27:勇者の血
「マリー!!」
「……無事ですわ、少なくとも体の方はあんたが取り戻した」
飛び起きた私の上には確かな重み。私はマリーを抱き留めたまま異界イケブクロへと帰って来た。一足先に帰還したミザリーに聞くと、早乙女の後を追った結果……彼女も此方へ戻って来てしまったそう。
「あんたの体もないから、あっちに戻れなくて困ってたんですの。体ごと夢に取り込むなんて、とんでもない奴です。……いえ、もしかしたら。私達が目覚めたと思ったこの場所も。まだ夢の中なのかもしれませんわ」
現実が夢に呑み込まれている、ミザリーはそう説明をした。
「そっか……それなら契約の本も。…………あいつが自由に出来たのは」
「ええ。あんたとマリー……そして私は異界イケブクロに来るはずが、あいつが支配する夢の世界に飛んでいた。それも肉体ごと」
奴は夢をつなげて“偽の契約の本”を出現させた。出すも消すも自由自在。どこから嘘の世界だったのかなど、馬鹿げた話。腐川さんを取り込むことで早乙女は、座標を狂わせた。全て最初からあいつの掌の上。
「でも、変ね」
マリーは連れ戻したけど、コント達の方に行けなかったのが引っかかる。
「早乙女は異世界、異界間の夢を繋げても……その夢から世界を渡ることは出来ないって事? 少なくとも体はこうして元の世界に残される」
「体を奪おうとしていたのはそういう意味ですの? 【武具】が結界を越えられない限り、何らかの制約に縛られているのかもしれませんわ」
コント達は大丈夫なのか、私は本当に【防具】に力を与えられたのか? 心配だけど、落ち着かないと。マリーの意識はまだ戻らない。私はここで、やり残したことがあるのだきっと。
(大丈夫、大丈夫……)
マリーの体を取り戻せた。意識だって精神だって取り戻せる。自分に言い聞かせるよう、頬へと触れた。もう、涙は流れない。
私に出来ないことは、きっとあいつがしてくれる。私はあいつに今、出来ないことをやるだけだ。
「ミザリー、もう少しだけ手伝って頂戴。お礼ならあとでたっぷりするわ。私に出来ることなら何でもね」
「……槍でも降らせて、無差別殺人早乙女抹殺劇場でもやるつもりですの?」
「それが出来たら楽なんだけどね。夢と現の線引きがはっきりしないから、この異界ごと消滅させるのは無理でしょ」
「あいつのためなら、誰がどうなっても良いんじゃありませんでした?」
「そうね。だけど……私がそうなった時、止めてくれるのがマリーなのよ」
マリーは使命のために生きている。誰かのために自身が犠牲となっても、自分のために誰かを犠牲とする道を選ばない。そのマリーが私だけを求めるようにするために、【武具】はマリーの記憶を奪った。それでもマリーは【武具】を拒み、消えてしまった。
手にすれば全てが手に入るという【武具】の誘いを断って、私を。私に助けを求め続けた。私を頼って、信じてくれていた。
私に【防具】はないけれど、コントの言うよう……守ることが愛ならば。信じる愛を教えてくれたマリーのために、彼女の全てを守らなければ。
「私が大勢殺してマリーを助けても、あの子は絶対喜ばないのよ。だからあの子がなるべく泣かない方法で、私はあの子を助け出す」
「…………ふぅん。言葉は立派ですけどぉ、具体的に私は何を手伝ってやればいいんです?」
「腐川先生の夢に潜るわ。早乙女は最低一度は、彼女と接触している。多分、アシスタントですらない――……先生の新連載がおかしくなる直前のサイン会は、ここね。本体の顔と名前をサルベージするわよ!」
先生の予定表を確認し、私はミザリーの膝へと頭を預ける。
「どうせ偽名じゃありませんの?」
「ええ、偽名でしょうね。でも――……ネットでは本名かもしれないわ」
*
「ルネ、グラナート……?」
赤領王の記憶で見た、アデルの片割れ。犠牲となった王女。ルネが恨みがましく睨むのは赤領王、そして俺……レイン=ニムロッド。
「名前で呼んでくれるの? 勇者様」
「え、えっと……」
「それじゃあ私は今からルネ。名前は捨てて、唯のルネ。私も好きよ。貴方が」
「と、突然そんなこと言われても……」
「見ていた、貴方を。アデルの中から……こうして、鏡の中から」
するりと伸びてきた腕は、愛しそうに俺を撫でる。輪郭を確かめるよう、顔を身体をベタベタ触る。
「姫から離れろ!」
「私が怖い? お兄様。恐ろしくて堪らない? そうでしょうね。身体があれば、私は勇者様を手に入れられる。貴方よりももっと彼の全てを」
一方的に知られているのだとしても、俺からすれば初対面。ルネの好意が理解できない。アデルとルネに取り合われる俺を見て、マリスはくくくと咽を鳴らした。
「どうするレイン? 彼と同じようにはいかないよ。彼女もまた、身体を持たない存在だ」
赤領王が言っていた娘とは、彼女のことだったのか? 例えばそう。完全にサキュバスとインキュバスと同じ手法で、俺が彼女と夢を見て……その後アデルと。それで二人分の身体を俺に作らせる。
「君はどうやって彼女を救う? 君は勇者なのだから、可哀想な彼女をまさかこのままにはしないだろう?」
結界のため、生まれる前に殺された。復活を望む父の願いは、彼女自身ではなく……彼女の器だけ。王女の残った精神と魂は……赤領国への恨みの気持ちで一杯だ。
精霊人形はもう作れない。男に戻った俺には、水晶器としての役目を果たせない。人間の身体が欲しいという彼女を、どうすれば救えるのだろう?
「……ホムンクルスとは、本来男の力だけで生命を作り出すことを目的としていた。赤領国の技術なら可能なんじゃない? 先程までの彼よりは、危険が伴うのだとしても。どうです赤の陛下?」
マリスの薄ら笑いに、嫌な予感がした。まさか男に戻った俺でも母体に出来るような技術が開発されているとかなのか? 信じられないけどミザリーはそんな研究をしていたし、男色オーク族にもそんな輩がいたような。鎖国気味の赤領国が同様の技術を得ていてもおかしくはない。
この場に誰か味方はいないのか? アデルまでちょっと心揺らいだような顔はやめて。俺の父親何者だよ。勇者の血というのはもはや呪いだ。
「レイン、私が嫌い? 私の母様になってくれたら、私何でもしてあげるわ」
「そんなこと、急に言われても――……俺だって色々」
「駄目。選んで、勇者様。母様になってくれないならそれでもいい。私が貴方の身体を貰って、貴方がこれからずっと夢の世界に閉じ込められる。いつか、私が死ぬまで。……意味が分かる? もし魔王が甦ったら。魔法大国・赤領国の魔法を頼れないなら、人類は敗北する」
学園で習った歴史では、魔王との戦いは赤領国がいても拮抗……良くて辛勝だったと思う。助力を得られないなら、これまでよりずっと苦しい戦いになる。
そのためなら安い物でしょう? 姿形こそアデルと似た年齢だが、問いかける彼女は善悪の区別も付かない赤子のよう。それもそのはず。彼女は赤ん坊なのだ。生まれる直前に、犠牲となって殺されてしまった赤ん坊。彼女の誕生を喜ぶ人も、彼女を優しく抱き上げる腕もなく……彼女は我が儘を言える相手もいなかった。
「人間の身体を頂戴。自由に動いて、生きて死ぬ。人間になりたいの。それまで私は赤領国を呪い続ける。それでもいいの? 白領国も困るのに」
「赤領国の問題が灰領国とどう関係する訳?」
「困るはずよ。魔王が目覚めた時、赤領国の力を当てに出来ないのだもの。だって、私達が死んだあの日から……赤領国はずっと眠り続けている」
彼女が齎す爆弾発言。しかし辻褄は合う。俺達は現実で赤領国の人に出会っていないし、この足で直接彼の地に踏み入ったのでもない。全ては夢の中での出来事。
赤領国が誰も入国させないんじゃなくて……【盾】の中に誰も入れない? アデルの命と引き替えに張った結界は、結界の内側にいる者全てを眠らせたって事なのか?
「アデル……本当なの?」
俺はアデルに問いかけた。けれど、アデルはゴーレムになるまで空白の時間がある。彼自身、自分が夢の中の生き物という自覚はあっても国まるごととは初耳らしく、アデルも驚愕の内にいた。彼の代わりに答えたのは赤領王。
「……正確には、夢の世界に避難したのだ。【盾】の内側……赤領国そのものを、夢へと引き摺り込んだ。夢魔法で支配権を握った我々は、国内に入り込んだ魔族を一掃したが…………その代償がこれだ」
「代償……?」
「一部の区画と人が……夢から覚めることが出来なくなった。原因を長らく探っていたが、よもや……これの仕業であったか」
そうだ。魔法書庫の前で聞いた話だ。アデルは王の居城について、確かこんなことを言っていた。“王の元にはたどり着けない、窓も扉も全てワープ魔法がどうたら”と。あの魔法は人為的な物ではなく、城が夢から抜け出せていないと言うことか。
そこで赤領王は、事態の解決を図るためゴーレムを使役し……現実世界で動かした。
「……王様達と城の人々を連れ戻すには、“勇者の血”っていうのが必要なんだよな? ついでにそっちのおねーさんは人間になりたいと」
「ついでではないの。どちらかしか成立しない。私か、そこの外道と城か」
憎しみを込めた目で、彼女は赤領王を罵った。
「アデルの意思は盾からゴーレムへと移された。【盾】に残ったのは私の意思。私が目覚めない限り、赤領国は目覚めない。……解る? 私には肉体がない。だから今度の【盾】は最強よ。絶対に破れることがない」
【盾】の強度を保ったまま……現実に帰りたい赤領王。【盾】を壊してでも、自分が生まれ目覚めたいルネ。
大勢のためなら王様の言葉が正しいが、生まれる前から誰かの犠牲になり続けた彼女の叫びを無視するのも辛い。とは言えアデルを助けた今となっては。俺とは何の無関係の国のために、これ以上振り回されたくもない。いくらアデルと同じ顔でも、突然現れた彼女に感情移入は出来そうにない。死んだらそこで負けなんだ。何でもかんでも助けていたら、命がいくつあっても足りないよ。
(俺はにーちゃんやねーちゃん達助けられたらそれで良いんだけどなぁ)
俺を脅したいのならアデル同様、最初からルネの存在も匂わせてくれば良かった。彼女も仲間だと俺が認識した頃合いに、今と同じ話を持ってくれば良い。彼らがそうしなかった理由はなんだ?
何とかコントにーちゃんを起こせれば。この夢から逃げ出せたなら、後は他人事で話はお仕舞いなんだけど。マリスがここに居る以上、簡単にはいかないか。だけど一応聞いてみる。
「おいマリス、俺への脅迫材料ってにーちゃんの体だけなの?」
「勿論、そうに決まってい……“ない”よ」
「だよなぁ……お前のことだもんなー……」
もったいぶった口調でマリスは俺に微笑んだ。
「レイン、城の内部が夢に囚われていることを君は知った。しかし魔法書庫はどうだと思う? 【鏡の魔書】の存在も、フェイクだと思うかい?」
魔書を通じ得た情報。手駒であるアデルさえ、魔書で惑わす必要性がある? いや、ない。書庫だけは現実の区画って考える方が自然? それならあの場で得た情報は真実。でも書庫は夢の空間。いや――……“魔法書庫”は、肉体は入室出来ない場所なんだ。
書庫も夢の世界に取り込まれたが、例外的に精神だけが入り込めるし、書庫の情報を夢の主人でさえも鑑賞できない特別区画。
「本当に君は勘が良いね。頭より感覚で正解に辿り着く。それが勇者の血ってものなのかもね。それなら“勇者レイン”、君は彼女の正解も見つけられる。そうだろう?」
「……はぁ、痛いのは好きじゃないんだけど」
夢でしたことが何処まで現実に作用するかは解らない。それでも最悪の場合、現実でも同じ事になる覚悟を決めて俺は彼女と向き合った。
「【赤の女王】の名において、ルネ=グラナートに新たな器を授けよう」
利き手と異なる腕を差し出して、もう片手で肘を掴んだ。魔法で壊すのは、俺の肘だ。俺の身体は奪わせない。だから身体の一部を切り離す。俺に出来るのはそこまでだ。
「……これ、で。その腕はもう、俺じゃない。君の……器に、すると良い。ちょっと、小さいけど……嫌だとか言うなよ。あんたの欲しがってた――……勇者の血を持った、身体だ」
落ちた腕をルネは拾い、愛おしげに胸に抱く。たちまち彼女は光に包まれ、幾分縮んだ幼い姿で構築された。彼女に恨み言を吐くよりも、アデルは俺に駆け寄る事を選んだ。
「姫!! 何という事を!!」
「確かにお前だけって良くないなって。でも……これで同じだ。もう喧嘩するなよ、きょうだいでさ」
夢でも自爆魔法は痛いなぁ。現実でも俺の腕は吹き飛んでいるに違いない。おまけに【防具】の“誓約”を無理矢理破ったペナルティ? 全身が砕け散ったような痛みを覚える。
でも、収穫はあった。流石は“夢”だ。詠唱なしでも“自爆魔法”が使えるなんて。身体の一部だけなら出来るのかな、もしかしたら現実でも。
「偉い偉い、流石彼の息子だよ。【防具】すら抗えるとは、ヴォルクの血は素晴らしいね。どんな状況でも、決して愛を忘れない。でも、こんなことが続けばいつか君は本当に死んでしまうね。身体がバラバラになって死ぬ」
俺の選択を見届けたマリスはいつもの薄ら笑いを浮かべ、此方へ心のこもらない拍手を送る。
「その前に別のやり方を見つける。俺だって善人じゃない。これだと弓を自分で持てないから、彼女に片手分を支えて貰う。俺は唯失うんじゃない。代わりに得たものに手伝って貰う。だからこれは自己犠牲じゃなくて、取引――……買い物だ!」
片手を失っての強がりに、マリスは今度こそ大笑い。本気で笑っている。俺を馬鹿にして。
「残念だけどレイン、肉体を得た彼女は途端に改心なんてならないと思うよ。彼女が肉体を欲しがっていたのは、赤領王をその手で殺すためだからね。言ってる意味が解るかな? 君の手が、一国の王を殺すんだ。人間世界に君の居場所はなくなるね」
マリスは俺が手を吹き飛ばすことを読んでいた!? ルネは彼の言葉を否定もしない。
「ひっ、ち、近寄るな化け物がっ!!」
赤領王を睨むルネの、視線は再び憎悪に染まる。けれども彼女は動かない。彼女の内に迷いが生じているのだ。王への復讐を遂げること……そして俺の腕に罪を被せてしまうこと。どちらか一つを選びきれずに動けない。
「ルネ、君は君が思うがままにやればいい。それが生きている証明だよ」
「で、でも……!」
「君の責任を彼に背負わせるなら、間違っているのは君でも彼でもなく……そうする側なんじゃないかな? いや、そうさせたい側がいるんだろうね。英雄を迫害し、人の側から引き剥がしたい者が」
マリスは何を言っているんだ? ルネを唆して何がやりたい? 俺を勇者から失脚させて何になる? 俺が困ってコントにーちゃんが悲しむ。そんな嫌がらせのためだけに、奴はここまで回りくどい悪事を働くだろうか?
「でも、安心すると良い。魔王はお前に会いたがっているよ、レイン。君が路頭に迷っても、魔は君を歓迎するだろう」
「え?」
耳を疑う。マリスは今、何と言った? 彼はいつも通り飄々として悪意を散蒔く。集中しても笑い声以外の心は感じ取れない。
「マリス……お前は俺を魔族側に行かせて、にーちゃん達と殺し合わせたいのか?」
「それも楽しそうだけど、君はそんな道は選ばないだろう? 例え死んでも。死ぬまで君は勇者だよ。だからこそ……可哀想に。彼はどんなに君に会いたくとも、君には会えない。君が死なない限り、魔王は完全復活出来ないからね」
隙を作らせるのが目的か? とは言えマリスのいつもの戯れ言と、聞き流すには衝撃的過ぎる内容。かつて魔王の器となった男が、魔王の心を口にする。魔王が俺に会いたがっている? 言葉の意味が理解できない。
「僕らは彼と意識の共有はしていない。流れ込むのは感情だけ。僕が継いだのは彼の怒りだからねぇ。怒りの理由くらいは解るよ。赤の騎士が継いだのは、彼のどんな感情なのかな?」
「き、貴様ぁあああああああっ!!」
【赤の王】を振り上げアデルが吠える。マリスは涼し気に笑い、ルネに目配せ。彼女がマリスの前へと進み出ると、アデルも攻撃が出来ない。俺の手から器を得た彼女を破壊した時、現の俺がどうなるか心配なのだろう。
「そこを退けっ!!」
「出来ない……!」
鏡のように向き合うアデルとルネ。背丈や体格、性別の他……守る者さえ別々に。
「解るかい、レイン。君がその身を犠牲にしてまで仲裁した二人もこの通り。失望しないかい? 人間って生き物に」
「……別に」
「そうかい? それは何より。だけど君は魔王にとって、大事な勇者の忘れ形見だ。君が苦しむ世界なら、彼は滅ぼさずにはいられない。だから魔族は君の幸せを脅かし続ける。心優しい“勇者様”? 君はいつまで耐えられるかな? 生きている限り勝ち、だっけ? 君の直感は本当に感心するよ、レイン。君が死んだら負けだしお終いだ」
「レインを守れ、【白の女王】!!」
凜と響く声と広がる魔法結界。光り輝く壁を築いた人は、俺の傍らへと立って悔恨の涙を流す。
「…………すまない、レイン。こんなに遅くなってしまった」
「遅かったねぇ、コント? 君のお姫様はこの様だけど?」
守れとは愉快。守れなかったが正解だろうと、壁の向こうでマリスが嗤う。でも違うと俺は奴の言葉を否定する。遅くなんてないよ。にーちゃんは間に合った。俺をちゃんと助けてくれた。いつだって、今だって! 挫けそうな俺の心を助けてくれる。
もう呪いは解けたのか。全身を覆う【鎧】は男物に変わり、防御面積も増している。それでも抱きついた、人の背中は温かい。俺に勇気を与えてくれる。
「お帰り、……コントにーちゃん!」
錬金術関係の本読みあさったので、書き途中だった腐蝕も更新。




