セレンが作戦を変えた理由
砦の回廊を歩く三人。夕暮れの空気が落ち着いていた。
今日の軍議から戻ったセレンは淡々と歩いていたが、隣にいたゼイルがふと口を開いた。
「なあ、セレン。ひとつ聞いていいか」
「どうぞ」
歩みはそのまま、返答だけが返る。
ゼイルは前髪をかき上げて、少し言いにくそうに言葉を続けた。
「お前の策って、最初のころは……まあ、正直、冷たいっていうか、無茶だったよな」
「そうだったかもしれない」
「だよなあ」とガロットが笑う。「ゼイルが“俺がやる”って突っ込んで、俺が後ろで全体まとめて、無理やり成立させたとこあったろ。
で、それ以降からじゃねえか? “ゼイルが突く、ガガロットが固める”みたいな名指しの策が出てきたのって」
「……ああ、たしかに」とゼイルも頷いた。「あれ、なんでなんだ?」
セレンは少しだけ間を置いてから答えた。
「単に、お前たちの性能が戦術上、扱いやすかったから。それだけ」
「……は?」
「ゼイルは突破力と瞬間的な火力が高い。ガロットは指揮系統の整理と後衛管理が得意。
全体を構成するうえで、他の兵より特性が明確で、組み込みやすい。そう判断した」
ゼイルとガロットが足を止めて、顔を見合わせた。
「……つまり、“この駒は動きが速くて、あっちは防御が高い”みたいな使い方ってことか?」
「それで正しい。顔が見えたとか、そういう感情論じゃない。
扱いやすい型だったから、戦術を調整した。必要に応じて、道具は選ぶ」
ガロットがため息まじりに笑った。
「おいおい、使い勝手のいい道具ねえ……。まあ、間違ってないけどさ」
ゼイルも苦笑しながら、両手をポケットに突っ込んだ。
「名指しされた時は、多少は俺らへの信頼かと思ってたんだけどな。性能評価だったか」
「信頼があるから、任せたんだ」
「……お、それならまあ、いいか」
ガロットが肩をすくめて笑う。
「全体で勝つための最適配置ってやつか。まあ、納得はする」
「策に組み込まれるってのは、悪くないよな」
「そういうこと。感謝されたいなら、他をあたってくれ」
にべもない返答に、ふたりは笑った。
だがその無骨な答えこそが、何より信頼の証なのだと、ゼイルとガロットは知っていた。
「……もうひとつ、言っておく」
振り返ることなく、そのまま続けた。
「お前たちがいると、周囲の兵の能力が上がる。士気、判断、反応速度……数値で見れば明らかだ」
ゼイルとガロットが目を見合わせる。
「そういう“士気上昇バフ”って、計算できるもんなんだな」
「概算はできる。ただ……お前たちの影響力は、上昇値に振れ幅がありすぎる。
同じ状況でも、結果が違うことが多い。だから、私は途中で計算そのものを切り替えた」
「切り替えた?」
「理想値を基準に、どうやってそこへ誘導するかを考える方向に変えた。
つまり、“お前たちに何を言えば、最大の結果が出るか”を指示に組み込むようになった。そういうことだ」
セレンはわずかに間を置き、ゼイルを横目に見た。
「とくに、お前は厄介だった」
「おい」
「ゼイル、お前は状況次第で、能力が急上昇する。
戦術上“できない”と判定していたことすら、平気で成し遂げる。……予測不能だった」
「ほめてるのか、けなしてるのか……」
「事実を述べただけだ」
肩をすくめるゼイルの隣で、ガロットが笑った。
「……つまり、俺らはセレンの頭を悩ませる“型破り”だったわけだな」
「そうなる。
これほど策を組みにくかった部隊は初めてだった。試行錯誤の連続だった」
セレナの声音には、わずかに柔らかさがにじんでいた。
「ただ、個々の能力をこれだけ組み込めると、損耗率を含めて非常に組みやすいという利点もあった。
ただし……問題は別にある」
わずかに目を細め、遠くを見た。
「――ゼイルのような素材が、まだ部隊の中に眠っているとすれば、それらを事前に計算に組み込むのは難しい。
上昇率のばらつき、覚醒の契機、それを測る基準……それらが定まらない。そこが、今の悩みどころだな」
淡々と語るその口調には、責めるでも呆れるでもない、むしろ淡い誇りのような響きがあった。
ゼイルが、少しだけ難しい顔をする。
「つまり……俺たちの動きが、戦術を変えさせたってことか」
「結果としては、そうだ」
「最初の頃の“コマ”扱いとちがって、最近は“どう動かすか”って考えてくれてる気がしてたんだけど……」
「変わったのではなく、変えた。私は、効率を重視している」
ガロットが笑いながら肩をぽんと叩いた。
「ま、効率重視で使いやすいってのは、光栄なことだよ。きっとな」
ゼイルは少し渋い顔をしながらも、最後には小さく笑った。
「……そうだな。セレンにとって、動かしやすいコマ、か。
だったら俺たちは、最高に動くぜ。お前が戦場にいるかぎりな」
それに、セレンは正面から頷いた。
「頼む」
それは、余計な感情を差し挟まない、ただ一言の、揺るぎない信頼だった。
夕方の風が静かに吹き、三人の間には、妙に心地の良い沈黙が流れていた。
砦の遠く、武具場から兵士たちの掛け声が聞こえる。
「……セレン」
ふと、ゼイルが口を開いた。
「たとえば俺が、また“とんでもないこと”しでかしても、ちゃんと組み込んでくれよな」
セレンは一瞬だけ足を止め、振り返りもせずに答えた。
「無理はさせない。……だが、できるなら、期待には応える」
「おお、こわ」
ガロットが笑い、ゼイルも苦笑する。
けれど――どこか、嬉しそうだった。
セレンの言葉の裏にあるのは、ただの合理性ではない。
策士である彼女の中に、確かに信頼と理解が根を張っていることを、二人は知っていた。
風が銀の髪をなびかせる。
――この戦場に、この部隊に、あの死神がいてよかった。
ゼイルとガロットは、それぞれそんな思いを胸に、セレンの背を追って歩を進めた。