火祭り・ぼんぼん
電話は、離れた人との連絡手段ではあったが、コミュニケーションツールではなかった。
1990年台にNiftyserveなどのパソコン通信に搭載されたチャットルームの機能によって、家にいながら複数の人と同時にコミュニケーションがとれるようになった。ただし、個人のパソコン所有率は低く、電話の回線接続料金が高額になるなど、自由に使うにはハードルが高かった。
2000年を過ぎたころには携帯電話やPHSが普及して、1対1のメールは身近になった。大勢で交流ができるmixiなども流行ったが、いずれもリアルタイムなやり取りは難しかった。
携帯電話がスマートフォンに代わり、Twitter、Facebook、LINEと次々にSNSツールが登場して、ついにはZoomの時代になり、それぞれが自宅にいながら、オンライン上で授業や会議や飲み会ができるようになった。
1980年。オンライン会議はSFアニメの中のお話で、オンライン飲み会なんて夢物語にもならなかった。誰かと何かをしたいのなら、同じ時間に同じ場所に集まらなければならなかった。
5月だったか、6月だったか。夕方になると、浅間橋のたもとに若者がたむろするようになった。
若者といっても大学生じゃなさそうなので、地元の中学生か高校生だ。男の子が多いが女の子もいた。特に不良とかヤンキーという雰囲気じゃなくて、どちらかというと真面目な印象だ。逆に、群れることと縁がなさそうな面々が、何をしているのかもわからないようすで集まっているということが、どことなく近寄りがたかった。
大学と下宿の往復は主にスポーツ橋を利用していて、浅間橋を通るのは稀だったので、毎日観察していたわけではないが、しばらくすると彼らの行動に変化があった。
なぜか縄跳びをしていた。短い縄で一人で跳んでいるいるかと思えば、そのうち長縄跳びが始まった。夕方薄暗くなってから橋のたもとに集まる行動は、学校の行事の一環とは思えなかった。
しばらくして謎が解けた。浅間温泉で行われる『松明祭り』――我々は『浅間の火祭り』なんて呼び方もしていたが――の準備だった。大人のメンバーが加わり、子どもたちが綯った縄で、稲わらが束ねられる。長さは野球のバットより少し長いくらいで、直径は30cmほど。それが日を追うごとに、いくつもいくつも作られ、道の脇に積み上げられていく。最終的には、これらの束を一つに束ねて、直径が2mを超えるような巨大な松明を作り上げるらしい。
松明祭りは10月に行われたようだが、実際の祭りは見ることができなかった。燃え盛る巨大な松明を担いで、すすだらけになって浅間温泉を練り歩くのだそうだ。
松本のお祭りと言えば『松本ぼんぼん』。
――ぼんぼん松本ぼんぼんぼん――の歌は盆踊りの音楽としては斬新だった。
今では松本市を挙げた夏の一大イベントで、コロナ前は観光客も大挙して押し寄せるようだが、当時は企画立上げから4、5年。まだまだ普及途上だったようだ。縄手通りなどの市街地ではテーマ曲がスピーカーからヘビロテされていて、メロディーが耳に残っていた。7月ごろには街頭でうちわが配られていて、サークルBOXにもいくつか転がっていた。お祭りの盛り上げはある程度成功していたんだと思う。
盆踊りと、よさこいと、仮想大会と、コスプレと、屋台食べ歩きと、いろいろな要素が混在していた『松本ぼんぼん』。松本城から千歳橋、大名町あたりへ見物に行ったが、混沌とした高揚感は冷静に見物するものとの間の温度差を感じるほどだった。ハロウィンで盛り上がる風潮なんて影も形もなかった時代に始まった路上パーティーだった。
古くから伝わる地域の大祭を今も守り続ける若い子たち。40年後の今は指導する側に立っているのだろう。伝統を途切れさせないことは尊いことだ。
新しい時代の地域振興、活性化に向けた取り組み。それが50年も続いていることが素晴らしいと思う。




