ラジカセ
音楽系のサークルだったから、部室にはギターが数本とおんぼろのエレキベースが1本あった。
しかし、音楽系のサークルなのに、部室には音楽メディアを再生する機器がなかった。
音楽メディアといっても、当時はレコードかカセットテープぐらいしか流通しておらず、貸レコード屋もまだメジャーになり切れてはいなかったから、仕方ないと言えば仕方なかった。
入学前。実家にはカセットテープレコーダーはあったが、モノラルだった。中学生の頃はテレビのイヤホン端子とテープレコーダーをつないで、歌番組を録音していた。
1975年頃、Technics が廉価なコンポーネントステレオを発売し、ブルドッグがヘッドホンをした広告が話題となった。強請ってみたが買ってはもらえなかった。
高校3年生だった1979年。SONYが再生専用のウォークマンを発売したが、わざわざ屋外で音楽を聴こうとは思わなかった。音楽は部屋で聴くものだったし、ヘッドホンはスピーカーの代用で、1人の時空間を作り出すものではなく、大きな音で隣近所に迷惑がかからないようにするものだと思っていた。
音楽に対する観念が、今とは大きく違っていた。
その観念を覆したのがウォークマンだったのだが…。
ただ、ニューミュージックという範疇の音楽が隆盛を迎え、FM放送ではアルバムやライブ音源を高音質で放送した。その録音を手軽に行えるラジカセが登場し人気になっていた。
ポータブル性に長けたラジカセも音楽との付き合い方を変えた。渋谷や原宿では派手な衣装を身に着けた竹の子族なる若者が、ラジカセの音楽に合わせて踊る姿が報じられた。
さらに、カセットテープをダビングして音源を共有するためのダブルカセットラジカセなるものも登場し、音楽を身近に扱えるようになっていた。
1980年の秋も深まったころ、サークルBOXにラジカセが持ち込まれた。
下宿に据え置いていたものを、大学祭の楽曲選びをするために持ち出してきたということだった。
ちょっとしたアタッシュケースより大きく、重いそれは、左右にどでかいスピーカーを擁した、まさしく当時の最先端なステレオラジカセだった。
電源は、通常はコンセントに電源コードを繋ぐのだが、乾電池を入れれば持ち運びができた。できたのだが、装填する乾電池は単1型が8本も必要で、乾電池だけでも結構な重さになり、持ち運びというには重すぎた印象だった。総重量は10kg近くあったかもしれない。
曲選びのために一時的に持ってきたそうだが、一度持ち込まれたラジカセはみんなが使いたがり、結局大学祭が終わってもサークルBOXに鎮座していた。まるで備品のように。
持ち込んだ本人も、下宿の部屋では巨大なスピーカーの本領が発揮できないということで、持って帰る素振りを見せず、大音量を楽しんでいた。
当時は電子機器といえどアナログ要素が強かった。機能一つ一つにスイッチやレバーやツマミがあって、それぞれに「play」とか「REC」とか「volume」とか表示されていて、何ができるか、何が変化するかが一目瞭然で、誰もが簡単に使えたことが一因だったと思う。
今のデジタル仕様の電子機器には機械的なスイッチやツマミが少なく、1つか2つのスイッチに多くの機能を持たせている。操作方法を知らなければ、何をどうすればよいのかがわからない。さらにパーソナルな設定が多く、他人が勝手にいじくりにくい機器もある。
個人的には、スイッチやツマミがたくさんある機器が好みだ。さらに、メーターやランプが多いとますますテンションが上がる。
自分でラジカセというものを買ったのは、あれから20年近くも経ってからのことだ。
学部に上がった2年生の夏に、中古のカセットデッキとステレオアンプを譲り受けた。
3年生の秋に中古車を買い、カーステレオで音楽を聴く機会が増えた。
貸レコード店が一般的になり、安いレコードプレイヤーを買い足した。
卒業後は、CDデッキや、ウォークマンタイプのヘッドホンプレーヤー、ビデオデッキなども購入した。
そんなこんなで、初めてラジカセを購入したのは20世紀も終わりに近づいたころ、MDを使う必要に駆られてMDラジカセを購入したが、MDの衰退とともに納戸の肥やしになって久しい。




