86.舞台裏(1/1)
シロウが魔法士官学校に来た日に遡る。
シロウが謁見を終え、再び魔法士官学校に帰ってきたころには、空はすっかり赤く染まっていた。
来賓室に入るなり、控えていたタクミが流れるようにシロウの謁見用の白い外套を肩から外し、代わりにシロウの個人紋――四つ葉のクローバーに似た紋様が捺染された外套を着せかける。
それを向かいのソファで眺めながら、校長のボタンは残念そうに呟く。
「あら、もう脱いじゃうの? 似合っていたのに」
「重いし暑いんですよ。せっかくボタン様に見立てていただいた外套を汚すのは嫌ですし」
シロウは謁見のために施した化粧を魔法で剥がすように落とし、ソファに掛けてぐったりと天を仰ぐ。
ボタンの隣に腰掛けてその様子を見ていたミチルが、からかうように言った。
「なんか……。シロウさん、老け込んでません?」
「老けもするさ。謁見はともかく、移動に準備にくだらない社交に……。今日はすっかり疲れたよ」
「すみません、お疲れのところ」
「ほかでもないボタン様の頼みだからねえ。ミチル君を助けてって」
そう言って細く長いため息を吐ききると、シロウはソファに座り直した。
背もたれに寄りかかることなく、しゃんと背筋を伸ばし、金色の目が真っ直ぐにボタンとミチルを捉える。
「というわけでミチル君、一応状況を聞かせてくれる?」
ミチルは頷き、口を開く。
「天候制御装置の管理責任者である朱雀伯より、魔法士官学校の社会科見学を予定通り明後日に敢行するよう、強い要請がありました」
シロウは眉を顰めた。
「天候制御装置の安全が確保されていないうちに社会科見学をやれ、と? 生徒たちを危険に晒したいのかな?」
「はい、だから一度お断りしました。が、『予定が狂えば二度と魔法士官学校の依頼は引き受けない』と」
「無茶苦茶だな。朱雀はまたそんな感じなのか」
シロウは眉間の皺を深め、分かりやすく嫌悪を示す。
天候制御装置という、紅国でも重要かつ象徴的な装置を抱えるためか、朱雀領を任された人間たちは段々横柄になっていくのが常だった。
「……まあ、俺たちに掃除させたいんだと思います。毎年毎年そうですし。来週は行幸があるので、余計に」
「なんか私の代もそうだったな……」とシロウが呟く。
「俺も」とミチルが、「僕もだ」とタクミも続く。
皆一様に、露骨に嫌な顔をしていた。
一人優雅にお茶を嗜んでいたボタンが茶器を置く。
その小さな音で、シロウが我に返った。
「話を戻そうか。ミチル君が懸念しているのは、それだけじゃないだろう?」
「俺は、天候制御装置の故障は人為的なものだと思っています。騰蛇の魔物制御装置と同じように」
魔物制御装置の故障については、公にはなっていない。
そんな情報をミチルがどこから拾ったのか……。
シロウは考えるまでもなく、後ろをちらと振り返る。
「タクミ君が話したんだね?」
タクミは魔法士官学校に赴任する直前まで、騰蛇にいた。
魔物制御装置の故障も、共に確認した。
「勝手が過ぎましたか?」
「……別にいいんだけど」
シロウは苦笑した。
誤魔化しもしない一方で、謝罪の言葉がないのもタクミ君らしいなあ、と思いながら。
ミチルは話を続けた。
「犯人がなぜ賢者様の遺物を狙うのかは分かりません。魔法憎しで、遺物の信頼を損ないたいとか、魔法使いが復旧に手を焼いているのを嘲笑いたいとか、そういうことは考えられますが、犯罪者の頭の中なんて知りようがありません」
そう言い切ったミチルが、声を落とした。
「……ただ、こと今回に関しては、生徒が目的なんじゃないか、と」
タクミが思わず声を上げる。
「生徒?」
「ああ」
ミチルは頷き、続ける。
「掃除させたいにしても、ここまで強引なのはどうもおかしい。朱雀伯が『魔狩り』と組んで、社会科見学に赴いた生徒を攫わせようとしているのかもしれない」
タクミは怪訝な表情をした。
考えすぎなのでは、と思ったのだ。
「……まあ、俺の勘ですけどね」
「ミチル君の勘なら信じるしかないわねえ」
そう言うボタンと神妙に頷くシロウを見て、タクミは認識をすぐに改める。
思えば、教員として一番危惧すべきことは『生徒に危害が及ぶこと』。
常に最悪を想定しなければならないのに、その意識が欠落していたのだと、タクミは自身の甘さを恥じた。
そうしてミチルは言った。
「では……朱雀の社会科見学は決行で」
タクミは、ミチルが言葉を間違えたのだと思った。
だが、シロウもボタンも、にっこりと笑っている。
そこでやっと、なぜボタンがシロウに援助を求めたのか、というところに行き着いて、タクミは合点がいった。
「既に皇帝陛下の許可は得たから大丈夫。君たちに同行するよ」
シロウは自信満々にそう言った。
「とはいえ、私も任務があるから、ずっと一緒には行動できないけど」
「いえ、それでも助かります。シロウさんがいれば百人力です」
「学生のうちから『魔狩り』退治を間近で見られるなんて、ツイてるわねえ」
ボタンは上機嫌に笑った。
生徒に被害が及ぶことは回避するべきだが、危険が迫ってくるだけであれば、それはいい経験。
そのためなら、多少の手間や魔法石は惜しまないのだ。
「いやあ、最悪トカゲが出てきたら困りますし、大人だけで対応しますよ」
「うーん、それもそうね」
ボタンの物騒な思いつきを回避し、ミチルはこっそり安堵した。
社会科見学を楽しみにしている生徒は多い。
それを取り上げるのは、やはり心が痛むのだ。
さらにシロウが助っ人に来てくれるのだから、この上なく心強い。
「念のため、馬車が故障したことにして、対象を工学科の上級生に絞ります。そうすれば、基本的には自分の身は自分で守れますし、教員を一班に一人つけられるので――」
「あ、待ってミチル君。一年魔法特科は行ってきて」
「え?」「は?」
ミチルとタクミが同時に素っ頓狂な声を上げた。
一年魔法特科はまだ、実践的な戦闘訓練の授業を受けていない。
自分の身を守る術も習得していない。
でも、校長がこう言うのなら、きっと何か考えがあるはず。
「その心は?」
ミチルが尋ねると、ボタンはパッと――まるで乙女のように笑った。
「だって! 坊ちゃんとシヅさんがデートできないじゃない!」
ミチルもタクミも呆れて物も言えなかった。
「いいですねえ」
そう言ったのはシロウだ。
「それでは私が、教員の支援をしつつ、二人のデートをお手伝いしましょう。忘れられない思い出になるような、最高の演出を考えておきますね」
「あら、頼んだわよ、シロウ君!」
ボタンとシロウがその美しい顔を見合わせ、にっこりと笑いあう。
その様子にミチルもタクミも何となく嫌な予感はしたものの、面倒臭くなってきたので心の中でツバキに頑張れと念を送り、二人揃って黙って前髪を掻き上げた。
次話投稿は 2026/10/19 21:00 です。




