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1980年松本スケッチ ~元・信大生の追懐録~  作者: こまくさ
第1章 1980年松本スケッチ
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中華丼・麻婆丼

 大学に入って一人暮らしをするまでは、外食することはほとんどなかった。高校生のときは部活帰りにタコ焼きや惣菜屋のコロッケを買い食いしたり、“餃子の王将”で1人前120円だった餃子を食べることもあったが、主たる食事は家でとっていた。


 主に母親が作る食事はレパートリーが限られていた。主婦ネットワークを活用して、新たなメニューを取り入れるような積極的で料理好きならともかく、うちの母親は勤め人で料理にはこだわりのない人だった。従って、我が家の食卓には、季節ごとに数種類の料理が、組み合わせを変えながらローテーションして並んでいた。



 『まさか、世の中にこんなにおいしい料理があるなんて!』

 松本に来てから何度思ったことだろう。いや、松本だけではなく、長野でも、上田でも、伊那でも、遊びに行った先々で出会った料理に、毎回のように目からウロコを落としていた。



 大学から南下して上土通りに入ってすぐだったと思う。四ツ玉専門の玉突屋(ビリヤード)の向かい側、通りの左側(東側)に中華飯店があった。

 同じ学科の友人に誘われていった店だった。メニューには中国語の表記(漢字)にフリガナが付けられ、料理名の後ろに簡単な日本語の説明が書かれていた。

 例えば、『什錦会飯(スーチンホイハン)…(五目あんかけ丼)』という感じ。『会飯』はあんかけご飯の意味で、什錦会飯はいわゆる中華丼だった。会飯のバリエーションには『蝦仁(シャーレン)』『咖哩(カーリー)』など、少なくとも10種類はあった。会飯の他、焼飯や餃子や酢豚などの定番料理もあったのだが、勧められて最初に注文したのが『什錦会飯』だった。

 初・中華丼だった。八宝菜がご飯に載っていた。八宝菜は食べたことがあるが、ご飯に載せて食べたことはなかった。ご飯にのせてレンゲで食べるだけで、全く別の食べ物だった。脳内はパニックに陥った。

 その翌日から一人でこの店に通い、3、4日連続で『什錦会飯』を注文し、その次の3、4日はいろいろな『会飯』を食べた。1週間通い詰めて、さすがに飽きた。

 


 伊那の先輩を訪ねて行くとパチンコに誘われることが多かった。“赤玉”という郊外型のパチンコ店が主戦場で、昼食はパチンコ屋に付随する食堂で食べるのだが、そこで罠に嵌った。

 『麻婆丼』。ご飯に麻婆豆腐がかかってるものだが、その時まで麻婆豆腐を食べたことがなかった。初めての味には衝撃を受ける。痺れとか花椒とか蘊蓄を垂れるほどの本格的なものじゃなかったと思うが、ピリッと辛い独特な味に魅了された。

 ずっと伊那で遊んでるわけにはいかず、後ろ髪を引かれながら松本に戻る。そこで思い出したのが『会飯』。『麻婆会飯』があったかどうかも覚えていなかったが、行ってみたらあった。

 また2、3日通った。


 このほかにもいろいろな食べ物に衝撃を受けた。同じ店が近くにあれば何回か通い、通えない場合でも機会があるごとにリピートすることが多かった。



 年齢を重ね、経験を重ねると、食べ物に限らず『初めて』がなくなっていく。『初めて』がなくなれば脳内で『小さな自分』が踊り出すこともなくなるのが少し寂しく、悲しい。


 今も昔も、美味しいものを食べられることは幸せなことだ。 


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