貸しレコード
音楽の流行はラジオから始まっていた気がする。
ラジオで流れた曲が気になり、2回目に聞いた時に明確に意識をし、3回目に曲名を憶え、そうこうしているうちに仲間うちでも話題になり、テレビの歌番組で取り上げられるようになる。
高校生だった1977年から79年頃、ラジオのFM放送では人気のアルバムをまるまる流す番組が放送されていた。当時のFMの番組は、パーソナリティが長々と話したり、リスナーのコメントを紹介することはなく、持ち時間のほとんどで音楽を流し、DJが喋る時間はアルバムやアーティストの紹介程度だった。その番組をカセットテープに録音して楽しむ「エアチェック」が流行った。
大阪ではNHK-FMと、FM大阪の2局が受信できたが、新聞のラテ欄は当日の番組しかわからなかったので、2週間分の放送スケジュールが載った「FMファン」とか「週刊FM」などという情報雑誌を買って、赤ペンで狙いの番組に丸印をつけてエアチェックの準備をした。人気の番組は土曜の夕方や日曜の昼間に放送されていた。
我が家のステレオは、チューナーとアンプが一つになったレシーバーとレコードプレーヤーのセットで、カセットデッキはなかった。ステレオ放送の番組だったが、モノラルのカセットレコーダーで録音していた。
レコード盤は、EPシングルは600~700円、LPアルバムは2500~3000円くらいの価格で、学生にとっては高価だった。
単に値段だけのことではなく、レコードプレーヤーを持っていない学生にとっては、どうにかしてカセットテープにダビングしてしまえばレコード盤自体の役割は終わってしまう。
そんなことで貸しレコードという商売が始まると一気に拡大したのがこの時代だった。
都会では“友&愛”とか“黎紅堂”などが創業して、レンタルの時代が始まったらしい。
松本市にも縄手通りに貸しレコード屋ができた。
『銀河』とか『無限』とかそんな単語を含んだ店名だったと思うのだが、正しく思い出せない。
初めて借りたレコードがオフコースの「Three and Two」と「We are」の2枚。このころがオフコースの絶頂期だったと思う。やたら流行っていて、サークルでも女の子を中心に話題になっていたので、乗り遅れまいと借りた。オフコースの音楽は当時の新しいサウンドだった。
2枚を返却したついでに新たに借りたのがさだまさしの「印象派」。さだまさしは以前から好きなアーチストの一人だったが、「印象派」はさだまさしの中では1、2を争う好きなアルバムだ。
レンタル料はLPアルバムが200円くらいだったので、今のCDレンタルと比べてもあまり変わっていない。但し、レンタル期間は1泊2日が多かったので、借りたらすぐにダビングしなければならなかった。
レンタル屋に行く前には、ステレオを持っている友達に頼んで、ダビングできる環境を確保することが必須だった。録音時間=再生時間な上に、途中でレコードもカセットテープもA面とB面を替えなければならない。LPの収録時間はだいたい45分なので、ダビングには1時間ほどかかる。何枚もまとめてダビングさせてもらうのは避けた。録音中は曲名などを書き写す作業に勤しみ、どうしても歌詞が欲しいときは、自力で書き写すか、生協で1枚20円でコピーをとった。
レコードをダビングするのは、費用以上に相当な労力と慌ただしい時間を費やしていた。
今はレンタル期間は7泊8日が標準で、しかも、CDをMP3データとして取り込むだけなので、手間と時間とは比べ物にならないほど簡便になった。プリンターでスキャンもできる。
今また若者の間でレコードが人気だという。テレビの情報番組で報じていたが、レコードプレーヤーやカセットテープレコーダーの使い方を知らない子が多いことに驚いた。見たことがなければ過去の遺物だ。
押入れの引き出しの中には、1977年頃から2006年にMP3プレーヤーを手に入れるまでの約30年間に録り溜めた大量のカセットテープが眠っている。
FMのエアチェックで録音した松山千春のライブも、初めてレンタルしたオフコースも、すでに廃盤になっているアルバムの録音もある。中には、気に入った曲ばかり集めた自作のオムニバステープもある。1990年前後からの音源はCDになってはいたが。
本当に暇になったら、懐かしみつつデジタル化に着手しようと思う。
先日同窓会があり、縄手にあった貸レコード店の店名が『無限軌道』だったことがわかりました。




