サークル棟(BOX) ~鉄筋2階建て~
信州大学の学生には入学と同時に学籍番号が割り振られる。当時は、年号の下一桁の数字と、学部を表すアルファベットと学部ごとの通し番号で構成されていた。
学部のアルファベットは英語表記の頭文字で、人文が‘L’、理学が‘S’、医学が‘M’、教育が‘E’、工学が‘T’、繊維が‘F’、農学が‘A’。経済学部はあとから(昭和53年に)できたので、教育学部とかぶらないようにEではなくKeizaiの‘K’ になったそうだ。
昭和53年度入学の人文学部生なら‘3L789’、昭和54年度入学の工学部生なら‘4T852’のような学籍番号が与えられ、卒業まで付き合うことになる。
昭和50年度生の数字はわからないが、昭和60年度生は‘10A***’だったらしいが定かではない。平成以降もわからない。すでに令和の世である。
木造平屋建てのサークルBOXが移転することになった。
教養部の講義教室と教務課などの管理部門が入っている建物の北側に、新たに教養部の講義棟が建てられることになった。その北側の場所にはサークルBOXがあるので、当然ながら立ち退き、取り壊されることになった。
これまでこの木造平屋建てのサークル棟で、思い思いの日を過ごした信大生はどれほどの人数になるのだろう。学籍番号が『5』から始まる昭和55年度入学生が、このサークル棟で過ごした時間はほんの数か月のことだが、それでも取り壊されると聞いて感傷に浸れるほどに愛着は湧いていた。
いつの頃からか、学部に進級して松本を離れるときや、卒業するときには、室内の壁や天井に学籍番号とサインを書くことが慣習になっていたようだ。そのサインの数からも歴史が感じられた。
新しいサークル棟は元の場所から北へ30mほど、第2体育館の裏に完成していた。鉄筋コンクリート造りの2階建て。中央の階段の脇にはトイレも設置されている。そういえば、以前は生協1階横か、教養部か、人文か経済の学部棟まで行って用を足していた。
部屋割りはどのように決まったのかは知らないが、各部屋のドアには、サークル名のプレートが貼られていた。プレートは2枚ずつ。つまり、2つのサークルの相部屋ということだ。
相部屋のサークルBOXに不満と不安が交錯した中での引っ越しとなった。
まずは木造BOXの掃除と廃品整理。引っ越しあるあるだが、いちいち思い出話が始まり捗らない。何年も前のBOXノート、文集や歌集、菓子の缶に入った写真。5年以上も前の先輩ともなると、さすがに知ってる現役生はいなかった。
ごみも大量に出た。よくこんなに多くのものが入っていたなと、感心するほど出た。
壁のサインを写真に収め、ごみを室内に戻して、必要なものだけを新しいBOXに運んだ。相部屋の相手サークルの人が現れないので、早いもの勝ちでドアに近い方の半分のスペースに荷物を積み上げたが、相部屋をどのように運用するのかがわからず落ち着かなかった。
引っ越しから1ヵ月近くが経っても相部屋のサークル関係者は姿を現さず、我らの専有面積も徐々に拡大していった。
さらに月日が流れ、新しいBOXの部屋は我々が独占することになった。
このサークルBOXは今でも使われているようです。
築40年ということです。




