南西の丘、陥落の夜に
その夜。
血と灰、そして火薬の臭いがしみついた幕舎に戻ってきたセレンとゼイルの姿に、誰もが言葉を失った。
全身泥まみれで、鎧の継ぎ目には敵の返り血がこびりつき、破れたマントが風に揺れていた。
だが、二人の歩みはまっすぐだった。
まるで、当たり前のように“生きて”戻ってきた――そんな風に。
「……よく、生きて戻ってきたな」
回収した兵を部下たちに預け、幕舎の入り口でたちどまったガロットが、呆れとも安堵ともつかぬ声でそう言った。
だが、彼の眼差しは優しく、深い信頼に満ちていた。
「ギリギリだったがな」
ゼイルが肩を竦めて笑った。
「まあ、“らしい”戦いだっただろ。俺たちらしく、無茶で、派手で、結果だけは完璧だ」
「……派手にやりすぎた」
セレンは淡々と呟きながら、剣を鞘に収めた。
その金の瞳は冷たく澄んでいたが、どこか遠くを見ていた。
焚き火のそばに腰を下ろすと、ゼイルがぽつりとこぼす。
「なあ、セレン。今回の報酬って、なんでもいいのか?」
「……私が与えられるものならな」
答えは静かだったが、ふいに笑みが滲んでいた。
金の瞳がふと揺れて、柔らかな色を帯びる。
その様子を見たゼイルは、少しだけ言葉に詰まった。
ふざけるように笑ってみせても、胸の奥がざわついているのはごまかせなかった。
──火と闇の中で、剣をひらめかせる美しい横顔。
怯みもせず、その瞳で全戦場を見通しているような顔つきで、たやすく勝利を掬い上げる。
なのに、自らが危機に陥れば、誰よりも先に命を懸けるその度胸。
魔法も剣も誰にもかなわない。
胆力も、判断も、背負った覚悟も。
それでいて、どこか壊れそうなほど静かで、寂しげな背中。
――ほしい、と思った。
この女が、ほしい。
こいつしかいない。
こんな女には、もう二度と出会えない。
“じゃあ、お前が欲しい”――
その言葉が、喉元までこみ上げた。
喉の奥から衝動のようにこみあげたその思いに、ゼイルはそっと唇を噛みしめた。
だが、今は違う。
この夜、この瞬間は、ただ確かめるだけだ。
誓いではなく、ただ確かめるための時間。
「……じゃあ、考えとくよ。じっくりな」
とだけ笑って、彼は火をくべた。
セレンはその言葉に、ひとつだけ小さくうなずいた。
けれどその瞳は、ふいに彼の横顔を見て、じっと何かを見定めるように揺れていた。
※
ふたりで敵本陣を抜いた――
本来、十の軍を要しても難攻不落とされた南西の丘。
それを、わずか二人で堕としたというのは、もはや戦果ではなく“奇跡”と呼ばれていた。
「第三軍の軍神と雷の死神」
そう呼ばれる伝説の幕開けが、この夜に刻まれた。
その事実が、どれほど後の歴史に重く語られることになるか。
この夜の彼らは、まだ知らない。
ただ、ひとつだけ――
“報酬”という言葉に込められた意味が、
この夜から、静かにかたちを変えていくことだけは、ふたりとも、どこかで察していたのだった。