初講習
あの買出しの日以来、私は物凄く視線を感じる生活を強いられていた。
見られてる。超見られてる。
激しい視線を送ってきている犯人は青い騎士さんだ。なんだろう……やっぱあの後蕁麻疹出たのかな……。
少し心配になっていたけれど、ただ猛烈に見られているだけで声を掛けられることはなかった。
視線を送られるだけで特に接触はないのだ。すっごい見られてるけど。何か言いたいことでもあるのだろうか。
と、まぁ最初は気になっていた視線だったが、そんなことを気にしていられなくなる通告がきた。旦那様から、講習の日程が決まったと言われたのだ。
一応人数が揃った、とのことだった。しかし揃ったと言っても十数人で、このお屋敷で開かれている講習では特別少ないほうらしい。残念ながら宣伝効果はあまりなかったようだ。
それでも十数人は集まってくれるんだし、今後はその人達の口コミに期待してみたいところ。
そのためには調査が必要だろう。
まずこの世界のお嬢様達にはどんな曲が人気なのか。
そもそもこの世界にはJ-POPのような歌が存在していない。日本で言う民謡みたいな歌はあるようだけど。あと都会の方には吟遊詩人がいるらしいが若い女性ウケはしていないような話を聞いた。
まぁそんなことなので最初の講習ではポップな片想いソングから永遠の愛を歌ったバラード、しんみりした失恋ソングまで幅広く数曲歌おうと思っている。
そして気に入った曲の歌詞はご自由にお持ち帰りくださいシステムで人気度を測ってみる、と。
歌詞を持って帰ってもらうのは、その日来た人が他の人に見せて、とまぁ結局は口コミ頼みなんだけど。
休憩時間を利用し、歌詞の複写作業をしていると背後から声を掛けられた。
「トリーナちゃん、何してるの?」
赤い騎士さんだ。
「講習の準備です」
作業の手を止めず赤い騎士さんのほうすら見ずに簡単な返事をすると、複写を終えた歌詞の一枚を手に取る音がする。
「ふーん……トリーナちゃん、片思い中?」
「はい?」
急に意味不明な単語が出てきたので今度はさすがに作業が止まってしまった。
「これ……」
ふと顔を上げて見れば彼は歌詞を見ながら何かをブツブツと呟いている。どうやら歌詞を読み上げているらしい。黙読しろ。
「それ別に私の体験談とかじゃないので片思い中ではありません」
「は? どういうこと?」
何をそんなに驚くことがあるのかは知らないが、キョトンとした顔で、赤い騎士さんはこちらを凝視している。
うん、その顔してるとまだ三十路手前には見えないかもしれない。
「まぁなんと言いますか……あー……そう、空想みたいなものです」
空想とも違うのだが、他にしっくりくる単語が思い浮かばなかった。
日本に存在したアーティストが生み出した歌なのだから、私が考えたわけでもない。しかしそれを言うわけにはいかない。言ったところで「何言ってるんだこいつ」と思われるだけだろうし。
ちなみに、ベースは私が日本で生きていた時に聞いてた歌だが、結果的に色々と内容が変わっていたりする。
だって、この世界には携帯もないし電話もメールも存在しない。色々と弊害が出てきそうな単語をこっちでも大丈夫になるよう手を加えなければならないのだ。
なので半分以上私が考えたと言っても過言ではない状態になっているものもある。
だからと言って日本で同じことをやろうとすると著作権法がなんとかかんとか……。
要するにこの世界だから許されるのだろうな、と思いながら歌詞を書いていた。
「へー……トリーナちゃんってこんな事考えてるんだ」
あ、今なんか物凄く恥ずかしいことになった。
現在手元にある歌詞は片想い系、両想い系、失恋系の三種類だ。
別に私の趣味じゃなくてご令嬢達の趣味にあうかなと思っただけで私が普段そんなことばっかり考えているわけではない……!
と、心の中で言い訳を吐露しているが、そんなものを聞いてくれる人物などいない。
「ところで赤い騎士さん、何か用ですか? 複写機使います?」
私は話題を変えるべく口を開く。
「いや複写機に用はない。トリーナちゃんに用があって」
「見ての通り忙しいんで夕飯の時にしていただけませんか?」
この歌詞複写作業は休憩時間中に終わらせておきたいのだ。そしてなにより赤い騎士さんと二人きりで話すのは少し面倒臭い。
「じゃあ簡単に済ませる。トリーナちゃん、ファルケに何かした?」
ファルケ? ファルケってなんだっけ? と首を傾げていると、
「君と買い出しに行った後から俺に対しての態度がキツいんだが」
何だかよく解らない事を言い出した。
私と買い出しに行ったという台詞から、ファルケというのが青い騎士さんの名前だったっけ、ということは思い出せた。
……だがしかし。何かした?
あの日何かあったかと言えば私が例のナンパ男との再会をし、売られた喧嘩を買おうとしていたところを止められたくらいか。でもその話は皆の不安を煽りかねないってことで誰にも話していないはずだ。少なくとも私は誰にも言ってない。
他に……他はなんかあったっけ……あぁ、そういえばここに帰ってきた時手の甲にキスされたっけ。
いやいやそれは青い騎士さんがやったことであって私が青い騎士さんに何かしたかと問われれば……?
「何もしてませんね」
と答えるしかないだろう。
「じゃあ何話した?」
それを何故お前に言わなければならんのだ。私は顔を顰め、それを隠すことなく赤い騎士さんを見る。
「……まぁそもそもファルケが女と歩くって状況が既におかしいんだが」
「あー、それなら私なら大丈夫だと思ったとかなんとか言ってた気がします。女に見えなかったんじゃないですか?」
予定していた分を複写し終えた私は、トントン、と紙の束を整えながらそう言った。
「うーん……」
休憩時間も終わりそうだし、うんうん呻っている赤い騎士さんは放置しよう。
「じゃ、私行きますね」
「待って、トリーナちゃんってさ、恋したことある?」
なんと失礼な問いかけだろう。そりゃあこの世界では今のところ恋なんて無縁だけど日本の記憶遡れば……一応恋してたはず。
「ないこともない、というか」
「鈍いって言われたことは?」
鈍い? 言われたことあったっけなぁ……?
「俺に押し倒されておいてなんとも思ってないの? 俺が君のこと好きかも、とか」
「あれはそっちが『いい玩具見付けたからちょっと遊んでみよう』と思っただけでしょう? 好意なんてこれっぽっちも感じませんでした」
キッパリと言えば、彼は目を丸くした。多分私が言ったことが当っているんだろう。
男との接触が殆どなかったであろう私にああやって迫れば面白い反応が見れるだろうと思っていたに違いないし、実際至極楽しそうな顔をしていた。当然そこに恋愛感情など見えない。
「じゃあ、ファルケは?」
ん? あの人が私のことどう思ってたか、とかそういうことが聞きたいのだろうか?
「あの人は謎ばっかりでなんとも。でも私のこと女と思ってなさそうでしたし、表情も一切変わらなかったから好意はなかった気がします。……何かしたかと聞かれたら思い当たりませんが、知らないうちに怒らせた可能性はあるかもしれませんね」
蕁麻疹が出たとか。
「……トリーナちゃんはなんでそんなに飄々としてるの?」
質問の真意が解らなかった私は、一度首を傾げたが、あまりもたもたしている時間もなかったため、適当に返事をした。
「さぁ、特に深いこと考えてないからですかね」
と。
その後、赤い騎士さんを複写機前に置き去りにして私は走った。複写し終えた歌詞をピアノ練習部屋に持って行くために。
複写機はお屋敷の一階に設置されていて、ピアノ練習部屋は例の社員寮棟の三階だ。端的に言えば遠い。
私はお屋敷と寮棟の間にある渡り廊下を突っ走り、三階まで駆け上がる。そして残念なことに次の仕事はお屋敷一階の掃除なのでまた駆け下りなければならない。
赤い騎士さんが話しかけてこなければ走って移動なんてしなくて良かったのに、なんて思いつつ転ばない程度に急いだ。
・・・・・・・・
数日後、やってまいりました初講習。私はド緊張しているわけだけど、そんな暇ないわよ! と言いたげなリリとルーシュに捕獲された。
ドレスを着せられるらしい。そう、あのルーシュナンパ事件の時に仕立て屋さんに頼んだドレスだ。
ドレスはあの日見たワインレッドの布で、露出度は低く首元にあしらわれた黒のレースが大人っぽいシックなデザインだった。心底安心した。猛烈に派手なのが出来上がってきたらどうしようかと少し不安だったのだ。
そのドレスをルーシュにてきぱきと着せられ、リリには髪を結ってもらう。
「トリー可愛い! 楽しい!」
と、リリがはしゃいでいる。
「本当に綺麗でしてよ、トリー」
と、ルーシュもルーシュで騒ぎはしないがどうもはしゃいでいる気がする。
楽しそうで何よりです……。
それから暫く微動だに出来ないまま、化粧が施されていた。口を挟む余地などなかった。
というか化粧中、口を開くことさえ出来なかった。少しでも動こうとしたら二人からの無言の圧力が掛かったのだ。恐ろしい恐ろしい。
出来上がり、と言われて見せられた鏡に映った私はそれはそれは別人のようだった。
身支度を終えた私は旦那様のもとへ向かう。講習を受けに来てくれるご令嬢達の名簿をくれるんだそうだ。
「見違えたね、トリーナ」
旦那様は私を見るなりそう言った。満面の笑みで褒め称えてくれている様子に、私は軽く照れてしまう。
「あ、あはは、なんだか自分じゃないみたいです」
照れ隠しのため、大げさに笑いながら名簿を受け取る。旦那様から受け取ったそれは名簿というか座席表のようになっていた。
そこに書かれていたのはどっかの子爵家とか男爵家とか、本当に貴族の子ばかりだ。中には公爵家とか書いてあってマジでビビっちゃいそうなんだけど。
だって公爵って、爵位……いや考えるのはやめておこう。いらぬ緊張を生むだけだ。
「頑張るんだよ、トリーナ。気負わなくてもいいから」
旦那様に背中をぽんぽんと叩かれ、私は腹を括った。
大丈夫、大丈夫、しっかり練習したし大丈夫。
そんな事を考えながら、講習について説明してもらった時に一度見たあの音楽室のような部屋へと歩いてきた。
ドアの前には青い騎士さんがいるようだ。私は小走り気味に移動して青い騎士さんの隣に並ぶ。
講師である私の最初の仕事は、受講者様方のお出迎えなので、皆さんが揃うまでドアの前にいなければならない。
「トリーナ様……」
何やら青い騎士さんが私を見ながら目を見開いている。
あ、そうか、ドレスと髪と化粧か。さすがにいつもと違って見えるだろう。私は手に持っていた自分用の歌詞で顔を隠しながら青い騎士さんに声を掛けた。
「護衛、よろしくお願いします」
と。顔を隠した理由はもちろん、今の私が、万が一にでも女に見えたら嫌がるかもしれないから。
「はい、喜んで」
あ、そんなに嫌じゃないみたいで良かった。
私がホッとしていると、廊下の先のほうから足音と声が聞こえ始めた。どうやら人が集まりだしたようだ。
高まる緊張を精一杯隠しながら足音のほうへと視線を向けると、それはそれは煌びやかなお嬢様たちが歩いてきている。
まるで昔絵本で見たお姫様のようだ。
私は彼女達にぺこぺこと頭を下げる。何度頭を下げた頃だったか、ふと顔を上げて廊下のほうを見ると、より一層煌びやかなお嬢様が歩いてきていた。まだ遠いはずなのに分かるゴージャスなデザインのドレスがキラキラと輝いている。
「何故わたくしが音楽など聴かなくてはなりませんの?」
どうやら不服らしい。まだ遠いはずなのに不機嫌さが手に取るように分かる。
隣にいた青い騎士さんの足が少しだけ動いたので顔を見上げてみると、少し眉間に皺が寄っている。
……あぁ、そういえば女嫌いなのに女の子いっぱいだね。赤い騎士さんと交代すれば良かったのに……。
「それに聞きまして? 講師は元孤児だそうですのよ?」
彼女は近付いてきてもなお分かりやすく不機嫌を撒き散らしていた。
孤児を見下される。そんなこと覚悟していたし、あぁやっぱりなとしか思わなかった。
「トリーナ様、俺が摘み出しましょうか……」
しかしどうやら青い騎士さんのほうがイラっとしていたらしい。何故だか。
「大丈夫大丈夫」
身なりと座席表を見る限り、公爵令嬢である可能性も捨てきれない。下手に手を出すと青い騎士さんが可哀想なことになりかねない。
「あら、貴女が講師?」
目の前まできていた煌びやかな彼女に頭を下げると、そう言われた。
「はい」
頭を下げたまま返事をすると、彼女のつま先が私の前で止まった。
「わたくしがこうやって直々に来てあげたんですから、退屈させたら承知しませんからね」
出たースーパー上から目線ー! と言って笑い出したい気持ちを押さえ込み、穏やかな笑顔を心がけながら顔を上げる。
「かしこまりました」
「フン、どんな講師かと思えば貧相な子じゃない」
彼女はそう言いながら部屋の中へ入っていった。
誰が貧相じゃ! ……と思ったものの、あの時のナンパ男相手のように暴れるわけにはいかない。
「トリーナ様!」
青い騎士さんのムっとしたような声がした。
「緊張解れたわ。言ってくれたなあの令嬢」
そう独り言を零しながら、私は複写した歌詞の束を出口付近に準備した。そもそも女子にああいった態度を取られるのは慣れているのだ。
日本で、中学三年生だったあの頃、私はクラスのリーダー格的な女子を敵に回したことにより女子の友達なんていなかった。
だから女子の反応はさっきの令嬢のようなもののほうがしっくりくる。
さっきまでのド緊張は吹き飛び、いつもの私に戻っていた。
歌詞の束を準備し終えた私はピアノの横に立つ。
「初めまして、本日講師を務めさせていただきますトリーナ・キキョウ・ブラットフォーゲルと申します」
そんな挨拶から、ピアノを弾きながら歌うという軽い説明をしていく。
「歌詞を用意しておりますので、お気に召しましたら帰り際、ご自由にお持ち帰りください」
と、言ったところで私はピアノの前に座った。
「静かに堅苦しく聴くような曲ではありませんのでリラックスして聴いていただけたら、と思っております。途中で歌詞が見たくなれば遠慮なく席を立って取りにいっていただいて構いません。歌詞は曲順のとおりに並べてあります」
ピアノに手を置いたまま言うと、どっかの男爵令嬢が「はい」と小さく返事をしてくれた。
その声は私に小さな癒しをくれた。マジ可愛いんですけど。
まずは一曲目。
わりとポップな曲調で、女性視点で愛を語る歌。ポップな曲調もあってか、ご令嬢達のぎこちなさが和らいだ気がする。
二曲目はポップな片想いソング。その頃からご令嬢達は席を立って歌詞を手にしてくれていた。
他は男性視点で永遠の愛を誓う歌や、家族愛をテーマにした歌などを歌った。
時間を見ると、次が最後の曲だ。
今のところありがたい事に途中退室者は居ない。
最後の曲は、しんみりした失恋ソング。本当は離れたくないのに別れを切り出されてしまう、そんな歌詞だった。
「本日の講習はこれで終了です。聴いてくださってありがとうございました」
立ち上がってペコリと頭を下げると、それとほぼ同じタイミングでガタンという音が室内に響く。
驚いて顔を上げると、さっき私に難癖をつけていた煌びやか令嬢が駆け出す瞬間だった。
そんなに急いで外に出たくなるほど嫌だったのか、と思えば、彼女はバタバタと歌詞の方へ走り、ぐしゃりと音を立ててそれを掴んだ。
そして彼女は呆気に取られている私や他のご令嬢を見る事なくバタンバタンと音を立てながら走り去っていった。
……なんだったんだ。
「あの、トリーナ先生」
せ、先生!?
走り去った煌びやか令嬢の事で呆然としていて完全に気を抜いていた。
「あ、はい、はい!」
ビックリして二回返事しちゃった。
「最後の歌の詩は、もうないのですか?」
「……はい? え、人数分以上用意してたはずで……」
と零すと、声を掛けてきたご令嬢とは別のご令嬢が近寄ってくる。
「先ほど公爵令嬢が全て掴んでいってしまわれたのですわ」
え! あの人全部持って行っちゃったの!? 書いてあること全部同じなのに!?
私が驚いて目を瞠っていると、目の前の令嬢達はあらあらまあまあと笑っている。
正直笑い事ではないのだけど……。
「ないのなら仕方ないですわね。帰りましょう」
一人の令嬢がそう言ったのをキッカケに、皆ぞろぞろと出口へ向かっていった。
「申し訳ありませんでした、今日は来てくださってありがとうございました」
私はそう言って頭を下げる事しか出来なかった。
誰もいなくなった部屋で、余った歌詞を見る。どうやらこっちの令嬢にポップな曲調はあまり受けないようだ。ありがたいことに余りは少なかったが、ポップな曲調のものが余りがちだった。
次があればバラード中心構成にしよう。そう心に決めながら部屋を出る。
「なんやわがままで有名な公爵令嬢が泣きながら帰っていったけど殴ったん? 蹴り飛ばしたん?」
「んなことするわけな……赤松!?」
何故お前がここにいる……!
私はドアから一歩出たところで足を止めた。動かなくなったと言ってもいいだろう。
「父兄参観気分やったわ」
ってことはお前見てたんだな。そういやコイツこのお屋敷に平然と出入りしてるんだった。
「何してんのアンタ……あー……緊張した」
赤松を見た瞬間、講習前の緊張がぶり返してきたようだ。
「ほー葉鳥でも緊張するんやな」
「アンタ私を何だと思ってんのよ」
私だって緊張くらいします。今なんてぶり返してきた緊張と安心で手足ぷるぷるしてるし。
「しかしあのわがまま令嬢敵に回したら面倒やで?」
「マジか。一応低姿勢貫いてたんだけど。何かあったら助けてよね、アンタも貴族なんでしょ」
「無茶言うなや、あっち公爵で俺伯爵やねんで」
無理。もう今爵位とか考えたくない。
「……トリーナ様、大丈夫ですか? 色んな意味で」
ぎゃーっ! 青い騎士さんの存在すっかり忘れてた! 今の赤松との会話絶対聞こえてたね!
「青い騎士さん、今の会話丸ごと全部聞こえなかったことにしといてください……」
いや、無理だろうけど……!
こうして初めての講習は終わった。
多大なる課題と失態を残して。




