サウナ ~亀の湯【長野市】~
ここ数年、暑くなり始める5月末あたりに、車で20分ほどのところにあるスーパー銭湯に行くようになった。
目的は暑熱順化であり、具体的にはサウナに入って汗を出し、汗腺の機能を活性化させることだ。涼しい環境で暮らしているため、体内に熱を貯めこんでしまうと熱中症になりかねない。
大阪で暮らした高校時代までは「サウナ」が何なのか全く知らず、深夜に近い時間帯に、梅田や難波といった繁華街のサウナ店のCMが流れていたのを覚えている。
腰にバスタオルを巻いただけの壮年男性がオネーサンのマッサージを受けているシーンがキャバレーやクラブのCMと並んで流されると、サウナというのは、オトナの、ちょっといやらしい施設なんじゃないのかと思っていた。カタカナ3文字の、某国と同じ名前の入浴施設との混同もあったかもしれない。
当時の下宿で、風呂がついていることは甚だ稀だった。
自室の風呂はもちろん、共同の風呂場がある下宿もとても少なかった。
大学の寮には、当然浴場があったが、当時のこまくさ寮は2人部屋だったこともあり、寮生の部屋に遊びに行くこともなく、寮の浴場を利用したことはなかった。
そんなわけで、風呂は銭湯を利用した。
松本では元町の“女鳥羽の湯”をメインに、中浅間の“みなとの湯”という公衆温泉にも行ったが、いずれも特筆することがない至って普通の銭湯だった。
そんな中、長野市の教育学部のほど近く、善光寺の南側にあった“亀の湯”にはサウナ室があった。
“亀の湯”はサウナ目当てのイベントの一つとして、飲みに行ったり、ボウリングに行ったりするのと同じように、『亀の湯行くかー』『おー!』みたいなノリで、数人が連れ立ってわいわいと参じることが多く、我々の間では「亀の湯」=「サウナ」とみんなが脳内変換していた。
サウナがあるからと言って特別料金が設定されているわけではなく、他の市井の銭湯と同じ料金で利用できた。
初めての亀の湯(=サウナ)体験は、暑すぎて楽しむよりも苦行のようなスタートだった。
ほんの1、2分で気管支が音をあげ、汗を出す前にギブアップした。一旦サウナ室から出て、水風呂は冷たそうだから、ぬるま湯程度で火照りをとってから再挑戦。これを3、4回繰り返して、最長10分ほどまで連続滞在時間を伸ばして、汗をしっかり出した。
衣服を着て汗まみれになるのは甚だ気持ち悪いが、裸になってサウナでひたすら汗を出すのは慣れれば快いものと発見した。
その後、何度か利用してすっかりサウナにも慣れてきたころ、ちょっと失敗した。
同じサークルで活動していた自宅生のご家族が、いつもお世話になっているからと自宅での昼食会を開いてくださった。都合のつく(学生は大概都合がつく)メンバー5人ほどでお邪魔したのだが、驚くべき大盤振る舞いだった。
普段は経済的な制約から碌なものを食べていなかったためか、大皿に山盛りの唐揚げや、焼きそば、その他はうろ覚えだが、食べても食べても次々と運ばれてくるご馳走に、はじめのうちは嬉々として舌鼓を打っていた。ところが、満腹を感じ始めてから出された寿司桶にいっぱいのちらし寿司と、さらにその後に出てきたデザートには困惑を隠せなかった。
『残されても困るから、しっかり食べてね』と最初に言われたこともあったので、みんなで必死に食べた、というより胃に押し込み、最後は笑顔でお礼を述べてお暇した。
その日の夕方。たまり場になっている下宿の一室で過ごしているうちにお腹も随分こなれた感があり、誰が言い出したか亀の湯に行くことになった。
亀の湯に行くのは当然サウナに入るためだが、サウナの注意事項に『食直後は避ける』というのがあった。全く気にしてはいなかったし、確認したとしても、食後3~4時間は経っていたので『該当せず』との判断をしたと思う。
しかし、その時の食事量は胃の消化能力をはるかに超えていたらしく、わずか3時間では消化が追いついていなかったらしい。
サウナに入って5分ほどでお腹が張った感覚が生じ、その後すぐにムカムカ感が襲ってきた。慌ててサウナ室を出て、浴室を通り抜け、裸に腰タオルの状態で脱衣所からトイレに駆け込み………。
せっかく頂いたご馳走の何パーセントかが下水に流れた。
苦しんで食べたお料理で、再度苦しむことになった。
その後も折に触れ亀の湯にはお世話になったが、サウナでの失敗談はその後も仲間内で語り継がれることとなった。
もう一つ。
テレビの大食い番組を見ると、ものすごい量のご馳走と、それを食べ切らなければならないプレッシャーと戦ったあの日の自分が、“終盤に手が止まったフードファイター”に重なることがある。
年齢とともに食事量は減ってきただけに、若かった頃のエピソードを懐かしく思う。




