上高地
地球温暖化対策や温室効果ガスの抑制が大きな話題になったのが1997年に京都で開催された地球温暖化防止会議COP3。このとき採択されたのが京都議定書。
極地の氷が融けて海水面が上昇し、南太平洋の島国ツバルが水没するとか、ホッキョクグマの生活圏がなくなるとか、シベリアの永久凍土が融けるとか、地球温暖化の影響についていろいろと言われるが、当時はピンと来ていなかった。
COP3から遡ること17年。1980年頃に地球温暖化などという概念は存在したのだろうか。
信州・松本は十分に寒く、涼しく、爽快だった。4月初旬はまだ雪が降る日もあって寒く、梅も桃も杏も桜も4月末ごろに一斉に開花した。梅雨の影響はほとんど受けず、盛夏においてもクーラーは必要なかったが、秋の訪れもそれなりに早かった。地元の小中学生の夏休みは短かった。10月も末にかかると暖房の準備が始まり、11月の大学祭の朝は起きるのがつらくなった。松本は豪雪ではなかったが気温は低く、窓枠に結露した滴がそのまま凍ってしまう話はよく聞いた。
6月。車持ちの先輩が2人揃ったので、総勢8名で上高地に遊びに行くことが急遽決まった。
この頃は、上高地も時期さえ選べば、気軽に遊びに行ける場所だった。
環境保護のため、上高地のマイカー規制が通年に拡大されたのが1990年代。今は沢渡で指定のバスやタクシーに乗り換えないと、釜トンネルから先に進むことができなくなったが、当時のマイカー規制は7月~8月の夏の最盛期のみだった。5月の開山から6月の期間と、9月から閉山までの期間は上高地バスターミナルまで自家用車で行くことができた。
上高地の環境保護は温室効果ガスの抑制というより、排気ガスの規制が主題だったと思う。自動車の排ガス規制は少なくとも1970年代から始まっていて、ホンダのCVCCエンジンがもてはやされ、ガソリンには『無鉛』『有鉛』という区分があった。排気ガスから自然を守るのが狙いだった。
渚の交差点から国道158号を西に進む。波田町に入っても開けていた車窓の風景は、新島々を過ぎると道の両側に山が迫り、梓川の険しさが増してくると、奈川村に入る。奈川渡ダムの手前には、途中で2方向に分岐する珍しいトンネルがある。右が上高地から高山へ進む本線で、左は野麦峠を経て木曽に通じる。さらにいくつかのトンネルを抜けると沢渡。マイカー規制の時期はシャトルバスの発着地なのでやたら駐車場がある。
釜トンネルは上高地への関所。今は新しく掘られて整備されたが、旧釜トンネルは幅が狭くて、トンネル前の信号で交互通行。登りの傾斜はきつく、内壁は掘りたてむき出しのでこぼこだった。トンネル内の照明がなく、トンネル自体も複雑に曲がっていたため光が届かず、ヘッドライトを消すと怖いくらいに真っ暗だった。 ――壁のでこぼこが、トンネル工事で命を落とされた坑夫さんの…… なんていう話も聞かされた。
初めての上高地は、その絶景に感動した。
噴煙をたなびかせる焼岳、白樺が水没した大正池、河童橋から見上げる穂高連峰のカールと足元を流れる梓川の清流。
松本市街から3時間かからない距離にある素晴らしい大自然。
今はマイカー規制があるので当時のように気楽には行けなくなったが、このような自然の豊かさを守る努力は必要だと思う。
ユネスコの自然遺産に登録されると、海外では観光客の規制が強化されるのに対し、日本では観光が促進され、自然を痛めつける。
2010年ごろだったか、老いた親を連れて上高地を訪れた。
雄大な自然は、自然のままに保たれていた。
大正池に沈む木々は、かつてよりもずいぶん減ってしまっていたが、これも自然の成り行きだ。




