本物
「…………なぜ落ちこぼれのあなたは無事でいられたの?」
母様の驚きとも侮蔑とも取れる表情。
結果的に、私は死ななかった。というよりも、光に包まれただけで何も起こらなかった。
むしろ、誰にも言えないけど、前よりも妙な力が増したような気がする。
そんな私の様子を気にする家族はいなかった。
なんにせよ、花純が目を覚ました。
両親との感動的な再会を遠目で見て、私の役目が本当に終わったのだと理解した。
「母様! こいつが私の事を生贄にして逃げたのよ!! こいつのせいで……、こいつのせいで……静流様が……」
目を覚ました花純に罵られる私。ただ黙って嵐が過ぎるのを待っていた。
「ふふっ、花純、安心しなさい。あなたは静流様と正式に婚約の義を結んだのよ。誇っていいわ。あなたはこの家の誇りよ」
「静流様と正式な婚約……、わ、私……母様!」
お互いを抱きしめ合う二人。
私はそれを冷ややかな目で見つめていた。冷たいというより、もう何も感じないと言った方が正しいかもしれない。
花純は痩せていた。長く眠っていたせいで、頬もこけていた。それでも、母様の腕の中にいる花純は幸せそうだった。
ああ、そうだよね。花純は愛されている。
私はそれを知っていたはずなのに、少しだけ胸が痛くなった。
「スミレ」
母様が私を呼んだ。
花純ではなく、スミレと。
「あなたは役目を果たしたわ。褒めてあげる。予定通り、あなたは今日からスミレに戻りなさい」
「はい、母様」
「ただし、花純が学園に戻るまで、あなたには最後の仕事があるわ。あなたが花純として過ごした日々を、全部この子に渡しなさい。交友関係、授業内容、生徒会、静流様との会話、ロイヤル・ブラッドの癖、学園での空気。全部よ」
胸の奥に何かが落ちた。
全部、渡す。
そうだ。私が作ったものではない。花純の名前で築いたものなんだから、花純に返すのが当たり前なんだ。
「わかりました」
「いい返事ね。ふふっ、安心しなさい。あなたにもご褒美をあげるわ。高等部には通わせてあげる。それから、あなたの婚約者も用意してあげたわ」
「婚約者……ですか?」
「ええ。極楽寺家の当主よ」
その名前を聞いた瞬間、父様の顔が少し引きつった。花純でさえ、母様の腕の中で動きを止めた。
極楽寺家。
七大名家の序列とは別枠で、鎌倉一帯を支配している守護家。関東の異能術師なら、誰もが知っている名前。
でも、その名前に明るい噂はない。
鬼の極楽寺家。
暴虐当主。
七里ヶ浜麗華でさえ手を出せない、化け物の家。
「……母様、それは」
「何か不満があるの?」
「いえ……」
「あなたにはちょうどいいわ。七里ヶ浜家の役に立てるのだから、喜びなさい」
母様は微笑んでいた。
花純に向ける笑顔ではない。私に向ける笑顔でもない。道具の使い道を決めた人の笑顔だった。
***
本来なら、来月から高等部に進学する予定だった。だけど、私と花純は一ヶ月学園を休む事にした。
私『スミレ』が意識を取り戻して、『花純』が姉のために面倒を見る、という事になった。
実際は逆だけど。
私の経験してきた四年間を、花純にすべて託す。膨大な日誌と映像記録を見ながら、花純はこれをすべて覚える必要があった。
初めはちゃんと覚えられるか心配だったけど、それは母様の一言で杞憂に終わった。
「花純の異能には瞬間記憶があるわ。そんなもの、一回読んだら覚えられる。だから、あなたは学園での空気感や、花純の質問に答えなさい」
実際、本当に花純はすぐになんでも覚えた。
元々優秀な子だと思っていたけど、年を重ねた事により、異能の力が更に強くなったみたいだ。
学園の交友関係、勉強、基礎体力。それらをすべてこなして、一ヶ月後には前の私とまるっきり同じ人間が出来上がった。
でも、分かったことがある。
花純は瞬間記憶を当てにしすぎている。そのせいで、頭を訓練するということを疎かにしていた。
「姉様、静流様はこういう時、どういう顔をするんですか?」
「少し眉を下げて、でも相手を責めないように言葉を選ぶと思います」
「……そう。ロイヤル・ブラッドの石神さんは?」
「石神さんは、冗談を言う時ほど本心を隠しています。だから、笑って聞き流すのではなく、最後まで聞いた方がいいです」
「柳小路君は?」
「ぶっきらぼうですけど、優しい人です。言葉より行動を見てください」
私は淡々と答えた。
答えながら、何かを一つずつ失っていくような気がした。
「私の可愛い花純……。あなたの中にはきっと龍の力が眠っているわ。……その力があれば、七里ヶ浜家は序列一位に――」
母様は花純の頬に触れて、うっとりと呟いていた。
私は部屋の隅で立っているだけ。
私の役目は終わった。
偽物の花純だった私は、本物にすべてを返す。
友達も、居場所も、名前も、愛された日々も。
全部、全部、花純のもの。
***
最後の日。
私は花純に、静流様からもらった手紙の返し方を教えていた。
「静流様は、あまり甘い言葉を最初から求めません。まずは実務的に返して、最後に少しだけ感情を入れるのがいいと思います」
「……姉様って、本当に静流様を手懐けていたんですね」
「手懐けていたわけじゃありません」
「でも、静流様は姉様が演じていた私を愛していたんでしょう?」
花純の声には棘があった。
私は何も言えなかった。花純が静流様を好きだった事を知っているから。
「……花純が戻れば、きっと大丈夫です。あなたは本物なんだから」
「当たり前です。私は本物の花純ですもの」
花純は微笑んだ。
でも、その微笑みは少しだけ震えていた。
私は窓の外を見る。台場の空は、あの日と同じように広かった。
蓮夜様からもらった時計を、そっと撫でる。今の私が持っている、唯一の私だけの思い出。
私は小さく呟いた。
「さよなら、花純」
それは妹に向けた言葉なのか。
私が演じていた花純に向けた言葉なのか。
それとも、私が少しだけ好きになってしまった日々に向けた言葉なのか。
自分でも、よくわからなかった。




