ダンシング・ウィズ・クライシス-Phase.3-
同じ頃、貨物船近くに残ったイリーナ達K.W.T.S.の面々もまた苦戦を強いられていた。
周囲を囲む敵の軍勢は数を減らしてはいるが、しかし一向に攻めの勢いが収まる気配が無い。イリーナの抱える優秀な兵達は今のところ敵の勢いを抑えることが出来ているものの、彼らの携えた弾薬の数は有限だ。イリーナを護るオットー、ジェイ、そしてトールの三人は最初こそ余裕の表情を見せていたが、時間が経過するごとに段々と焦りの色が見え隠れし始めている。
それもそのはずで、彼らの持つ弾薬量はあくまでも緊急時に際してイリーナを素早く退避させ、増援が来るまでを持ちこたえるか、或いは素早く撤退する間の短い戦闘時間を念頭に置いての量だ。ここまでの長期戦闘は想定していない。一応何人かの連中は先程漸く合流してきたが、それでもたかが二、三人程度。他の過半数は貨物船上で高速艇の相手に手一杯でこちらには来れない状況だ。
「旦那、加勢に来やしたぜ」
「そりゃあ結構なことだがよチェット。テメー俺のライフルちゃんと持ってきたんだろうな」
「ええ、それは勿論ですぜ」
コンテナを載せた牽引状態のトレーラーを盾にして身を隠す、仲間内からトールと呼ばれていた日本人と思しき壮年の男の隣に駆け寄って来たのは、後から貨物船より降りて来た内の一人だ。名をグェン・ヴァン・チェットというベトナム人の男はトールに言われると、忠犬のような人懐っこい笑みを浮かべながら、肩に負い紐で担いだ一挺の銃身の長いライフルを手渡した。トールは今まで持っていた残弾の少ないレミントン・ACRを放り捨ててそれを受け取る。
「へっ、分かってんじゃねえか」
胸ポケットから出して口に咥えた新しい煙草に火を点けながら、ライフルを軽く点検するトールは不敵に笑う。彼が手にしていたのはボルト・アクション式の狙撃銃、長射程を誇る.338ラプア・マグナム弾を撃ち放つ英国アキュラシー・インターナショナル社製のAX338ライフルだった。上面のピカティニー・レールにはスワロフスキー社のライフル・スコープが取り付けられている。
一度取り外した十発装填の弾倉がフルロードされていることを確認してから再び叩き込み、遊底を素早く前後させて薬室に.338ラプア・マグナムを装填させる。トール自身使い慣れたライフルだし、零点補正もついこの間行ったばかりだ。多少の誤差はあれど、この距離ならば気にもならない。
「カバーしろチェット。当てなくてもいい。俺が仕留める」
「アイ・サー。任されて!」
ニヤリと笑うとチェットは身を低くして近くのコンクリート・ブロックの陰まで移動し、そこから手持ちのブルパップ式突撃銃のF2000で援護射撃を始める。
「さてと」
チェットの射撃で敵が怯んで頭を下げている間に、トールはトレーラーの陰から身を出してAX338を構える。咥えた煙草から紫煙を昇らせながら、その銃床に頬を付けてスコープを覗き込んだ。
「この暗闇は、俺みたいな老いぼれにゃちぃとキツいねぇ」
口先でこそそんな風に呟くが、しかし彼の表情は余裕の色で溢れていた。
「――旦那!」
弾倉内を弾を全て撃ち尽くして、チェットの射撃が止まる。機が熟したと言わんばかりに半身と銃を遮蔽物の陰から現し、反撃に出んとする敵の姿をスコープ越しの視界に捉える。
「そう焦りなさんな」
燃え尽きた煙草の先端の灰が落ちそうなのを気にかけつつも、だが敵の動きに対しては一切の動揺を見せない声色のトール。皺の寄った太い指先が、AX338の引鉄に触れた。
「外すかよ、この俺が」
咥えた煙草から灰が落ちるのと、撃鉄が遊底内の撃針を叩くタイミングは全く同じだった。
鼓膜を震わす、引火したコルダイト火薬の雷鳴のような撃発音が真夜中の港に響き渡る。ウィンチェスター製250グレインのホロー・ポイント弾は高精度なフリー・フローティング懸架式の銃身を潜り抜けて寒空を切り裂き飛翔する。
銃口部の大きなマズル・ブレーキから発砲炎が瞬くと同時に、トールの撃ち放つたった一発の.338ラプア・マグナム弾は着弾した。綺麗に鼻先へと突っ込んだ弾頭は鼻骨を砕きながらホロー・ポイント弾特有のマッシュルーミング化現象を起こして膨らみ、運悪く彼に狙われた兵士の頭を、まるでリンゴを握り潰すかのように粉々に吹っ飛ばす。仰向けに倒れた敵兵の首から上は消失していた。
「まだまだ」
しかし、トールがそこで満足することはない。熟練した手付きで一瞬にして遊底を前後させ弾薬を再装填すると、数秒もしない内に彼は狙いを付けて次弾を発砲する。今度も頭部へ綺麗に命中しヘッド・ショット。またも首なしの死骸が一つ出来上がった。
「おいチェットォ! テメー弾はどうした弾は」
そうして九発を撃ち切った頃だろうか。替えの弾倉が無いことに気付いたトールは軽く舌打ちをしながら、若干不機嫌そうに叫んだ。
「あっ、すんません旦那!」
軽く頭を下げながら、すぐにチェットは新しい弾倉を投げ渡して来る。
「ったく。今度から気を付けろよ」
片手でそれを受け取ったトールは空になった弾倉を落とし、新しい弾倉を機関部に突っ込んだ。既に薬室内に装填済みだから、弾倉の方は空だったのだ。
「さぁてと。――――三文役者共にゃ、この辺で退場して貰わねえとな」
計十一発の.338ラプア・マグナム弾を手札に収めた老練なる狙撃手は、次なる得物へと狙いを定める。
そして、銃火の行き交う真夜中の鉄火場に停まる一台の黒塗り塗装が施された防弾改造メルセデス・ベンツSクラス。その上質な造りの後部座席に匿われたイリーナは怒りに打ち震えていた。
表面上に見せる表情こそは、今までの飄々とした顔付きに戻っている。だが彼女の胸の内は、地獄の業火の如し怒りに満たされている。何せ大事な腹心の一人だったアンディを殺されたのだ。それは彼女にとって最も超えてはならない一線であり、今のイリーナは商談中でさえ滅多にない程にはらわたが煮えくり返っている。
「……確か相手は、ATトレーダーズだったかな」
独り呟くと、イリーナは懐から大きな端末を取り出す。一昔前の携帯電話やPHSに見える外観の端末は確かに携帯電話の類で間違いはなかったのだが、その大きさは手のひらサイズを優に超えている。更に生えているアンテナも大きく太い。少なくとも普通の携帯電話では無かった。
イリジウム衛星電話だ。衛星軌道を回る六十六もの中継衛星を利用し、全世界で場所や環境を問わずにあらゆる地点で使用可能な携帯電話。確かにイリーナのような世界中に物を売って歩く稼業の人間にとっては必需品に等しいだろう。
イリーナは衛星電話の大きな端末を少しの間操作して、それのスピーカー部を耳にあてがう。
通話を開始して数秒の間のコール。衛星電話を持ち出してまで電話を掛けた相手が応答すると、イリーナはいつもの営業口調で話し始める。
「ああ、私だ。今? 今は日本さ。例の商談でね。それよりも頼みたいことがあるんだ。いいかな? ――ありがとう。君はATトレーダーズを知ってるかな。まあ知ってるだろうね。何せウチのライバル企業の一つだ。
……何があったって? 回りくどいのは嫌いだし、率直に言おうか。ウチの部下が一人、連中の手の者に殺られた。これまでも幾度か目に余る悪戯を仕掛けちゃくれてたけど、今回ばかりは笑って許してやる訳にもいかないんでね。
標的はATトレーダーズCEO、アレックス・ライノ。どんな手段を行使しようが構わない。奴の首を必ず取って貰いたい。私の大事な兵隊を殺した対価をキッチリ請求しなきゃならないからね。
ああ、ああ……。分かった。それじゃあそんな感じで、よろしく頼むよ」
十分ほど通話を交わしたイリーナは、最後にそんな一言で衛星越しの通話を切った。
「――イリーナ」
丁度そのタイミングで、セダンの後部ドアが外側から開かれる。赤毛のドイツ人で彼女の腹心の一人、オットー・ホーゼンシュミットだ。
「オットーか。どうした?」
「まだ交戦中だが、周囲の安全はある程度確保出来た。今の内に船の方へ」
「ああそういうことね、成程成程。分かったよ」
差し出されたオットーの手を握り返し、久方ぶりに車外へと降りるイリーナ。チラリと振り返ってみればセダンのボディはボロボロで、吸い込まれそうな程の光沢を放っていた黒い塗装は殆どが弾痕で汚されていた。防弾ガラスもヒビだらけで、よく今まで割れなかったかと思う。タイヤは銃弾を喰らって無残にバーストしており、とても走れそうな状態には見えなかった。由緒正しいメルセデス・ベンツの最高グレードたるSクラスも、こうなっては形無しである。
「グズグズしてる暇はない。行くぞイリーナ」
片手に突撃銃のHK416を携えたオットーに手を引かれ、イリーナは強引に貨物船のタラップの方へと歩かされていく。そんな彼女の顔に先程までの憎悪に満ちた色は無く。ただただ、アレックス・ライノの首が献上されるのを待ち望む期待で満ちていた。




