信州みやげ
コロナ禍。お盆は2年続けて県境を越える帰省は見合わせた方がよいみたいだ。
とは言え、現在は地元大阪に住んでいる。
信州大に入学して、最初に帰省したのは5月4日~6日だった。
5月3日にアルプス公園での“こどもまつり”のイベントを終え、その夜は打ち上げで呑みつぶれた。翌5月4日の夜行急行の“ちくま”で帰阪した。5月5日の早朝に大阪駅着。実家に顔を出し、昼から高校時代の友人と遊んで、その夜の“ちくま”で松本に向かって出発した。5月6日の早朝に松本駅着。つまり、0泊3日(2車中泊)という、いわゆる「弾丸帰省」だった。
高校を卒業して1ヵ月ほどで、高校の仲間とのつながりがまだまだ密だった頃、大学という「解放された地」に足を踏み出したそれぞれの近況報告の場だった。地元の大学に進学したものが多く、地方での一人暮らしのあれこれを根掘り葉掘り聞かれたが、話題の中心に置かれるのは悪い気分ではなかった。
帰省するときに土産を買うという発想がなく、友人からは、冗談半分だと思うが『みやげはないんか』と責められた。もしかしたら家族も期待していたかも知れず、後悔が残った。
二度目に帰省したのはお盆の時期。測量のバイトとバイクの教習の間隙を縫うように、2泊5日(車中2泊)の、ほぼトンボ帰りだったが、この時はちゃんと土産を買った。
土産物を買った経験といえば、修学旅行の思い出の品や家族へのちょっとしたお菓子程度だった。所持金額も定められた中での買い物など、大したものが買えるわけがなかった。
ほぼ初めてとなる真っ当な土産物を買うべく駅前の土産物屋へ。家族用に1点、入学祝をくれた祖父母には墓参りで会うので1点、友人に会う予定はなかったが、予備として1点の計3点を買うことにした。
どれも大したものではなく決め手に欠けると思った矢先、鮮烈に惹きつけられた商品があった。“信州りんご”という小ぶりなりんごを模した饅頭だ。箱もダンボールっぽく、ウケ狙いもあって気に入ったので、家族用と予備用に2つ買い、田舎の祖父母にはオーソドックスな栗入りの饅頭を買った。
“信州りんご”は狙い通りにウケがよく、祖父母も栗饅頭より喜ぶだろうという意見と、年寄は甘いものに目がないという意見を総合的に判断して、田舎には“信州りんご”と栗饅頭の両方を持参した。“信州りんご”は1箱に6個入っていたので計12個あったのだが、あれよあれよと、購入者の口に入る前になくなってしまった。
次に帰省したときも“信州りんご”を買って帰ったが、既に飽きられていて、二匹目のドジョウはウケることもなかった。
それ以降は、小布施の“栗かのこ”や上田の“みすゞ飴”など各地の名品や、車で帰れるときには“七笑”や“眞澄”などの地酒を買って帰った。『カタログショッピング』もネット通販などの『おとりよせ』が一般的でない時代、地元の名品は地元で買うことが普通…、いや、地元でしか買えないのが普通だった。
1980年代後半、信州にスキーに来た時の土産物は全国的に画一化された企画モノが席巻していた。
中身は個包装されたクッキーやラングドシャで、30枚とか48枚とかとにかく数多く入っていて、『志賀高原に行ってきました』のようなキャッチ―なネーミングで、明らかに職場向けの“説明不要の”土産だった。連休明けには、行先が違い、パッケージも違うのに、中身はどうみても同じな土産菓子がバッティングするという笑い話もあった。
同時期は、キツネやヒヨコをモチーフにしたキーホルダーやマグカップなどのファンシーグッズも大流行で、長野市の雑貨企画“クリエイティブヨーコ”が有名になった。




