第1話 おしごと、みつかったね
わたしは異世界転生の定番――過労死をした。
二十九歳だった。
三十歳になる前に死にたかったわけではない。できれば、来月発売される推しの春色ぬいぐるみを受け取ってからにしてほしかった。
限定だった。
予約もしていた。
代引きだったので、たぶん今ごろ配送業者さんが困っている。
死んで最初に申し訳ないと思った相手が配送業者なのは、人間としてどうかと思う。
でも、もう死んでいるので、人間としての評価は締め切られていた。
*
職場では、いつも機嫌のいい女だった。
朝は目の下の隈をコンシーラーで埋める。まつげを上げる。顔色がよく見える下地を塗る。口角がきれいに見える色のリップを選ぶ。
「おはようございます」
笑顔で挨拶をする。
「大丈夫です」
笑顔で仕事を引き受ける。
「全然、気にしてません」
笑顔で許す。
だいたい、大丈夫ではなかったし、全然気にしていた。
ただ、不機嫌そうにしても仕事は減らない。
増えるのは、
《扱いづらい》
《感じが悪い》
《最近ちょっと疲れてる?》
という、なくても困らない評価だけだった。
だったら笑っていたほうが得だ。
笑顔は無料で、コンシーラーより広い範囲を隠せる。
わたしはそういう計算が、わりと得意だった。
「これ、今日中にお願いしてもいい?」
「えっ、今日ですかぁ?」
少しだけ困った顔をする。
ここで完全に嫌そうな顔をしてはいけない。
お願いした側が、
「あ、やっぱり悪いかな」
と思える程度。
でも、断るほどではない程度。
「……もう、しょうがないですね」
笑う。
「今回だけですよ?」
「助かる!」
相手は喜ぶ。
わたしも感じがいい女でいられる。
仕事だけが残る。
かなり高度な負け方だった。
それでも、頼られるのは嫌いではなかった。
褒められるのも好きだった。
「ほんと気が利くよね」
「いやいや、全然ですよぉ」
と言いながら、
――もう一回言って。
とは思っていた。
人間には承認欲求というものがある。
わたしの場合、ちょっと食欲より強かった。
*
家に帰ると、メイクを落とし、コンタクトを外し、眼鏡をかける。
毛玉のついたジャージに着替えるまで、七分。
わたしは七分で、職場の女をやめることができた。
部屋には、白くて丸い推しのぬいぐるみが並んでいた。
笑っている子。
眠っている子。
いちごを抱えている子。
雨合羽を着ている子。
季節限定の桜を頭に載せた子。
同じ顔なのに、服が違うだけで買ってしまう。
メーカーはわたしより、わたしの財布の扱いが上手だった。
可愛いものが好きだった。
わたしが可愛くない日にも、推しは変わらず可愛かった。
自分が可愛くいることは、どちらかといえば仕事だった。
推しが可愛いことは、存在だった。
「いいなあ」
ベッドへ倒れ込む。
「いるだけで可愛いって」
ぬいぐるみは答えなかった。
いるだけでいいので、返事までは求められていなかった。
うらやましい。
*
その夜も、眼鏡とジャージ姿でコンビニへ行った。
揚げ物。
カップ麺。
プリン。
アルコール度数の高い缶チューハイ。
健康に悪いことは分かっていた。
明日の自分が困ることも分かっていた。
でも、明日のわたしはいつも困っている。
一つ増えても、もう誤差だった。
部屋へ戻り、缶チューハイの蓋へ指をかけたところで、スマートフォンが震えた。
午前一時十二分。
上司からだった。
『遅い時間にごめん! 明日の朝イチで使う資料、数字だけ直してもらえる? できたらで大丈夫です!』
できたらで大丈夫。
社会人には、いくつか翻訳が必要な日本語がある。
《できたらで大丈夫》
――やって。
《急ぎじゃないんだけど》
――今日中に。
《無理しないでね》
――無理はそちらで調整してください。
わたしはスマートフォンを見つめた。
今日は疲れている。
もう退勤している。
明日の朝でも間に合う。
というか、普通に考えて、やらなくていい。
指が動いた。
『承知しました! 大丈夫です!』
最後に笑顔の絵文字をつける。
送信。
「…………」
しばらく画面を見た。
「いや、なんで?」
誰も答えなかった。
自分で送ったからである。
メイクを落としたばかりなのに、また仕事の顔へ戻った。
ノートパソコンを開く。
数字を直す。
一か所だけと言われた。
三か所あった。
ついでに表の罫線がずれているのを見つける。
直す。
フォントサイズも一か所違う。
直す。
頼まれていない。
知っている。
でも明日の会議で、
「ここ違ってるよ」
と言われたら、たぶん自分が恥ずかしい。
「ほんと、こういうところなんだよなあ……」
呟きながら直した。
最後に覚えているのは、画面の上で点滅する縦棒と、まだ開けていない缶チューハイだった。
資料は自動保存されていた。
わたしは、されなかった。
*
次に目を覚ますと、花畑にいた。
空は青い。
雲は白い。
赤、黄、桃色の花が、丸い花びらを目いっぱい広げている。
どこからか焼きたてのクッキーの匂いまでした。
あまりにも異世界だった。
「……死後?」
口から出た声が、小さな笛みたいに高かった。
「えっ」
もう一度。
「あー」
高い。
「えー」
可愛い。
「領収書お願いします」
可愛い。
何を言っても可愛い。
「最悪」
かなり可愛い。
声だけなら、人生で一番仕上がっていた。
身体を起こそうとした。
起き上がれなかった。
手足が予想していた位置まで届かない。
「よい……しょっ」
勢いをつける。
ごろん。
横へ転がった。
花びらが一枚、鼻の上に載った。
取ろうとする。
前足が鼻まで届かない。
右から伸ばす。
届かない。
左から伸ばす。
もっと届かない。
「なに、この身体」
花びらを見ようとして寄り目になる。
「へちっ」
くしゃみが出た。
丸い身体が後ろへ転がり、
ごろん。
ごろん。
ぽすん。
花の茂みに埋まった。
足だけが四本、空へ出た。
「…………」
死後二回目の敗北だった。
*
どうにか這い出す。
わたしの手は白くて丸かった。
指らしきものはある。
ただし、とても短い。
柔らかな毛に覆われ、掌には桜色の肉球までついている。
「肉球……?」
近くに小さな水たまりを見つけた。
四本の短い足を懸命に動かして向かう。
途中で二回、進行方向と違う方へ転がった。
操縦性が悪い。
水面を覗く。
白くて丸い生き物がいた。
丸い耳。
つぶらな黒い瞳。
小さな三角の鼻。
頬には、生まれつき薄い桃色が差している。
頭が大きい。
手足が短い。
ほとんど球体。
「…………」
ぬいぐるみだった。
正確には、ぬいぐるみのような何かが、わたしだった。
「可愛い……」
思わず出た。
怒った顔をしてみる。
可愛い。
睨んでみる。
可愛い。
頬を膨らませる。
かなり可愛い。
泣きそうな顔。
「……やば」
すごく可愛い。
ちょっと待って。
これ、相当強い。
前世では寝不足の顔を隠すだけで、コンシーラーとアイシャドウとマスカラとリップが必要だった。
今は寝起き。
化粧なし。
コンタクトなし。
髪すら整えていない。
そもそも髪がない。
それなのに、人生で一番可愛い。
わたしは水面の自分をじっと見た。
「……勝った」
何に勝ったのかは分からない。
人間としての人生には負けた。
でも、転生には勝った。
しかも、この顔。
どう考えても庇護される側である。
試しに首を傾げてみた。
身体ごと傾いた。
ごろん。
「あっ」
転がった。
けれど、転がった姿まで可愛かった。
これなら多少の失敗も、
《しょうがないなあ》
で済む可能性が高い。
前世で二十九年も女をやっていたので、そのくらいは分かる。
「いける」
わたしは起き上がった。
「今度こそ、楽して生きる」
死亡直後の反省としては、かなり具体的だった。
*
「あっ」
背後から声がした。
振り返る。
黄色くて丸い生き物が立っていた。
わたしより少しだけ背が高い。
垂れた長い耳の先だけが茶色く、背中には赤い小さな鞄。
「生きてる?」
「今のところは」
「よかったあ」
黄色い生き物は胸を撫で下ろした。
短い前足が胸まで届かず、空中を二回撫でた。
ちょっと可愛い。
「ぼく、ポポ。きみは?」
名前を答えようとして、やめた。
前の名前が、今の顔にまったく似合わない。
「ちょっと待って。考える」
「生まれたばっかりなの?」
「二十九年ほど考える時間はあったんだけど」
「ゆっくりでいいよ」
ポポは鞄から赤い木の実を取り出した。
「おなか、すいてる?」
「すいてる」
「はい」
差し出された。
見返りの確認もない。
契約書もない。
わたしは木の実を両前足で受け取った。
身体に対して少し大きい。
抱える格好になる。
ポポが目を輝かせた。
「かわいい!」
あ。
この反応。
わたしは理解した。
木の実へ小さくかじりつく。
「おいしい」
「かわいい!」
味の感想を言っただけなのに。
もう一口。
両手で木の実を抱え直す。
ポポの瞳がさらに輝く。
「すっごくかわいい!」
なるほど。
わたしは少し首を傾げた。
「もう一個食べたら、もっと可愛いかも」
「ほんと?」
ポポは鞄を開いた。
二個目が出てきた。
「どうぞ!」
「ありがとう」
受け取る。
異世界転生から、おそらく二十分。
わたしは可愛さを食料へ換金することに成功した。
「この世界、いける」
「なにが?」
「なんでもない」
*
ポポに連れられて、近くの村へ向かった。
村は、子ども向けの菓子箱をひっくり返したような場所だった。
クッキーみたいな壁。
クリームみたいに丸い屋根。
煙突からは輪になった煙が、ぽん、ぽん、と空へ昇る。
「かわいい……」
「でしょう?」
道を歩いているのは、どれも丸くて小さな生き物だった。
茶色い子が、自分の三倍はある荷車を引いている。
青い子が、雲みたいな羊の毛を刈っている。
刈った毛が頭へ載り、身体全部が埋まった。
白い毛玉から青い足だけが歩いていく。
「かわいい……」
「でしょう?」
桃色の子が、パンへ一つずつ笑顔の焼き印を押していた。
ぽん。
ぽん。
ぽん。
くるりと振り返る。
頬にも同じ笑顔の跡がついていた。
「それ、大丈夫?」
「おそろいだよ」
桃色の子は嬉しそうだった。
「そうなんだ」
本人がいいなら、まあいい。
可愛いし。
そのとき、前を歩いていた茶色い子が石につまずいた。
ぺしゃり。
「え」
後ろの荷車が身体へ乗り上げる。
茶色い子は、地面へ平たく潰れた。
頭の葉っぱだけが、ぴん、と立っている。
「ちょっと!」
駆け寄ろうとした。
道端の子たちが、一斉に声を上げた。
「がんばってー」
「え?」
潰れた茶色い子が答える。
「がんばってるよー」
ポポも前足を振った。
「がんばってねー」
「いや、助けないの?」
「ぼくは、きみを案内するおてつだいの途中だから」
「ほかの子は?」
「みんな、自分のおてつだいがあるよ」
「じゃあ、あの子は?」
「荷車をはこぶおてつだい」
茶色い子が、身体をぷるぷる震わせながら荷車の下から這い出した。
みんな拍手した。
「できたー」
「すごーい」
「がんばったねー」
茶色い子は、嬉しそうに荷車を引いて去っていった。
「…………」
誰も怒鳴っていない。
誰も虐めていない。
誰も意地悪をしていない。
全員、善意だった。
それがちょっと嫌だった。
「ねえ、ポポ」
「なあに?」
「この世界、もしかして変?」
「かわいいよ?」
「質問への答えとして強すぎる」
*
村の中央に、《はじめましてのおうち》があった。
壁は薄桃色。
屋根には真っ赤ないちご。
入口の上には、生クリームみたいな文字で名前が書かれている。
「あそこで、おうちとごはんをもらえるよ」
ポポが言った。
「家?」
「うん」
「無料?」
「むりょう?」
「何もしなくても?」
「新しい子には、みんな優しくするよ」
わたしは立ち止まった。
家がもらえる。
ごはんももらえる。
前世では、住むために家賃を払い、家賃を払うために働いた。
「……勝った」
「また勝ったの?」
「今日は調子がいい」
死亡した日でもあったが、細かいことは気にしない。
*
《はじめましてのおうち》では、大きな桃色の生き物が受付をしていた。
クマに似ている。
耳だけ花の形。
胸には《はじめまして係》の名札。
「はじめましてえ」
間延びした声だった。
聞いているだけで眠くなる。
「はじめまして」
「新しい子だねえ。ようこそお」
「どうも」
「かわいいねえ」
「よく言われます」
言われ始めたのは二十分前からだった。
「今夜から眠れるおうちと、夕ごはんを用意するねえ」
「ありがとうございます」
思わず深く頭を下げる。
胸が重くなったわけでもないのに、丸い身体は勢いよく前へ倒れた。
ころん。
ポポの腹へ、
ぽふん。
二人まとめて転がる。
「ていねいだねえ」
はじめまして係が褒めた。
「これは丁寧ではなく事故です」
「かわいい事故だねえ」
この世界では、可愛いがだいたい全部を解決していた。
今のところ、わたしに有利なので黙っておいた。
*
机の下から、大きな葉っぱが一枚出てきた。
わたしより大きかった。
目の前へ立てられる。
世界が緑になった。
「見えません」
「ごめんねえ」
少し横へずらされる。
葉っぱの端から顔だけ出した。
ポポが、
「かわいい」
と言った。
まだ言う。
葉っぱには、丸い文字で質問が書かれていた。
《とくいなこと》
《できること》
《みんなの役に立てること》
《今日からできること》
「これは?」
「きみにぴったりの、おてつだいを探す紙だよお」
「おてつだい」
「うん」
「……わたしも?」
はじめまして係が首を傾げた。
ポポも反対側へ首を傾げる。
わたしもつられて傾げる。
椅子の上を少し転がった。
「うん。だって、ごはんを食べるんでしょう?」
「食べます」
「おうちでも眠るよねえ」
「そのつもりでした」
「じゃあ、おてつだいをしなくちゃ」
優しい声だった。
幼児へ靴の履き方を教えるみたいな声で続ける。
「誰の役にも立っていない子が、どうしてごはんをもらうの?」
「…………」
可愛い村だった。
思想だけが全然可愛くない。
「いつまでに決めれば?」
「ごはんの前だよお」
「今日の?」
「今日じゃないごはんは、今日食べられないでしょう?」
「それは、まあ……」
正しい。
正しい言葉ほど逃げ道がない。
「前は、どんなおてつだいをしていたの?」
「営業事務です」
「えいぎょうじむ」
「資料を作ったり、表計算したり」
「ひょう?」
「電話に出たり」
「でんわ?」
「納期を確認したり」
「のうき?」
「営業が忘れてた仕事を思い出させたり」
「えらいねえ」
「全然偉くないです」
「ほかには?」
少し考えた。
「自分が悪くなくても謝る、とか」
はじめまして係の花の耳が、
ぴん。
と立った。
「謝るの、得意?」
「得意というか、慣れてます」
「ほかの子に、にこにこできる?」
「できます」
「嫌なことを言われても?」
「できます」
「疲れていても?」
「見た目には出しません」
「怒っていても?」
「出しません」
「苦手な子にも?」
「むしろ得意です」
「どうして?」
「好きな人には普通に喋ればいいので。苦手な人ほど愛想が必要でしょう?」
はじめまして係は感心したように目を丸くした。
ポポも丸い目をさらに丸くする。
「すごい」
「いや、これ褒められるところかな」
「自分が困っていても、大丈夫って言える?」
「大丈夫です」
反射で答えた。
沈黙。
「…………」
嫌な予感がした。
はじめまして係の顔が、ぱあっと明るくなる。
花の耳まで全開になった。
「ぴったりのおてつだいがあるよお!」
「ないです」
「あるよお!」
「今、ないって言いました」
「大丈夫だよお!」
「その言葉、嫌いになりそう」
*
「《にこにこ係》?」
「うん。村の入口で、みんなににこにこするおてつだい」
花の形をした名札が、胸へつけられた。
そこには個人名ではなく、
《にこにこ係》
とだけ書かれていた。
「まだ名前も決まってないんですが」
「大丈夫だよお。おてつだいは決まったから」
名前より先に職業が決まった。
死んでも社会から逃げられなかった。
しかも名札が大きい。
重みで身体が右へ傾く。
ポポが左から支える。
今度は左へ傾く。
はじめまして係が位置を直す。
名札の花が顎へ当たり、顔が上を向いた。
「よく似合ってるねえ」
「……ほんと?」
木の実の殻でできた小さな鏡が差し出された。
見る。
桃色の花。
白い毛。
丸い顔。
「あ」
可愛い。
思ったよりかなり可愛い。
少し右を向く。
いい。
左。
こっちもいい。
「かわいい!」
ポポが拍手する。
「そうかな」
声が半音上がった。
「すっごく似合ってる!」
「まあ、色は合ってるかも」
「この村で一番似合うよ!」
「それは見てないから分からないでしょう」
言いながら、もう一度鏡を見る。
悪くない。
むしろいい。
桃色、似合うんだ。
「おてつだいはねえ」
はじめまして係が説明を続ける。
「朝、おてつだいへ行く子に『がんばってね』って言うの」
「はい」
「疲れている子に『大変だったね』」
「はい」
「困っている子に『きっと大丈夫だよ』」
「それだけ?」
「泣いている子には、涙を拭く葉っぱも渡すよお」
「問題を解決するのは?」
「それぞれの問題は、それぞれのおてつだいだからねえ」
「……つまり、解決はしない」
「お話は聞くよお」
「権限は?」
「けんげん?」
「ないんですね」
前世にも、そういう窓口はあった。
「肉体労働は?」
「にこにこするよお」
「重い物は?」
「持たないよお」
「走る?」
「走らないよお」
「怒鳴られる?」
「みんな仲良しだよお」
少し考える。
笑う。
話を聞く。
適当に励ます。
身体は可愛い。
座れれば、かなりいい。
「椅子は?」
「ないよお」
「そこだけ惜しいな」
「でも、立っているだけだよお」
立っているだけ。
前世では、電話を取りながらメールを返し、営業に声をかけ、Excelを開き、コピー機まで走り、謝りながら別件の納期を確認していた。
それに比べれば、
立って笑う。
だいぶ楽では?
いや。
待て。
こういう判断で一回死んでいる。
「勤務時間は?」
「朝の『おはよう』から、夜の『おやすみ』まで」
「具体的には?」
「朝の『おはよう』からあ、夜の『おやすみ』までえ」
具体化されなかった。
「休憩は?」
「ごはんを食べながら、にこにこしていいよお」
「休みは?」
「眠っているときは、おてつだいしなくていいよ」
「それは休みではなく睡眠です」
ポポとはじめまして係が、左右へ首を傾げた。
「眠れるのに?」
「価値観が怖い」
かなり嫌な予感がする。
やめよう。
「ところで、どうしてこの仕事が空いてるんですか?」
「前の子が、がんばり終わったからだよお」
「がんばり終わった?」
「うん。とってもがんばったから、もうがんばらなくてよくなったの」
「……今は?」
「もう来ないよお」
笑顔で言った。
退職。
引っ越し。
転職。
ほかにも、いくつか可能性がある。
最後の可能性だけ、考えないことにした。
「ちなみに辞めるときは?」
「やめる?」
はじめまして係が、初めて聞く言葉みたいに首を傾げる。
よし。
やめよう。
絶対やめよう。
「あの、せっかくなんですけど――」
「すごいね!」
ポポが突然言った。
「え?」
「来たばっかりなのに、もうおてつだいが見つかった!」
「いや、まだ――」
「しかも《にこにこ係》!」
近くにいた子たちまで振り返った。
「かわいい!」
「似合ってる!」
「すごいねえ」
「明日から、にこにこだね!」
拍手が始まった。
ぱちぱち。
ぱちぱち。
「…………」
断れる。
普通に断れる。
前世では断れなかった。
でも今は死んだ。
人生二周目。
成長する機会である。
「すっごく似合ってる!」
ポポが言う。
鏡を見る。
似合っている。
「きっと上手だよお」
はじめまして係が言う。
まあ。
上手だとは思う。
「にこにこするだけだよ」
それもそう。
「きみならできるよ!」
…………。
承認欲求というものは、死亡では治らないらしい。
わたしは胸を張った。
名札が重くて、後ろへ転がった。
ころん。
「まあ……」
起き上がる。
毛を整える。
リボンもないのに、耳のあたりを整えるふりをした。
「私、こういうの得意なので」
「やったあ!」
「ただし」
前足を一本立てる。
「無理はしません」
「うん!」
「頑張りません」
「うん!」
「仕事は仕事です」
「うん!」
「定時で帰ります」
「うん!」
ポポは全部笑顔で頷いた。
たぶん一個も意味を理解していなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
拍手が大きくなった。
花びらが舞った。
ポポが飛び跳ね、着地に失敗して転がった。
わたしも少し笑った。
悪くない気分だった。
*
その夜、用意された小さな家に入った。
花の形をした窓。
雲みたいに柔らかいベッド。
木の実のスープ。
焼きたての小さなパン。
「悪くない」
かなり悪くない。
壁には、明日から使う桃色のリボンが掛けられていた。
その下に《にこにこ係》の名札。
リボンを首へ巻いてみる。
鏡を見る。
「…………」
可愛い。
ものすごく可愛い。
少し横を向く。
可愛い。
反対。
可愛い。
「これは、まあ……しょうがない」
何がしょうがないのかは、自分でもよく分からない。
ベッドへ飛び込む。
ふかふかだった。
働くとはいっても、笑っているだけ。
肉体労働ではない。
村のみんなも優しい。
家もある。
食事もある。
なにより、わたしは可愛い。
前世よりは、どう考えても条件がいい。
「楽勝じゃん」
布団へ潜る。
壁の名札が、月明かりを受けて揺れていた。
《にこにこ係》
前の子は、とってもがんばった。
だから、もう来ない。
「…………」
考えない。
明日聞けばいい。
明日のわたしに任せる。
前世でも、だいたいそうしていた。
こうして、過労死したわたしは、異世界転生したその日のうちに再就職した。
誰にも強制されていない。
脅されてもいない。
洗脳すらされていない。
ちょっと褒められて、
制服が似合って、
普通に引き受けた。
前世から何ひとつ成長していなかった。
ただ一つ違うのは、
今度の仕事の顔は、
メイクを落としても消えないことだった。




