番外編 成長と変化
最近、メイの様子がおかしい。
旅行とやらから戻ってきてから何やら一人でぶつぶつと言っていることが増えた。
声をかけると慌てた様子で何でもないと言い、逃げるように去っていく。
明らかにおかしい。
だがそれ以外はいつも通り騒がしいし、よく笑い、よく遊んでいる。
以前兄上に言われたのでオレなりに気を付けてはいたが、もしや嫌われたのか?
オレは気付かぬうちに何かしてしまったのだろうか?
わからん。
ガルラに聞いてみるも何も情報は増えなかった。
……わからん。
最近、メイの様子がおかしい。
そしてそれに関連してフェルのご機嫌も斜めだ。あと若干拗ねている。
理由を知りたがっているフェルの為にもメイ本人に何をしているのかと聞いてみたが、あからさまにごまかし始め教える気はないようだ。
ならばと最近正式にメイの眷属となったカイルにも聞いてみたが、ヤツの答えもオレ達と同じだった。
コソコソと一人で一体何をしているのか。
最近、お嬢の様子がおかしいと神々が心配しておられる。
お嬢の眷属になり冥界への出入りをフェルトス様に許された俺は、以前よりお嬢と一緒にいられる時間も増えた。
お嬢が冥界へ帰るときに一緒に冥界へ行き、フェルトス様とガルラ様がお戻りになられるまで一緒にいる。そしてお二人がお戻りになられたら家へ帰るという生活だ。
正式に眷属になったからといって、さすがにその後も神と一緒の空間で過ごせるほどフェルトス様の存在に慣れていない。
帰り際お嬢が寂しそうにしているのだけは心苦しいが、俺の心臓が持たないのでもうしばらく時間が欲しい。
フェルトス様は俺があの方の家――そう、家。あれは家だ。とにかく、神が住まわれる場所に俺がいることを広い御心で許しくださっている。
さらには冥界内に自分の家を持ってもいいとまでおっしゃってくださった。
お嬢も賛成してくれたけど、すでに俺には神域に家を建ててもらっているしこれ以上は申し訳ないと断っている。少しだけ未練はあるがな。
俺のことはいい。お嬢のことだ。
正直、俺と一緒にいるときには変わったところはない。
いつも通り元気でかわいいお嬢だ。
だから神々が変だと言っていることに関して、俺は見たことがないからよくわからない。
しかし神々が変だというのだから変なのだろう。だから俺からもそれとなくお嬢に聞いてみたが、なんでもないと言われるだけ……力及ばず申し訳ありません……。
最近、私はみんなに隠れてある特訓をしている。
それは何かというと、名前を言う練習だ。
フェルトス様、ガルラさん、カイル。三人の名前を完璧に言えるようになってから、みんなに披露してびっくりさせる算段なのだ。
だからバレるわけにはいかない。
練習は上手くいっている。
すでにフェルトス様の名前は言えるようになった!
ガルラさんはもう少し。それが終わったら次はカイル。一つづつ確実にクリアしていくのだ。
もうかれこれ一週間は練習している。
時間がかかってる理由は、ひとえに一人の時間がないからだ。内緒で練習して驚かせたい。
カイルを眷属にするまでは家で一人の時もあったけど、今はだいたい誰かと一緒だから隙間時間でもしょもしょ頑張っている。
カイルはずっと私のそばにいるから練習できないけど、フェルトス様やガルラさんしかいない場合だとチャンスはある。
その少ないチャンスを利用してこっそり練習してる時にフェルトス様やガルラさんに勘付かれそうになったこともあるが、そこは完璧な私の対応で華麗に話題を逸らしたりして事なきを得た。
むふふふ。我ながら演技力が怖いね。女優になれるんじゃないだろうか。
でも何故かここ数日フェルトス様がしょんぼりし始めちゃったので、早く一緒にいられる時間を増やす為にもなるべく早くマスターできるように頑張ろうと思う。
「よーち! 早くみんなのお名前完璧に言えるように頑張るじょー!」
おー! と一人拳を高々と上げ、私は決意を新たに固めるのだった。
聞いてしまった。
すでに俺の朝の日課にもなったお嬢の畑の世話を一緒にしていたときだ。
お嬢と手分けして野菜の収穫をしていたんだが、俺の担当分の収穫が終わりお嬢の元に戻った時にそれは聞こえてきた。
「よーち! 早くみんなのお名前完璧に言えるように頑張るじょー!」と。
俺が戻ってきていることには気付いてなかったようなので、急いで物陰に隠れた俺は一人拳を振り上げ意気込んでいるお嬢の様子を伺う。
やるぞやるぞとやる気に満ちたお嬢は健気でかわいい。
俺が近くにいるというのに、あんなに大きな声を出してバレないと思っているところもなおさらかわいい。
やはりなんだかんだお嬢はまだまだ子供だな。
というか、最近コソコソしていた理由がかわいすぎてなんとも言えない気分になるな、これ。
俺は微笑ましさでニヤける口元を何とか根性で戻し、平常心を保つとわざと音を立ててお嬢の元へと戻る。
そこで俺の存在にようやく気付いたお嬢は慌てて作業に戻っていったが、それすらも何だかぎこちなくまた俺の笑いを誘った。
そして昼飯時にお嬢が料理をしている隙をついて先程見聞きしたことを神々に報告。
すると俺からの報告を聞いたフェルトス様が珍しい笑みを見せられた。それはとても愛おしそうな、柔らかい微笑みだった。
見間違いかと思ったが見間違いではなかった。
あのフェルトス様にこんな表情をさせるなんて、さすがは俺のご主人様だ。
お昼を食べお昼寝が終わると、いつもならカイルと遊んだり、他の作業をしたりする。
だけど今日のカイルは町へ用事があるとかなんとかで、急に一人で出掛けてしまった。
フェルトス様とガルラさんはお仕事だし、突然の一人時間。
私はカイルを見送り、みんないなくなった畑をキョロキョロと見回す。
これは……チャンスなのではないでしょうか!
いつもついてきてくれるケロちゃんズはいるけど、ケロちゃんズにはバレても大丈夫。
ちゃんと内緒だよって言ってオッケーも貰ったしね……多分だけど。
そして練習を始めて数時間。
飽きてきたケロちゃんズは眠いのかうとうとしている。私はそんなケロちゃんズにもたれかかりながら口を動かす練習を続けていた。
「フェルトス様……フェルトス様……よち!」
様やさんがまだちょっと怪しいけど、九割は成功している。
通常でもまだまだ舌足らずな部分は出てきちゃうけど、意識すればだいぶ言えるようになった。
「ガルラさん」
ふふん。完璧だ。
「カイル…………むふふふふふふ」
完璧すぎる自分の発音と目覚ましい成長に笑いが止まらない。
突然の纏まった時間にみっちり練習した結果、私は三人の名前を完璧に言えるようになった。
前まではなかなか上手くいかなかっただけに、この成長速度には自分でもびっくりです。
ここに落ちてきた時、セシリア様に私は成長が遅そうって言われちゃったけど、この成長速度ならきっとセシリア様の勘違いだったんだよね。むふふ。
きっとこれにはみんなも驚くだろうし、褒めてくれるに違いない。
「ケロちゃんズ。どうかな? ちゃんと言えてるよね?」
「む……わふん!」
「むふー。でちょ! あ。でしょ!」
「わん! ……ふぁ」
ぐふふ。今から本番が楽しみだ!
夕方頃。帰ってきたカイルを連れ冥界に戻った私は、フェルトス様とガルラさんの帰りをワクワクしながら待っていた。
二人が帰ってくるとカイルは自分の家に戻っちゃうけど、今日だけは用事があるからって引き止めることに成功している。
そして二人が帰ってきたところにすかさず突撃し、二人をソファに座らせた。もちろんカイルも一緒に座ってもらってる。
真ん中がフェルトス様。フェルトス様の右隣にガルラさん。フェルトス様の左隣にカイルという並びだ。
ただカイルはフェルトス様から少し距離を空けて小さくなっちゃってるけど。さすがにこの距離で同じ椅子に座るのはまだ無理のようだ。
申し訳ないとは思いつつ、私は机を挟んでみんなの正面に立った。
さぁ、練習の成果を見せてやる!
「どうしたのだメイ」
わかっているだろうに、何も知らないフリをしてメイに訊ねるフェルに笑いが込み上げる。
前はこんな風に振る舞うこともなかったことを考えると、こいつも少しは成長しているのだろうか。
「にししー」
いたずらっ子のようににっかりと笑ったメイは、一度軽く咳払いをしてから口を開き――
「フェルトス様! ガルラさん! カイル!」
――自信満々にオレ達の名前を呼んだ。
いつものような舌足らずな言い方ではなく、しっかりとした発音で。
「どう? ちゃんと言えたでしょ! いっぱい練習したんだよ!」
そしてオレ達に向かってワクワクした顔を向けた。
驚いただろう。褒めても良いんだぞ。あれはそんなことを思ってる顔だ。
可愛すぎて撫で回したくなる。
「――ふ。そうだな、上出来だ」
「わーい! フェルトス様に褒められちゃー!」
「褒美をやろう。こちらへ来い」
「あーい!」
ソファの上で手招きをするフェルに、ぴょこぴょことメイが近寄る。そしてそのままフェルの膝にポスンと飛び込み、キラキラとした瞳をフェルに向けた。
フェルはそんなメイの期待に応えそっとメイの頭に手を乗せ撫でる。
「むふふふふ」
口を押さえ嬉しさを噛み締めているメイ。
今日の昼からずっと練習していたんだ。それがうまくいってよほど嬉しいんだろうな。
メイの成長を感じ、嬉しくもあるが寂しくもある。コイツもいつまでも小さな子供ではないということか。
「ガルラさん」
「ん?」
「ガルラさんも褒めていいんだよ? 具体的には頭を撫でたら良いと思う」
フェルの手を頭に乗せたままメイがオレに言う。
前言撤回だ。やっぱまだまだガキだった。
「相変わらず欲望に忠実だな! よし、覚悟しろ! うりうりうりー」
「きゃー!」
望み通りにメイの頭をぐちゃぐちゃに撫で回しながら褒めてやると、メイは満足そうに笑い次のターゲットへと顔を向けた。
メイに見つめられたカイルはオレ達に遠慮しつつも望まれたままにメイを褒めそやす。
そしてメイの頑張り披露も無事に終わり、さらにオレ達から褒められたことで上機嫌になったメイはそのままカイルを連れ飯の準備に取り掛かった。
鼻歌を歌いつつ楽しそうに料理をするメイの後ろ姿を見ながらオレは口元を引き上げる。
冥界という場所は基本的に死に満ちている。
作物は育たないし、生命を感じられるものはほぼないと言ってもいい。
冥界神であるフェルトスやその眷属であるオレはすでに成体だから肉体的にはこれ以上の成長はない。
他の冥界に棲む眷属達だって幼体はおらず成体のみだ。
冥界には何もない。死者が眠る場所でもあるから、基本静寂に包まれている。
ある意味神秘的とも言える空気があった。
そこに棲むオレ達にはそれが普通だったし、変えようとも、変わろうとも思わなかった。
それがメイが来てからというもの、短い時間であっという間に変わった。
具体的にいうとオレ達の生活圏にがっつり生活感が出てきた。
だが、それ自体に不快感はない。むしろいい変化だとも思う。
フェルも昔と違ってよく笑うようになったし、起きている時間も増えた。
滅多に冥界から出ない男が、自分から外に出ることも増えた。
基本受け身で他者との関わりが最低限だった男が、自分から関わるようにもなった。
オレはバレないようにそっと隣に座るフェルを盗み見る。
口元に小さく笑みを浮かべ娘を見つめるその男を。
「……なんだ?」
「うんにゃ。なんでも」
「そうか」
「そうだよ」
結局盗み見ていることはバレてしまったが、別に構わない。
フェルが――フェルトス様が笑っている。楽しそうにしている。それだけでオレは満足だ。
この冥界に落ちてきたのがあの子で本当に良かったと――オレは心からそう思う。




