第329話:終焉の外科往診、自己を消滅せしめる「世界の免疫」を翡翠の絶筆で完治せよ
本日最後の更新となります。
過去の悔恨を清算し、枢とミナが辿り着いたのは、あらゆる因果の源流とされる、名もなき「原初の谷」。しかし、そこにあるべき安寧は、世界の調和を絶対とする巨大な執行体「理の免疫システム」の咆哮によって引き裂かれていました。
全宇宙の病を肩代わりし、因果の淀みを濾過し続けた枢。世界にとって、彼はもはや救世主ではなく、法則を乱し続ける「最大級の異物」へと変貌していました。世界そのものが、枢という存在を消滅させるために、最後の外科手術を執行します。
神の力を失い、視力を失った師弟が、自らを拒絶する「世界」という名の巨大な患者をどう診るのか。
「(……おやおや。私という存在を終わらせるために、世界そのものが患者になると言いますか。……いいでしょう。第四章、その幕を引くために……最後の一鍼、謹んで執刀させていただきますよ)」
漆黒の闇の中、枢の指先が、第五章へと繋がる「希望の一鍼」を掴みます。
人間・枢とミナ。二人の命を賭した、最終往診の幕が開きます。
世界の輪郭が、かつてないほどの激しい震動と共に崩れ始めていた。
原初の谷。その上空に現れたのは、星々を飲み込むほど巨大な、法則の執行体「世界の免疫」であった。枢がこれまで救ってきた万の命、書き換えてきた因果の数々。それらは世界の理にとって、正されるべき深刻なバグであり、枢自身がその「病根」として定義されたのである。
黄金の腕を失い、杖を突いて立つ枢の足元から、現実という名の石畳が砂のように崩れ落ちていく。
「(……。ミナ。……。聞こえますか。……。世界が、私を死なせようとしています。……。私がこれまで救いすぎてしまった結果、……世界は私を、……排除すべき毒だと判断したようです)」
枢の声には、悲しみは微塵もなかった。あるのは、長すぎる往診の旅のひとつの区切りを、自らの手で完成させようとする者の、静かなる充足感だけである。視力を失ったミナは、崩れゆく大地の上で、師匠の細い腰を強く抱きしめた。
「(……師匠。……。毒で結構です。……。世界があなたを拒むなら、……私はあなたと一緒に、……世界の理の外側へと飛び出しましょう。……。でも、……その前に、……この『わがままな患者』を、……完治させてやりましょうよ)」
ミナの力強い言葉に、枢は深く、穏やかに微笑んだ。彼は自らの内に残された最後の生命力、かつて神であった頃の残滓ではなく、一人の男として、一人の鍼灸師として生きてきた「全記憶」を、右手の一鍼へと注ぎ込んだ。
上空から降り注ぐのは、存在そのものを概念から消去する「理の落雷」。枢はそれを避ける素振りすら見せず、逆に自身という異物を排除しようとする世界の急所――『気海』へと、自らの一鍼を突き立てるべく跳躍した。
「(……。愛すべき世界よ。……。あなたは正しい。……。私は確かに、……あなたの理を乱しすぎました。……。だが、……病を恐れて命を消すのは、……名医のすることではありません。……。さあ、……あなたの『排除』という名の恐怖を、……私が今、外科的に摘出してあげましょう!)」
枢は、ミナの生命の波動を精神的なアンカーとして、空間を逆流した。彼が放ったのは、己の存在を消滅の危機に晒すことで世界の均衡を取り戻す、自己犠牲の究極術式――『翠玉の絶筆往診』。
――ズガァァァァァァァァンッ!!
枢の一鍼が、世界の免疫の核心を貫いた瞬間、全次元が翡翠色の光に飲み込まれた。排除の波動が、枢の肉体を内側から破壊し尽くしていく。細胞が弾け、魂が磨り減り、枢の存在が「無」へと還元されていく。だが、その凄絶な激痛の中で、枢は確かに感じ取っていた。自分という異物を受け入れた世界が、激しい拒絶反応を終え、穏やかな「健康」へと戻っていく脈動を。
「(……。ああ、……。これでいい。……。患者は、……健やかになりました。……。私の第四章としての往診も、……これでようやく、……終わりですね……)」
光の中で、枢の黄金の残光が完全に消え去った。同時に、世界を消去しようとしていた免疫システムも、夜霧が晴れるように霧散していく。
――キィィィィィィィィンッ!!
光が収まったとき、そこにはもはや、法則の巨像も破壊の余波もなかった。ただ、荒れ果てた原初の地の上に、息も絶え絶えに横たわる老いた男と、彼を泣きながら抱きかかえる少女の姿があるだけだった。
「バ、……。……。バカナッ!? 自ラノ存在ヲ『治療費』トシテ差シ出シ、……宇宙ノ免疫反応ヲ完治サセタトイウノカ!! コレガ、……聖鍼師・枢ノ、……第四章、最後ノ執刀ダトイウノカ!!」
虚空で消えゆく法則の声。枢は、ミナの腕の中で、動かなくなった指先を微かに、しかし確かに震わせた。
「……。ええ。……。最高の、……往診でした……」
第329話。人間・枢。彼は、自分自身という最大の病根を世界から摘出することで、皮肉にも、世界という名の患者を不変の健康へと導いた。夜の静寂が戻り、星々はこれまで以上に輝き、大地からは新しい命の息吹が芽生え始めていた。
本日、4月25日(土)21:00、本日最後の更新を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第329話。
枢先生が、自身を「毒」と見なした世界そのものを治療し、第四章の最大の山場を越えるエピソードを描きました。
今回、世界の免疫反応を中和し、第四章の因果を完結させるために枢とミナが駆使した術式を解説します。
まず、宇宙の拒絶エネルギーが集中する中心点を捉え、そこへ自身の全存在を接続するための起点とした**『気海』。丹田の要衝に対し、枢は自身の「治療家としての記憶」を打ち込むことで、世界のシステムを一時的に書き換えました。
そして、自身という異物を世界から切り離し、負の因果をすべて浄化するためのアンカーとした『命門』。枢は自身の生命を代償に、このツボを通じて世界の「拒絶」をすべて自身の肉体へと引き受けたのです。
最後に、崩壊しゆく自身の存在を、最低限「一人の男」としてこの世界に留め、第五章へと繋ぐための最終回路とした『膻中』。この往診を経て、枢先生は聖鍼師としての伝説を一度終わらせ、ただの「人間」として、ミナとの新しい物語を勝ち取りました。
すべてを使い果たし、動くことさえままならぬ枢。そんな彼を連れ、ミナは人里離れた静かな場所で、二人だけの生活を始めます。
しかし、そんな二人のもとに、かつての敵の末裔が、助けを求めて現れます。
「(……。おやおや。……手が、……動きませんか。……。ですが、……心はまだ、……往診をしたがっていますよ)」
次回の第330話は、明日日曜日【8:00】**に更新予定です。
どうぞお見逃しなく。




