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01

この国ヒールニールは、かつて魔王に攻め込まれ、窮地に陥っていた。しかし、勇者とその一行が魔王とその臣下を倒したことで危機を脱し、平和が訪れると思った。

だが、残った魔王軍の残党や魔獣が各地を荒らした。魔王やその臣下に比べれば強くはないものの、その数の多さを憂いた勇者は、国王の元へ戻った際に、国民から志願兵を募り、後始末をするための討伐ギルドを設立することを嘆願したという。

この時、勇者は25歳。彼は戦いと後進の育成に時間を捧げ、10年……。



そうして35歳となった元勇者は、討伐依頼が貼られた掲示板の前に立つ私の、すぐ後ろにいた。


魔王を倒した元勇者ギュンター・ラルは、国王からの許しを得て、討伐ギルドを王都と各地に立ち上げると、現在は私が今見ている掲示板が設置されている本部のギルドマスター、そしてSランクの討伐者として今なお活躍していた。しかし、普段は裏に引っ込んで出てこない人なのに、先月から王都に移り住んできた私に対して、なぜかうざ絡みしてくるのだが……。


「ねえ、今度はどこへ討伐に行くの? Cランクだと南の森の魔獣討伐とか手ごろで良いんじゃないかな? 俺と一緒に行かない、二人で」


歳を重ねても鍛え上げられ、無駄がなく引き締まった体躯。身長は180cmほどで、この世界ではやや背が高いくらい。くすんだ金髪を短く切りそろえ、センターパートにした髪は、手櫛で整えたようなラフさがあった。透明感のある翡翠色の瞳に、小じわが出始めた顔。顎下には無精髭があっても精悍だと言えるだろう。少し浮世離れした感はあるが、いわば余裕と色気がある大人の男、といった風情。


「行きませんよ。討伐数が減って私が損するんで」

「つれないねえ。君の雄姿を後ろから見るだけでいいんだけどね、俺は」


私は胡散臭い物を見る目でギュンターを見上げた。こっちは背が高くないので、無駄に見上げないといけないのに腹が立つ。


「ギルドマスターが、ほいほいCランクのソロ討伐者について回るとか無いから」


そう言うと、掲示板に視線を戻す。

こっちは生活もかかっている。セレブの戯れに付き合ってはいられない。ランクも上げたいし、討伐数を増やしたかった。


私はヘンゼル・ウェーバー、Cランクのハンター、22歳。

156cmの体は小柄だが、ハンターをやるには小回りが利くので、短所とはしていない。背中まである赤毛の癖っ毛を編み込みでまとめ、大きめの明るいはしばみ色の瞳が猫を思わせるような容姿をしている。

普段はソロでの魔獣討伐を得意として活動していた。


私は後ろの元勇者をスルーして依頼書を見比べる。期間、報酬、危険度、要項。それらを見て、これだというものを見つける。

Cランク用の依頼、南の森の魔獣討伐……って、元勇者が言ってたやつじゃんかよ。しかも高いところに貼ってあって手が届かない。無理に取ると紙は破ける。何ということだ。背後に立つ気配がニヤニヤしている……。

ハンターである私は感覚が鋭いので、それを感じて後ろを振り向く。思った通り、ギュンターが無精髭の生えた顎を左手で撫でながら、思った通りの顔をしていた。そしておもむろにこちらへ体を傾けて、耳のそばで、


「取ってあげようか?」


と言い出した。

無駄に甘い声で囁かないで欲しい。耳が腐りそう。私は右耳を手で押さえて距離を取った。何だようざいよ、距離感おかしいよこの人!


「すぐ逃げるの可愛いな、懐かない猫みたいだ」


そう言いながら依頼書に手を伸ばすと、押しピンを引き抜いて外し、端に置かれた箱に戻して、用紙は私の手に握らせてきた。思わず鳥肌が立った。


「お礼は一緒に討伐で良いよ」

「頼んでないし、お礼の指定が重すぎるんですけどぉ!?」


私は思わず声を上げる。それは依頼書を1枚取っただけのお礼ではないと思う。


「今、俺が一番望んでることだからね。他は却下だなぁ」

「選択肢無しか!」


私はツッコミを入れずにはいられなかった。

こんな感じで、こっちとの距離をじわじわと詰めてきて、背中が痒くなる。


「ほら、依頼受理申請を出しておいで。俺の名前、言える? 良ければ付き添ってあげるよ」

「……それはいらない!」


私はそう言ってギュンターから離れると、受付カウンターに走っていった。

届け出を受け付けた窓口の人が一瞬目を見開き、こちらを見ていたギュンターに視線を送ったが、ギルドマスターである彼が頷いたのを見て、申請を処理した。


そういうことで私は、元勇者でギルドマスターのSランク討伐者とパーティーを組む羽目になった。なってしまった。


/*/


数日後。

王都より南に向かう荷馬車に私は揺られながら、隣に座る元勇者をげっそりとした顔で見ていた。

ハイネックの黒の上着に厚手の黒のパンツ、黒の太い革ベルトと黒色のブーツ。ここまでは普通。だけど、動きやすさ重視の軽装で、装備は胸当てだけだが、それは防御魔法がかかったミスリル製だし、背中を覆う刺繍の入ったくすんだ青のマントにも、魔法防御が複数かかっている。極めつけに、王から下賜された勇者の地位を確約する王家の紋章が入った指輪が左の中指に光り、聖別されたロングソードとショートソードが腰から下げられていた。背負っているマジックバッグも私のものとは比べ物にならない高級品で、野営用のテントから何でも制限なく入れられるだろう。なんという高額装備、なんというセレブ。


一方、こちらの方はと言うと、

前ボタンの生成りのオーバーシャツに、身体にフィットした茶色の厚手のパンツ。茶色の革ベルトと茶色のブーツ、革の指ぬき手袋、市販の革鎧。腰にはショートソード、コンポジットボウを背中に背負い、防水の魔法がかかった緑色のマントを着けている。ベルトに着けた小型のマジックバッグは安物という、Cランク丸出しの装備だった。

何でこの人、私に絡んで来るんだろう。私、変なことしたっけ。と、心の中で頭を抱えていたら、ギュンターと目が合った。私は肩をびくっとさせたが、向こうはそんな私に目元を緩ませ、


「なんだい、俺のことを見つめて」


と気持ち悪いことを言ってきた。


「見つめてないから! もうなんなんですか、どうして私にうざ絡みしてくるの!?」


私はたまらず、普段思っていたことを言ってしまい、すぐにしまったと思う。相手は元勇者で、お世話になっているギルドマスター。そんな人に暴言を言ってしまった……。私は揺れる荷馬車の中で慌て、何かうまいこと弁解する言葉はないかと視線を彷徨わせた。


「うざ絡みと思われてたんだ」

「え……!? そうじゃないんですか!?」

「違うよ」


えっ、なに、うざ絡みじゃない……だと? 私は彷徨わせていた視線を隣に戻した。

ギュンターはがっくりと肩を落とし、自分の右頬を掻いている。それから髪をガシガシとかき回す。


「あのね、俺、君を口説いてたんだけど、気づいてなかったのかな」

「はい?」


私は口をぽかんと開けて、ギュンターの顔を凝視した。なんですと?

数々のうざ絡みはそうではなくて、私を口説いていた?マジで?


「気づいてなかったか、そうかー」


どうやら私は、日々討伐数稼ぎとお金のやりくりに明け暮れていたので、その辺の機微はスルーしていたようだった。


「俺ね、今まで恋人がいなかったわけじゃないんだけど、勇者だったから各地を転々としなくちゃいけないから、関係が長く続かなくて。魔王討伐したあとも、ギルド立ち上げで忙しくしてたら、もう35歳になってたんだよね。男なのに行き遅れだよ?」


聞いてもいないのにギュンターは喋りだした。マイペースだな、この人。私はさっき不敬をしたので、仕方なく話を聞くことにする。

ここまでで、未だ独身だった理由は分かった。生き遅れ辛いね。それで?


「もう旅暮らしもしてないし、ギルドマスターになって生活も落ち着いたから、身を固めようと思ってたんだけど、この人だ、という人に出会えなくて。そんな時に君が王都に移り住んできてさ。ギルドの窓口で住所変更の手続きしてる姿を見て、可愛いなーって思ってたんだけど……」


私は聞いていて、だんだん落ち着かなくなってきた。これ以上は聞きたくない気がする。


「自立心があって明るくて元気、小さいのにハンターでソロ討伐するとか尖っていて面白いし、何より俺のことをゴミムシを見るような目で見てくるのが、警戒心強めの猫みたいで堪らなく愛おしいと思ったんだ」

「ウワー! 変態だー!」


私は荷馬車の中、限界まで隣との距離を離した。馬車を操っていた御者が声に驚いてこちらを振り返った。


「心外だなあ。俺は真面目に君との結婚を考えているよ」

「結……婚……」


思わず魂が抜けそうになる。いや、あんた距離の詰め方おかしいから。今までよく恋人がいたな。いや、続かなかったんだっけ。


「まあ、誤解してたようなので、訂正させてもらったけど、これから討伐任務だし、この話はもうしないでおくよ、今日は」


翡翠色の瞳に色を乗せて、ギュンターは意味深に微笑む。精悍な顔立ちが甘くなるが、私の心はそれどころではなかった。


思い起こせば、全てのうざ絡みは口説きであった。やたら距離が近いのも、何度も食事に誘われたのも、じっと見てくるのも全部。

元勇者でギルドマスターでSランク討伐者のセレブが、私と結婚したいと言う。青天の霹靂すぎて頭の中がぐるぐるしていたら、いつの間にか目的地に荷馬車が着いていた。ギュンターに肩を叩かれ、ハッとすると、すぐそこが森の入り口で、私は空の彼方へ行っていた意識を取り戻したのだった。

私たちは荷馬車から降り、御者に運賃を払うと森の中に入っていく。


「さて、南の森に着いたね。依頼内容をおさらいしようか」


剣の柄に左手を置いたギュンターが、歩きながら話し出した。ピリッとした緊張感が漂う。森に入った途端、雰囲気が変わった。私も気持ちを引き締めて、彼の少し前を行く。


「Cランク討伐、王都南の森の魔獣を探し出し討伐すること。事前調査では犬型の中型魔獣が5匹、周辺住民に複数の被害があった。魔獣は夜行性、森の泉の付近を寝ぐらにしていて、明るいうちはそこで休んでいることが多い」

「そうだね、ちゃんと憶えていて偉い」

「……このくらい覚えてます」


この森は大きくはない。森の周囲を回り、通った場所に印をつけながら、徐々に中へ中へと進む。

私は感覚を研ぎ澄ませ、魔獣の気配を探りながら歩く。足跡、毛、マーキング、何かを捕食した跡などが無いか、そういったことに気を払う。

ギュンターは静かに私の後をついてくる。気配がほとんど無いので邪魔にはならなかったけど、振り向くと熱のこもった目とかち合うので、慌てて前を向いた。そうこうしている内に、森の中ほどにある泉との距離が近くなってきた。

魔獣の痕跡が至る所に見つかるようになる。私は周囲を回りながらジリジリと近づき、そして、ねぐらである泉が見えるところにまで到達した。


「いた……」


声を潜め、藪の影で姿勢を低くした。魔獣は泉のそばの木の下で、5匹が寄り集まって眠っている。


「群れで行動するタイプだね」


ギュンターは散歩しているかのようなのどかさで、私の側にしゃがんでいた。


「これ以上は近づかない。気づかれる」


私はまた周囲を静かに回りながら、コンポジットボウを使える場所を探し、木の上に登って高所からの狙撃を行うことにした。使うのは毒の矢。一度撃ち込んでしまえば、後は倒れるのを待つだけ。私のハンターとしての討伐は、それが定石である。毒は数種類用意してあり、魔獣によって切り替えるのだ。


「ギュンターさんはどうするの? 矢はたまに外すこともあるので、その場合は魔獣はこちらに向かってくるから……」


私はちらりと後ろを振り返る。


「俺はここで見てるよ。討伐数稼ぎたいんだよね。邪魔しない」


そう言って木の幹に寄りかかり、腕を組む。前にギルドで言っていた通り、手を出さない方針は変わらないようで、私はほっとした。四属性魔法使用の魔法剣使いの元勇者が戦ったら、Cランク討伐対象の魔獣なんて、秒で5匹吹き飛ぶわ……。


「分かった」


私はそう言ってギュンターから離れ、手頃な木に登る。体重が重くないので、木はほとんど揺れない。幹の上で体を落ち着け、マジックバッグから矢を10本取り出すと、毒を慎重に塗りつけた。それを矢筒に入れ、コンポジットボウを背負った。


「風向きよし、遮蔽物無し、魔獣は目覚めてない」


材料の弾性を最大に活かすため、小型でも強く遠くへ矢を飛ばせるコンポジットボウは、不安定な狭所でも場所を取らない。私は体を固定させると、右手に矢を4本持ったまま、1本を弓につがえ、弦を引き絞る。一射の間隔が空くと、他の4匹が気づいて散ってしまう。それを回避するために、間を置かず連続して5本の矢を次々と放った。

それらは緩いカーブを描いて、5匹の魔獣たちに次々と刺さる。まずギャン! という悲鳴が聞こえ、それから痛みによる鳴き声と、地面にのたうち回る音が聞こえてくる。


「いいぞ……こちらには気づいてない」


私は身を潜めながら、木の上で魔獣たちが静かになるのを待った。そうして30分ほど経過しただろうか。私が潜んでいた木の下から、ギュンターの声が聞こえてくる。

私は枝葉の間から彼の姿を見下ろすと、にこにこしながら腕を組んでいる姿が見えた。


「静かになったね」

「……もう毒が回ってると思う。確認しに行かなきゃ」


私は返事をすると、スルスルと枝に足をかけながら下へと降りていく。途中から枝が無くなるところは幹を抱え、少しずつ降りた。

そうして地面まであと少しというところで、残りは手を離して飛び降りようとしていたのだが、笑みを浮かべたギュンターと目が合った。彼はおもむろに両手を伸ばすと、私の腰の辺りをぐっと掴み、軽く持ち上げてストンと地面に下ろした。

今、何をされたか一瞬分からなかった。一応、私は50kgくらいはあるのだが……馬鹿力か!?

私が目を白黒させている間、ギュンターは私の腰から手を離していたが、右手で編み込みからほつれたこめかみの髪の一筋を、剣だこがある長い指でつまんで、優しくそれを左の耳にかけてくる。


「連射格好良かったよ。ソロでやっていけている理由が分かっ……」

「アー! 魔獣の様子みてくる!」


最後まで台詞を言わせず、私は泉の方へ走り出す。そうだ、言わせてはいけない。隙を見せたら何をしてくるか分からない、あの人は!

私は途中から速度を落とし、周囲の状況を確認しながら前へ進む。徐々に草木が切れ、開けた場所へと出た。泉の周辺に魔獣が5匹倒れている。口から泡を吹き、もがき苦しんだ痕跡があった。


「よし、5匹全部討伐できてる。証拠に耳を切って行かないと」


私は1匹ずつ死亡を確認した後、ショートソードを取り出し、魔獣の右耳を切り、泉で血抜きをしてから袋に入れてマジックバッグへと入れる。その間も周囲の警戒は怠らない。依頼に書いていない危険は、いつだって起こりうる。討伐者として基本的な警戒だった。

そう、警戒していたから分かった。泉の向こう側からする気配に……。

私はその方向へ視線だけを動かす。森の陰に紛れて、大型の魔獣の気配がした。数は2匹……番かもしれない。倒した5匹の中型魔獣は、もしかしたら大型魔獣の子供たちだったのかもしれない。

緊張しながらコンポジットボウに予備の毒矢をつがえ、私はいつでも走れるように身構える。どす、どす、と重さを感じさせる足音が徐々に早くなり、こちらに向かいながら木々をなぎ倒す音も聞こえてきた。そうして2匹の魔獣が、あっという間に小さな泉のあるこの場所へ飛び越えてきた。

私はバックステップで下がりながら毒矢を放つ。1匹、2匹と命中はするけど、おそらく効きは遅い。私は背中を見せないように少しずつ森の中の方へと下がるが、子供を殺された魔獣の怒りが収まらない。毒の矢をボディシェイクで抜き飛ばすと、唸りながらこちらに向かって襲い掛かってきた。


「やば……!」


私は回避しながら森へと逃げ込むが、向こうの方が足が速い。木々をなぎ倒しながら魔獣が後ろから迫り、荒い息が近くに聞こえてきて、背中に汗が伝った。

その時、青い風が吹き、私の髪を乱す。


「これは依頼対象外だから、いいよね」


青い風を感じた直後、マントがはためく音と声が聞こえ、私は思わず後ろを振り向いた。ギュンターの広い背中……。青いマントと、聖別された長剣の鈍いきらめきが見える。

体の重さを感じさせない動きだった。1匹目の首が一撃で胴から離れ、2匹目も間を置かず薙ぎ払われ、地響きを立てて地面に倒れる。早い。剣筋が何も見えない……。

私は足を止め、体をギュンターの方へ向ける。木漏れ日がくすんだ金髪を輝かせ、青いマントには木々の影が落ちているが、それに魔獣の血は一切ついていない。それは剣先から伝い落ちるのみで、それだけでいかに彼の剣が鋭く、そして腕が良いのかが分かった。


「ヘンゼル、怪我はない?」


剣の血を払い、こちらに向かいながら鞘に納める動作も綺麗だった。私はうっかり見惚れてしまったが、これは討伐者として上位の人の戦い方に対してそうであって、決して心が動かされたわけではない!ええ、決して!


「頬に切り傷がある。枝に掠ったのかな……洗ったら薬塗ってあげるね」


ぼーっとしていたら、一気に距離を詰められる。近い近い!

剣だこのある長い指で頬に触れないで、あと綺麗な翡翠色の瞳で顔を覗き込まないで欲しいです!


「大したことないです!」


私はぷるぷる震えながらギュンターの視線から必死に逃げるが、腕をがっちり掴まれて泉の方へ引きずられると、容赦なく顔を洗わされ、顔まで拭かれた。

マジックバッグから傷薬を取り出し、丁寧に頬の傷に薬を塗る顔は、こっちが申し訳なくなりそうなほど心配そうだったが、


「跡は残らないと思うけど、可愛い顔なんだから大事にしてね」

「ひっ……」


討伐と戦闘が終わった瞬間からこうで、私は全身に鳥肌が立った。

その後、大型の魔獣の右耳も落とし、討伐依頼外で襲撃されたことの証拠として、それを袋に入れて持ち帰ることにする。念のためにもう少し周辺を散策したが、他の魔獣は確認されなかったため、今回の任務は終了となる。

そうして私とギュンターは夕日が差す中、森から出て、被害者が出ていた近隣の村に立ち寄ることにし、王都に戻るのは明日の朝の荷馬車での移動とした。

村では魔獣を倒したことを村人に話すと、いたく感謝され、食事と小さな宿屋の部屋を空けてくれたので、私たちはありがたく泊まらせてもらう。もちろん部屋は別々。当たり前です。


村人がささやかな宴を開いてくれて、それを楽しんだ後私は桶を借り、井戸水を汲んで部屋に持ち込む。

革鎧と服を脱いで汚れた体を拭いてから着替えると、編み込みにしていた髪をほどいた。そうしてようやくほっとしてベッドに寝転がると、部屋のドアをノックする人がいる。宿屋の人かな? 桶、早く返してってやつかな。と思い、私は「はーい」と言ってドアを開け、そしてすぐ閉めた。


「酷いなあ、話をしに来ただけなのに」


ドアの外に立っていたのはギュンターだった。

ミスリルの胸当てとマントを外し、黒の上下だけの姿だったことまでは、チラ見で分かったが……。


「部屋の中は身の危険……いや、外で話します。今出ます!」


私はそう言って、しぶしぶ部屋の外に出ると鍵をかけ、二人で宿屋の出入り口へと向かう。普段あまり人が泊まらなそうな宿屋の中は静かで、廊下を歩くと床板がきしんで音が響いた。

私たちは宿屋の主人に声をかけ、桶を返してから外に出ると、宿の灯りだけで薄暗い中ではあるが、木の柵に寄りかかり、話をすることにした。


「で、話ってなんです?」


風が解いた髪を揺らす中、私は一刻もこの状況を抜け出したくて、右側に立つ彼へ話を切り出した。だが、ギュンターはじっとこちらを見ていて、その視線が私のてっぺんからつま先までを見ているようで、私は引きつりながら一歩横に体を逃がした。


「討伐前、荷馬車で話したことの続き」


それを追うようにギュンターが一歩迫る。足の長さの差か、一歩の幅が違って距離がほぼ無くなった。その上、柵に寄りかかりながらも上半身をこちらに捻り、上から覗き込むようにしてくるので圧が凄い。この人、間合い詰めるのめちゃくちゃ早いんですけど!


「うざ絡みしてないからね、俺」


アー、これは私が言ったことを気にしているやつ。

口説かれていたのをそう思っていたのは私なのだけど、まさか年の離れたセレブ様が、自分に対してそういう目で見ていたなんて思わないじゃん。私、お金を稼ぐのとランクを上げるのに必死だったし。


「それについては、まさか自分がそういう目で見られていたとは、つゆ知らず」


私は両手を前に出して、ささやかな抵抗を見せる。体温を感じられそうな距離に詰められているから、ギュンターの胸に触れてしまいそうだった。ちらりと視線を上げると、暗がりで瞳だけが宿屋から漏れる光を反射して明るく見え、私は息をのむ。


「そうかあ。分かりにくかったみたいだね。これからはもっと分かりやすくするね」


声は甘い。だけど気配がそうではなく、彼は静かに動くと、右手と左手で柵を掴み、私を完全に囲ってきた。


「ウワー!」


私は顔を横に反らし、前に出していた両手を突き出して突っ張らせる。固い胸板に手がついてしまうが、やむを得ない。こっちは今日初めてギュンターの気持ちを聞いたばかりだ。無理無理、脳みそがまだ処理できてません!


「……嫌がって手を突っ張らせるなんて、猫みたい」

「私は人間ですんで!」

「ただの比喩。そのくらい可愛いってことだよ」


明らかに嫌がっているのに、そんなことを言いながら慈愛に満ちた視線でこちらを見てくる。こちらの抵抗なんて大したことがないのだろう。それはそうだ。能力格差が大きすぎる。向こうが本気を出せば、私なんてあっという間にベッドに連れ込まれてもおかしくない。

私はぐるぐるしながら、ひたすらギュンターの胸板を押し返し続ける。そんな私を見て、彼が声を殺して笑っていた。自分の掌に、笑いで揺れる体の振動が伝わる。そうしてしばらく彼は笑い続けていたが、


「なんか混乱してるみたいだね。じゃあ今日はここまでにしてあげる」


そう言って、すっと私から体を離した。

私は手を前に出したままの体勢だ。あっけにとられた顔でギュンターを見上げていたが、離れてくれたことには、あからさまにほっとしてしまった。それに対して複雑そうな表情をされたが、彼は私の肩を撫でるように一つ叩くと、宿の入口へと歩いて行く。


「長期戦は覚悟したから」


そう言い残して。


私は宿の入り口のドアを開き、中へ入っていくギュンターの背中を見送った。

長期戦……だと……?

私はあの人に、自分がイエスと言うまでずっと口説かれるのか?いやいや、考えたくない。まだ私の中でギュンターへの好感度がマイナスなんですけど!?


「ウワー! こんなん納得できるかー!」


私は頭を抱えながら、夜空に吠えた。

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