11:観測者の瞳
白魔法も駄目。黒魔法も駄目。召喚魔法も移動魔法も使えない。そんな魔法使いが魔法使いとして生きること、認める魔法使いはいるだろうか?
「我が家恥晒しが! 何の才能もないんだ、お前は!! これ以上恥を掻かせるのはやめろ!」
そんなことはないと言い返せるだけの言葉が私にはない。事実、私には何もなかった。そうやって疎まれ続けた私が、“城”に招かれたこと……あいつらは飛び上がって喜んだ。何も知らなかったのね。
(何もないから……“私は、何にでもなれる”)
呪文のように繰り返す、自分に言い聞かせる言葉。何も言えないまま反抗心は育ち、臆病と矛盾する強固な自我を生み出した。私は信じて疑わない。私が世界最高の魔法使いであることを。使えないから使えるようになりたくて、分厚い魔法書を片っ端から読んだもの。知識だけなら! その辺の怠けてばかりの大人より、ずっと私は魔法使いだ。発動させることは出来なくとも、空で複雑な魔方陣も描けるわ。いつか魔法が使えるようになった時、すぐに使って見せたくて……魔方陣だらけの本も作った。破るだけですぐに使えるように。
嗚呼、それでも。ただの人間が書いた魔法書より、三流魔法使いが書いた魔法書が価値があるのだ。そりゃそうよ。ナメクジが作った料理と人間が作った料理どっちが食べたい? 例えナメクジ料理が美味しそうでも嫌でしょ? お前そんなの食べてるのかって馬鹿にされるの嫌でしょ? ナメクジが媒体する病気に感染したら嫌でしょ? 極論だけど魔法使いにとって、これはそういう話なのだ。
魔法が重んじられる国で、何の魔法も使えない人間。それは家の面汚しで穀潰し。そうやって疎んじられた者達に、城はある使命を与えた。
「うむ。どの子らも……見事な眼だ。褒美を取らせよう。今宵は宴を開こうぞ。思う存分楽しむが良い」
王は、沢山の子供を集めた。初めて眼を褒められたこと。私達はとても嬉しくて、こんな美味しい物も初めてで。夢みたいだと思ったものよ。
でもあれは、お優しい陛下からのご温情。“最後の晩餐”だったのだ。
*
「ぶぇっくしょん!! はぁ……嫌ね。誰か噂してんのかしら」
自分のクシャミで目が覚めた。原稿を手がけていたはずが、机の上で数分意識を手放していたらしい。
(あー、嫌な夢見ちゃったわ)
異界で過ごす初夏の夜。私達の世界より、此方は四季の気候変化が激しい。日中は暑いくらいだったのに、日が落ちてからはどうにも肌寒い。外は雨が降り始めている。まもなく梅雨が始まるのだろう。一年前を思い出し……私は少し憂鬱になる。
「にしても寒いわね。オーク長者の先生の家が欠陥住宅の訳ないけど……窓にカーテンでも挟んだ?」
窓の閉め忘れか? 隙間風を気にして、私は窓際へと向かう。カーテンを捲る寸前、嫌な気配を感じ……それ以上を躊躇する。暫くの静寂…………エンジンを吹かし通り過ぎた車のライトが人影をカーテンに映し出す。居る。確実に……奴が居る。十中八九早乙女さんだ。私が感じていたのは悪寒であったのか。
『ダイヤお姉様ぁ……お寒そうでしたので、温かいお飲み物をお持ちしましたぁ……』
硝子の向こう、雨音に紛れて聞こえる息づかい。絶対危ない物入ってるパターンだわこれ。睡眠薬ならまだマシで、最悪毒薬ぶっ込まれてるわ。どっちにしろ門前払いだけど、来るなら普通に廊下から来い。
このまま無視して寝落ちを装うか? 彼女なら、これ幸いと室内に侵入しかねない。かと言って、反応して雨ざらしにしておくのは私の心証が悪化する。腐川先生が早乙女さんをどのように認識しているか私は知らない。先生と二人で話し合おうにも、必ずこの子が邪魔をして来る。先生が早乙女さんを良い子として認識しているならば、彼女を悪く言う私への評価が下がってしまう。それはより、この異界での立場が危うくなると言うもの。私は原稿を描きに来たのに、何故こんな詰みゲー展開が!?
(ちくしょおおおおお! 人間の癖に! 何の魔力も無い小娘が、魔物以上の異常行動取るなぁああああああ!! 魔王の化身なマリス同等以上の不審者よあんた!!)
異界怖い。異界良い所だけど怖い。表立って魔法で撃退できないから怖い。魔法が使えない、使ってはならない世界がこんなにも不自由な物だとは。
(そういう意味じゃ、魔法のない場所でせかせか生きてるのは十分凄いことだし…………そこから逃げたいと、思うのは自然なこと……ではあるのかしら)
同情はする。それでも気に入らない。今自分が手に入れられる武器で戦うこともせず、場所を変えれば救われるだなんて、私達の世界を馬鹿にするにも程がある。異界人が思う程……そんな、良いところじゃないの。何処の世界だってそうよ。その異常行動力は別の所に活かすべき。そんだけ悪い意味で頑張れるなら、良い方向に力を向けたらもう少しまともで幸せな人生あるでしょ多分。
『ふふふ……寒い。このまま凍死しちゃうかもしれないですね……ふふふふふ』
(くそー……あんな赤の他人見捨てたい。どうぞご自由にって感じなんだけど……)
脳裏に甦るどこぞの刺客。コントやマリーの命を狙って来た輩だ。結果としてあんなことになってが、私は私のした事を決して恥じてはいない。唯、もう少しやり方があったのではないか。そんな風には思うのだ。だからこの変質者の脅迫が、例の件と重なって……どうにも強く出られない。私は私が悪いなんて思わないけれど、心の何処かで私を責める私がいる。その声を私はもう、聞きたくないのだ。
(こんな精神状態で、最高の本仕上げろとかなんて無理ゲーよ……ちくしょう…………。嘘でも私に憧れてるとか言うなら――……その対象である私の邪魔しないでよ)
もうプロットは完璧。ネームも殆ど出来ている。後は体力と気力の勝負。嗚呼……寝られない。マリーが起きてくるまで寝られない。私が眠ったら最後、あの不審者は窓硝子を割ってでも室内に侵入しかねない。
『大丈夫です。大丈夫です。遺書にはダイヤお姉様が悪いなんて一言も書きませんから。書きませんとも、うふふふふ。本当ですよほんとにホント。でも、実際封を切るまで何て書いてあるか解りませんよねぇ。怪しいですよね。貴女の部屋の前で私が死んでいるなんて』
また脅しか。室内に入れなきゃ書く気だろ確実に。そんな疑いが拭い去れない。私は室内を見回し、危ない物が出ていないか確認した後、恐る恐るカーテンを開け、彼女を室内へと招き入れた。
「化け物かと思ったわ。……貴女、何やってるのこんな夜中に屋根の上で」
「ふふ――……マリー様について、ご忠告をと思いまして。不躾ではありますが、様子を窺っていたところ、あの方が眠られたようなので」
こっちは盗聴出来ないように魔法を張っていたんだけど。私達の外出時点で、この世界の盗聴器を室内に仕掛けられたと見て良さそう。となると、私達の会話は全てこいつに筒抜けだったと? 迂闊だった。室内ではなく、密着した私とマリーの傍に魔法を張るべきだった。その点は反省して今後に活かすとし……正体を完全に知られているなら話は早い。私が猫を被る必要も無い。
「早乙女さん。貴女は私達のことを幾らか知っているようだけど、ならば尚更私がはいと従う奴じゃないことも知っているわね? その上で聞くわ。何のご用かしら?」
情けでタオルを手渡しながら、私はうんざりと用件を聞く。案の定、彼女から大した言葉は出て来ない。
「私がマリー様と二人で話した時に……あの人、ダイヤお姉様の作品を一緒に盗もうと言ってきたんです。勿論私は断りました。……あの人と組んでいては、貴女の才能が食い潰されるだけです! だから貴女はこの一年、何の連載も出来なかったのでしょう!?」
不在の一年、アシスタントを辞めてデビューした? それなのに結果が出ないと仮定した推測。私が異界人ならそうなるかもね。これはブラフ、私がボロを出すのを待っているのか。
(笑わせてくれるじゃない)
マリーを誘ったのは私だ。私の話をマリーが盗む意味は無い。いやそれ以前の問題だ。
「だからあの子を捨てて、自分と組めって言いたいの? その方が良い本が仕上がるって? ……そうね。技術的な話ではそうかもしれない。でもね、あんたじゃ私のMPは満たせないのよ悪いけど。MP吸い取り魔と一緒に踊りたくなんかないわ」
錯乱目的、マリーと私を不仲にするための情報を流すつもりのようだけどお生憎様。共に死線を潜り抜けて来た相手……第三者の言葉で揺らぐような安い繋がりではない。
「マリーの目の前でマリーを悪く言えない奴が、勇者だなんて私は認めない。どうしても言いたいことがあるなら私達二人が一緒に居る時に、もう一回同じ事を言いに来なさい」
勝った。これ以上何か言うなら、とっておきの魔法で撃退してやる。私が勝利を確信した所で、早乙女は死角から私を言葉で殴り付けて来た。
「人の心を好意を踏みにじること。ダイヤお姉様は何とも思わないんですか? 私のこと……だけではありません。“コント=ラクトナイト”さんのことです」
聞いていたのなら当然そこまで知ってるわよね。予想はしていても、実際に彼方の人間の名前を出されるのはダメージが強すぎる。私にプライドがなかったら、口からオチの鳴き声的断末魔が発せられていた所よ。ぐおーって。
「客観的に見て、間違いなく彼は貴女を愛しています」
*
一人で使命を果たすことは難しい。俺にはパーティが必要だった。全てを失った俺に、餞別代わりだと、城は行くべき場所と探し出す相手の名前を教えた。学園は無駄に広く、その人物に辿り着くまでが長い。俺が教わったのは真名で、その人は偽名で此処にいるというのだ。どうやって探せというのか。怒りながら剣技に励む俺の耳に……ある筋から妙な噂が聞こえ始めた。
(“学園に王家の姫がいる。彼女は今、フリーであるが……厄介な番犬を連れている”?)
大抵はその使命も理解せず、王族とお近づきになりたい下心で動く愚か者共。そんな性根の者達が、何が勇者だ。ふざけるな。
「マリーには指一本触れさせない。可愛いマリーとパーティ組みたかったらこのダイヤ様を倒してからにすることね!」
姫が使うという魔法の痕跡を辿り、ようやく見つけた姫の騎士は、鎧も剣も持たない魔法使い。意外にも女であった。
同じ目的を持つ者同士、協力し合えたら良いのだが……他の挑戦者に阻まれ此方の事情を伝えることもままならない。
「何? あんたもやるの? か弱い女の子に剣を向けるなんて、とんだ勇者様がいたものね」
お前の何処がか弱い。後ろでおどおどしている少女の方が明らかに愛らしくか弱く見えるぞ。どの面の皮でそんなセリフが言えるんだ。そう思ってはみても、俺は震えて何も言えない。言い返せなかったのは、俺の手が……あの方の目を潰した感触を覚えているから。人に剣を向けることが怖い。魔物ならば幾らでも斬れるのに。
尻込みした俺はそのまま挑戦権を失って、他の者と戦うあいつを唯見ていることしか出来なかった。
(何なんだあの女は……! 何故初対面の俺に……俺が傷つくようなことを)
そうやって俺はあいつを見つけた。最初は恨みがましく。次第に興味を抱いて……あいつを見るようになった。
「あいつ黒魔術士じゃないのかよ! 聞いてないぜ召喚魔法使うなんざ!」
「嘘!? まだ召喚魔法って習ってないはずよね? どういうこと!?」
その魔女は、そこそこの使い手だ。同年代に数人の天才がいたために埋もれているが、魔法の豊富さがバランスを備え、小細工による展開スピード手際も良い。劣るからこそ努力を惜しまず、それを表に出すこともせず勝ち誇る。自信と余裕……プライドの高さは、陰での嘆きが重なった物。
「所詮は魔法職! 素早く近付き物理で殴れ!」
「はぁ、そんな単細胞ばっかなの? それなら前衛なんか要らない。前衛召喚獣を召喚すれば良いだけ。はい、お終い」
「ロアの一人パーティが認められてるんだから、私達の二人パーティだって強ければ問題ないはずよ。行きましょマリー」
「待て。先日は世話になったな……礼と言うのは無粋だが、私が挑戦しよう」
「キャヴァリエーレ……?」
「アリュエットで構わん。……これから同じパーティになるのだからな!」
俺の目の前で、魔女と聖女はかっ攫われていった。剣を向けることを躊躇しなかった女騎士に。偉大な勇者の子孫……キャヴァリエレ家の庇護を得て、マリー姫は安泰。魔女も才能を活かせる環境を手に入れた。そして……見るも無惨に捨てられた。
あの勝ち気な姿は何処へ。俺を傷付けた女とは別人のよう、満足に言葉も発せられない魔女。王女の悪い噂全てを己の物として彼女を守る。自身の評判、醜聞を気にしない。そんな強い女が、壊れきっていた。全てを失った姿が、よく似ていた。……俺が傷付けてしまった後の、殿下の姿に。
*
(好き……あのロアが、あの腐れ魔法使いを。キャロットを……)
ロアはシスコンだ。レインの母親を慕い、復讐のために恥ずかしげも無く何度も学生を繰り返す程……人生の全てを費やして来た男。姉と似ているというだけで、レインを溺愛しているし……姉との共通点=好意ポイントに直結する直結クソ野郎だ。いや、誤解だ。語弊がある。最後の言葉は取り下げよう。
「アニュエス殿、我の顔に何か?」
「い、いや……何も!」
翌朝、彼の指摘によって気付かされたが俺は朝食の間中、ずっとロアを睨み付けていたらしい。すかさず俺のフォローをマリスがするが、大凡ロアへの悪態だ。
「優しいアニュエスに代わって僕が言うけど、ロアの加齢臭が食事の喜びを害するから年寄りは朝四時に食事を済ませてろって僕は思っているよロア?」
「どうせそのような事を言われるであろうと思い、貴様の朝食はカレーにしてある。心して食え。これぞエルフ族に伝わる、伝説の調味料《長老の隠し味》を入れた加齢臭カレーだ。ちなみに高価だが通販で買える。転送魔法で味わいが劣化してしまうため、配達は人力。運送に時間が掛かるのがネックだ」
「うわー、パッケージでこっち見下しながらドヤ顔決めてる頑固職人系長老は腹立つし凄く凄く食欲失せるネーミングだけど、それってスパイス? 腹痛薬系の最悪香りの割に、食べたら意外と美味しいのが腹立つ。名前どうにかしたらもっと売れるんじゃない? 嫌がらせのためだけにそんな高価なの買ったの? もしかして君って僕のこと好きだったりするの? 君を精神的にいたぶることには結構興味あるけど肉体的なのは丁重にお断りさせて頂きたいんだけど。ああ、でもまぁ一回くらいなら寝てあげようか? 君が下で。アリュエットが泣いて悔しがる顔は見ていて面白そうだ」
ロアもマリスの扱いは手慣れた物で、適度な嫌がらせカウンターを発動していた。そのカウンターに対し数倍の言葉数で殴りかかるマリス。朝から元気な奴だ。昔から口が達者な奴ではあったが、捻くれた所為で話術の方向性は変わっているな。
(あの熱量で口説かれたら本当に困るからな。多少の毒があった方が助かる)
よもや、普段のマリスが恋しいと思う日が来ようとは。この姿になってから、好意十割トークのせいで、調子が狂う。俺にもあの悪意を少しは向けてくれ。
(俺がロアを見ているのが気にくわない、か。随分と分かり易いことで)
いや、人のことを言えない。俺だって似たようなものだ。
(ロアが……キャロットを…………)
あいつが仲間として俺を嫌っていない、信頼してくれていることまでは良し。しかしそれ以上……少なくともそういう対象としては、眼中にないとは薄々気がついている。解ってはいるのだ。解ってはいても、もしキャロットとロアがどうにかなる事があったら。想像するだけで平静を欠いてしまう。
「下品ですよアニュエス殿」
アデルが心底嫌そうに、俺の偽名を口にする。ロアを眺めながら、進まない朝食をジュースで流し込んでいたが。無意識のうちにストローを噛み千切り、ブクブク泡を立てて遊んでしまっていた。余程ストレスを感じていたらしい。
「……失礼」
「アニュエス、これも美味しいよ……ですよ! アデル、私の親友にも分けて頂けますか?」
「ちっ……姫がお望みとあらば」
アデルの叱責を受けた俺に、レインが申し訳なさそうに声を掛けてくれる。彼の言葉で一睡も出来なかったことを、気に病んでいるようだ。自分の事ながら情けないことだと思う。あの女のことでこんなにも心乱されるとは修行が足りないぞコント=ラクトナイト!!
アデルが作ったというケーキを貪る。確かに美味だ。それでも心ここにあらず。体から魂が抜け出したような心持ち。
(《水晶病者》……)
間接的にでも母親を感じられればと、ロアがレインに渡した日記。眠れなかった俺は、それをレインに借りて……一晩中読み明かした。それで幾つか解ったことがある。《水晶病者》は名前こそ病だが、病気でも何でも無い。持って生まれた体質だ。《魔違病者》同様、厄介払いするために病と定義付けられた人為的な眼病。
レインの母親が故郷を追われたのは、生きるためだ。幼い弟を残し……領外国から30・40連合王領国に移り住んだのも。
(水晶病者は、生きたダンジョン……封印牢)
水晶病者を殺せば、内に封じた魔物ごと完全に滅ぼすことが出来る。生贄じゃないか、そんなもの。酷く腹が立った。恐らく、ロアもそうだったはずなのだ。ロアがキャロットに好意を抱いているかは不明だが、キャロットがその人と同じ目を持つ《水晶病者》であるのなら。ロアは彼女を気に掛けてもおかしくはない。姉を救えなかった分、同じ境遇の誰かを助けることで……過去の自分を救いたいのだ。殿下を救えなかった俺が、キャロットの力になりたいと思ったように。
(そう考えると、合点が行く。俺とロアは……少し、似ているんだな)
そう。似ているならば……やはりロアがキャロットに好意を抱いてもおかしくはないのだ。
(いや、ロアは朴念仁だ。しかしレインへの対応を見るに好意がある相手には非常に露骨だ。今の所ロアからあいつへの好意はない。好感はあったとしても……)
一番怖いのが、無自覚のパターンだ。元々彼女を評価していて好印象を抱いていたとする。ふとした出来事でそれに気がついたなら、ロアは恐ろしい敵になる。
最強の勇者! 稼ぎもバッチリ! 万能の精霊魔法!! 重度のシスコン甥コンではあるが、それだけ家族を血縁を大事にする。家から勘当されている俺なんかより余程家族思いだ。キャロットの過去が……辛い家庭環境にあったなら。正直な話、ロアは最高の優良物件だ。俺には太刀打ち出来ない。
(くそっ! あの腐れ魔法使いめ!! 何故俺をこんなにも苦しめる!!)
俺自身、何故あんな女が気になるか明確には説明出来ないが、あいつ以上に俺を振り回し、俺の心を占領する奴もいない。お前がいない一年間……何をしても埋められない日常と心の穴に、否応なしにも気付かされた。
欲しいと手を伸ばして手に入らない物ならば。最初から俺を振り回したりしなければ良かったんだ。
(……何を、馬鹿なことを)
本当に馬鹿なことだ。俺は何のために生きている? 使命を果たすためだろう。どんなに腹立たしくとも、お前のことなどかまけている暇など無いのだ本当は。お前と俺が、仲間以外の関係なんて本来ならばあり得ない。
(馬鹿は俺だ……)
彼女は何も、俺一人の前に現れたのではない。追いかけて、仲間にと迫ったのは俺だ。キャロットは悪くない。マリーを守るお前の姿に、俺が求めた“勇者”を見て……欲しいと思った。それが何故、こんな風になってしまった? 何時からだ? 恋なんてもっと、物語のように運命的に。煌びやかに訪れるものではないのか。何故、どうしてあんな破天荒で下品で台風のような女の事を思ってしまうのか。
(……殿下以来の衝撃だった。忘れられるはずがない。あいつ以上に横暴で、勝手に俺の頭を心をせしめるような女が、他にいるわけがない)
自身の思考のおかしさに、口へと運ぶフォークが止まる。
(俺は…………)
昔の殿下を。おかしくなる前のマリスを、キャロットに重ねている。それでは、マリスが元に戻ったら? 或いはキャロットが……変わってしまったら? 見限るのか? 失望するのか? 勝手に興味を持った癖に。
(何を、言っているんだ俺は)
今度はマリスをじっと見つめる。嬉しそうにあいつが手を振る。昔の殿下の片鱗を、感じさせる今のマリスを目の前に……先程俺は何を思った? “調子が狂うから、いつもの悪意の権化。そんなマリスに戻れば良い”と思わなかったか? 彼から好意ではなく、敵意を向けられたいと。
不義理ではないか? 殿下が元に戻ること、望んでいたはずではないか。それが、もう……あなたに似たキャロットが居るから、昔のあなたは要らない、と? そんな馬鹿な話があるか。
「……違うよ、にー……アニュエス」
見るに見かねたレインが「ご馳走様」と席を立ち、食器を片付けながら俺に手招き。手伝おうと近付くアデルを下がらせ、キッチンで二人きりになる。
「不義理っていうかそれ、気が多いって言うんだよ。にーちゃんは人の良いところを見つけたり、人を好きになれる天才だから」
「な、何の話だレイン!」
「にーちゃんさ、今のマリスのことそんな嫌いじゃないでしょ。あの性悪マリス」
「は? 友よ。お前まであの腐れ魔法使いみたいなことを言わないでくれ」
「にーちゃんは優しいから。もし元の王子様に戻って……性悪マリスが消えちゃうの、可哀想だって思ってるんだろ?」
「いや、俺は」
「だから、昔の王子様みたいなねーちゃんもいて欲しい」
レインは人の心を、感情を読み解くのが得意だ。彼には俺の心の声は筒抜け。彼の目にはもう全てが見えていた。俺が知らない俺の心も。
「人の好みって、それまでの環境とか出会った人・物に左右されるところあると思う。だからそれ自体が悪いことじゃないよ勿論。実際、ねーちゃんは面白いし楽しいし、ああ見えて優しいところもあるし。一緒にいたら好きになってもおかしくない」
鶏が好きでも卵が好きでも別に責めない、そんな風にレインは諭す。どちらが先に生まれた感情かなんて関係ないと。大事なのは思いの強さなのだと。
「にーちゃんはまだ、呪われて少ししか経ってないからまだ、心はにーちゃんのままなんだよ。でもさ、にーちゃんがにーちゃんのままなら、にーちゃんの気持ちは変わっちゃうかもしれない」
「俺が……変わる? 変わらないのにか?」
謎かけのようなレインの言葉。俺が答えを見つける前に、彼は謎をまた増やす。
「にーちゃんが一番大事にしたいのって何? もしそれが、にーちゃんの過去じゃないんなら……早く呪いを解かなきゃ大変なことになる」
*
「ダイヤお姉様。コント様は客観的に見て、間違いなく彼は貴女を愛しています」
こら、本人を前にして死にたくなるような言葉を吐くな。聞こえない振りしてるからって二回も言うな。私の弱点をピンポイントで狙って来るな。
「そして貴女はそれに気付きながら、彼が何も言わないのを良いことに……直接的に振りもせず彼の心を弄ぶ。そうして彼が諦めてくれることを期待しているんです。完全に脈がないのだと、彼を極力傷付けずに振ろうとしている! でも私ならそんなことはしません! 私に好意を寄せてくれる全ての男性を幸せにします!」
おー、よくもそんなこと言い切ったわねあんた。凄いわね、格好いいわね。先生花丸あげちゃう。早乙女の発言に対する呆れから、私は現実逃避をしかけていた。
「私は本当に貴方を尊敬しているんですダイヤ様……貴女のその鋭さも含めて。八割方ご推察の通りです。でも一つ間違っているところがある……そう。私の目的は、私の好みは“身代わり”系です!!」
(くそぉおおおおお!! そっちかこのクソアマぁああああああああああああ!!)
何故だろう。こいつに出し抜かれたことが、ちょっとだけ悔しい。完璧な推理だと思ったのに!
「このままの姿ではバレますし、私達は瓜二つでもない。となれば不慮の事故で私と貴女の精神と肉体が入れ替わる。これが圧倒的ハッピーエンド!! 貴女は誰に好意を持たれることもなく、心ゆくまでずっと漫画だけ描いていれば良い! 私は異世界イケメン達に囲まれて幸せに過ごす!! いきなり反応の変わった魔女に戸惑う周囲! しかし次第に彼らは私自身に惹かれていく!! 完璧パーフェクトじゃないですか!! これですよ!!」
どれだよと、無粋なツッコミを入れてやりたい。しかし自分の世界&発言に酔っている輩に口を挟むのも怖い。気分を害したら途端に刃物を振り回しそうな雰囲気がある。
(“魔法が使えるようになりたい”……ね。その気持ちは痛いくらい解るけど……解るからこそ私は賛成出来ないのよ)
過去の自分を見ているようで本当に気分が悪い。私は必死だったけれど、客観的にはこの人と何も変わらないのでは? 目的や手段は違ってもそれって結局“世界に、多くの誰かに……自分の存在を知ってもらいたい”ってことじゃない。
「力こそが幸せだとか、特別だと言う勘違い。強い者だけが幸せを勝ち取れると本気で信じている危うさ。そんな者が力を得て、幸せになれると思う? 不幸になるだけよ。周りの人間が大勢ね。そんな人間が誰かから愛されると本気で思うの?」
お前は本当の意味で周りを愛そうとはしていない。愛されたいだけなのだ。私は私の仲間を、そういう風に使われるのは我慢ならない。彼らはこの人の欲求を満たすための道具ではない。一人一人が生きて考えている人間なのだ。馬鹿にしやがって。私の、私達の何を見て知ったつもりでいるんだ。
「……早乙女さん。あのね……姿さえ変われば環境、世界さえ変わればその性格で愛されると思ってるの?」
「はい。当然でしょう?」
おお、お前は何を言っているんだカウンターを仕掛けて来た。私ももう一度それをカウンターで返したいものよ。しかしそれではラリーが永遠に終わらない。違う言葉で攻めてやる。
「それ脳味噌完全に沸騰してるわよね。その時点で性格が割と終わってるから何処行っても何も人生変わんないわよ。能力とか関係なく、まず性格矯正することからオススメするわ。経験者から言わせて貰うと、世界は変わらなくてもそれで世界は変わる物よ」
思わずぼろっと零してしまった。いや良いか。事実だし。逆上するなら来い。こいつが盗聴出来ない範囲に、切り札はもう隠してある。そんな私の予測に反し、早乙女はまだ言葉で戦うつもりで答えた。
「いいえ! 力こそ愛され力! 力こそモテ力です! 主人公力こそハーレム力です!! 現に貴女は破滅的な人格&性格であるにも関わらず、人から信頼! 愛情を受けている!! それは貴女が主人公だからに違いありません!」
「ちょっと何言ってるかわかんないわね。救急車呼んであげるから、入院費は自分で払いなさいよ。電話代だけは持ってあげるから。“あーもしもし、はい。何かC級ゲーのラスボスみたいなこと言い出す不審者がですね住居侵入して来まして。はい。錯乱しているのでできるだけ早く来て下さい”……からの、“強制オーク語変換魔法”!」
パソコン通話での通報を装えば、通通信を遮断しようと近付く女。奴の標的が私から機械に移った隙に、私は彼女に掌を突き付ける。
魔法を掛けられた早乙女は、私の手から光も炎も出ないことに驚き、振り向いたままの姿で固まる。
「ぐおお、おおーをお?(ダイヤ、お姉様?)」
何も起こらなかったことに安堵と失望をしながら発した言葉。その異変に彼女は奇声を上げて騒ぎ出す。
「ぐおッ!? ぐおを、くくーおをを? ぐおおおー!!(何!? 何を、したんですか? ビッ●がー!!)」
「良かったわね、これでモテるんじゃない? オークには。バリバリオーク語話せる系女子ってので。これで何時でもオーク系異世界行っても生きていけるわねやったわね! 最初から超絶スキル持ってるなんてかっこいーすごいわねー」
「ぐーおぐぐおぐおーーーーー! ぐぐぐおぐをおおぐぐおを!!(オークなんて嫌ぁああああ!! 私はイケメンがいいの!!)」
危険に飛び込むのは勇者の資質。それでも結果が愚行であるならば、顔も性格も関係なくてそいつはモブよ。盗撮までしなかったのが運の尽き。何事も、中途半端な人間って言うのが悪役にも主役にもなれないものよ。
部屋のカーペットの下に私は魔方陣を敷いていた。部屋に踏み込んだ時点で私の間合いだったのよ。最終詠唱を唱えればお終いってね。
「黙らっしゃい!! 審美眼なんてあやふやで、美醜は時代と場所で異なる物よ。そもそも何? そのオーク差別は」
異界から持ち込まれた情報により、オークの実像は歪められた。風評被害という奴だ。野蛮で知能が低く、性欲の固まり……みたいなあれね。でも実際は、そうでもなくて……彼らは高度な知能を持つことが判明している。私があれこれと口を出した複雑な契約も、問題なく交わすことが出来るのだから、召喚獣の中でもかなりの高位の頭の良さ。そこに戦闘力も併せ持ち、仲間意識も強い。低コストの魔力でコスト以上の結果を発揮してくれる有り難い存在なのだ。異界の認識で、私の召喚獣を馬鹿にされるのは許せない。
「実物見たことも無い癖によく言うわ。オークだって戦う姿は最高に格好いいし、良く見たら肌の触り心地ぷにぷにしてたり、筋肉と脂肪の比率がクソヤバいわよ。あれ最高の枕。再現出来たら売れると思うのよね、オーク型抱き枕。子オークも良い味出してるのよね、あのつぶらな瞳が可愛いし寒冷地にはもふもふで可愛いのとかもいて。うちのオチの愛らしさを見せてやりたいもんだわ。私が男なら、あれは掘れるわね」
「ぐおおをおおぐおおー!!(惚れるの字が違うー!!)」
「私ったらとっても優しいからそれ一日で元に戻るけど、余計なこと言おうとするとまたオーク語しか喋れなくなるからそこんとこよろしくね。筆談とか電子機器での通信も御法度よー? その時どうなるかはご想像にお任せするけど……魔女を舐めると痛い目合うわよ小娘。人間が余計なことを考えるな。良いわね?」
私が目を光らせて彼女を睨むと、彼女は泣きながらこくこく頷いてくれた。ようやく解って貰えたらしい。
「それじゃあお休み、早乙女さん?」
ドアから廊下に追い出して、私の静寂が甦る。こうして見ると、意外と呆気ない。
不思議には思うだろうが、あいつは私への疑いも考える。魔法使いが分かり易い魔法を用いらなかったこと。それ即ち、私が本物の魔法使いではないと言う可能性。
この世界の理に則った魔法だから何の証拠も残らない。異界の人間でも、洗脳や催眠で同じ事が出来るだろう。
(疲れた…………“呪い”なんて使うもんじゃないわ)
慣れない技は、体に毒だ。目が痛い。頭も痛い。まだ原稿が残っているのに……。五分だけ……そう思いながら私は机に突っ伏した。
(嗚呼、最悪の日だった。こんな目に遭うなんて…………私、何か悪いこと、したっけ?)
気付けばいつも誰かに命を狙われている気がしてならない。因果応報と言われる程、私は何か罪を犯したか? 否。なのに何故いつもこんなことになるのか。私がやった悪いこと…………精々コントの奴を弄り倒したことくらい。それだってあいつの自己責任だ。騎士を嫌いな私なんかをパーティに引き入れたあいつが全部悪い。そう、あいつが悪い。そんな風にあいつに嫌われるような真似をし続けている私なんかに、あんな目を向けるあいつが。
こんなに疲れて眠いのに、早乙女に言われた言葉の所為で眠れない。どうしてあそこでコントの名前を出すかなぁ。私は重い頭を上げて、再びペンを握った。
(ねぇ、コント……あんたは)
呪いで女になってみてどう? 何か変わった? 私のことなんかもうどうでもいいと思わない?
(それならね。あんたの気持ちはまやかしなのよ)
もし仮に、私が男であったなら。その時あんたは今と同じ気持ちになるかしら。ならないわよね。それなら、あんたが思う相手は私でなくても構わない。
名家のお坊ちゃんだもんね。家を守らなきゃいけないから、どうしても将来的には子供が欲しい。そうなれば生物学上、伴侶は異性が良いって話よね。ミザリーの研究が進めば話は変わるかも知れないけれど、由緒正しい貴族のお家柄は……そんな時代の変化や技術革新に対して保守的だ。数世紀は変わらずにいることだろう。
(それなら万々歳じゃない……)
今の状況は最高に。家のことも、因縁のことも丸く収まる解決法になると思う。私なんかよりずっと良い。コントは私からマリスと同じ何かを感じて、私が異性だったからそういう気持ちを、興味を持っただけ。それなら今のあんたがマリスに惹かれない理由はない。めでたしめでたしじゃない。そう、だから――……あんたと私の物語は、人生が交わる必要なんてない。仲間以上に、仲間以外に。
(近付かないで。踏み込まないで、お願いだから――……あの子以外の、誰も)
描きかけの原稿。丁度話の分岐点。そこで私の手が止まる。震えていたんだ。部屋の寒さでも、悪寒からでもなく……私の迷いが現れて。
部屋の外の存在は言うだろうか? まだ言うだろうか? 「そんなに迷うなら、辛いなら代わってあげるのに」と。他人からの好意ほど嬉しい物は無いと。たった一人に報いもせず、与えもせず……愛を搾取することを幸せと言い切るだろうか?
(馬鹿言うんじゃないわ。最初から返せない物は、貰っちゃいけないのよ)
だからあんたには、何もあげない。あげないことってことを、してあげる。大事な仲間の、めでたしめでたしのために。
そろそろギャグパートが恋しい。




