28:祭壇の羊《サクリファイサー・アルタール》
今作の悪役回。
その日私は、奇跡を目にした。
*
死のう死のう死のう死のう。それが無理なら殺してやる。死のう死のう死のう。死んでしまえ、私以外の全員が。
何をやっても駄目。生きている価値がない。でもその価値って誰が決めるの? 決めるのは私ですよね。私がそう“思わせられて”、そう“感じているだけ”ですよね。私は死ぬ必要なんかないし、そう思わせる側が悪い。そういう奴らが死んじゃえば良いって思いません? 私はよくそう思います。私って被害者なんですよ。私にそう思わせていることさえ知らず、のうのうと生きている奴ら。そいつらが不幸になれば良いのになぁ。
完全には壊れられない。私は頑丈、或いは繊細かつ鈍い。私はある程度まともだから、実際に妄想を行動に移すこともない。
(あーあ。天から人類滅亡するスイッチとか落ちて来ないかな)
憎い相手は当然のこと。今生きているのが楽しい奴らも含め。みんな私と同じ気持ちになれば良いのに。でもきっと、それは私だけじゃない。この空の下には大勢、死にたいけど死ねない死にたがり……殺したいのに殺せない殺したがりがいるんです。私達は最初から、ある程度“壊れて”いたんでしょうか? 中にはそういう人もいるでしょう。けれど、みんながみんなそうじゃない。
どうして“壊した側”は、今日も笑っていて。“壊された側”だけが、こんな痛みの中呼吸を続けなければならないのでしょうか。
人は一人一人が世界で異世界。みんな違う世界を生きている。私には憎たらしくて堪らないこの世界が、幸せに包まれている奴もいる。その人には何の罪もないけれど、その不平等さが気持ち悪くて堪らない。
なんて言ってみれば、「下には下が居るから、お前は恵まれている幸せだ」なんてほざく輩の多いこと。幸せってなんですか? 衣食住のこと? お金のこと? 学べること? 違いますよね。魂の安寧のことですよ。そんなことも解らないから幸せなんですよ頭が。
(あーあ、こんなことが続くなら搾取する側になりたいな。虐げる側になりたいな)
そうすれば私の生きづらさも、少しは鳴りを潜めるだろうから。
“幸せ”はいつも、フィクションの中に存在しない。少なくとも、私にとっては。だから本当に幸せな人間がいるなら、その人は人間じゃない、作り物の偽者だ。嘘臭くて薄っぺらくて、平面世界の人間でしょう? 手を伸ばしても触れられない、別の次元の存在でしょう? だって私はそこへ行くことが出来ないし、其方から手を伸ばしてくれることもない。それなら平等に、みんなここまで落ちて来い。同じ地獄へ落ちて、痛みを分け合いましょう。そこで初めて、人は他人に優しくなれると思うんですよ。そこまでしなきゃ、お互い同じ生き物だなんて本当の意味で理解できない程、人間って“壊れて”るんです。困りましたね。それこそフィクションなら良いのに、こっちはノンフィクション。
脊髄は物差し、眼球は色眼鏡。優しさは下等生物を見下すこと。自分の寛容さに酔い痴れること。どいつもこいつもマウントばかり。獣丸出しの万年発情期。
この世の中にある美しいもの、守るべきものって基本人間以外でしょう? ああ、私もその一部。醜いしいなくなった方が良い。毒物の私が生きていてごめんなさい。
そしてまた繰り返し。終わらない死の思考。本当に死んでしまいたいと思うのは、こんな気持ちをひとつも持たない……まともな人間の振りをして生き続けなければいけないこと。
どうして未然に防げないって? それは“こと”が起こるまで、誰も気付こうともしないからでしょう? そして止める手立てもない。
痛みを受ける、心には弾力がある。幸せな人間も、不幸せな人間も。それをどれだけの時間を遅らせられるか。跳ね返るのは当然避けられない。だからそうなる前に、死ぬ必要があるんです“まともな人間”は。
幸せな人間には、幸せな記憶がある。それは壁となり、彼らを守る……もし内に入り込んだとしても、はじき返す悪意を再び弾き、内へと戻す。死ぬまで永遠に壁と心で悪意のラリーをしているのに、彼らは鈍感だからその音にも気付かない。
不幸にも、私にはその壁がない。心に深く突き刺さってしまった悪意達が、撃ち出される時を待っている。元々その悪意が誰の持ち物だったか、しっかり覚えている物もたくさんあるけれど……同じくらい持ち主不明の物も多いの。ああ、それだけの生きづらさ。元の持ち主達に残らず返してあげたいのですが、それが出来ずに困っています。無差別というのも可哀想ですし、ここは平等に連帯責任と言うことで。空から降って来ないかなぁ。世界を滅ぼすスイッチが。
(本当に、神様とか正義とか。奇跡が存在するなら)
そいつは今すぐ私を殺すべきだと思う。自転車でも乗用車でもトラックでも良い。なぁに? 誰も轢かないの? 夜とは言え車の往来は激しい道路。目立たないよう、黒い服で来てあげた。赤信号なのに。ねぇ、誰も私を殺さないの? 私を殺せば貴方はヒーローよ。遺書も書いて来てあげた。“私が飛び出したくて飛び出しました、その人に罪はありません”って。
(あーあ……)
空には三日月。私を笑うような月。
生き延びてしまった、今日もまた。困ったな。困ったなぁ。明日が私の誕生日。未成年ラストイヤーのはじまり。祝ってくれる人は誰も居ないし、私自身大嫌いな数字の並び。
本当は来年の今日が良かったんだけど、タイムリミットが迫っている。だから一年行動を早めた。今日、一番最後に出会った人を殺そうと決めていた。
「本当にお世話になりました、腐川先生」
「元気でね、ダイヤさん。その力が君の未来と幸福に……繋がることを願っています」
そろそろここから離れよう。螺旋階段を下る私は、裏通りに不審者を二人発見した。一人は私と同じ真っ黒な服。私と違っているのは、彼女の身なりが二次元の魔女のようであること。コスプレにしても、こんな深夜に妙だ。
もう一人も凄い格好。外を出歩く服装ではない。見てくれを気にしないにも程がある。修羅場中の漫画家じゃあるまいし。
あ、もしかしたら本当に漫画家なのかもしれない。“先生”と呼ばれた女と魔女は握手を交わし、別れを惜しむ。
「…………ありがとう、ございます。だけど、私は……先生の思いを、裏切ってしまうと思います。どうやったって……許せないから」
「許せないものは、許さなくても良いんですよ」
「…………」
「ダイヤさん。人間ってのは、袋詰めされた粘土なんですよ。他者と触れ合い、傷付け合い……別の形になる。違う顔になる。出会いと傷が人を作る。貴方は自分が変わってしまったと思っているようですが、それは違います。貴方はまだ終わりじゃない。未完成の作品です。どうあっても、元の形には戻れないと悲しむことはありません。少なくとも、私にとっては……貴方は愛すべき弟子です。貴方が醜いと思う傷も含めて、私が出会った貴方です。元の世界で貴方が何をしたとしても、私にとって貴方は自慢の弟子。それだけは覚えていて下さい」
何者だろう、あの人は。私に言って聞かされている言葉ではないのに、思わず修羅場先生の言葉に私も聞き入る。
「――……はいっ!」
魔女は恩師の言葉を受けて、涙を浮かべて笑った。私は彼女の笑顔に目を奪われる。今の今まで私のように、負の感情に囚われていた女が。“幸せ側”の顔をした。
私と彼女の何が違うのでしょうか。気になり息を潜めて観察をする。もう、計画が狂ってしまった。時計の針は、とうに明日になっていたのに。殺せなかった。決めていたのに、殺せなかった。昨日のうちに、最後に会った人間を。
(これが、“奇跡”?)
魔女に魅入られる内、本当の奇跡が起きた。それまでコンクリートの上には瓦礫とゴミしか落ちていなかったのに……怪しげな魔女、彼女の足下に現れた魔方陣が赤く怪しく輝いた!
「おお、派手だねぇ。目立たないよう遅い時間にしたは良いけれど、やはり私の家でやった方が良かったのでは?」
「いいえ先生。契約してない先輩には見せられないし、そもそも落ちた場所が一番繋がりやすいのよ。帰れる保証はないけど、ここが一番……可能性がある」
「……では本当に、お別れですね。どうか無事で」
「ええ、ありがとね先生。私……何処へ落ちても、何になっても。いつか必ず先生のこと、助けるわ! 貴方がそうしてくれたみたいに! 恨みも恩も、借りは返す主義なのよ!」
奇跡だ。魔方陣と一緒に、人が消えた。この世界には、魔法がある。奇跡がある!! 物事の全てに意味があるのなら、私のような壊れた奴が、彼らと出会ってしまったのも必然。世界は私に生きろと言っている。魔法を、奇跡を手に入れて、私が生きやすいよう作り変えて構わないのだと。
魔女を見送り立ち去る女。彼女が入っていった建物を確認した後、私は魔方陣の見えた場所まで戻り辺りを調べる。魔方陣の痕跡は何も残っていない代わりに、丁度魔方陣の中央付近。魔女がいたときはなかった亀裂。彼女の魔法の反動なのか? ヒビ割れたコンクリート。その間から――……青白く光る物を見つけた。
(痛い)
掴んだ時に指を怪我したが、こうして私は望む物を手に入れた。空からじゃない。全てを滅ぼすスイッチは、地面の下からやって来た。
*
《今日はありがとう、名前は何て入れたら良いかな?》
《“ダイヤ”》
《!?》
《私、先生と“ダイヤ”さんのファンなんです。これ、ファンレターです。早く読まないと後悔しますよ》
新たに潜った夢の中。サイン会の後、先生が呼び出した相手が居た。いいや、正確には……場所と時刻を指定したのは呼び出した側。そいつはあろうことかファンレターの中に目撃した事を記し、腐川先生を脅迫。
「何よあのアマ、B美さんから殺して奪い取ったとか大嘘じゃないの!!」
「こ、これってどういうことですの!?」
「やられたって話よ。あいつ自己顕示欲の塊みたいだから、てっきり自分のペンネーム書かせてると思ったんだけどそう来たか。どーりで私のこと知ってる訳だわ。まさか目撃されてたなんて……」
魔法元素のない異界で、移動魔法の分の魔力貯めるのに丸一年。目隠しに最多魔力は最小限。【青の王】が近くに封印されていたために早乙女は、私の魔法を見破ってしまう。
「人目を避ける魔法使ってなかったんですぅ?」
「使ってたわよ!! ……最低限は。問題は、【武具】の方よ」
ミザリーの嫌味を受け流し、私は暫し考える。私が異界イケブクロに落ちたのも、ここから帰ることが出来たのも。【武具】の力があったから。私が封じている魔が下僕である【武具】を頼り、私を生き存えさせたのだ。そして……
(帰還には、膨大な魔力を使う必要があった)
私は、無我夢中だった。使った魔力の全て、私が生み出し貯蔵した魔力だったと言い切れない。帰りたいという私の願いに、この目が力を貸したとしたら? 術の行使に、僅かに魔王の意思が関わっていたのなら? 異界の地下深くに眠る【最後の武具】を、探し当てたとしたならば?
「な、何しやがるんですの!?」
「ごめん。あんたらの所為だと思って」
スパーン。いい音。私の平手が近場のミザリーに炸裂する。当然彼女は喚き散らすが、これってTwin Beloteの所為よね? 私を異界送りにした原因あんたらだものね。間接的にあんたらが99.999999999999%悪いわよね。残りは私の所為かもしれないけど。平手一発で済ませた私って寛容よね。
「意味がわかりませんわ!!」
「はいはい、後から説明してあげるから。そんなことより夢を出るわよ! こいつの顔は解った。名前はわからないけど、顔さえ解ればあの召喚獣で……!」
「……この女がそんな詰めの甘いことをやらかすと思ってますの? この食わせ者、あんた以上に性悪ですわ」
「あんたには言われたくないでしょうけどねぇ。こいつが本人じゃないと言いたいの?」
「タイミング的に、“夢術”は【武具】との出会いによって生じたと考えるのが自然。なら、当然……本人がリスクを冒す必要がない。違いますぅ?」
性悪同士、思考回路が似通うのか。ミザリーの癖に的を射ている。
「つまり、お手上げって言いたいの?」
「少なくとも、ミザリーちゃんは十分仕事を果たしましたわ。これ以上やるならあんた一人でどうぞ。あんたにも出来たんですもの、それより短い期間でミザリーちゃんなら帰還方法編み出せますし」
「そいつは誤りよ、ミザリー。いくらあんたが天才がでも……【武具】か【防具】の力がない限り帰れはしないわ。あんたが【七瞳】、それに近しい者だとしても」
「【武具】の行方が掴めない以上、私は帰れないと?」
「いいえ。あるのよ、この異界の何処かに。あれが現にあると言うのなら……【防具】は夢の中にある」
側に置くのは危険。しかし、どちらかが暴走した場合……止められる程度には繋がる場所になければ困る。だからこその【夢魔法】。
「夢って。それこそ途方もないですわ。この異界にどれだけの存在がいて、どれだけの夢の世界があると思ってますの? その一つ一つを探していくなんて、幾ら時間があっても足りません」
「早乙女に、夢術の力を与えていたのは【武具】じゃない。【防具】の方だったのよ。あいつはそれに気付いていない。起死回生のチャンスはそこにあるわ」
「……だとしても、【防具】の手掛かりゼロですわよね?」
「【武具】と【防具】は対になるもの。持ち主は他の奴らのように、引き合って近付いてくる。いいえもう、【防具】は近くにあるはずなのよ」
それからもうひとつ言えること。【防具】の試練は、愛を示すことだと聞いた。彼女にも、それは聞こえていたはずだ。
「マリーはお転婆じゃないしおしとやかな方だけど、唯助けを待ってるだけのお姫様じゃないのよミザリー」
あの子は勇者。誰かを助けずにはいられない。彼女を信じ、願い求めろ。それが今、何よりマリーの力に変わる!
「《希望召喚》……黒のいいえ、【黒の女王】!!」
*
それは死の夢。人々は奇病に冒されていた。身体は生を望むのに、心が死を求める病。本来調和の取れた存在が、別々の意思を持って存在するため……生まれる軋轢。意識の齟齬は痛みを生み、彼らを蝕み続ける。
「ばぶぅ……」
大丈夫ですか? 声を掛けても誰にも見えない。回復魔法をかけたところで、彼らは身体を痛めていない。心は魔法で救えない。
今の身体は私を良く体現していた。無力な赤子の姿。魔法の使えない私は、無価値なお荷物。意味のない存在。だからロットちゃんも、私の傍から消えてしまった。
コンクリートジャングルを這いずり進んで見たところで、誰も私を気に留めない。本当に私は、誰の目にも見えていない……どこにも居なくなってしまった亡霊なのかも。
幽霊になってみたことで、誰も私に遠慮をしなくなる。私が居るのも知らないで、彼らは色々考える。私には全部筒抜け、聞こえているのもお構いなしに。
(酷い世界……)
誰もが死の夢を見る。自分か他人を殺す夢、心の何処かで願っている。そして彼らは思うのだ。“魔法”が欲しいって。証拠も残さず、罪を背負う事もなく完全犯罪。現代では解明できない摩訶不思議な力を用いて、嫌いな奴を消し去りたいと。魔法はそんな悪しき願いの為、作られたものではないのに。
魔王がいない、魔物もいない。身分もないし略奪もない。恋愛とか結婚の自由もある。生まれに縛られず、好きな職業だって選べる……そんな幸せな世界。
(それなのに)
平和な世界を手に入れても、人は敵を作り出す。新たな線引きをし、架空の魔物を作り上げて戦わなければ満たされない心を持っている。
私が命がけで使命を果たした後の世界も、もしこんな風になるのなら。私が死ぬ意味って、あるんでしょうか?
嗚呼、ここはうるさくて堪らない。ロットちゃんの声がしないと、傍に居ないと。悪意の声が私を取り囲む。これ以上聞いていたくない。泣き声でかき消すように、私は唯泣き喚く。
悪意達の中に一人だけ、優しい声の者が居た。私が其方に手を延ばすと、それは青白く輝き手に収まった。【青の王】……彼は私に掴まれるのを待っていた。
それは、決して手にしてはならないもの。身体も意思も何もかも、一瞬にして塗り潰されて……私の意識は眠りつく。
眠りの先で、私は再び夢を見た。
(……あの人、楽しそう)
景色はぼやけていて、顔も姿もよく見えない。けれど店から飛び出す彼女は嬉しそうに駆け足で帰路を急いでいた。景色は変わり、それは彼女の部屋なのか? 沢山の本や箱が積み重なった部屋。彼女は希望に囲まれていた。彼女は次々封を切り、箱を開け、……別の山を増やして行く。辛そうに、泣きながら……部屋に帰って来た夜も。山を崩せば彼女は笑った。だけどある時期から、新しい山の育ちが悪くなる。新しく仕入れる作品が減っていく。読み終えた本、クリアしたゲームの山しか室内に存在しなくなった頃。彼女は笑わなくなっていた。
空想の世界が明るく楽しければ楽しいほど、現実に打ちのめされる。残るのは記憶だけ。彼女の現実には何も残らないことに気が付いた。
好きなことをしていだだけなのに、どうして今は何も楽しくないんだろう。呟く言葉が私の胸にも深く刺さった。
「新作買った? 新刊読んだ?」
「あー! あれ今日の帰りに買いに――……」
「やめておいた方が良いですよ。あれハッキリ言ってクソでしたから。展開もありきたりだし、元ネタってあれのパクリで? オマージュっていう敬意すら感じませんし、あれは元ネタを馬鹿にしてますよね」
寮に籠もりきり。人を避けて自分の世界に没頭する、薄気味悪い学生。たまに顔を合わせても、無遠慮で主観的な言葉。勝手に会話に割り込む空気の読めなさ。大勢傍から離れていったが、一人だけ……彼女を見捨てずにいた少女がいた。
「へぇ。詳しいんだね。●●さんは何が好きなの? 私は考察とか元ネタとか調べようとか思わないからさー普通に面白かったけど、色々詳しい人にはそう感じちゃうのかも」
「ねぇ……行こうよ。この子って、あの……」
「……案外、作ってみる方が向いていたりして? 何か作ったら見せてよ! その辺のもの全部つまらないんでしょ? そんな人が作るなら、すっごく面白いと思うし!」
明るく笑う少女の顔はよく見える。髪は短く少年のように快活で男周りでありながら、人の痛みに敏感で他人への気遣いも出来る。こんな子は、友人も多いだろう。人の中心になるような、人好きのする笑顔を浮かべた子。
そんな女の子に興味を持って貰えた。悪い気はしなかったのだろう。“彼女”は気まぐれに、漫画を描いて彼女に見せた。
「面白いよこれ、続き描いたらまた見せてよ!」
「ねー●●ちゃん、何読んでるの? 私にも見せて!!」
「私にも!!」
「……私に言われたもなぁ。彼女に聞くのが筋だろう?」
「そ、そうだよね。…………えっと、見ても……いい?」
彼女が、この少女以外と会話をするのは本当に久しぶり。他人事ながら、私の方まで嬉しくなった。勝手に涙ぐむ内に、私の視界はますますぼやける。
「このキャラ良くない? この人格好いいよね」
「ええー? 私はこっちの方がタイプ」
「見せて見せて!!」
少女達の、大きくなった笑い声。人の中心である少女が彼女に興味を持つことで、彼女は次第に居場所が出来た。無愛想な態度も一種の魅力と認められるまでに至った。
「……どういうことですか?」
「あー……ごめん」
何年経過しただろう。二人の背丈は大分伸びていた。子供だった二人の影が、女性らしく見える位に。
「●●が楽しそうでさ。触発されて……私も描いてみたんだ」
「…………」
「私は●●には才能があると思ってる。そのあんたが認められない世界ってのはどんなものか……殴り込んでやりたくて。落ちたらそれで……下には下がいるんだって言いたかったんだ。私、これしか点数貰えなかったって。選考すら残らなかったって。だから●●は……自信を持ってくれって」
「ふ……ふざけないでっ!!」
“デビューが決まったんだ、おめでとう”、大人な対応なんて無理。
“応援してくれるんじゃなかったの? 嫌がらせのつもりなの?”、口汚く罵りたいのをぐっと堪える。彼女はたった一言で、世界が壊れてしまう気がしていた。これまで積み重ねて来た時間と思い出が。かつて部屋に積まれた山のように、無価値な物に変わることを恐れていた。
二人は親友だった。長い時間を共に過ごし、多くを語り合った。作風が似るは必然。勝利の女神が微笑んだのは、……彼女ではなく親友の方だった。
「お前は最初から全部持ってたのに、私の世界に踏み込んで……何もかも踏み荒らした!!」
「……私の絵柄に寄せるくらい、●●なら出来るよな?」
「何を……」
「デビューするのは、●●だ。授賞式には君が行け」
それは悪魔の囁きだった。
投稿時、親友は寮の部屋まで書かずに原稿を送った。名前もペンネーム。不備ではあるが、面白さには影響しない。現代版灰かぶり。夢にまで見たシンデレラストーリー。
本人確認を求められ、出版社に名を明かす直前。名前を明かせば、その人が……賞金とデビュー権を手に入れる。親友が使った名前から、デビュー時にペンネームを変える。二人の好む主題は似ていて……親友の絵は荒削り。徐々に自分の画風に近付けていけば良い。
「……私は頼まなかった。お礼なんて言わない」
「私は君から影響を受けた。君に貰った物を、返しただけさ。私のがもしもまぐれじゃなかったら、……こんなことまたあるはずだろう? まだまだ荷が重いし、修行してから出直すよ」
こうして彼女は漫画家としてデビューをしたが、注目されていただけに失望されるも早かった。
「……ちょっと良いですか?」
「すみません、整理券の配布は明日からなんですよー」
「…………久しぶり、B美」
「……その声、君は!?」
腐川先生のサイン会前日。その人は、準備を終えて帰るアシスタントを呼び止めた。
「職を探してるの。貴女の方から紹介して貰えませんか? 貴女の“先生”に」
「…………私にそんな力はないよ。他を当たってくれ」
「“親友”の頼みを断るんですか?」
「“友達”ってのは、お互い何か……感情を共有し合える関係だよね。苦しみを和らげたり、楽しいことを膨らませたり。今の君が、私に何を与えてくれるって? 雲の上の存在になった君は。あれから一度も、私を顧みたりしなかった。それがこういう時だけ頼るって? “利用”しに来ただけじゃないか。偉そうなこと言ったけど、やっぱりあれはまぐれだったんだ。あれから落選続きの私に、君は一言だって励ましてくれなかったね。君は、私が譲ったチャンスさえ……ドブに捨てた!!」
「私なりに精一杯やった! 面白かったはず!! 少なくとも……貴女にとっては!!」
「…………君の連載を見ていて思ったよ。初めは面白かった。でも、ずっと面白くはなかった。君は私を馬鹿にしているんじゃないかって、本気で思ったよ」
「!?」
「私が変わったのか、君が変わったのか。わからない。でもいつからか、君の作品を読むのが苦痛だった。それで気付いた。君とは価値観や性癖が合わないんだ。馬鹿じゃないか!? どうして少年誌で逆ハーとかしちゃうかな!? どうして私のプロットからヒロインと主人公の性別全員逆転させちゃうかな!?」
「馬鹿にするの!? 斬新かつ新たな読者層の開拓を盛り込んだ前代未聞の意欲作!! ちゃんとラッキーなお色気シーンは入れた!!」
「週一で不慮の事故で違う男の股間に頭突っ込むヒロインとか、喜ぶのちょっと購買層と違うよね!? それから女性誌に移ったは良いけど、君はモブとサブキャラに厳しすぎる。ちょっとヒロインに嫌味を言っただけで、次の日にはそのモブ惨殺してくる男ってどうなの。きゅんっ……じゃねーよはよ捕まれ。誰がときめくんだそんな男に。主人公と彼氏候補達の誰にも共感できんわ。単発ギャグなら良いけど、本人真面目に純愛描いてるつもりなのが怖いんだよ!! 毎週読ませられる側にもなれ!!」
「世界を敵に回しても、ヒロインだけ愛してくれるイケメン達!!」
「敵に回すっていうか敵なんだよなぁ主役勢が確実に。猟奇的すぎる」
二人の口論は白熱したが、互いに酸欠となり中断。先に息を整えたB美さんの方が、彼女を非常口へと追い立てて……決別の言葉を継げた。
「はぁ……これで解っただろう? 君と私はもう作品に対する考えも違うし、うちの先生の価値観とも君は絶対に合わない。私は君の力になれない。もう……こんなことは止めてくれ」
「解りました。今のはあくまでついで。本来の用件は他にありますし。……【青の王】!!」
「……え?」
「開け、異界の門。夢を喰らい、渡り出でよ……“人食い鬼”!!」
この夢の持ち主である彼女……現実の“早乙女”さんは、青白く輝く短剣で……B美さんを刺した。その傷は致命傷ではなかったが、傷口から流れた血がB美さんの身体に魔方陣を描き出す。
現実世界の【青の王】。なんて恐ろしい力。刺した物を生贄に、刺した場所をゲートに変える。悪しき者に新たな肉体を与える【武具】。世界さえ越えて、災いを異界に持ち出す恐ろしい兵器。
「“オグレス”、その姿のまま……今すぐ仕事を決行して」
オーガは人を喰らい、変身をする魔物。それって、つまり。
(……ロットちゃん!!)
早く彼女の所に戻らないと。今すぐ伝えなければいけないことが見つかった。
何処へ向かえば良いか解らないままひたすら這った。掌を膝をすりむき痛くても。少しずつ少しずつ進む内、辺りは元の真っ暗闇。
それでも這い続けていると、ほんの僅かな明かりが見えた。明かりはどこから? 私のすぐ傍、頭の後ろ? 耳の横? 何方も違う。手を延ばす。私が触れて手に取るは、……ロットちゃんから貰った黒いリボンの“髪飾り”。台座に付いた宝石が、淡い白色の光を放つ。
《優しき姫。懐かしき光。貴女は既に、知っている》
「……ばぶ」
《私は一人で動けぬ身。継承者と出会うため、彼らに利用されました。ですがこうして貴女に出会えた……声もようやく届いたようですね? ……………………ええと、届いて……ますよね?》
髪飾りは戸惑っていた。【青の王】のように喋る彼女は、私との対話が成立しないことを予測していなかった。
「ばぶぅ……?」
《《希望召喚》》
大好きな声と、私と髪飾りを包む懐かしい魔力。魔方陣は召喚者により、召喚獣を弱体化も強化も可能。ゲートを潜る条件も、あちら側が指定する。流れ込む魔力が夢の世界に形を作り……私を成長させていく。
《……黒のいいえ、【黒の女王】!!》
*
(どういう、こと?)
召喚には成功した。私の腕には、元の姿になったマリーが飛び込んで来た。
「ロットちゃん!?」
私が吐き出す血を真正面から受けて、マリーの顔が汚れてしまう。マリーは私の治療をはじめるが、私の身体に新しい傷がないことに目を丸くした。
「無駄ですわ。恐らく攻撃は、現実から来ている。身体を直接攻撃され……うぐぐ」
ミザリーまでが苦しみ始める。彼女は夢魔と合体し……身体ごと、夢に入り込んでいるはずなのに?
「い、今すぐ帰るわよミザリー! 早く!!」
「うるさいっ!! やろうと……ぐっ、してんだろうがぁああああ!!」
ミザリーの意思に反し、夢魔の力が使えない。天才である彼女が魔族に裏切られた? いや、ミザリーはここへ来る前何と言っていた?
「【黒の女王】!!」
ミザリーは使い物にならない。瞬時に察したマリーが祈り唱える【防具】の名。私達の立っていた場所に、突然黒く大きな穴が開く。ぶつかるぶつかる、崖から落ちる夢。身体がびくっと痙攣するあの感覚。それはいつだって“夢の出口”に繋がっている。
*
「早乙女さん……私、貴女が言ってくれたように。貴女と友達になれたら良いなと、思い始めていました」
「何……言ってんの、マリー?」
目覚めた現の異界。マリーが早乙女と呼んでいるのは、早乙女じゃない。
「……残念です」
「誰にでも、手を差し伸べるのが貴女の愛じゃなかったんですかマリーさん?」
マリーが会話しているのは、ミザリー。彼女の後方に控えているのは腐川先生!?
早乙女の、身体乗っ取り計画は成功していた? ノーマークだったミザリーに? 違う、ミザリーの方から近付いてしまったから、使われた。
(ミザリーが、召喚獣の力を使えなくなったのって……)
早乙女と、腐川先生の意識を……私は彼女に探させていた。恐らくはその時に、夢魔法の支配下に置かれてしまった。
今度こそ、“私の所為”だ。ミザリーから、私が一発食らわなければいけなくなった。でももうノーカンかしら。早乙女に乗っ取られた身体でミザリーは、私を既に刺している。
「私も少し、貴女の気持ちは解ったから。だから……本当に残念です。私の使命は、貴女を決して許さない!」
「解ってませんねマリーさん。私は既に、【青の王】で貴女の大事な大事なダイヤお姉様を刺している。いつでも発動できるんですよ?」
「甘いのは貴女です」
「マリィイイっ!! やめなさいっ、本気で怒るわよ!!」
「……ごめんね、ロットちゃん」
血の止まらない傷口を手でをさえ、私は荒い呼吸で立ち上がる。魔法で攻撃してでも、マリーを気絶させなければ。手が震えて狙いが定まらないが構うものか!
「《神の子羊》!!」
私の攻撃魔法が完成する寸前、すぅと身体の痛みがなくなった。
マリーの最終兵器である禁じ手魔法、《神の子羊》……相手の傷を術者が肩代わりする自己犠牲の白魔法。私は、彼女を止められず……絶望のままに攻撃魔法を解除した。
「馬鹿っ! あんたには使命があるんでしょ!? こんなところで……っ、こんな馬鹿みたいな奴の所為で、くっそくだらない理由であんたが傷付く理由はないのよ!! 今すぐ私に戻しなさい!!」
「ううん……大丈夫、ロットちゃん。私……まだ、やりたいこと……あるの。絶対に、死んだり……しない、から。ロットちゃんと本で、アリュエット達……負かすんでしょう? 原稿だって、また……やり直しになっちゃった、けど」
「マリー……」
「それに……。会いたいなぁ……レー君、……コント、さん」
それっきり、気を失ってしまったマリー。彼女を床にそっと置き……私は早乙女を睨む。瞳が熱い。赤い両眼が燃えるように痛む。それでも瞬きすら忘れ、私や奴に敵意を送り続けた。
「ふふふ、怖い顔。良いんですか? 貴女には人質が三人もいる」
「黙れ」
「少し口の利き方には気をつけた方が良いんじゃないですか? 貴女の手にはもう、選択肢が残されていない。コントローラーを握っているのは私なんですよ?」
「……あんたに言っても伝わらないと思うけど言っておくわ。人は、世界は。あんたのためのゲームでも娯楽でもない。だから自分のテリトリーが大事なんでしょう? 自分の小さな世界が愛おしいのよ! あんたのしていることは侵略行為、戦争よ!!」
「ご高説どうも。明日くらいまでなら覚えてると思います」
「そう。それじゃあ馬鹿なあんたがもう少し覚えておいてくれるように、あと二つ良い?」
「私はダイヤお姉様のことそれなりに好きでしたから、どうぞ」
「ありがとう。じゃあまずはあんたの頭の事象に、時間稼ぎって言葉を登録しておくべきだと思うのよね」
「それはどうも。じゃあ魔方陣の方展開しておきますね【青の王】!!」
「それに二つ目。人質は、一人の間違いよ」
【武具】と魔法の違いは、魔法の術者が別な点。自分であればすぐに変更出来る、取り消すことも出来る詠唱も。
【武具】は見たところ人間より早く、瞬時に魔法を展開させる分……“取り消し”が非常に難しい。やっぱり取り消し、思って伝えた頃にはもう……彼らは奇跡を起こした後だ。
マリーの腹には禍々しい魔方陣が蠢き、そこから召喚される者が彼女を今正に喰らい出でようと……
「《祭壇の羊》!」
「がっ……!?」
「このダイヤ様を、よくもまぁ……散々コケにしてくれたわね小娘。忘れたかしら? 私とマリーは正反対。だからコンビを組んでたし、互いを補い合えるって」
これは、マリーの白魔法を黒魔法に転用した技。他人の傷を魔法で奪うことが可能ならその逆……傷を他人に押しつけることも理論上は可能。こんな大怪我、試したことはないしぶっつけ本番だったから焦ったわ。
「こ、この女ともあんなに仲が良かったのに! な、仲間を犠牲にするなんて……やはり貴女は人間じゃない!!」
「言っとくけど、私の温情で生き延びただけだからそいつ。元々復讐対象だったし殺すつもりだったのよねぇ……」
人質はそう、一人。マリーは私が助け出すって信じていたから、実質解放したも同然。ミザリーは、別に死んでも構わないから人質カウントはされない。残る人質は腐川先生のみ。
「……信じ、られ……ない。…………最高!! 流石の人でなしですダイヤお姉様!! これは惚れれる!!」
「迷惑だから惚れないで。それにそいつは……ずっと私を負かし続けた女よ。簡単には死なないわ。あんたなんかに殺されるたまじゃないのよ」
「何を……!?」
私が手を突き出すは、早乙女ミザリーに植え付けた傷……魔方陣に向かって。【武具】は魔王の所有物。【武具】を偶然手にしたこの女と、魔王の魔力を封じた私の何方を所有者と認めるか。これはその、根比べ。
「惚れるなら、私にしなさい【青の王】!」
魔方陣から喚び出すは、魔物でも魔族でもない【青の王】。早乙女の手から召喚魔法で彼女の腹を突き破り、【武具】は私の手へと収まった。
後書き書く言葉に迷うほど、休日潰しました。




