次男様の悪戯
次男様の"悪いお兄ちゃん"発言の後、赤い騎士さんは部屋に戻ると言ってその場から去った。
私と次男様はというと、次男様が全く動かないのでまだ寮棟の入り口付近に居る。
「…トリーナ、大丈夫?」
ふと次男様に問われた。
何に対しての大丈夫?なのかがイマイチよく解らない。
次男様に抱き上げられたままの体勢のことか、赤い騎士さんに連れ回されたことか…他に何かあっただろうか?
嫌がらせの手紙についてはまだ話していないし…。
「えっと、大丈…」
「ごめんね、トリーナ。あまり力になってあげられなくて。」
大丈夫?と聞いておいて私の発言を遮るのだから。最後まで喋らせてくれない癖は健在のようだ。
「いえ、」
今度こそ大丈夫ですよ、と言おうとしたのだが、次男様の顔が私の首元に降りてきたので言葉が紡げなかった。
何やら次男様は私の首元に額をぐりぐりと押し付けている。
くすぐったいし、行動の意味も解らないが、なんだか可愛いし良い匂いがするので悪い気はしない。
さっき私の事を女の子として見ちゃうとかそんなことをサラッと言われたし案外次男様との結婚もありかもしれない…なんて思ったりしてしまう。
「ごめん…」
「謝らないでください、フレーテお兄様。」
元はと言えば自分で蒔いたタネなのだからそんなに謝られると申し訳ない。
「僕が守ってあげるって…、カッコよく言えたら良いのにね。」
次男様はふと自嘲気味に笑う。
「フレーテお兄様?」
そんな次男様の髪を撫でると、私の首元から顔を上げてくれた。
「頼りないお兄ちゃんでごめんね。」
情けなく眉を下げて、そう言った。次男様は何も悪くないのに。
「そんなことありません。こうして気に掛けてくれるだけで、私は嬉しいんですよ。」
だからもう、謝らないでほしい。
確かに部屋に篭りっぱなしで頼りない面もあるといえばあるが、何もそればかりではない。
彼は私の中での癒し系ポジションだし、常に癒しを求めている私としては案外頼りっぱなしだったりするのだから。
何故常に癒しを求めているかと言われれば、まぁ苦労が絶えないからだよね。
「僕だって本当はあの伯爵みたいに飛び出して行きたかったんだよ。」
次男様はもう一度私の首元に額を押し付ける。
「あの人はあの人、フレーテお兄様はフレーテお兄様ですよ。伯爵だったらこんな風に抱き上げて甘やかしたりしてくれません。」
多分ここに居たのが赤松だったらきっとチョップ…いや、最悪ぶん殴られてたと思うね。
軟禁中に外に出るなんてね。
不可抗力だったとしてもね。
「トリーナ、僕は…、」
次男様は、何か言いたそうに視線を彷徨わせた。
しかし、すぐにその表情を消して、とても優しく微笑みながら私を見た。
「…ううん、トリーナは僕の大切な妹。世界で一番大切な妹だよ。」
私を抱く手に力が篭る。
彼はきっと、言いたかったことを飲み込んだんだろう。
言おうとした事は、なんとなく解ったが…私は次男様の気持ちを受け取る事は出来ないから、だから、気が付かないふりをした。
「…ありがとうございます、フレーテお兄様。私の大切なお兄様。」
そして、ごめんなさい、そう消え入るような声で零しながら、私は次男様を抱きしめた。
…と、何でまたこんな目立つ場所で抱きしめあっているんだろう。
誰かに見られたらきっと恥ずかしい事になる、なんて思った私はふと顔を上げて周囲を伺う。
きょろきょろしている私に気付いた次男様は、ふふ、と笑い声を漏らす。
「心配しなくてもファルケさんなら今は居ないよ。」
とのこと。
別に青い騎士さんに見られたら大変だ、なんて思って…ちょっと思ったけど。
「え?いや、」
「ファルケさんね、ちょっと前から出掛けてる。だからトリーナが外出してたことも知らないと思う。」
…なぁんだ。青い騎士さんなら私が居ない事に気付いてくれるかな、探してくれるかな、なんて思ってたんだけど。
しかし私がさっきまで行っていたのは路地裏の小さなお店だったし、探してくれてたとしても行き違いになったりしてた可能性もあるし…
「残念だった?」
にやり、と次男様は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「いえ、別に。」
残念だなんて全く思ってませんよ、という意味を込めて首を横に振るも、次男様はクスクスと笑っている。心底楽しそうに笑い続けている。
こんな意地悪な次男様は知らない…!
っていうか残念そうな顔してたのか私よ!危ない危ない。別に残念なんかじゃ、ない。
そんな時、寮棟入り口に近付いてくる人影が見えた。
「…キキョウ様?」
私をそう呼ぶ人間なんて、この世に一人しか居ない。
「噂をすれば何とやら、だね。」
「こんなところで何をしているのですか!」
相変わらずクスクスと笑う次男様に、明らかに怒気を浮かべながら近付いてくる青い騎士さん。
何をしてるのかと問われれば、正直解らない。
冷静に考えてみれば、何故ここに留まっていたのかも解らなければ何故次男様に抱き上げられたままなのかも解らない。
だけど次男様が楽しそうに笑っているので、これは次男様がわざとやっていたのかもしれない。
というか、次男様は青い騎士さんが戻ってくるのを待っていたのかもしれない。
何故なら、
「遅かったね、ファルケさん。」
なんて言いながら、私を青い騎士さんに手渡そうとしているから。それも荷物のように。
次男様にしがみ付いている理由もないので、なすがままにされていると、青い騎士さんがナチュラルに私を受け取った。
そしてそのままそーっと地面に下ろされた。割れ物を扱うかのように。
そんな青い騎士さんを見ていた次男様は、ちょっとだけ残念そうな顔をしていた。
何が残念だったんだ次男様。
「…それにしても、青い騎士さんがこんな時間に外出するなんて珍しいですね。」
ふと思った事が口を衝いて出た。
私が知らないだけかもしれないが、青い騎士さんが夜に一人で出歩くところなんて見たことが無かった。
「少し、用事がありましてね。」
そう言った青い騎士さんは、私から目を逸らした。
なんというか、少し気まずそうに。
「あ、もしかしていかがわしい夜のお店に、」
「違います!断じて違います!」
全力で否定された。青い騎士さんはどこからどう見ても憤慨している。
「必死に否定するってことはやっぱりセクシーなお姉さんが居るお店に、」
「違います、俺はあの豪商…いえ。とにかく俺はキキョウ様以外の女を見たところで何も反応しませんから。」
…うわ、今この人なんかとんでもないこと言った気がする。
しかもキッパリと。
「逆を言えばキキョウ様ならば、この肌の感触、香りを思い出すだけで、」
「やめろぉ!いややめてください!とにかく!いかがわしいお店に行ったわけじゃないってことは解りました!…そして私関連の事で外出していた事も解りました。」
青い騎士さんの目があんまりにも狼さんだったのでスルーしかけたが、彼は"豪商"と口走った。
恐らくAの店にでも行っていたのだろう。
赤松だけじゃなく、AやBも動いているかもしれない、ということだ。
「…ねぇ青い騎士さん、無理だけはしないでください。私、迷惑は掛けたくないんです。」
青い騎士さんだけではない。赤松にもAにもBにも無茶をして欲しくない。迷惑を掛けたくない。
私が迷惑を掛けたせいで、離れ離れになってしまったらどうしよう、そんな不安が胸の奥から消えない。
「無理はしません。迷惑だとも思っていません。しかしキキョウ様、俺はあなたを守りたいのです。」
青い騎士さんは屈んで、俯いていた私の顔を覗き込んでくる。
「キキョウ様以外がどうなったって構わない。俺自身がどうなろうとも構わない。しかしキキョウ様は、キキョウ様だけは守りたい。」
青い騎士さんがあまりにも真っ直ぐ私の目を見るので、私は言葉を詰まらせた。
なんと言えば良いのか解らない。なんと言えば彼の為になるのかが、解らない。
ただ、正直に言えば、こんな私を守ろうとしてくれるんだと思うと嬉しかった。
「あ、あの…」
「キキョウ様は、公爵家の男と結婚したくはないのでしょう?俺の妄想でも何でもなく、結婚などしたくないと思っているのでしょう?」
さっきまで真っ直ぐ私を見ていた彼の瞳は、今とても不安そうに揺れている。
それを見てしまった私は、ゆっくりと頷いて見せた。
「結婚なんて嫌です…私、結婚したくない、」
しっかりと自分の意思を告げると、青い騎士さんはぎゅっと私を抱きしめた。
「もしもどうしようもなくなったら、俺と共に逃げましょう。」
「逃げるのは負けみたいで嫌です…。」
わがままを言っていることは解ってる。
真っ向勝負に出たところで相手は公爵家だ。勝てる見込みなど皆無。
しかし、逃げ出すなんてことはしたくなかった。
私なんかのために多大な犠牲を覚悟でどこかへ突っ込んで行ってしまった赤松のためにも。
もちろん、私の根が負けず嫌いだってこともあるのだけど。
「それならば…長い旅にでも出ましょうか。誰も知らない場所へ、誰も追って来れないような遠い遠い場所へ。」
そう言った青い騎士さんを見上げると、彼はとてもとても優しい顔で微笑んでいた。
なんというか…とろけるような笑顔ってのはこういうのの事を言うんだろうな。緩みきってるよ、頬が。
「それは…楽しそうですね。」
青い騎士さんに釣られるように、へらりと笑えば、
「ちょっと待ってよ!その時は僕も連れて行ってくれるよね?っていうか二人とも僕の存在忘れてるよね?ね?」
と、次男様がどこか焦ったように割り込んできた。
それを見た青い騎士さんは、あからさまにムッとしながら口を開く。
「…今良い所なので邪魔しないでもらえますか?」
青い騎士さんのそんな言葉を聞いて、次男様もムッとする。
「ファルケさん酷い!折角僕がお膳立てしておいたのに…!」
と、実に不服そうである。
お膳立てってことは、やはり次男様はこの場所で青い騎士さんの帰りを待っていたんだろうな。
私の事なのに、私の知らない所で色んな人が動いている…
「まぁ今は俺も機嫌が良いので許しましょう。キキョウ様に抱きしめてもらえるとは思いませんでしたからね。」
勝ち誇ったような顔をする青い騎士さん。
その青い騎士さんが漏らした言葉を理解するのに数秒かかった。
彼は"キキョウ様に抱きしめてもらえる"と言った。私に抱きしめてもらう…?
私は恐る恐る自分の腕を確認した。
…いや、抱きしめられたなぁとは思ってたよ。別に嫌だとも思わなかったからそのままにしておいたよ。
そこまでは覚えてたんだけど、私はいつのまに彼の背に腕を回していたんだろうか…?
完全に無意識だった。本当に言われて初めて気が付いた。
そして気付いた途端、恥ずかしくなった。
「あ、っと、ごめんなさい。」
何をしているんだ私は!と思いながら、何事も無かったかのようにするりと腕を下ろす。
すると、青い騎士さんは少しだけ名残惜しそうな顔を見せて、私から離れた。
「それじゃあ僕は部屋に戻るね。トリーナのことはファルケさんが部屋まで送っていってくれるんでしょう?」
「ええ。もちろん。」
「じゃあ、おやすみ、二人とも。」
次男様はひらりと手を振って、お屋敷の方へと歩きだす。
そんな次男様の背に、
「おやすみなさい、フレーテお兄様。」
そう声を掛けた。
「…キキョウ様、フレーテお兄様…とは?」
…しまった聞かれた恥ずかしい!
「…ん?」
「ん?ではありません。可愛い顔をしたってダメですよ。聞き捨てなりません。何ですかその"フレーテお兄様"などという呼び方は!」
ノンブレスかつ猛スピードでそう言って詰め寄ってくる青い騎士さん。鼻息が若干荒い。
「そんな呼び方しましたっけ?」
「とぼけないでください。」
ヤバい、青い騎士さんの目が激しく燃えている。
「…あ、青い騎士さんもお兄様って呼んであげましょうか?」
どこかに逃げ道はないかと、そんな提案をしてみれば、青い騎士さんは暫し動きを止めた。
どうやら想像しているらしい。お兄様と呼ぶ私と呼ばれる己を。
「…いえ。兄にはなりたくない。兄になってしまえば…キキョウ様と結婚出来ない…あぁ…しかし…」
ごにょごにょもごもごと呟く青い騎士さん。
「よし、私達も部屋に戻りましょうか。」
「…キキョウ様、試しに一度呼んでみていただけますか?」
試しに?と首を傾げると、試しに、と深く頷かれる。
「…お兄様?」
「いえ、違う…その、ファルケお兄様で。」
青い騎士さんは、そう言いながら私の頬に両手を添えた。
そして徐々に顔が近付いてくる。
ちなみに彼の目は相変わらずマジだ。
多分、頼まれた通りに呼べば何かマズいことになる、本能で察した私は勢い良くその場から逃げ出した。
「おやすみなさい!」
と、言い捨てて。




