スキー(3) ~佐山スポーツ~
1980年代後半、日本は空前のスキーブームに沸いた。
『私をスキーに連れてって』などの映画も制作され、拍車がかかった。
22時前後の大阪駅の夜行バス乗り場は、スキーを担ぎ、キャスター付きのスキーバッグを転がし、カラフルなウェアを纏った若者であふれた。旧国鉄が対抗策として企画したゲレンデ直行の夜行列車“シュプール号”の響きも懐かしい。
ブームに乗って都会にはいくつかの大型スキー用品店が現れた。“アルペン”とか“ヴィクトリア”とか。山岳用品をメインに扱っていた“好日山荘”もスキー用品に特化した店を展開し始めた。
スキーに必要な用具はスキー板とスキー靴だと思っていたが、スキー板につける金具は別売りだという。ストックも別で、スキーを入れるケースは列車やバスで行くときにはあったほうがいいらしい。さらに、それぞれの用具もピンからキリまで多様だったが、レベルと予算の条件を付けるとそれぞれ2、3点、多くても5点くらいには絞られるとのことだった。
当時、安く買えるスキー用具は国産のものが中心で、海外ブランドの“ROSSIGNOL”や“Kneissl”などは高嶺の花的な位置づけだった。ロシニョールのニワトリマークはブランド品の証だったし、星のロゴ☆が左右の板に半分ずつ描かれ、左右の板を揃えて滑ると星になるというクナイスルの上級モデルは多くの人が憧れたようだ。
たかだかそんな情報を植え付けられただけで、先輩に連れて行かれたのが市民会館近くにある“佐山スポーツ”だった。
“佐山スポーツ”はお世辞にも大きな店ではなく、店内に所狭しとスキー用具が並べられていた。
まったくの素人には良し悪しの基準さえ判らず、用具選びは先輩と店の人との間で進められ、ときどき意向を確認されるという有様だった。
メインのスキー板は“オガサカ”か“ニシザワ”の二択。初心者ということもあり ――初心者だからどうなんだということすら判らず―― “オガサカ”のGSL用で、身長+5cmという仕様のものに決まった。板の表面は黒色で、テール部分に緑と紫のラインが施されていた。
板につけるビンディングは、“Marker”か“Look”かを問われた。性能はよくわからなかったのでデザインで“Marker”を選んだが、グレードは当たり前のように一番下のものだった。しかし、これまでレンタルしていた板は流れ止めのベルトを足首に巻く仕様だったが、ビンディングにストッパーがついていて、それだけで格好いいなどと感じていた。
苦労したのがスキー靴だった。幅広で甲高という足なので、デザインは二の次で、メーカーと品番と値段を天秤にかけて妥協点を探り、“Nordica”というメーカーの靴に決まった。プラスチックシェルで、3個のバックルで留めるタイプだった。
残るストックは選択の余地もなく長さだけ合わされて決定。これでスキーセットが揃った。一式まとめて2万円ほどだったか。
当時はクレジットカードの流通がどのくらいあったのかは不明だが、相当な審査に受からないとカードは持てなかったはずだ。
現金で支払ってもよかったのだが、学費の納入期限も迫っていたので現金の流出を避けるべく、頭金を置いて残りはローンを組むことにした。
5枚重ねくらいの割賦販売の申込み書類の保証人欄に保護者名を書き、引落しを仕送り用の八十二銀行の口座にしてハンコを押し、月々3,000円ほどの5回ローンを組んで、無事に(?)スキーセットを購入した。
このとき実家にローン申込みの確認があったかどうかは知らないままだ。
ほんの1ヵ月前まではスキーには消極的だったにも関わらず、自分の用具を手に入れたことが嬉しく、下宿の畳の上で新品のスキーを履いたりしてにやけていた。
今更ながら、チョロいやつだった。
今回で100,000字を超える連載となりました。




