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UNDEAD HUNTER  作者: Navajo
第一章 招かれた世界
3/29

第三話 歓迎会





 「ハックション!!」

 

 

 男は大きなくしゃみで覚醒した。

 

 寒い。

 

 気がつけばエアコンの暖房が止まっている。

 

 男は床の上で毛布に包まりながらタイマーをセットした覚えのないエアコンのリモコンを操作し、暖房のボタンを連打した。

 

 しかし反応が無い。

 

 電気が消えた部屋の中は真っ暗で、押しているボタンが間違っているのだろうと男は考えた。

 

 寒い部屋の中で立ち上がり、真っ暗闇の闇の中で手探りで電気のスイッチを探した。

 

 明かりはなくとも勝手知ったる我が家なので、苦労すること無くいつもの照明のスイッチに手を伸ばした。

 

 しかしスイッチを切り替えても明かりはつかなかった。何度も切り替えてもつかない。

 

 毛布を頭から羽織ったまま窓に向かい、窓の外を見ると街灯も消えており、あたりは真っ暗闇だった。

 

 

 「……町の明かりが~ぜんぶ消えたら、て・い・で・ん。……まいったなァ……停電かぁ……。本当についてないな」

 

 

 男は溜め息を付きながら窓から離れ、テレビのリモコンを手にして電源を入れようとした。しかしもちろん反応は無い。

 

 男は寒さから服を着ようと部屋の中を徘徊し照明となるものを探した。

 

 そして寝る前に自分が充電したスマートホンのことを思い出し、暗闇の中で床を這いつくばってスマホを探す。

 

 しばしの間手探りで探して指先に当たった端末を摘むようにして持ち上げる。表に返すとチカチカとランプが点灯して通知があることを告げるサインが示されていた。男は恐る恐る指先でホームボタンを押して電源が入れた。

 

 途端にポワッと明るい画面がつき、時刻と日付、そして無数の不在着信やメッセージ、メール受信の通知が表示された。

 

 男はゲッソリしたが、ある表示を見て度肝を抜かれた。

 

 画面には11月22日、午前3:23 と画面に表示されていた。

 

 

 「俺……十日以上も寝てたのか……」

 

 

 最後に出勤したのが11月の9日だったような気がすると記憶をたぐり、二週間近くも昏睡状態だったことを知ると愕然とした。

 

 それを知った途端にめまいがし、飲まず食わずで過ごした重病人だと理解してメッセージを確認するのを男は止めた。

 

 そういえばなんだか熱があるような気がするし、節々が痛くて頭痛もして吐き気もする上に腹は減っていると感じた。

 

 例え停電だとしても食べられるものはあるはずだ。

 

 男はスマホのライトを点灯させ、台所へ移動して電源の落ちた冷蔵庫を開けた。

 

 冷蔵庫の中はまだ冷たく、停電してからまだ間もないことが分かる。物色すると開封済みのポテトチップ、賞味期限切れのプリン、ハム、食パンなどがある。

 

 適当に食べられそうなものをつまみ出し、自分が寝ていた温もりが残っているフローリングに戻ってそれらを並べて置く。次に小さなクローゼットに向かうと中から冬用の衣類を取り出し、ボア付きのズボンや靴下、フリースにジャンパーをハンガーから外して手に取って着替えた。

 

 最初こそ、冷たい衣類に足や袖を通すとヒヤリと冷たい感触に驚いたが、いざ着てしまえば途端に暖かくなった。

 

 近代文明が作り出した化学繊維の高機能で暖かな温もりに男は笑顔を浮かべると、床に並べた食べ物の前にあぐらをかいて座り、スポーツドリンクで流し込みながらそれらをムシャムシャと貪った。全て食べ終えると満腹になり、そのまま床に寝そべり、毛布をかけると眠り直した。

 

 水分と栄養、そして睡眠は男の体力を確実に回復へと導いた。床で寝ることでの寝苦しさはあったが、衛生環境が改善されたことでストレスが減り、心の持ちようも変わった。

 

 なんとかなるだろう、と。

 

 そうして目覚めた朝はそんな気持ちを裏切らないような気持ちのいい朝だった。

 

 ここで生活してきた中で経験したこともないほど静かで、暖かな日差しを浴びながら目覚め、男は体のこりをほぐすように伸びをした。

 

 男が窓まで歩きカーテンと窓を開けて暖かな日差しを浴びていると、病気が治ったのだと実感した。

 

 窓から外を見ると車はまだ走っていないが歩行者が数人いる。部屋に戻ってテレビをつけようとしてもつかないので停電は直っていない。けれども自分は元気になったのだ。

 

 開き直って派遣会社に電話し、事情を説明して今の状況を把握し、今後のことを考えればいい。

 

 なんとかなるさ。

 

 男はそう考え、スマホの通知をあえて無視しながら表示される日時と曜日を確認した。偶然にも今日は燃えるゴミの日だ。

 

 外に放り出した汚物で汚れたゴミを片付けてしまわないとアパートの住人からクレームが出てしまうだろう。

 

 男はポケットにスマホをしまうと玄関に向かい、素足でスニーカーを履いて表に出る。

 

 アパートの廊下には自分が二重に包んだゴミ袋がいくつも積み重ねられている。男がそれらを無造作に掴み、両手に持てる分だけ一度にゴミ捨て場に運んだ。

 

 一度では運びきれないので数回往復して運ぶ。一番の心配は布団の下に敷いていた湿気防止のスノコだ。排泄物で汚れた複数枚のスノコを重ねてゴミ袋に入れたが、ギリギリアウトというくらいゴミ袋に強引に詰め込んだ上でゴミ捨て場まで持ってきてしまった。

 

 他のゴミと違い、ゴミ収集車の中に入れられそうには見えない。粗大ゴミとして取り扱われて持っていってくれないかもしれない。

 

 

 「大丈夫かな……」

 

 

 ゴミ収集が去った後でゴミ捨て場に糞尿で汚れたスノコが残っていたら問題になるかもしれない。

 

 自分の部屋の前に置いていたのだから、他の住人が見ていれば犯人が特定されて引き取るように大家から文句を言わてしまうだろう。

 

 男がゴミの処分で悩んでいると、後ろから誰かが近づいてくる足音と気配を感じた。

 

 他の誰かがゴミを捨てに来たのだろう。男はそう思ってゴミ捨て場の前から立ち去ろうと後ろを振り返ると、そこには女性が立っていた。

 

 その女性は酷く顔色が悪く、まるで首が座っていないように顔をかしげていた。

 

 自分よりは年齢が若そうで、セミロングの髪とカジュアルな服装の上に緑色のエプロンを身に着けている。主婦なのかもしれない。

 

 しかし問題はその容姿だ。

 

 髪はボサボサのデロデロで、ろくに風呂にも入っていないような状態。

 

 血の気の無い顔は赤黒い汚れで汚染され、前歯も数本無くなっている。

 

 その上で着ている服もグチャグチャに汚れている始末だ。さらに嗅ぎ慣れた異臭を放っている。

 

 男にはその汚れと臭いの原因の大半が糞尿などの排泄物であると瞬時に理解した。

 

 俺と一緒だ。

 

 男はそう悟ると女性に声をかける。

 

 

 「だ、大丈夫ですか? よ、よかったら誰か助けを呼びましょうか? ご家族の方は近くにいますか?」

 

 

 男は腫れ物を扱うかのように女性に触らないようにしつつも、いつでも手で支えられるように両手を構えながら近くに歩み寄った。

 

 すると女性は男性に近づく。異臭を放ち、薄汚れてしまっていても助けを求める異性を見捨てて放っておくことは男にはできなかった。その女性が近づいてきたことに強い嫌悪感と不快感が表情に出てしまっていたが、男は抵抗せずに手を差し伸べて助けようとした。


 男は女性を支えようと、彼女の両肩を両手で掴んだ。

 

 女性は男に両肩を掴まれると、左の肩にかかる男の右手を自身の右手で掴み、さらに左手でも掴む。

 

 そして噛み付いた。

 

 

 「イダァァァァぁぁぁ!!?」

 

 

 絶叫した。

 

 男は反射的に右手に噛みつく女性を、左手でぶん殴ってしまった。

 

 ゴツンと殴ったことで左手にも強烈な痛みが走り、噛まれた右手を振りほどいて引っ込める。

 

 殴られた女性は手で受け身も取ろうとしなかったので、顔面からアスファルトの地面に落下するように倒れた。

 

 倒れた拍子に歩道のコンクリートでできた境界線ブロックに額をぶつけ、ガツンという音とともに卒倒する女性。

 

 直後に女性は腹ばいで倒れたまま額からダラダラと血を流し、歩道が血で滲んでいく。

 

 男は殴った左手で噛まれた右手でかばった。

 

 右手には殴った拍子に取れたのであろう、女性の犬歯らしき歯が食い込んでいる。齧られた歯型がクッキリと残って噛まれた右手首からは血も出ていた。

 

 男は言葉を失い、顔が真っ青になってしまった。

 

 殴った衝撃で痛む左手を使い、右手首に刺さるように食い込んだ歯を恐る恐る摘み、ゆっくりと抜いた。

 

 男は抜いた歯を震える指で捨てた。歯は流血した女性の血溜まりの中にポタリと落ちる。

 

 エナメル質でコーティングされた鋭利な犬歯が抜けると、患部から血がタラタラと流血し、今起きた事態に男は恐怖した。

 

 キチガイに襲われて負傷し、正当防衛で相手を死傷させた。

 

 ゴミを捨てに来ただけでとんでもない大事件が起こってしまった。

 

 

 「な、な、な、なに、何なんだよぉ……。俺は悪くねーぞ……」

 

 

 男はわけが分からなくなり、誰かに助けを求めようと周囲を見渡した。

 

 しかし人がまるでいない。離れた所に歩行者が見えるが、人相の区別もできないほど遠くにいる。

 

 地面に横たわりピクリとも動かなくなった女性を見下ろしながら男は後ずさり、アパートの階段へ向かった。

 

 男の部屋は三階。焦るように階段を駆け上がると二階で人影がノソリと姿を現し、男と人影が二階の階段の踊り場で鉢合わせした。

 

 それは男性だった。

 

 先程の女性と同様に汚れた姿に異臭、服は下着の上にワイシャツを羽織っただけで素足。

 

 下肢は風化したような糞便で汚れているが、口から真新しい血を滴らせて衣類も真っ赤に染め上げている。

 

 男性は両手を上げて男に掴みかかろうとした。男は驚き、階段を踏み外して後ろに転げ落ちてしまった。コンクリートの階段に頭や背中、腰などを強打して一階と二階をつなぐ踊り場まで落ちると、全身の痛みに顔を歪める。

 

 強打したせいで後頭部から出血し、腰と背中が痛くて立ち上がることができなかった。

 

 男に逃げられた異様な男性は立ち止まると、階段の上から男を見下ろしながら首をかしげた。

 

 すると歩き出す。

 

 確かめるような足取りで、一歩ずつ階段を転ぶこと無く下ってくる。

 

 その足取りは遅いが、着実に男との距離を詰めてくる。

 

 

 「助けてぇぇぇ!! 誰か、だれかたすけて!」

 

 

 男は叫んだ。

 

 痛みを忘れるような大声で叫んだ。

 

 その間にも血まみれの男性はゆっくりと階段を下ってくる。

 

 男は這うようにしてその場から動き、アパートの汚れた階段を四つん這いの姿勢で逃げる。

 

 足と膝にも痛みがあるのだが、痛い場所が多すぎてどこを怪我したのか分からない。

 

 少なくとも一番痛いのは腰だ。

 

 階段の壁を両手ですがりつくように掴み、手すりまで這い上がると右足をびっこを引くようにしながら階段を降りて男性との距離を空ける。

 

 階段を降りて一階にまで戻り、痛む右足を庇うようにしてできる限りの速さで男は歩いた。


 その時、新たな人影がアパートの敷地内に現れた。

 

 さっきの女性だ。

 

 歯は更に減り、額からダラダラと血を流しながら男めがけて近づいてくる。

 

 

 

 「へやぁぁぁぁーー!? ひゃぁぁ!?」

 

 

 男は言葉にならない雄叫びを上げ、目をまん丸にして女性からも逃げる。

 

 異様な女性はさっきよりも平衡感覚の無いおぼつかない足取りだった。なので男の怪我した足でも振り切れ、アパートの前の歩道を懸命に歩いて逃げおおせた。

 

 しかし病み上がりの体ではこの時点で疲労がピークに達し、男の活動できる限界に近づいていった。

 

 

 「助けてぇぇぇ! たすけて! だれか、助けてくださぁぁい!」

 

 

 階段から落ちたときに痛めた左肩を怪我した右手で無意識に庇いながら男は叫び続けた。

 

 喉から出した、今できる限りの大声で叫び続けると喉が張り裂けそうになり、仕舞いにはガラガラに喉が枯れてしまいそうだった。

 

 アパートからほとんど離れていない隣の民家の前を通過しようとしたその時、民家のドアが開いた。

 

 男はすぐに開いた扉に向かって叫んだ。

 

 

 「助けてください! 襲われてるんです!!」

 

 

 負傷した中年の男が懇願すると、扉がゆっくりと開き、中から人が出てくる。

 

 汚れた若い男性。それも二人。

 

 

 「ひ、ひやぁぁぁぁァァァァ!?」

 

 

 男は自分の体の限界を超える速度で歩いた。

 

 疲労と痛みよりも驚きと恐怖が全てを凌駕し、生存本能が体を突き動かす。

 

 しかし襲撃者は増える。

 

 男が後ろを振り返ると、噛み付いてきた若い女性、襲ってきたワイシャツだけの男性、民家の若い二人組の男性と、計四人が歩道を歩いて男を追いかけてくる。特に増えた若い男性の二人組は歩く速度が男よりも速い。

 

 

 「なんで来るんだよ!? 来んなよ!! こっちくんな!」

 

 

 男は叫びながら歩き続けた。

 

 途中で歩道の側に落ちていた大きめの石を拾って若い二人組の男性に投げつけたりなどしたが効果も無く、追いつかれるのも時間の問題だった。

 

 捕まる。

 

 その恐怖心が男の全てを支配した時、男は歩道に面したすぐ近くの家の玄関が開いてることに気がついた。

 

 ためらう暇はなかった。無我夢中でその扉めがけて歩き、不審者たちの追従から逃れる。

 

 一歩歩くたびに襲撃者たちとの距離が縮まるが、目指す扉との距離も縮まる。

 

 男は右足を引きずり、体を支えて動かす左足の全てを使った。太ももに膝、つま先からかかとまで総動員して全体重を持ち上げるようにしながら片足でケンケンするような状態で進んだ。

 

 そしてとうとう見知らぬ家の中に飛び込み、扉を叩きつけるように閉めた。

 

 その直後に襲撃者たちが扉に体当たりをし始め、ガンガンという音を立て始める。さらに次の瞬間にはドアノブのレバーを下げて扉を開けようとした。

 

 鍵を閉めるのが間に合わない。それを瞬間的に感じ取った男は扉についたドアガードのU字型の金具を叩き起こし、金具同士を合わせて家の中への侵入を防ぐ。

 

 扉を強引に開けようとした襲撃者たちだがドアガードの金具が邪魔して扉は数センチしか開かない。

 

 扉のドアガードを破壊して開けようとする襲撃者たちに負けないように、男もドアノブのレバーを握り、ひたすら閉じようと引っ張った。

 

 男が扉を引くタイミングと、襲撃者たちが外から扉をこじ開けようと扉をガクガクと動かし、押したその瞬間、両者のタイミングが重なりとてつもない勢いで扉が閉まった。

 

 即座に男はバチンと鍵を閉める。

 

 外から亡者のような襲撃者たちの唸り声に似たかすれた声と共に扉が叩かれる。男は恐怖と疲労から目を閉じ、何もできず震えて嵐が去るのをひたすら待った。

 

 それはどれだけ続いただろうか。

 

 鉄の複合素材でできた頑丈な扉が外から壊れそうなほどの勢いで殴打され、男は現実逃避して玄関で縮こまり泣いていた。


 男はそのまま泣きながら痛みと疲労と神経衰弱で玄関から動くこともできず、徐々に眠るように意識を失った。

 

 昨夜と今朝の束の間の平和な時間は忘却され、突如始まった暴力と恐怖で満ち溢れた暗黒の時代が幕を開けたのだ。

 

 新たな演目の始まりは夕方だった。

 

 玄関でうずくまっていた男は西日が差し込む静寂の中で覚醒した。

 

 あれは夢だったのだろうか? そう思いたい気持ちはあったが全身の痛み、なによりも右手に残る噛まれた跡がそうではないことを男へ伝えた。

 

 全身の痛みを庇いながら必死に左足で歩いたことで汗まみれとなり、階段から落ちたことでホコリまみれ。両手も血やすすが原因でドロドロ。そんな両手で顔を覆ってしまったので顔にまで汚れがついてしまい、まるでドーランを顔に塗ったかのようになってしまった。

 

 男は理解できない事態に混乱しながらもゆっくりと立ち上がろうとした。

 

 右足は膝が痛い。立とうとすると痛みが走る。

 

 背中は右の肩甲骨の下あたりから腰にかけて痛みがある。

 

 後頭部に触れると小さなコブ。

 

 そのコブを触れる右手は噛まれた跡があり、左手には殴った衝撃の違和感が残っていた。

 

 それらを確認するようにしながら男は立ち上がる。

 

 そして誰の家かも分からない民家の玄関で靴を脱ごうとしたその時、男は異変に気がついた。

 

 異臭がする。

 

 家の中から異臭がするのだ。

 

 今までと同じ糞尿などの汚染された臭い。

 

 男は家に上がるのをためらい、その場で動かずジッと静止して様子を伺い始める。

 

 心臓が早鐘を打つ。

 

 また奴らが出てくるのだろうか。

 

 その恐怖で足がすくみ、震えながらただただ立ち尽くす。

 

 それが数分間続き、とうとう男の精神力が限界にまで達すると、男は周りを見渡して玄関に置かれた傘立てに注目した。

 

 傘立てには年季の入った傘が数本立てかけられて、中には丈夫そうな杖と、レッキングポールというストックが二本、傘と一緒に並んでいた。

 

 男はそのトレッキングポールのストックを一本だけ手に取り、痛む両手を使ってキツく握りしめた。

 

 そして素足で履いたスニーカーを脱ぐこと無く、土足で家の中に侵入する。

 

 アディダスのロゴが刻まれたスニーカーのゴムソールは足音を殺し、静かに忍び込もうとする男を手助けをした。

 

 一歩、また一歩と歩みを進めるが人の気配は無い。

 

 そして玄関から一番近くにある引き戸に手をかけ、男はゆっくりと扉を横に引いて開ける。

 

 そこは台所だ。

 

 悪い言い方をすれば小汚いダイニングテーブルが中央にあり、その上には急須や養命酒などが置かれている。コンロの上には使い込まれた鍋が乗り、シンクの水切りカゴには洗い物が積み重ねられていた。一見すると問題はない。

 

 問題があるとすれば台所には似つかわしくない糞尿の腐敗した香りが立ち込め、ハエもブンブンと飛んでいることだ。

 

 ブンブンと飛び交うハエとその臭いの発生元と思われる場所はダイニングテーブルの陰。

 

 男は足を前に出したり、後ろに戻したりして一進一退を繰り返し、わずかに進むとテーブルの陰を覗き込もうと首を伸ばす。

 

 何度もその行動を繰り返してやっと数十センチ進むと、何かが見えた。それは人の足。白い靴下を履いた足。

 

 動かない様子を確認すると、男はもっと前に進む。そして全容が見えてきた。

 

 老人。

 

 白髪だらけの髪でズボンを履いている。高齢になると性別の判別がつきにくくなる容姿になってしまうが、背格好や衣類からみて男性で間違いはないだろう。

 

 身動き一つしない。おそらく死んでいるのだろうと予想はしても、怖くてこれ以上近づけない。

 

 そこで男は手にしたストックで老人をつついてみた。

 

 男はストックの石突きで足をつつき、太もも、手と、つつく場所をいくつか変えながら様子を探った。

 

 しかしなんの反応も無かった。意を決して恐る恐る手を伸ばして足の先を触ってみた。

 

 冷たい。

 

 露出している手も触れてみた。そこも変わらない冷たさ。

 

 男は思い出す。触れたあの若い女性はどうだったかを。衝撃的な事だらけで体温など印象に残っていないが、冷たいとは一切感じなかった。つまり体温はあったはずだ。

 

 そうなると、この老人の男性は死んでいるのだろう。

 

 老人は自分と同じように動けなくなり、排泄物を垂れ流しながら衰弱死したのだろうか。

 

 そう思うと死体への嫌悪感よりも哀れに思う感情が込み上げる。同時に、死体であることに安心する。

 

 この家に危険が少ないことを理解し始めると男は台所から立ち去る。異臭と死体とハエのコラボレーションを楽しむ神経は持ち合わせていない。さっさと引き戸を閉めてしまうと、家の中の探索を始めた。

 

 男は一階を順番に覗き込む。居間、仏間、トイレ、風呂。特に目立ったものは無いが、居間のコタツの上には新聞が置かれていた。テレビや照明をつけようとしても電気はつかない。停電は今もなお続いているのだろう。

 

 男は最後に階段の前に立ち、二階への階段の先を見上げながらストックを握る両手に力を込めた。

 

 台所に侵入したときよりかは心持ちは落ち着いていたが、それでも慎重に、警戒しながら階段を上っていく。

 

 階段を上りきると廊下には扉が二つと、ふすまが一つ。

 

 一番近くの木の扉を慎重に開ける。

 

 立て付けの悪いキィっという音とともに扉を開けると、西日の差し込む光で便器が見える。トイレだ。

 

 次に近いふすまをゆっくりと開ける。引っかかるような立て付けの悪さは感じたが、中はなんの変哲もない六畳の和室だった。

 テレビとちゃぶ台があり、少し古いゲーム機の箱や玩具が蓋付きの透明なプラスチックケースに収められて床に置かれている。押し入れを開けてみれば清潔な布団とタンスがあるくらい。

 

 恐らく子供の家族などが泊まるのに利用する客間なのだろう。

 

 残るは奥の扉だ。男は再び慎重な足取りで奥の部屋まで進み、遠慮すること無く扉を開けて中を覗き込む。

 

 まずは布団が見えた。畳の上に布団が敷かれ、誰かが寝ているのが分かった。

 

 周囲の家具へは注意を向けず、横たわっている誰かを覗き込むために男は近づく。

 

 それは年老いた女性だった。

 

 白髪だらけの髪とシワの多い顔。嘔吐物で汚れた様子は見えず、布団のすぐ隣にはタオルやオムツ、使い捨てのおしり拭きとゴミ袋が置かれている。

 

 老婆は目をつむり、力なく眠っているように横たわっている。

 

 男は無遠慮にもストックの石突きで老婆の頬をつつき、何も反応がないことを確かめると額に触れた。

 

 冷たい。

 

 まるで生気の無い、生前の姿だけを残した遺体だ。

 

 異臭がしないのは恐らく一階で死んでいた旦那が介護をしていたおかげだろう。

 

 病気になり動けなくなった妻の介護と看病を夫が一人でし続け、そのうちに自分も病で動けなくなり衰弱死したという流れが想像できる。

 

 老夫婦二人の死体を確認し、この家の安全が確保されると男は家の中の物色をし始めた。

 

 電気はつかないが水は出る。

 老人の死体がある台所を探すと、カセットコンロを見つけた。それを居間のコタツまで運び、カセットコンロの上に水を入れたヤカンを乗せて湯を沸かす。そして居間から救急箱を探し出し、湿布と消毒液、絆創膏などを取り出す。

 

 体は厚着をしていたので痛みとアザはあるが骨折などはしていない。沸いたお湯を、風呂場から持ってきた洗面器と水で適温にするとタオルを浸して体を拭く。一番酷い右手を洗って消毒し、ガーゼと絆創膏を貼り付ける。

 

 打撲した箇所には湿布を貼り付け、老夫婦の仏間のタンスから老人の物と思われる肌着と靴下を拝借して着替えもした。手にしていたストックも傘立てに戻す。

 

 男は一通り身なりを整えるとコタツの前にあぐらをかいて座り、ため息をついた。

 

 これからどうすればいいのだろうか。

 

 まるでゾンビのような連中に襲われ、逃げ延びた先では死体を発見。その上その家で窃盗。

 

 正当防衛だとしても罪に問われるのだろうか。

 

 とにかく現状を整理しなければならないと考えた男はコタツの上に置かれた新聞に目を向けた。

 

 読もうとしたが日が沈み、あたりは暗くなっていたので字がまともに読めない。

 

 どうしたものかと男が悩み出した途端、ふと思い出した。

 

 自分はスマホを持っていたと。

 

 最初から警察に電話すればよかったと、自分の機転の悪さを悔しがりながら男は右手をポケットに入れて触り慣れた電子端末を取り出す。

 

 性能は追求しなかったので安価な海外製品だが、普段遣いには困っていない。

 

 パソコンはよくわからないのであまり使ってこなかったし、所有もしていない。このスマホが電話とメッセージアプリとインターネットに繋げることができるので、なおさら日常生活では困らなかった。

 

 男はスマホを起動させてパスワード入力し、少しためらってから警察に電話をするために110を押した。

 

 電話に応答するため、ゴクリと息を飲む。耳にスマホをあて、しばらく待ったが呼び出し音が鳴らない。

 

 電子音すらも鳴らず、おかしいと思って画面を見ると電波状況は圏外になっている。

 

 停電の影響だろうか。

 

 この家の固定電話を借りようと玄関に移動して受話器を取ったが、これも通信状況を知らせる電子音が鳴らない。

 

 電気も電話線も電波も機能しない。

 

 男は頭を抱えて居間まで戻り、着信の履歴とメールとメッセージの確認をしようとした。

 

 受信済みだったメッセージは職場の仲間と派遣会社からの安否確認が主で、いくつかは友人からの連絡。

 

 どれもニュースを見たかどうかという質問や、体調の心配、または連絡が取れなくなったら見に来て欲しいという相互扶助の依頼などだった。

 

 着信は実家から、そして派遣会社ばかり。親は携帯電話を使わないので固定電話からの着信のみで、雇用先の会社は男に電話することができないので登録先の派遣会社が電話で安否確認をしたかったのだろう。

 

 最近はもっぱらメッセージアプリばかり使っているのでメールは特定のサイトからの通知くらいだ。

 

 だが、キャリアメールで見慣れないメールが届いていた。

 

 緊急速報のメールだ。

 

 外出禁止令。不審に思いながらタップして読み出すと、簡潔な文面で未知の感染症が蔓延しているので外出は一切しないようにし、病気の自覚症状のあるものは特に誰にも接触せず、病院にもいかないようにしろ、という無茶苦茶な内容が通知されていた。

 

 普段使わない単語に首をかしげながら続きを読むと、住民票登録を基準に配給品が支給されるので各家庭はいかなる理由があろうとも外出せずに待機しろという強力な文面である。

 

 通知はそれだけで、それ以上の情報がない。

 

 本当に、一体何が起きてしまったのだろうか。

 

 男は家に残された数日分の新聞をかき集め、スマホのライトを当てながらそれらに目を通していく。

 

 ほとんどの新聞記事が正体不明の感染症についての関連記事で、これによる経済損失とインフラの問題、今後の先行きと市民にできる対策を伝えている。そして現在急激な感染の中で判明している病気の概要も紹介されていた。

 


 感染すると全身の倦怠感、食欲不振とともに頭痛、悪寒、発熱などを伴って発症する。体温は急速に上昇し、数時間で40℃にも達して意識障害を引き起こす。致死率が異常に高く、高齢者や乳幼児などの体力と免疫能力の低い患者は意識障害のまま死亡することが多数確認されている。

 

 意識障害から回復した症例では、覚醒後に極度の認知障害が認められ、興奮状態に陥る後遺症が多発している。そのため各地の病院では患者の身体拘束が急増している。

 

 なお少数ではあるが後遺症が残らずに回復した患者も報告されているが、発症して生存につながったとしても高い確率で脳へ重大なダメージが及ぼされることが予想されている。

 

 病気の感染源は未知のウィルスであると思われ、10月31日を前後して同時多発的に世界各地で発症が確認されたことから米国のCDCは人為的なもである可能性を否定しないと発表した。

 

 いつから世界各地で流行していたのかは不明だが、非常に長い潜伏期間を経てから同時期に症状を発症させるウィルスだと考えられ、発症が確認された日付からインターネット上ではハロウィンウィルスや、ゾンビウィルスなどともと呼ばれている。

 

 

 男は読み終えた新聞を見下ろしながらぼーっとしていた。

 

 要は感染すると老夫婦のように死ぬか、屋外で襲ってきた人々のようなゾンビになってしまうか、自分のように運良く生き残るか。

 

 自分が生き残ったのは体力と運が他の人よりも良かったからなのだろう。

 

 今後どうすればいいのだろうか。

 

 ここで待つか、それとも助けを探しに行くのか……。

 

 男が考えあぐねているまさにその時だ。

 

 ガガン! とけたたましい物音が響き渡った。

 

 男はその騒音に座ったままビクリと驚いてアタフタと慌てた。

 すぐに這って音の発生場所に向かうとそこは玄関。

 真っ暗闇な外から誰かが玄関を勢いよく叩いている。

 

 同じ叩く動作でも、ノックと両手での殴打では趣がまるで違う。

 とてもではないが「どちらさまでしょうか?」などとは間違っても声をかけることができない。

 

 男はぶち破らんとする勢いで叩かれ続ける玄関の扉の外を覗くため、階段を上って二階へと向かった。

 

 二階の客間の畳を土足のまま踏み歩き、玄関を上から覗ける位置の窓を静かに開ける。

 

 街灯の無い月明かりの夜空の下、いつも以上に明るい月夜に照らされて男が立てこもる民家の前に、十人近くの人影を確認することができた。

 

 

 「……っ!!?? な、なんで増えてるんだよ……」

 

 

 男は歯を食いしばりながら悪態をついた。

 

 あの人数で取り囲まれ、強行突破を試みられればその内に扉を破られるだろう。

 

 今はまだ玄関だからいいが、もしも窓から入ろうとされてしまえば窓ガラスを割られて侵入されてしまう。

 

 ここにとどまっていてはいけない。

 

 男はそう考え、逃げることとした。

 

 外に集まった人々は、南側の歩道に面した玄関に集中している。

 北に面した仏間の窓を使えば裏から逃げられるかもしれない。

 

 男は一階まで静かに戻り、仏間に向かおうとした。しかしまだ右足が痛い。普通の歩行速度程度では追いつかれて襲われてしまうかもしれない。

 

 男は玄関へ静かに向かい、バンバンと叩き続けられる玄関の扉に怯えながら傘立てに手を伸ばした。

 

 傘立てに戻した二本のストックを手にすると、ストラップを手首にかけ、グリップをそれぞれ両手で握りしめた。

 

 そして左右の手のストックと足を交互に踏み出す。すると歩ける。

 右足にかかる負担を左手のストックが支えてくれることで緩和してくれる。

 

 これで逃げられる。

 

 男は直感で理解すると急いで仏間に向かい、窓を静かに開けて外の様子を見た。

 

 誰もいない。

 

 物音を立てないように静かに開け、窓を乗り越えて左足から着地した。なにもない地面のおかげで目立った物音は立たなかった。男はストックを地面に突き刺しながら歩き出し、隠れていた民家を足早に立ち去った。

 

 男の背後では今も玄関を叩き続ける音が聞こえていた。





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