少し遠出の往診へ出かけましょうか」


15時、昼下がりの往診。王都の外科往診。

聖鍼師、ついに「己の遺した社会」を診ます。どうぞお見逃しなく。

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