楽園、崩壊。
皆様こんにちはこんばんは、遊月奈喩多と申すものでございます!
5月初頭とは思えないほど夏めく気候のなかですが、こちらのお話も何だか熱いことになってまいりました。
ということで、本編スタートです!
エデンの中央収容所。
その地下区画で倒れ伏し、ひとり懊悩していたカイルの耳に届いたのは怒号に近い叫び声と、大きな破壊音だった。
「……?」
何が起きたのだろう。
気にはなった。
しかし、肝心の身体が思うように動かない。
地下区画において昼夜などという概念は存在しないが、時間など問わずにロドリーゴの気分で振るわれる陵辱の痛みと疲労、度しがたいまでの倦怠感とに全身を包まれ、もはやその身体は死に体であった。
医務室での治療を経て足の負傷はほぼ治り、歩くのには何ら支障のない状態にまで快復はしたものの、囚われの身となったカイルにはあまり意味をなさなかった。
そしてカイルの身体を地面に組み伏せているのは、ロドリーゴによる蹂躙の名残だけではない。どうあっても拭うことのできない自責の念が、カイルの心身から力を奪うのだった。
だから、当然知る由もなかった。
今、カイルの横たわる地下区画だけでなく、エデン全土で似たような怒号と破壊音が鳴り響いているということなど。
* * * * * * *
その情報は、エデン都市部の至る所に設置された屋外ビジョンをジャックする形で、唐突にもたらされた。
『エデンの上層部は、テラニグラの戦争屋と癒着して魔族の能力核を売り渡している』
『エデンの中央収容所の地下では、能力核を摘出するための非人道的な施術が日々行われている』
『無実の罪で捕まった者の大半は、人も魔族ももう生きていない』
『エデンの真の目的は、一部の人間たちによる魔族の恒久的な支配である』
突如エデンの市民に公開されたそれらは、エスタや彼の手勢の者たちが長年かき集めた情報だった。エスタの奮戦によってテラニグラからエデン中枢への支援路が断たれたこと、そして彼が死の間際に送った合図によって、エデンそのものを崩壊させる形でその真実が明るみに出されたのであった。
元々エデンでは表層の平穏の陰に、常に収容所に対する恐怖とその権威を笠に着た一部の者の横暴に対するうっすらとした不満が人間、魔族どちらにも募っていた。もたらされた“真実”は、そうした不満に火を焼べる役割を見事に担った。
そう。
市民たちにとって、もたらされた情報が真実であるかは、実にどうでもよかった。
これらの情報は、確かに真実──少なくとも、真実の一端ではある。
しかし、それをもたらす用途は真実を伝えることではない。
市民たちの不満を顕在化させ、中央収容所へと集約させる。
そして、エデンという都市そのものを瓦解させてでも、その支配体制を損なわせる。
中枢に巣食う者たちを憎む一方で人が営む都市としてのエデンには一定の愛着を持っていた生前のエスタが想定していた中では、ほぼ最悪手に近い形で、彼らの作戦は成就を遂げることとなった。
エデンのそこかしこで争乱が起きた。
いや、それらは争いと呼ぶには一方的な、反逆と呼ぶには凄惨な殺戮だった。
中央収容所──その上層に当たる役所では、ただ懸命に市政に取り組んでいただけの職員がいきり立った魔族の青年によって果実酒のように圧搾された。
暢気にあくびなどしながら巡回していた老いた衛士が人間の若者たちに背後から襲われ、筆舌に尽くしがたい蹂躙の果てに襤褸切れのようになって事切れた。
エデンの体制に肯定的な思想を発信していた実業家は生きたまま内臓を引き抜かれた。
体制下で潤沢な利益を上げていたルポライターは能力による洗脳で、自らの脳を食べてレポートさせられた。
既に退官して久しい元看守は幼い孫娘の生首を投げつけられ、恐怖と悲嘆の表情を浮かべたまま、切り落とされた首を一家揃って並べることとなった。
隠れる子どもも、祈る老人も、立ち向かう父も、子を庇う母も、恭順を示す降伏者さえも、誰ひとりとして逃れられない。
市民たちの狂騒は止まらない。
次は誰だ。
お前か、貴方か、貴様か。
俺か、我か、それか私か。
獲物を探し歩く怪物のように。
冬ごもりを終えた獣のように。
人も魔族も男も女も、エデンの管理体制に微かにでも不満を覚えていた市民たちは、目の色を変えて凶行へと加わっていく。
加わらなければ、自分までもが獲物にされる。
体制に賛同していると思われれば、老若男女、種族も問わずに血祭りに上げられる。
その恐慌が、市民を凶行に駆り立てる。
競うように凶器を持ち、阿るように狂気を振りかざす。
阿鼻叫喚の地獄絵図とはこのことか。
当時を知るものはもはやいないが、かつて黒崎戀がエデンを創設するに至った人と魔族の争いすらも、ここまで苛烈ではなかったかも知れない。
長きにわたる安寧の終わりと呼ぶには、その有り様はあまりに凄惨で。
合図に従って“真実”を公開した者のほとんどが、己の行為の是非を胸中で問うこととなった。
故に。
エデンにおいて生存を許された者たちは、殺戮に明け暮れる者と更なる犠牲を出さぬよう努める者とに二分され。
カイルのもとへ辿り着いたのは、幸運にも後者だった。
そして、舞台は地下収容所へ移る。
* * * * * * *
地下区画にまで響く怒号と破壊音。
それらの近づく気配に、事態を確かめるための動きこそできないものの恐怖を感じつつあったカイルのもとに、『大丈夫か!』という青年の声。
「……ぁ、」
「君は……カイルか?」
驚いた顔で尋ねてきた青年には、見覚えがあった。エデンに建てられていたエスタの別荘を訪れたとき、屋敷の用心棒として駐留していた男ではなかっただろうか。
記憶を辿るよりも早く、青年はカイルの華奢な──どこか脆さすら帯びた身体を抱き上げる。一瞬、その軽さに驚くような声を上げてから。
「カイル、エデンはもう終わりだ。エスタさんがこのエデンの黒い繋がりを調べ上げて、そして住人たちに突きつけた。もうここは都市なんかじゃない──ここの連中はもう、人々を支配することなんてできやしないんだ」
「え、えっ、えっと……あの……?」
「ここもすぐに破壊されるだろう。怒った人々は暴徒と化した。俺たちの仲間も避難誘導中に何人か殺されたし、きっとこの建物にいる者は全員一緒くたに……。早くここを出よう」
カイルには、事態を飲み込めない。
だが、怒号と破壊音は変わらず続いている──彼のいう通り、もうこの場所は長くないのだろう。
やがて、吐き気を催すほどに血生臭い空気が地下を漂ってくる。
「もう、能力の枷を解かれた囚人たちまで暴れ始めている。看守たちは粗方殺されたみたいだな。出るぞ、カイル」
「あ、あの……奥の研究棟は……っ」
命の危機が迫っているのはわかっている。
だが、それでもカイルの気がかりは、研究棟から付け狙われているルキウスの身柄だった。もしもまだ外を逃げ回っているのなら、それでいい。
だが、看守長であるロドリーゴ自らが差し向けたという刺客のことを聞かされていた以上、もしかしたら……という危惧が、カイルの胸を占めていた。テラニグラでの攻防の顛末を知らないカイルには無理からぬことだったが、青年は一言「それは心配ない」とだけ告げる。
「いいから出るぞ。あの人が命懸けで守った子らに、目の前で死なれちゃ敵わない」
「命懸け……、」
「いいから!」
エスタの用心棒を務めていた青年──名をノルマールという彼は、姿を空気に溶かすその能力で、自分とその胸に抱えたカイルを、比較的安全に中庸収容所だった建物から退避させる。
その道中、カイルは通りかかった医務室の中を覗いたことを後悔し、看守たちの無惨な亡骸に溜飲を下げるよりも吐き気を催し、久方振りの地上へと向かうこととなった。
かくして、虚飾の楽園は瓦解した。
諸人の祝福や歓喜など伴わない、怒号と絶望に満ちた、解放と呼ぶべきかもわからない解放であった。
多くの民が殺され、生き残った者も彷徨を余儀なくされ、程なく落命する定めを負った。それほどまでにエデンは住民の生存を保証していたし、また人間と魔族の争いによって荒廃した世界は未だ過酷なものであった。
そんな中、カイルはノルマールの駆る機械馬に乗ってエデンを離れる。かつてエスタと共に向かったテラニグラのある西ではなく、北へ。
「こ、これ……どこに向かってるんですか? あの、」
「少し眠るといい、カイル。全ては安全な場所に着いてからだ」
必死に前を見据える眼差しは、疾うにエデンを離れたその場所すらもまだ危険の範疇だと言わんばかりで。
それ以上、カイルは何も言うことができなかった。
前書きに引き続き、遊月です。今回もお付き合いありがとうございます! お楽しみいただけましたら幸いです♪
それにしても近頃すっかり暑くなりました。作者はつい最近、夕方から外に出る用事があったのですが、帰ったらもう汗だくでしたね。まだ5月半ばとは思えないな……と先の恐ろしさを感じたりしつつ、いつでも冷房を使えるように準備を始めております。
閑話休題。
何とかここまで漕ぎ着けました……!
というのも、この後の道程は書き始めた頃(何年前だ!?)から頭のなかにやんわりとあったのですが、テラニグラでの攻防の辺りから『どうやってエデンの崩壊まで繋げようか』みたいなことを悩んでいたもので。
計画的に書くのって、大事ですね!
これからのカイルたちの旅路はどうなることやら……?
ということで、また次回お会いしましょう!
ではではっ!!




